終章 ——半年後

28 瑕疵なき王子の継承式

 王宮の本殿の一角。

 評議室に至る渡り廊下を歩んでいた男を、軽い声が気安く呼んだ。


「よぉ、〈蛇〉のおっさん。今日は早いのな」

「……おっさんと呼ぶのは止めて下さいますかな、ソラリス殿」


 族長に就任したばかりの若造とはいえ、王弟でもある彼は一応は格上だ。最低限の礼儀を払うことでお前もそうしろと暗に伝えるが、彼は飄々と肩を竦めるばかりだ。


「おっさんが嫌なら女遊びは大概に、女の子には優しくな。副族長殿」

「会うたびにそれを言うのも止めていただきたい」

「大事なことだろ。おっさん義姉上たちにも嫌われてるし」


 態度を改める気はないらしい若造に苦言を呈するのは諦め、もう一つの問題に対して今度は心のまま、大きく息を吐く。


「評議会を頻繁に行うのはいいが、その後の会食になぜお后方まで出席なさるのか……」

「そういや〈羊〉の義姉上、一歳になって歩けるようになったんだぜ。かわいいよなぁ」

「后の成長を、城の重鎮族長副族長その配下が雁首揃えて見守る意味が分かりかねる」

「そういうわからず屋が多いからからやってるんだろ。幼女趣味の汚名を負ってまで」


 あの人ほんとは年上好きだと思うのに、とおかしそうに笑う。


 新王の即位からすでに半年が経つ。后を選んだ直後こそ新王の性癖を危ぶむ声もあったが、今ではもう、先代までのような王室を作るつもりはないという新王の意思表示なのだと殆どの者は察している。


「若造の言うことはよくわかりませんな」

「十年もすりゃわかるんじゃないか? 生きてるといいな、おっさん」

「私より、兄君の十年先を心配した方がよろしいのでは?」


 皮肉に皮肉で返す。ソラリスは途端に苦い顔をした。


「……ま、最近は刺客も減ってるらしいぜ。無駄ってわかってきたんだろ。段々と理解者だって増えてるし。なぁ?」

「なぜ私に同意を求めるのでしょう」

「何でだろうなぁー?」


 無駄に整った顔で白々しく笑う。実に憎らしい。


 たしかに新王を襲う輩は減っている。少なくとも七部族の族長らにはもう、刺客を送る意志はないと男は見ている。


 しかし、理解者というのは正しくない。新王の理想に心から共鳴できているのは、かつて彼に刃を向けたはずのこの王弟くらいなものだろう。少なくとも、今はまだ。


 ただ、評議会にて森の民や、劇場を新設してまで定住を促した混血民の一座との暮らしの悲喜こもごもを楽しげに語る〈兎〉の若い族長の動向に、特に若い者は関心を示している。数百年に及び停滞していた国の在り様を変えてみたいと、興味本位ではあろうと思い始めた者が、〈蛇〉の里にもいることは確かだ。また、混血民は純血種より頑強な者が多いため、年を重ねた者の中にも、彼らの労働力に期待する向きもある。


 それに、と、男は深い息を吐く。月に二度、三度と顔を突き合わせ各々の里の話をし、七人の乳幼児の織りなす阿鼻叫喚の中、子守か食事か分からない集まりを続けていれば、どうにも反発する気力も萎える。


(丸め込まれているのか。いや、むしろこれは……)


 絆されている、のだろうか。変わらぬ世界を変えようと模索している兄弟に。


 かつて抱いた淡い予感を肯定するような現在に、男は騒然とし通しだった継承式にのことを思い起こした。





 模範的な王子だったはずのレムはしかし、半年前の継承式では大暴れだった。


 まず、彼が選んだ七部族の后がおかしかった。


 通常、王は早く後継者を得て地盤を固めたいものだ。七部族から挙げる后の候補は一部族につき七人。年齢は幅を持たせて選出するが、大抵はすぐ子を産める年の候補を選ぶし、族長もそのつもりで上から二、三人の娘に后としての教育を施している。なのにレムが選んだ后は、全ての部族において最年少の娘だった。上は五歳、下は生後六ヶ月である。


