猫屋敷

 明朝約束通り朝早くに訪ねてきた三俣に連れられ、屋敷へと向かう。三俣青年が書生として住み込みで働く屋敷は政界に幅を利かせる沢渡サワタリ公爵家次男、静司セイジに与えられた別荘だという。

「静司様は絵画を嗜んでおられまして、別荘をご自身の作業場とされています。家を継ぐ必要がない分、好きなように趣味に使うようにとお祖父様より譲り受けたのです。現在は体調を崩されたゆかり様の療養にも利用しています。豊かな自然に囲まれた素敵なお屋敷ですよ」

「次男坊の道楽専用別荘か。流石、金持ちは違うな」

 三俣に聞こえぬよう皮肉をたっぷり込めて吐き捨てると、隣でゴローが鼻を鳴らした。明らかに莫迦にしている。

「悔しければ、貴様も出世してみることだな。怠惰を貪る貴様には土台無理な話だが」

「いいんだよ、どうせ俺には出世とかは向いてないから」

 臍を曲げた訳ではなく、心からの本心であった。権力闘争に利用されるのは御免被る。世捨て人でいる方が身の丈に合っている、とも思う。

 別荘は街の喧騒から少し離れた山間の拓けた土地に建つと云う。まずは乗合バスに乗り、屋敷の最寄りの停留所で降車。そこからは徒歩の道程だった。しばらく歩いていると、木立の中でもはっきりとその姿が識別できるほど立派な屋敷が聳え立っているのが見えた。華族や外国の要人が集う舞踏会とやらはこういった屋敷で行われているのだろうか。何にせよ、徹平には縁のない話だ。

 姿は見えどもなかなか近づけず、苦心しながらようやく屋敷の前まで辿り着いた頃には、日も暮れかかっていた。

「改めて、ようこそお越しいただきました。では、中に」

 三俣は屋内に二人を招き入れる。洋風の見慣れぬ豪華な装飾と広い玄関口に落ち着きなく視線を彷徨わせていると、三俣が声を潜めて囁いた。

「お二方、まずはゆかり様に会っていただけますか。ですが猫の呪いの話は、どうかご内密に」

 徹平は気を引き締めて頷いた。そも、今日はこのために沢渡邸を訪ねたのだ。


 × × ×


「三俣さんのお友達? まぁ、遠路はるばるようこそおいでくださいました。この通り、体調が優れなくて。玄関までお迎えできなくてごめんなさいね」

 上質なベッドから半身を起こした鍋島ゆかりは柔和な笑みが似合う可憐な女性だった、しかし、三俣の言う通り、すっかり窶れてしまっている。目の下は窪み、隈と深い影で縁取られた瞳は寝不足のせいか、生気が感じられない。

 長く起きていると身体に障るとのことで、簡単な挨拶を済ませると早々に退室した。部屋から出ると、ゴローが小声で耳打ちしてきた。

「徹平、見たか? あの娘」

「ああ、ありゃ重症だな。早めにどうにかしねーと、死ぬかもな」

「ほっ、本当ですか!? ど、どうすれば……」

 二人の会話を耳聡く聞きつけた三俣青年が、激しく動揺しながら詰め寄ってきた。徹平はそんな彼を適当に宥める。

「あー、落ち着いて。これから原因と対処法を調べるんでしょ」

「そんな悠長なことを言っていられますか! もしもゆかり様に万が一のことがあったら、自分は……」

「どうした、三俣?」

 声を詰まらせる三俣青年に声を掛けた者がいた。屋敷の主人、沢渡家の次男である沢渡静司だった。

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