26 私もあなたのことが

 小一時間ほどして、ソラリスが入浴から戻った。


 ミューの体であればシータの曖昧な器官の説明もまだ理解しやすいようで、またもや謎の特訓を騒ぎながら行ったり疲れて菓子を摘んだり、はたまた美容の話をソラリスとシータにそれぞれ教えられたりして過ごすうちに日も暮れ始める。

 そろそろ夕食かなどと話をし出した時、ウルクがソラリスを呼びに来た。


「そういや兄上いなくなってたな。どこ行ってるんだ? 仕事?」


 などと言いながらのんきに出ていったソラリスだったが、しばらくして戻った彼はむっつりと押し黙っていた。無言で椅子に座り、卓に突っ伏す。


「……ど、どうしたの? ソル。怒ってるの?」


 彼にしてはめずらしい、不機嫌を露わにした様子におそるおそる問えば、はっとしたように顔を上げて「ごめん」とため息をついた。大きく深呼吸して、また息を吸い、歌う。歌い終えると同時に体が戻った。


「これで殴り合いになっても大丈夫だな。ちょっともう一度行ってくる」

「殴り合い⁉︎ 殴り合い前提でどこにいくの⁉︎」

「だって今更お前は自由にしろとか何言ってんだあの人腹立つなほんと」

「なに、何があったの!」


 扉を出ようとするソラリスを必死に止める。助けを求めてシータを見るが、魔女はのんきに菓子を頬張っていた。


「初めての兄弟喧嘩でしょ? ほっとけばいいと思うけど」

「兄弟、喧嘩……?」


 種類は違えど、基本はいつも笑顔でいる二人には似付かわしくない言葉を告げられぽかんとする。ソラリスも勢いを削がれたように肩を落とした。


「……あのさぁ女王様、そういうんじゃなくて」

「そういうのでしょうよ。知ったような兄貴面されて腹が立ったってことでしょ?」


 図星だったのか、黙り込んだソラリスを諭すように、シータは続ける。


「何を言われたのかは察しがつくわ。あなたの、これからのことよね? でも、それならレムと殴り合う前に、ミュスカとちゃんと話すべきなんじゃないの?」

「これから……って……え? ソルは私と一座に戻るんじゃないの?」


 不安になって袖を引くと、ソラリスは目に見えて困った顔をした。途方に暮れたような様子に、ミューの不安はますます募る。


「ほら、ね。……今までは人に相談とか出来なかったんでしょうけど、何もかも一人で抱えて決めるのはやめなさい。——さてと、レムも叱ってこなくっちゃ」


 すれ違いざま、ソラリスの背を音がするほど強く叩き、シータは部屋を出てしまう。最後にミューを一瞥した金の瞳には、どこか面白がるような、試すような気配があった。


「ソル……?」

「……外に出るか。ミュー、まだこの屋敷の中、なにも見てないだろ。空も森もきれいに見える場所があるんだ」


 返事を待たずに、ミューの手を引いて部屋を出る。


 石造りの屋敷は歴史を感じさせるものの、よく手入れをされていた。通り過ぎる廊下や壁には絵や刺繍、季節の花などが細やかに飾られている。森の主というよりは、物語の〈魔女〉の住処のような、童話めいた暖かい雰囲気だった。目覚めた時に居てくれた少女のような森の民たちが、主のために整えているのだろう。シータが民に慕われているのがよくわかる。


 階段をいくつか上って着いたのは、大きく視界の開けたバルコニーだった。彫刻を施された白石の手摺の前で、ソラリスはようやく足を止めてミューを振り返った。その目の星は、どこか迷いを孕んで揺れている。