 そんな気配はなかったが、まさかそういうあれな性癖なのか。と皆が蒼白になるが、レムは続く演説で更に場をかき乱した。


「私はアーミラルという国や王家の在り様に、ずっと疑問を持ってきた。共存共栄を誓ったはずの七部族の実情はここで語るまでもない。部族同士の対立が生む軋轢や悲劇は、皆も覚えがあるだろう。かつて志を共に戦った部族同士が血を混ぜただけで混血民と蔑まれ、心のままに生きようとすれば罰され、隙を伺い貶め合う。そんな国を神は本当に望むのだろうか。私はそうは思わない。私は、私の信じる神に胸を張れるよう、歪んだ国の根本を正す王になりたいと思っている」


 場内はたちまち騒然とする。后を選出した際のそれが困惑とすれば、今のは反発だ。


 レムは瑕疵のない王子だった。身体は丈夫で見目も良い。気性は穏やかで賢く、他部族にも鷹揚に振る舞う。残虐なことは好まないが、ただ甘いわけでもない。


 玉座に置くには実に適した王子はしかし、その胸中にとんだ牙を隠していたようだ。


(長くはないな。すぐに消される)


 冷静に男は思う。王とはいえ無敵ではない只人であることを長く生きた男は知っている。彼の志は、今の在り方を是とする上位部族の反感を買い、純血を拠り所に立つ下位部族の誇りを奪う。いずれ自らの部族さえも敵に回すことになり、遠からず歴代の王の名を連ねた墓標に新しく名を刻むだろう。


 場の半数以上は男と同じことを考えたはずだ。あるいは手段を講じた者もいたかもしれない。しかし、その思惑はレムが続けた言葉に打ち消された。


「理想を実現するにあたり、私には西の森の主の守護があることも明かしておこう。実を言えば、先のソラリスとの決闘の際に私を救ってくれたのも、彼の森の主の力だ」


 レムの言葉に、男を含めた観衆はみな息を飲み言葉を失う。

 俄に静まった場内を見渡したレムは強い声で続けた。


「また、決闘敗者であるソラリスの助命に疑問を抱いた者も多かったろう。掟を曲げソラリスを許したのは、森の主との約束を果たすのに有用だと判断し、ソラリスもまた私に協力を誓ったからだ。——ここにいるのは国の根幹を担う、国の正しい歴史を知る者たちだ。故に、私が森の主の守護を得たこと、得続けることの重要さは説明せずとも分かってくれることと思う」


 西の森の守護者と国の間にある、不可侵の密約を知るのは国政を担う重鎮のみで、年若い王子たちすら知らないはずだ。


 正しい歴史を知るからこそ、レムが森の主の守護を受けているのは脅威だ。歴史的には敵に近い森の主に接触し、あまつさえ守護を得るなど、歴代の王の誰も成しえなかった。俄には信じがたいが、事実、レムは守護により命の危険を回避している。西の森の主の力は強大で未知数だ。どんなにレムが掲げる理想が気に入らなくとも迂闊に手出しはできない。返り討ちでは済まない可能性すらある。


 水を打ったように静まった空間に、新王の声だけが朗々と響く。


「森の主は森の民とアーミラルの対立を嘆き、平らかな国を望んでいる。私も主の志に共鳴し、協力を約束した故に守護を得た。そして願いの成就への一歩として、森の民をアーミラルの国民として受け入れることを決めた。その基盤は〈兎〉の里で築きたいと思っている。森の民を導く役目は、次代の〈兎〉の族長であるソラリスに託す」


 さざ波のようにざわめきが起こるが、今度はあからさまに安堵の色が濃い。厄介な命を受けたのが自らの部族の里でなくてよかったと思っているのだろう。かくいう男もそうだ。


 ふと、罰のような役割を押し付けられた〈兎〉の王子がどんな顔をしているかが気になり、王室の末席に座る彼に目を凝らす。薄衣の天藍の中で俯いている彼の首はたまにかくりと落ち、はっとしたように持ち上がるを繰り返していた。しばらく見つめて確信する。


(船を漕いでいる……!)


