21 あなたはわたしのもの

 ミューの歌が終わると同時に、足元で丸みを帯びた何かがボコリと頭を出した。


「え——ちょ、な……んだよこれ——うわっ」


 ぎょっとしたのも束の間、赤い奇妙な物体が次々と地面から溢れ出す。

 謎の物体はソラリスを乗せたまま積み上がり、すぐに生い茂る木々の倍にまで高さを伸ばす。落とされないようしがみつきながら、ソラリスは初めて自分がすがる物の形を視認した。


「……うわぁ。割れたハートだこれ」


 ソラリスを空高くまで運び上げたのは、人一人ほどの大きさもある、ギザギザに亀裂の入った赤いハートの連なりだった。


「なるほど。『恋の墓場』……か」


 あまりに驚いた結果、ミューの魔術らしき力の発露により現れた巨大なオブジェにも「そのままだなぁミューらしいや」という感想しか出てこない。


 宙吊りのままさっきまで居た地上を見れば、ミューは、はるか上からでもわかるほどに赤い顔で、肩で大きく息をしていた。怒っている——というよりは癇癪を起こしている子供のような風情だ。何をそこまでと不思議に思うソラリスの耳に、声が届く。


「もうわけわかんないから、いい。このまま攫う。このままあなたを攫って逃げてやる」


 振り上げた拳を叩きつけるように、ミューは叫ぶ。


「あなたの星は私のものでしょ。つまりあなたは私のものだ。……だからもう二度と、こんなことさせない。どんな理由があったって、命をかけて戦うなんて許さないから!」

「——……なるほど」


 気弱な少女が渾身の力で発した叫びに、ソラリスは自分でも奇妙なほどに納得した。


 なるほど。じゃあ仕方ない。かなり軽い気持ちではあったものの、ミューに星を渡すと約束したのは自分だし。死んだら星も無くなるだろうし、勝手に賭けるなと怒るのも頷ける。仕方ないのだ。仕方ない。


 ——「あなたはわたしのもの」なのだから。


「悪くないな、それ」


 緩む頬を抑えきれずにへらりと笑う。と、頬に伴い緩んだ指の力が抜けた。


「あ」


 やばい、と思った時にはもう体が落ちていた。


 下ではミューが我に返ったような顔をして、いつの間にか元の少女の姿に戻った森の主を揺さぶっている。助けを求めてくれているのだろうが、ミューが揺さぶっているせいで目を回した彼女はこちらの救助に向かえないという本末転倒っぷりだ。ミューらしいなと微笑ましい気持ちにもなるが、それはそれとしてこのままでは墜落死する。


 せめて速度を殺そうと、折れるのは承知で墓場に伸ばした指が、不意に強い力で引かれた。びんと腕が張る痛みと共に、体が上へ持ち上がる。


「間に……合った……!」

「……兄上?」


 荒い息の隙間から聞こえた声に顔を上げると、ウルクの脚の鉤爪に両肩を挟まれたレムが、必死に伸ばしたのだろう右手でソラリスの手首を掴んでいる。反対の手には短剣が握られ、その刃は兄自身の首に当てられている。わけのわからない体勢だった。


「兄上。どうして……」


 続けようとした言葉は、自分でもよくわからなかった。「どうしてここに」なのか、「どうして助けに」なのか。


 短剣を片手で器用に腰の鞘に納めた兄は、空いた手をソラリスに差し出しながら、ひどく疲れたように——ほっとしたように、深く長く息を吐いた。


「ちゃんと話をしよう、ソラリス。……本当はずっと前に、そうするべきだったんだ」


 見上げた先で視線が交わる。こんなにしっかり兄の目を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。彼の目が自分と同じ青い色をしていることすら、今まで知らなかった気がする。


 反動をつけて、差し出された手を掴む。強く握り返してきた手の平は暖かい。さっきまでしがみついていた無機質な墓場とは違う、生きた人間の温度だった。その温度で、ソラリスはようやく気付く。


