頼みの綱-弍

「何か見たの?」

 声に振り向くと、一人の少女が佇んでじっとこちらを見ていた。歳の頃はゴローよりも少し上に見える。あどけなさの残る少女は貸座敷で働く娘だろうか。

「いや……」

 見たままを語るのは憚られ、何と説明しようか逡巡していると、少女は答えを待たずに踵を返した。

「ここには蜘蛛が棲んでいる。迂闊に踏み込まない方がいいよ」

「待て、それはどういう意味だ」

 徹平は思わず聞き返していた。少女は怪訝な視線を寄越した。

「そんなこと聞いてどうするの?」

「俺は蜘蛛をどうにかするために来た。何か知っているなら教えてくれないか」

「どうにかできるなら苦労しないよ」

 少女は呟く。このよわいの娘にはおよそ似つかわしくない諦念が声に滲んでいた。彼女の事情は知らないが、絡新婦騒動の手掛かりを握っていることは確かだ。

「これでも俺は物怪のことに関しては一家言あるんだ。相手が解れば対処もし易いだろ」

「ふぅん、物怪に詳しいなんて物好きだね。でも無駄だよ。あれは一人でどうにかできる代物じゃない」

「お前……いったい何を知っている?」

 口を開きかけた少女を、女の鋭い声が遮った。

タキ! どこで油売ってるんだい」

「ごめんなさい、若葉ワカバ姐さん」

 廊下の先にいる仁王立ちの女を見た少女は肩を縮こまらせる。

「全く、何をしているのかと思えば、アンタに客なんてまだ早いよ」

 あらぬ誤解を受けたようだ。徹平は慌てて待ったをかけた。

「違う、俺は女を買いに来た訳じゃない」

「お客さんじゃないの? じゃあもしかして、アンタが長谷さんの言ってた人?」

 徹平は頷いた。若葉と呼ばれた彼女には話は通してあるようだ。

「あたし地獄耳だからさ。知りたいことあったら何でも聞いてよ」

 乗り気な若葉とは対照的に、瀧は固く口を閉ざしている。仕方なく、徹平は若葉の知る事情から聞き出すことにした。

「早速だが、あんたが知っていることを教えてくれ」

「待った。立ち話もなんだし、座敷に上がりなよ。瀧、座敷の準備して」

「はい」

「待て、俺はそういうつもりで来たんじゃないんだが」

「大丈夫、良い男だからって昼間から誘ったりしないよ。夜までゆっくりしてもいいんだけどね?」

 茶目っ気のある若葉の誘いを、徹平は首を横に振って遠慮した。

 座敷に上がり、寛いだ若葉は噂話を語る調子で喋り始めたが、語った内容は長谷から聞いていたものと変わりはなかった。それでも同僚であるからか、雇い主の長谷よりも幾らか踏み込んだ話を聞くことができた。

「死んじゃった子……揚羽アゲハっていって、うちで一番の別嬪だったのよ。死んだ若旦那も揚羽に入れ込んでて、そのうち身請けされるんじゃないかって噂されてたんだけどねぇ……。まさかあんなことになるなんて」

 ――どうしてあの子ばっかり。

 ――あたしだってあの人のこと好きだったのに。

 徹平の脳裏に先ほど現れた人面蜘蛛が口々に吐いた怨み言が浮かんでは消えていく。揚羽は嫉妬、若旦那は女癖の悪さから、多くの遊女に怨まれていた。

(もしや、絡新婦は一人じゃないのか?)

 人面蜘蛛の中には目の前の若葉と似た顔もあったことを思い出す。小槌の力を使えば若葉の正体を一目で見抜けるだろうが、徹平の負荷が大きく長くは保たない。相手の正体と出方が判らぬ以上、切り札として最後まで温存するべきだ。

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