27 王城への帰還
旅慣れてはいるものの、ミューは出発にはいつも慣れない。新天地に対する期待より不安が大きいからだ。
今回は新天地ではなく王宮に戻るだけなのだが、昨夜の食事の後にシータから仰せつかった大役により不安と混乱を抱えたミューは寝不足も相まってひどい有り様だったようだ。森の入口まで見送りに出てくれたシータは露骨に眉をしかめる。
「ちょっとミュスカ、顔色すごいけど大丈夫なの?」
「ううううん大丈夫ちょっとききき緊張してるだけで」
「言語中枢までおかしなことになってるわね……叩いたら治るかしら?」
めずらしい生き物を見るような顔で後頭部を突かれる。
と、ソラリスが庇うようにミューを引き寄せて腕にしまいこんだ。
「女王様がいじめるからだろ、かわいそうに」
「ちょっと歌えばいいだけじゃない。一座にいたのになんでこんなんなのよ、この子」
「ひひひ人には向き不向きがあって……」
遠慮なく隠れながらもごもごと反論すると、ソラリスは抱き込む腕の力を強くする。
「大丈夫だ、自信を持て! ミューはかわいい、俺が磨いたしな!」
「ソラリスはソラリスで適正がありすぎるのよね、そっちに。音痴でさえなければ中身はソラリスでもよかったんだけど」
うんざりした顔で言ったところで、先を歩いていたレムがこちらを振り返った。
「おい、じゃれてないでそろそろ行くぞ。一座の馬車がもう来てる。御者台にウルクがいるけど大丈夫なのか……? すでに半分以上寝てるぞ?」
道の先に現れた馬車を不安そうに見つめるレムの袖をシータが引いた。
「レム。しっかりね。気をつけるのよ、無事でいてね」
振り向いたレムの体を、シータは強く抱きしめた。驚いたように瞬いたレムは、やがて小さく笑んで頷く。
「うん。行ってくる」
肩までの高さしかない小柄な魔女の黒髪をなだめるように優しく撫でる。
やっと体を離したシータに、レムはさりげなさを装って尋ねた。
「……ところで、さすがにもう何も仕込んでないよな?」
「それは秘密よ」
唇に指をあて、可愛らしく魔女は微笑む。
諦めたように肩を落としたレムは、それでも笑って「また来る」と言い残し、先導するように小道の先へ歩き出した。
「世話になったな、女王様。またな」
「あの……覚えが悪くて申し訳ないけど、またいろいろ教えてね。ありがとう」
「はいはい、あなた達もしっかりね。また来なさい。あたしはいつでもここに居るから」
雑に手を振り、シータはさっさと森へ踵を返した。
「……照れ隠しかなぁ」
「寂しいんじゃないか?」
「聞こえてるのよ! そういう話はもっと離れてからしなさいよ!」
怒声から逃げるようにレムを追いかけて、数日を過ごした森から出る。少し離れて振り返ると、木々から突き抜けていたはずのミューの出した墓場が見えない。彼女はこうして外界から森を守っているのだなと、今更ながらに納得する。
止まった馬車を見つめながら、ミューはぼやいた。
「結局なにも戻ってないって言ったら怒られるんだろうなぁ……」
「俺はお父さんから諸々の許可が下りるかどうかが不安だけど。もういっそ里に劇場とか作って、カンナさんたちも住んでもらおうかなぁ……技術の伝承……外から観客を招けば外貨も稼げるし、俺もストレス発散に踊れる……」
ソラリスの描くのんきそうな未来図に、やっと肩の力が抜ける。
先に馬車に着いたレムが、幌の中から転がり出た双子に絡まれ見るからに困っている。恐縮したように双子を抑えるジョンの脇を通り抜け、最後にカンナが外に出てきた。二人一緒に手を振って告げる。
「カンナ、みんなも、ただいまー!」
「そしてすみません体については何も解決しませんでしたー!」
「は⁉︎ 森くんだりまで何しに行ったのよあんたたち、でっかい荷物まで増やして!」
想像通りの怒声に、ソラリスと顔を見合わせ笑う。
「でかい荷物……俺か……? そんなにでかいか……?」
「まぁ色んな意味ででかくて重いですね、王太子だし」
「うわっ、いきなり起きるなウルク」
「わぁすみません、カンナちゃん口悪くて」
いきなりカンナの洗礼を受けるレムに、やはりジョンが頭を下げる。曖昧に笑ったレムの右腕と左腕に片方ずつまとわりつきながら、サリとエリは口ぐちに言った。
「大丈夫、ソルのお兄さんはソルより男前だから、カンナも優しくしてくれるよ!」
「少なくともソルよりあたしの好みよ!」
