蜘蛛の糸-弍
「てっぺー、お客さん」
出掛けていたゴローが、見知らぬ男を連れて
「お前なぁ……犬猫拾うみたく誰でも連れてくるんじゃねえよ」
「だって、力になると思って」
項垂れて殊勝なことを云うゴローだがその実、彼は男の力に添うことを目的としている訳ではない。男が彼の力になることを目論んでいるのだ。
幼気な少年は仮の姿。彼の本来の名は山本五郎左衛門。徹平の先祖である平太郎少年の勇気に感銘を受け、小槌を授けた魔王である。しかし家宝として代々受け継がれた小槌は今や質に流れ、取り戻すまで徹平はゴローに逆らえずにいる。
「それで、えーと……」
徹平の視線に気づいた男は頭を下げた。
「申し遅れました、私は
「妓楼って……お前、どこまで行ってたんだよ!」
長谷の生業を耳にした徹平は目を剥いた。ゴロー少年は年端もいかぬ幼児の
「いえ、彼とお会いしたのは街の外なので問題ありません」
「それならまあ、いいのか……で、ここに来たってことはアンタも物怪のことで?」
「はい、恥ずかしながらどこにも相談できませんで……下手に騒ぎが大きくなって彼らに嗅ぎつけられても困りますし」
ふくよかな体躯を縮こまらせた長谷が云う彼らとは特務陰陽寮〈八咫烏〉のことだ。旧時代の文化、主に物怪の類いを取り締まるための軍。そのやり方は横暴極まり、市政の人々の畏怖の対象となっていた。
「実は、うちの妓楼に蜘蛛が度々出るのです」
長谷は意を決した様子でそう切り出した。
「はあ…うちは萬屋を名乗っちゃいますが、害虫駆除はやってないんですよ」
気がない返事で他を当たれ、と言外に仄めかす徹平だが、長谷はゆるゆると
「普通の蜘蛛じゃありません。
長谷が営む妓楼は花街の一等地に位置しており、花街随一の高級妓楼だと自慢げに語った。そういった場所とは縁遠い徹平ですら屋号に聞き覚えがあり、働く女性達も粒揃いと評判だ。徹平の全財産である端金では座敷を踏むことすら許されないだろう。
女は身をもって夢を売り、男は金で夢を買う。そんな男と女の
「酷かったですよ。まるで獣に襲われたみたいで……でも、花街から山は遠く、野山の獣が街に入り込むなんてことは考え難いんです」
惨状を思い出したのか、青い顔で長谷は云う。
死体は糸で簀巻き状にされており、その上であちこちを喰い千切られていた。獰猛な獣に襲われたと仮定しても、野生の獣が獲物をわざわざ糸で巻く必要はないはずだ。蜘蛛のように糸を吐き、獲物を絡め取る生き物でない限りは。
妓楼で働く者達の間で噂は瞬く間に拡まった。彼女を殺したのは絡新婦ではないか、と。
絡新婦とは、人の生き血を啜るとも、美女に化けて男を誑かすとも伝わる物怪である。男に捨てられた人間の女が蜘蛛に変じたという伝承も残っている。
そんな折、新たな事件が起きた。妓楼の常連客も同じ死に方をしたのだ。男は江戸から続く呉服屋の跡取りで整った顔立ちの優男だが、婚約者がいるにも関わらず、複数の遊女達と結婚の口約束をしていた不届者だった。彼の死後、遊女達の証言から明らかとなった。
男の死を受け、噂はますます盛んになった。女誑しの男は絡新婦の毒牙にかかったのだ、と。更には先に死んだ遊女は男と出来ていたが絡新婦の嫉妬により殺されただとか、死んだ遊女の怨念が絡新婦になって男を呪い殺した等、様々な憶測が飛び交った。
人の口に戸は立てられない。出入りする客や商人達の口から街の外に噂が拡がるのは必然と言えた。
「このままでは烏が乗り込んでくるのは時間の問題です。どうかその前に絡新婦を退治してくださいませんか。謝礼は弾みますので」
平身低頭、長谷は頼み込む。机どころか床に額を擦りつける勢いの彼を徹平は慌てて制した。
「あー、わかりました。わかったんで頭を上げてください。ちなみに、謝礼はどのくらいで……」
声を潜めて耳打ちする。ゴローの冷ややかな視線が突き刺さるが気に留めない。長谷が告げた額は、溜まっている半年分の家賃を支払っても釣り銭が出る量だった。徹平は長谷の肉厚な手をしっかり握った。
「化け蜘蛛退治、引き受けましょう。我々にお任せください」
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