 他人事とはいえ絶句する。継承式の山場、よりによって自身が話題の局面で居眠りとは。そういえば、一座の女を彼に譲ったこともあった気がするが、あの様子では使い物になったか怪しいものだ。事に及ぶ前に寝ていたのでは、と呆れながら壇上に視線を戻す。


「森の主は名代をも遣わしてくれた。彼女は森の主と同じ〈歌姫〉の血を引く者だ。彼女の力は、私が森の主の守護を得ているという証左にもなるだろう」


 レムの声に従い、一人の少女が壇上に上がった。


 白い総レースのドレスの上に黒い外套を纏った彼女の顔は、琥珀色の瞳以外は薄衣で隠されている。外套と繋がったフードで僅かしか見えない髪の色は、稀に見る空色だ。


(名代まで——しかしあの色合わせ、どこかで見たような……)


 首を捻った男の視線の先で、少女は数回、呼吸を整えるように肩を動かした。

 そして、少女は聞いたことのない言葉で紡いだ詞を乗せて、短い旋律を奏でる。


「——…………♪」


 澄んだ歌声の余韻の中、星のような無数の光がぱっと上空に散らばった。

 強く弱く瞬く光はしばらくの間、ぽかんと空を見る皆を照らして静かに尽きる。


 只人には作り得ない光を目にし、男は改めて実感する。力あるものは——〈歌姫〉は今も実在していたのだと。


 光が尽き、皆の視線がゆっくりと壇上の少女に戻る。何がしかの言葉があるはずだ。


 観衆の視線を受けた少女は先程と同じ旋律を、今度は詞を乗せずに歌う。次は何が起こるのかと恐れながらも期待して奇跡を待つ。しかし、数十秒を待っても何も起こらない。


 舞台上の少女は固まったように動かない。しばらくそのまま佇んでいた少女はしかし、後ろに控えたレムが動きかけたのを遮るようにきっと顔を上げる。


 大きく息を吸い、少女は伸びやかな声で歌う。先程の旋律とは違う、男にも聞き覚えのある恋歌だった。


 波止場にて旅立った恋人を待ち侘びる恋歌は、一座の者がよく歌う流行歌だ。耳馴染みがいいだけのよくある歌のはずなのに、透き通った声のせいか、今日ばかりは心に染みる。これも〈歌姫〉の力だろうか。かつて広大陸に共に在った頃に戻りたいという、森の民の祈りが込められているとすら感じる。


 少女が歌い終えると、レムは労うような笑みを浮かべて少女の手を取り下がらせた。親しげな様子に、守護者との絆が窺える。


 再び壇上に上がったレムは、皆を見渡し改めて宣言する。


「私の理想が異端であることは承知している。不安に思うこともあるだろう。それは今後、きちんと話し合う場を設ける。ただ、私は、この大陸にある者すべてが心穏やかに暮らせる国を作る。それを私の治世で叶えることを、この場に約束しよう。見ての通り若輩の未熟者だが——どうか、ここにいる皆にも同じ志のもと、私と歩んでもらいたい」


 堂々と淀みない演説の最後。

 ぎこちなく微笑んだ顔だけは、若い彼にふさわしい、緊張したものだった。


 静まるばかりの場内に、唐突に拍手が響く。


 出所を見れば、〈兎〉の王子が立ち上がり、目覚めたばかりのすっきりとした笑顔で大きく手を打っていた。この間までの弱々しい様子は微塵もない堂々とした——というよりは、一族を巻き込んだ罰のような役割を押し付けられているくせに憤りも後ろめたさもない、ふてぶてしい態度である。


 それでも、年若い数人が屈託のない祝福を送る彼につられたように拍手をする。それにまたつられたようにぽろぽろと拍手は増え、ついに男も含めた全員が立ち上がって手を打ち、新王を讃える歓声も上がり始める。


 驚いたように目を瞠る新王は、どこか幼子のようであどけない。瑕疵のない——言い換えれば隙のない王子だった彼の素顔が、ここへ来て垣間見えた気がした。


 その表情に、男は先ほど自分が下した予想を胸中で撤回する。


 改革は容易ではないだろう。


 ただこの新たな王は、なんだかんだで放っておけぬと構われ手助けされるような、しぶとい王となるかもしれない、と。






 目的地である評議室にたどり着いたことで、男は回想から覚めた。


(私の予感は正しかったということか。……まぁ、急いで結論を出す必要はないか)


 廊下の先に兄たる新王の姿を見つけ、駆け寄って行く小生意気な若造の言う通り、十年もすれば答えもわかる。


 せいぜい長生きし、しぶとく行く末を見届けてやろうと男は笑う。


 そのためにも、女遊びは大概にしておこう。息子のところに産まれたばかりの孫も女の子だったことだし、いっそ次回の会食に連れてきて、若造に子守でもさせてやろうか。


 口元だけで笑みながら、〈蛇〉の重鎮は兄弟の待つ部屋に入った。

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