 それを振り切るように、ソラリスは口を開いた。


「……あのさ。ミューはこれから」

「あ、若様だー。おーい、〈兎〉の若様ー!」

「あれ? 彼女? 起きたんだ彼女、よかったですねー! 彼女さーん!」

「明日は彼女さんも親睦会来てくださいね〜!」

「…………」


 地上から聞こえた声に固まったソラリスは、屋敷から帰るところなのであろう、同じような年頃の青年たちに大声で叫ぶ。


「……ちょっと大事な話するから! 集まるな! 今日は解散!」

「え? 大事な話? プロポーズ⁉︎ ちょっとみんな来いよ若様が今からプロポーズ」

「か・い・さ・ん! 気をつけて帰れよ、また明日!!!」


 手摺に乗り上げ、やけになったように手を振って集まった彼らを送り出す。

 王子の雑な見送りに気楽に手を振り返し、青年たちは去っていった。それを見届け、ソラリスはもう一度ミューに向き合う。


「それで、これから」

「い、今の友達……? 早くない? 仲良くなるの。どういう仕組み……?」


 初対面のミューにすらやけに親し気だった様子に戦慄を覚える。彼女さんて何だ。あの輪の中に入れと言われても無理そうだった。明日は仮病で欠席したい。


「友達っていうか、これからうちの里に呼ぼうかなって連中! で、これから」

「里に呼ぶ? 森の人たちを? どうして? そういえば、親睦会やってるってお兄さんが言ってたけど、そのためなの?」

「……うん、そうだな。そういうことから話したほうがいい……のか?」


 質問を重ねるミューに困惑したように、ソラリスは首を捻る。

 しばらく迷った末に意を決し、ミューは一番気になることを尋ねた。


「それは、『これからのこと』と、関係があるの?」

「……うん。関係は、ある」


 手摺に背を預け、考えを纏めるようにぽつぽつと、ソラリスは語りだす。


「ミューは、一座に戻りたいよな。それはわかってるんだ。俺だってカンナさん達は好きだし、仲間だとも思ってる。旅して練習して舞台に上がって演じてっていう暮らしは本当に楽しかった。ミューも一緒なら、すごく幸せだと思う。でも」


 覚悟を決めるように目を伏せる。


「でもさ、やっぱり俺は〈兎〉の王子なんだよ。望まれた王子様にはなれなかったが、どうしてもそれは捨てられない。一族のためにやることは全部やったってミューは言ってくれたけど、まだ出来ることが残ってる気がして」

「……お兄さんと勝負して負けたんでしょ? 王様にはなれなかったのに、ソルは何をするつもりなの?」


 意地の悪い質問だとは自覚している。けれどどうしても「そうだね」とは思えない。

 ミューの指摘に、ソラリスは静かに続ける。


「兄上が即位すれば俺は族長に任じられる。兄上は、即位と同時に、自分には西の森の主の守護があると公にするつもりでいる。守護と引き換えに森の民を受け入れる用意をすることもな。少数の希望者からだが、そいつらをまずはうちの里で受け入れてみようって、そういう話をしてた」


 〈兎〉は最下位部族の上、他部族と比べて数も少ない。族長は恩赦を与えられた決闘敗者だ。反発心があろうとも、断れる立場にないことはどこからみても明白だ。受け入れる理由さえあれば最初は嫌々でもいいのだと、ソラリスは言った。


「積み重ねって大事だろ。同じ目線に立つことも。同じ里で一緒に生活していけば、多少の違いがあったって同じような人間なんだってわかるはずだ。最初はごたつくこともあるだろうけど、そこは俺たちで頑張っていこうって。そうやって少しずつでも、混血民とか七部族とか、そういう括りを取っ払っていきたい。誰かを蹴落としたり蔑んだりしなくてもちゃんと幸せになれるような国を作りたい」


 もう何も言わないでほしい。そう思い、ミューは唇を噛んで顔を伏せる。

 続く言葉を聞くのが怖かった。王子の彼に、ミューはきっと必要ない。体のことがあるからと無理についていくことはできても、望まれていないとはっきり彼の口から聞きたくなかった。


「ミューが、王子の俺じゃなくてもいいって言ってくれたのはすごく嬉しかった。でも、そう言ってくれたから余計に、逃げたくないって思ったんだ。だから、俺は一座には戻れない。……ミューには本当に悪いと思ってる。勝手だっていうのもわかってる。でも、お願いだ」


 続く言葉を発したのは同時だった。



「俺と里に来てほしい」

「嫌だ!」



「……」

「…………」

「………………え? あれ?」

「……………………い、嫌か……そっかぁ……」


 半ば呆然と呟くソラリスに、ミューは自分の間違いを悟った。


「え⁉︎ ち、ちちち違う、違くて! ちょっともう一度言って⁉︎」

「いやちょっと……ダメージがでかくて……もう一度食い気味に振られるのはちょっと」

「だから違うってば! さ、里に一緒に来てって、言った……?」

「はい、言いましたね……調子に乗ってすみません……」

「敬語やめてよこわい、じゃなくて、えっと……だからその、一座に行けないからお別れだって言われるのかと思って」

「……?」


 手摺を支えにするように傾いていたソラリスの体が少し角度を持ち直した。

 逃げるように彷徨う視線を必死に捉え、言い募る。


「ソルは勝手に一人で行っちゃうから、一緒に来てって言ってくれるとは、思わなくて……っ⁉︎」


 言い終わる前に強く抱きしめられる。息が詰まるほどの力に、ソラリスも不安だったのだとやっと気付いた。


 おずおずと背中に手を回す。華奢にも見える彼の背は、こうして抱きしめればずいぶん広く、暖かい。


「……結婚しようとまで言ったのに、俺もまるで信用ないな」

「ないよ、全然。冗談か、それか夢かと思ってた」

「ひどいな。けっこう緊張してたのに」

「顔に出ないねぇ、ソル。やっぱり役者に向いてるよ」


 ミューの髪に顔を埋めるようにしているソラリスの表情を窺おうと身じろぐと、星を湛えた青い瞳と視線が噛み合う。彼の目にミューの瞳が大きく映り、よく知る琥珀色の虹彩に、新たな星が宿ったようにも見えた。


