二章 停滞の後、望まぬ始動
3 引きこもり生活
彼の一日はおしなべて平坦に過ぎる。
朝、配下1に起こされる。
配下1の作った朝食をとる。
配下1に促されて多少の勉学に励む。
配下1の作った昼食をとる。
配下2と共に健康のため運動する。(大抵は散歩)
その後は昼寝など。たまに読書をしたりもする。
配下1の作った夕食をとる。
暖かなベッドで気持ちよく、就寝。
——王宮を騒がせた〈狼〉と〈兎〉の決闘から一年。
これが、彼が彼として過ごした一年間の全てであった。
□□□
「虚しくはならないのですか、ソラリス王子」
「……え? 何が?」
起き抜けに、二十歳程の若い男——配下1ことリカルドがしかめっ面で言った言葉に、ソラリスと呼ばれた青年は、眠気の残る目をこすりながら首を傾げた。
その鈍い反応に、リカルドはしかめっ面を更にしかめた。白いくせ毛頭をいらいらと振りながら、起き上がったソラリスにくどくど続ける。
「一年ですよ、一年。あなたがこんなんなってから、今日でちょうど一年。食って寝て食って寝ての繰り返しだけで、この離宮から一歩も出ずに無為に一年の時が過ぎました」
「そっか、もうそんなになるのかぁ。早いもんだねえ」
あくび混じりに答えると、リカルドは勢い良くソラリスの肩を掴んだ。〈
「『早いもんだねえ』、じゃない! 一年かけてどれだけ進歩しなければ気が済むんだお前は! 記憶喪失は充分堪能しただろうさっさと記憶を戻せ元に戻れ、無理ならせめて元に戻る予兆くらい見せろ、さもないとぶん殴るぞ!」
「ううううわわわわ、ちょ、ちょっと、揺れる揺れる揺れるていうか吐く!」
力任せに揺さぶられて思わず叫ぶ。そんなソラリスを助けたのは、リカルドが開きっぱなしにしていた扉から現れた少女だった。
「はーい、そこまでですよぉ、リカルド君」
「ぐはっ!」
綿のような白い髪と眠たげな赤い瞳を持つ少女は、小柄な体格に釣り合った小さな拳でリカルドの横っ面を小突いた。大した力を込めたとも思えない打撃に、少女より遥かに大きいはずのリカルドは、彼女が閉めたばかりの扉に激突して沈黙する。
「即位式の日取りが決まってイライラしてるからってぇ、ソルちゃんに八つ当たりはいけないと、エファルは思いますよ?」
床に転がったリカルドをのんびりと叱った少女は、解放されて息をついたソラリスに、やはりのんびりと挨拶した。
「おはようございます、ソルちゃん。朝ご飯の準備、できてますよー」
「おはよう、エファル。……あれ? なんか朝から豪華だね?」
配下2ことエファルが示したテーブルを見て、ソラリスは少し驚く。
パンとスープと卵と果物、というのが普段の朝食なのだが、今日はそれに焼いた肉や魚が加えられていた。果物も、いつもより彩りが多い。
「レム殿下の即位式に向けて、新鮮な食材がたっくさん届いてるんです。これからしばらくは、冷や飯食いの我々〈兎〉も、おいしいごはんがもりもり食べられますよー」
何故か胸をはったエファルの説明に、ソラリスは納得して頷く。
「そっか、それは楽しみだな。まあ、今までだってご飯は充分美味しかったけどね」
「……ああ、そうか。お前にとって、働かないで食う飯はそんなにうまいか」
低い声で答えたのは、よろよろと起き上がったリカルドだった。
舌打ちせんばかりの渋面を作ったリカルドの皮肉に、ソラリスは素直に頷く。
「うん、うまいよ? リカルドは料理上手だもん。ねえ、エファル?」
「家事炊事はリカルド君の唯一の取り柄ですからねぇ。他の事といったらもう、すぐに怒るし口は悪いし、そのくせ喧嘩は弱いガリ勉だし、髪の毛はもしゃもしゃだしぃ」
「そんなことないよ、リカルドは頭もいいし……えーっと、後は……背も高い!」
「あ、そっかぁ。ちぇー、いいなあリカルド君、ほめてもらえて」
「…………」
深い深いため息と共に再び黙ったリカルドの虚ろな表情には気付かず、ソラリスは、すねたように口を尖らせたエファルに言った。
「エファルだって、力は強いしかわいいし小さいし強いし……とにかくすごいよ?」
「ほんとですか? やったぁ、エファル嬉しい!」
「うわっ、エファル、ちょっと、あの、苦しいって……!」
強く抱きしめられて慌てるソラリスに、エファルは小さな声で耳打ちする。
「リカルド君、不安なんですよ。レム殿下が即位したら、今度こそ危険分子のソルちゃんが『始末』されるんじゃないかって。だからいつにも増してカリカリしてるんです」
「聞こえてるぞ、おい」
苦い声でリカルドは言うが、否定はしない。事実だからだろう。
(……二人は私たちの『約束』を知らないんだ、状況が変わるのは、そりゃ心配だよね。二人は、自分たちの王子様が大事なんだから)
二人の不安にやっと思い当たったソラリスは、しょんぼりと頭を下げる。
「……ごめんね、二人とも。私がこんなになったばっかりに、心配かけて」
取り柄がないのは自分の方だ。こんなことになって尚、周りに迷惑ばかりかけている。
しゅんとしたソラリスに、配下二人は困ったように顔を見合わせた。
「……まあ、何だ。俺も、朝から怒鳴って悪かっ……」
「で、でもね!」
きまり悪げに頭をかいたリカルドを遮り、ソラリスは勢いよく顔を上げた。
「でも、私、こうやって何もしないでいるのは得意だと思うんだ。だから、安心して。私が『ソラリス』であるかぎり、お兄さんに——円の王子に危害なんて加えない。このままちゃんとのんべんだらりと飼い殺されてみせるから!」
「……………………」
我ながら頼もしく言い切ってみる。
熟考の末、リカルドはなぜか拳を震わせてソラリスに掴みかかった。
「それは違うだろてめえやっぱぶん殴るぞ歯ァ食いしばれソル————‼︎」
「だーかーらー、暴力はやめましょうよ、どうせ弱いんだからぁ」
「ぐはっ!」
エファルに小突かれたリカルドが再び吹っ飛び、今度は反対側の壁に激突する。
ソラリスは「何が違ったんだろう」と首を傾げつつ、とりあえずは用意された豪華版朝食を味わうために寝床を抜けだした。働かなくても、リカルドの飯はうまいのだ。
朝っぱらからそのような騒ぎはあったにしろ、この日もまた、今までの一年間と同じように平坦に過ぎ、そのまま淡々と、特に変化のない一日は終わった。
——その夜、久しぶりに『彼』が訪ねてくるまでは。
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