火焔の包囲網-弍

 × × ×


 火柱を目眩しに、瀧を抱えた徹平は九朗から距離を取り、死角になる物陰に逃げ込んだ。

「離して、アイツを、姐さんの仇を……!」

「落ち着け、アイツはお前には殺せない。挑んだところで返り討ちに遭うだけだ。感情に任せていたずらに死にに行くのがお前の仇討ちなのか? だとしたら俺は見過ごせない」

 強い口調で諌められた瀧は俯いた。気丈な彼女が泣き出すことはなかったが、きまりが悪くなった徹平は話題を変えた。

「お前……知ってたのか。浄蓮が人間じゃないって」

 九朗が浄蓮を蜘蛛と断言した際、瀧は動揺する素振りを見せなかった。瀧は小さく頷いた。

「あたしは遊女の子供で、この街で生まれ育った。母親は病で死んじゃって、父親も誰か判らない中で、浄蓮姐さんはあたしを本当の子供みたいに可愛がって育ててくれた。あたしが姐さんの正体を知ったのは偶然だったけど、困った顔でバレたなら仕方ないねって教えてくれた。姐さんは昔、結婚を約束した男に裏切られた怨みのあまり絡新婦になっちゃったんだって。でも姐さんは優しいから、今まで人を殺すことはしなかった。それどころか、姐さんは他の遊女達が自分と同じ目に遭わないようにずっと守ってくれてたんだ」

 花街は男と女の坩堝。醜い嫉妬や愛憎が渦巻いている。浄蓮の例に漏れず、強い情念は物怪を生み出すものだ。そこで気づいた。

「浄蓮が身請けされてから蜘蛛の噂が出始めたのは、今まで蜘蛛の発生を抑制していた浄蓮がいなくなったからなのか」

 徹平の推測を、瀧は頷いて肯定した。

「今までは蜘蛛が生まれても姐さんが人知れず始末してくれてた。でも、姐さんがいなくなったから……」

 浄蓮がいなくなり、抑えが効かなくなった遊女達の嫉妬と憎しみの感情は絡新婦と化して矛先の男女を殺めた……。九朗率いる八咫烏が遊女達を襲っていたのは、絡新婦を生み出す元凶を断つためだった。害虫駆除とはよく云ったものだ。

「何にせよ、これ以上アイツらを好きにさせておけない。まずは火事をどうにかしねえと……」

 烏の群れは手当たり次第に放火しては逃げる遊女を殺害している。凶行を止めるには鎮火が最優先だ。既に延焼が進んでおり、逃げ場がなくなるのも時間の問題。このままでは一網打尽になりかねない。

 その時だ。燃え盛る太い柱が根本から折れて倒れてきた。真下には瀧がいる。

「瀧!」

 徹平は瀧を抱えて避難しようとするも、間に合わない。咄嗟に彼女を庇って覆い被さった。

「え、ちょっと何!?」

 動揺した瀧だが、迫る柱に気づいて息をを呑んだ。灼熱の炭となった柱が、成す術のない二人を呑み込む――

 間際、音を立てて細かく砕け散った。

「騒がしいと思えば……何をしている」

 木の破片が降り注ぐ中、聞き慣れた憮然とした声が耳朶を震わせる。徹平は面を上げた。

「ゴロー……」

 ゴローがこちらを見下ろしていた。燃える柱を砕いたのは彼だろう。灼熱の炎が映り込んだ金の瞳は、夜空に輝く月が赤く燃えている様を思わせた。

「お前、街の外にいたんじゃ」

「これだけの騒ぎになれば嫌でも気づくわ。それよりも徹平、わしに断りなく勝手に身を投げ出すなど、一体どういう了見だ?」

「仕方ねーだろ。俺一人だったら無茶はしないってえの。ていうかお前、ここまで来れるんだったら火事もどうにかしろよ。それくらい出来るだろ」

「それがものを頼む態度か?」

 ゴローが目を細める。刹那、大粒の雨が降り出した。降り注ぐ雨は天から落つる救いの糸に似ていた。激しく燃える炎を包み込み、地獄の業火を鎮火させていく。唖然として固まったままの瀧が濡れぬように庇いながら徹平は文句を吐露した。

「俺達まで濡らすなよ」

「注文の多い……徹平貴様、無礼なことを考えていただろう? その罰だ」

 無礼――もしや、遊女の客引きからゴローが起こした怪異を想起したことだろうか。徹平は呻いた。

「バレてんのかよ」

「わしに隠し事は通じぬわ、たわけ」

 ゴローは鼻を鳴らす。やはり徹平はこの魔王には敵わない。

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