「え、サリエリちょっと待てなんで⁉︎ 俺の評価低くないか⁉︎ そうなのか、ミュー⁉︎」
「わ、私はソルの方が、えーっと……か、かわいいと思うよ」
「迷った末にかわいい……⁉︎」
「それはほら系統が違うから」
「——ああもううるさい! わちゃわちゃしてないで、早く馬車に乗りなさい!!」
道中が思いやられる騒ぎを一喝して静めたのは、やはりカンナだった。
「宿場に預けられてた王太子様の馬もこっちの馬車に繋がせてもらったわよ。急ぐんでしょう、話は進みながらするわよ。いいわね⁉︎」
「は、はい!」
その場の全員が同時にそう返事をする。
それから四日の道中の仕切りは、もちろんカンナが行った。
色々な話をし、色々なことを決めたが、レムが芋の皮剥きを早々に習得したことがミューにとっては一番の驚きだった。やたらと悔しそうだったソラリスがおもしろかったからかもしれない。
そして四日後の日没前、一行はようやく王城に辿り着いた。
出た時と同じ隠し通路を通り、ひとまずミューとソラリス、レムとウルクの四人で〈兎〉の宮殿へ戻る。庭に人気がないのを確かめて、レムとウルクは苦労性らしい替え玉の待つ、自分の宮殿へ戻っていった。
彼らが去ってから、ソラリスは意を決したように宣言する。
「よし、忍び込もう!」
「なんで⁉︎ 普通に帰ろうよ。……心配してるよ、きっと」
木陰から立ち上がった背中に言えば、ソラリスは白い髪を乱すようにかきながら答える。
「えぇーだって、最初から説明とかほんっと面倒だしさぁ」
「そんな心を込めて言わなくても……」
ミューの苦笑いに、深いため息で応じる。
「エファルはともかくリカルドは一通り怒鳴り散らさないと話聞かないから長くなりそうだし、朝なら時間もないからぱぱっと済むだろ。今夜は大人しく空き部屋で寝て——」
「——……ソル……か……?」
「うわぁ! 出た!」
いつの間にか庭に出てきたらしいリカルドは、起き上がったばかりの死体のような動きでふらふらと、硬直したソラリスに歩み寄る。無言で距離をあと一歩まで詰めた配下に、ソラリスはあからさまに動揺する。
「い、いや、あの、その……まずは穏便に話そうぜ、な?」
「……ちゃんとソルだな?」
「お、おぉ、一応」
「帰ってきたのか?」
「う、うん」
「…………」
「悪かった、いきなり出てって——いやまぁそれはお前のせいだけど。とりあえず穏便に、殴るのはなしで……っ⁉︎」
怒声が降らなかったことにかえって怯えているようなソラリスに、リカルドは唐突に手を伸ばした。とっさに目をつぶったソラリスは、予想した衝撃がなかったことに驚いたようにおそるおそる瞼を開く。すぐにそれは大きく瞠られた。
「……え? 泣いてんのお前?」
「………………」
「えぇ……」
襟首を強く掴んだまま俯き、無言で肩を震わせるリカルドに、ソラリスは困ったような呆れたような後ろめたいような、何ともばつの悪そうな顔をして棒立ちになっている。背を向けているのでリカルドの表情は見えない。
「……ど、どうしよう。何かの前触れかな、いきなり暴れたりしないかな……?」
「ソル君が行っちゃった後のリカルド君、絵に描いたように情緒不安定でしたからねぇ」
「わぁ! エファル!」
いつの間にか同じように木陰に潜んでいたエファルに驚いて声を上げる。
のんびり「はぁい」と返事をしたエファルは、眠たげな赤い瞳を和ませて続けた。
「ほっとして泣いちゃったんですよ。ソル君には必死に隠してましたけど、けっこう泣き虫なんですよ、リカルド君。……あーあ、私も泣きたかったのに、先に泣かれると涙も引っ込みますねぇ? ねぇ、ソルちゃん」
「あぁそうかも……って、え? あ、あの私」
当然のように呼ばれて頷きかけたミューに、エファルは楽しそうに微笑んだ。
「ソルちゃんですよね? ソルちゃんがソル君に戻ったとき、あぁそっかぁって何となく納得したんです。何があったのかはさっぱりですけど、何か、そうだったんだなぁって」
のんびりして見えて鋭い彼女に、敵わないなとミューも笑った。
「ちゃんと話すね。リカルドが泣き止んだら」
「ああなると長いんですよねぇ。怒るより面倒かも」
「かもねぇ」
棒立ちのまま困り果てた顔をするソラリスと肩を震わせ続けるリカルドの傍らで、少女二人はのんきに頷き合ったのだった。
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