 ——この人だって殿下だの、王太子だのの無機質な存在ではない、ただの一人の人間なのだ、と。


「……兄上を憎いと思ったことは一度もないです。特別好きだと思ったこともないけど」

「え? ……あ、あぁ、うん……?」


 困ったような生返事に、少し考えて言い直す。


「上辺以外のあなたのことを何も知らない。……知らないようにしてた、ずっと」

「……うん」


 今度は通じたようだった。きっとレムも同じようなものだったからだろう。


「剣を向けたこと、謝ります。向けられたあなたの気持ちを、俺は考えたことがなかった。たった今まで、一度も」


 驚いたように瞠られた、同じ色の目を見て告げる。


「それなのに、俺とミューを助けてくれて——ありがとうございます」

「…………うん」


 しばらく無言で瞬いていたレムは、やがて目元を和ませてしっかりと頷いた。そこで急に羽音が止む。


「うあーやっぱ男二人は重いや、このへんで降ろしていいです?」

「え」


 気の抜けたウルクの声がするが早いか、着地というには高い位置で落とされる。


 悲鳴を上げる間もなく、兄弟は揃って地面に墜落した。




□□□


「何で戻ってきたのよレム、まぁタイミングはよかったけど。よくウルクが言うこと聞いたわね?」


 落下してきたレムを助け起こそうともせず見下ろしたままのシータに答えたのは、地面に突っ伏すレムではなく、大きな翼で降下してきたウルクだった。


「『戻らなきゃ首切って死ぬぞ俺が原因で戦わせるわけにはいかない』とか何とか言って脅してきたんですよこの人。私のために争わないでってヒロインかよ勝手に死ねよって思ったけど主人のために断腸の思いで戻りました」

「あらかわいそうに、えらかったわね」

「ぐへへ」


 シータが歌いながら頭を撫でると、ウルクの羽と鉤爪が消え、完全な人の形に戻る。梟男というよりは男梟なのかもしれない。


「おい、シータ。さすがにやり過ぎだ。何だこの呪いのオブジェ」


 自力で起き上がったレムが、恋の墓場を見ながらうんざりした顔をする。


「これはミュスカの作品よ」

「え、えぇ……?」


 やり取りの傍らで、ソラリスも体を起こした。


「……いってぇ……けど意外と大丈夫だな……丈夫だな我ながら」


 のんきに呟いた彼は、そこでやっと黙って見下ろしているミューに気付いたようだ。手を上げて笑おうとした彼はしかし、ミューの据わった目にぴたりと動きを止めた。怯えたように視線がさまよう。


「……えっと……」


 やっとこちらを見る。人の顔色を窺うような上目遣いは、彼にしてはめずらしい。


「……ミュー。その……えっと……ご、ごめん……な?」

「…………何が悪かったか分かってるの、本当に」


 自分にこんな声が出せるんだと驚くほど平坦な声が出た。

 びくりと肩を揺らしたソラリスは、口元に引き攣った笑みを浮かべ、小刻みに頷く。


「た、たぶん」

「許さないから」

「え」

「また勝手に危ないことしたら、絶対に許さないから!」


 同じように地面に座り、胸元を掴んで揺れる視線を無理やり捉える。

 丸まった青い瞳は、やがてゆるりと解けるように形を変えた。


「……えへ」

「な、なんで笑うの、しかも照れてるの⁉︎ 本当にわかって——」


 小首を傾げ、頬をほのかに染めながらやけに可愛らしく笑う姿に絆されかけるが、ここで負けてはいけないと声を張る。それを遮るように、胸元を掴んだ指にそっと手が添えられた。冷え切って震える指を、ミューのものより大きな手の平が優しく包む。


「ありがとう」

「……? う、ん……?」


 静かに告げられた言葉に、急速に怒りが萎む。


 取り憑いていた何かが離れたように息がしやすくなって、ずいぶん緊張していたのだとやっと気付く。今なら舞台にも立てそうだなどと場違いなことを考えていたミューは、急に強く手を握られて顔を上げた。そこには、満開の花のような笑顔がある。


 墓場の影を照らすような光り輝く笑顔で、ソラリスはあっけらかんと言った。 


「よし、じゃあ、結婚しようか!」

「………………? …………け……っこ…………けっこん……? って結婚⁉︎」


 意外すぎて脳に到達しなかった単語を復唱する。やっとのことで意味を認識した途端に、顔に血液が上昇する。急激に集まったそれは許容量を超え、手近な出口からぼたぼたと溢れ出した。


「……え⁉︎ 鼻血⁉︎ 大丈夫かミュー⁉︎」


 慌てふためくソラリスが袖を押し付けて止血を試みてくれるが止まらない。


「あららぁまったく。いきなり大がかりな力使うからよ」

「要因は違う気が——というか展開が早くないか? いつの間にそういう仲に……?」

「五年以上も煮え切らないどこかの誰かよりよっぽどいいと思いますけどねぇ」

「どこかの誰かって誰だ?」

「うわ天然かよ。ヒロインかよ」

「そんなことより何とかしてくれ、おい、大丈夫かミュー! しっかりしろ!」


 のんきな会話も切羽詰まったソラリスの声を認識することもなく、ミューの意識はすとんと闇へ落ちていった。

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