猫屋敷-弍
「静司様。紹介が遅れて申し訳ございません、
弟、という単語にゴローは気分を害したようで、密かに眉を顰めた。徹平の背筋がひやりとしたが、魔王は猫を被り通すと決めたようだった。特に文句を云い出すことはなかった。
「三俣から話は伺っております。何もない片田舎ですが、どうぞ、ゆっくりしていってください」
沢渡静司は道楽に耽る金持ちの次男坊の割には人の好さそうな、絵に描いたような好青年という印象だった。魔王と下僕に向かって柔らかに頭を下げると、その場から退がろうとする。そんな静司の裾を引いた者がいた。幼気な幼子のふりをした
「ねー、猫は? いないの?」
「猫? ああ……タマのことか」少しの間首を傾げた静司だったが、すぐに思い当たったようだ。「あの子が姿を消してしばらく経つが……そうだね、今も元気でいるといいが。なに、猫は気まぐれだからね、その内帰ってくるだろう。その時は君に見せてあげよう」
「ほんとう? やったぁ」
ゴローは嘘に塗れた笑顔を浮かべた。
× × ×
気を利かせた静司は今夜は泊まるように、と余っている部屋を客間として貸してくれた。
更には夕食まで用意してもらい、体調の優れないゆかりを除いた全員で食卓を囲んだ。静司の好物だという牛鍋なる食べ物を振る舞ってもらった。貧乏人である徹平は肉を食すのは久方ぶりだ。牛肉などの具材に醤油出汁がよく絡み、鼻先でふわりと香りが抜ける。これにはゴローも舌鼓を打って味わっていた。
「客人なんて滅多に来ないからね。僕も少し燥いでいるんだよ」
静司は照れ臭そうに笑った。ともすれば、家督を継げない彼は一族から冷遇されていたのかもしれない。
食後は静司と三俣が中心となり歓談に明け暮れた。猫の呪いの話題は避け、当たり障りのない話――静司と屋敷に住まう二人の出会い話などを聞かせてくれた。
「静司様は私の恩人です。食い扶持もなく彷徨っていた私をお屋敷に招いてくれたのです。沢渡の方々は静司様を邪険に扱いますが、静司様のような御方こそ人の上に立つに相応しいと私は思います」
三俣は静司が如何に優れた人格者か熱弁して静司を困らせていた。
やがて夜も更けた頃には自然と散会となり、徹平とゴローは用意された客間へと引き揚げた。
「この屋敷、どうにも獣臭くて敵わん」
豪奢なベッドに身を投げ出すなり、ゴローはこれまで被っていた猫を投げ捨ててうんざりと吐き捨てた。
「ふーん。沢渡さんが他に猫や動物を飼っている気配はないっぽいけどな。もしかしてさっきの鍋のせいか?」
気のない返事をすると、冷ややかな視線を向けられる。
「貴様の目は節穴か? 屋敷全体に化け猫の臭いが染みついているだろうが。娘が伏せっているのも、大方屋敷に棲み憑いた化け猫に生気を吸われているからだろうよ」
「はいはい、どーせ俺は片目しかマトモに見えませんよ」
徹平は眼帯の上から右目をなぞる。幼少期の怪我が原因で、本来であれば景色を映し出すはずの右目はまともに機能しなくなっていた。とても他人様に見せられるものではないため、外出の際は眼帯を付けるようにしている。
「しかし、同じ屋敷に住んでるのに、どうして沢渡さんには被害はないんだ? ゆかりさんが鍋島家の子孫だから? まさかな……」
弱々しく臥せていたゆかりに対し、静司は健康そのもので、自分の足で歩き回っていた。となると、やはり三俣の言う通り、化け猫はゆかりにのみ狙いを定めている可能性が高い。
「なら、直接確かめてみればいいだろうよ」
「直接?」
「化け猫とやらは、夜な夜な娘の夢に現れるのであろう? ならば、娘の部屋で張り込めばいい。飛んで火に入る夏の虫、捕まえる手間も省ける」
簡単に言ってのけると、ゴローは鼻で笑った。
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