「好きだよ、ミュー。多分じゃなくて」

「……知らなくもなくて?」


 お互いくすりと笑い合う。

 どちらともなく顔を寄せ合い、唇が重なった。キスの合間に、小さく告げる。


「私も、あなたのことが好き」


 初めて口に出した告白に、ソラリスはやけに照れたような顔をする。次いで困ったように眉をよせ、結局は、いつものように気楽に笑った。

 彼らしいその笑顔が、ミューも結局、一番好きだ。


(国作りなんて縁遠すぎて、正直、全然ぴんとこないけど)


 それでも、彼がこうして気楽に笑えるのがその『夢の国』だと言うのなら、叶えばいいとそう思う。


(私に何ができるのかはわからないけど)


 何もできないか、足手纏いかもしれないけれど。


(隣に居よう)


 彼が彼らしくいられる場所を作ってあげたいと、強く思った。





 しばらくそのまま二人で夕暮れの森を見ていた。


 森の民の家々の明かりを数えたり、ミューが先日作成した巨大なオブジェと登りだした月が織りなす不気味な影に怯えたりしつつ、冷えてきたのをきっかけに部屋に戻る。すでに夕食の準備が整った卓の前にはシータと、気まずげな顔をしたレムが座って待っていた。


「そっちの話はまとまったの?」


 無言で席についたソラリスにため息をついたシータが、仕方なさそうに会話を促す。しかしソラリスは黙ったままだ。

 困ったミューが何か言おうかとした時に、ソラリスはようやく口を開いた。


「結婚式はうちの里で挙げるんで。招待しますから出席してくださいね、兄上も」

「え⁉︎ そういう話したっけ⁉︎」


 思わず叫ぶと、ソラリスは可愛らしく首を傾げる。


「結論はそんな感じかと……嫌?」

「だからそういう聞き方はずるい……っ!」


 やり取りをきょとんと見ていたレムは、しばらくして、ふっと吹き出すように笑った。


「喜んで参列させてもらうよ。……掟の改正が必要だから、あと五年は待ってほしいが」

「あんまり遅いと駆け落ちしちゃいそうなんで頑張ってくださいね、新王様」

「それはそれでいい演目になりそうだけどな。……でも、お前も一緒に頑張ってくれれば嬉しいと、思う」


 ぽつりと溢すように言ったレムに、ソラリスは面食らった顔をした。次第にそれは呆れへ変わる。


「……なんかこう、へったくそだなぁこの人」

「え?」


 わかっていないらしいレムに、ソラリスは諦めを帯びたため息をつく。


「ソルも割とそういうとこあるけどね」

「それは……克服します。まぁ兄上よりは大分ましだと思うけど」

「だからほっとけないでしょ? こっそり監視もつけたくなるわよ」

「女王様の監視癖はさすがにどうかと思ってるけどな、俺は」

「なんでよ、大体あなたに言われたくないわよ! 役に立ったでしょうよ腕輪とか!」

「…………?」


 わかっていないままのレムを置き去りに騒いでいると、ノックもなしに扉が開く。日が暮れたせいだろう、心なしかしゃっきりした目のウルクが顔を出した。


「お食事中失礼します。さっきレム様に言い忘れたんですけど」

「ああ、なんだ?」


 助けを得たように問うレムに、ウルクはのんびり答える。


「主力の一座が抜けたせいで式典の終了が早まったそうで、それに従ってレム様の出番も早まったそうです。替え玉役の人、焦りのあまり半泣きでしたよ」

「…………え? い、いつになったんだ?」

「今日入れないで五日後です」

「……ここから城まではどれくらいだった?」

「馬で二日、馬車で四日くらいですかね」

「ウルクだと?」

「単身なら片道三時間で、誰かを運ぶと十日です」

「運ぶ気がないことはよく分かった。……出発だな」


 急くように椅子を立ったレムを引き戻し、シータは冷静に言った。


「夜には無理でしょ、出発は明日の朝ね。準備は食事の後にしましょう、すっかり冷めちゃったわ」


 落ち着き払って食事を始めたシータに、それもそうだと全員で倣う。


「転移の術とかないのかよ、女王様」

「あったらあたしが転移してあなたをぶちのめしてたわよ」

「一座の馬車、使わせてもらえるかウルクに聞いてもらおうか」


 食事をしながら旅程を組み、各々が慌ただしく出立の準備にかかった。

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