2 立太子式の決闘

 とはいえ、王宮のバカでかい祭事場の舞台袖に控えたミューはがちがちに緊張していた。不思議な王子との別れから数時間後の今はまさに、祝宴の最中である。


 本日の主役である王太子はまだお出ましにならないようだが、舞台を見下ろす形に造られている会場は、もうほとんど満員だった。〈七部族〉の重鎮らもすでに集っているようだ。舞台上でも何組かの一座が出し物を終えていた。料理や酒も振る舞われ始めた場内は、ミューの目で見てもいい具合に温まっている。よほどの失敗がない限り、何をやってもそれなりに盛り上がってくれそうだ。くれそうではあるのだが、しかし。


「き、緊張はするよねやっぱり……。こ、こここ、声出るかなあ……えっと、最初の歌は……歌い出しは……『あなたを待ちます恋の墓場で』……だっけ……?」

「波止場よ、波止場。墓入ってどうすんのよ。あんたって子は、言い間違いまでネガティブねえ」

「いたっ」


 手にした扇でミューの頭を叩いたのは、一座『コラクス』の長であるカンナだ。


 すらりとした長身に貼り付くような黒光りするドレスを纏ったカンナは、叩かれた頭を抑えて困惑顔で振り返ったミューに、心底呆れたようにため息をついた。


「そんなに緊張しなくたって大丈夫よ。適当に歌って笑って、どうにもなんなかったら下品にならない程度に尻でも振ってなさい」

「尻……」


 ぼけっと繰り返し、思わず自分の尻を見てしまう。本当にそれで許されるならやぶさかではないが、ぺたりとした尻は試しに振っても揺れもしなかった。いいのだろうか、こんな面白みのない尻でも。


 などと真面目に考えるミューの心中を知って知らずか、カンナは「そうよ」と頷く。


「せっかく若い女なんだから活用しなさい。あんたの母親だってよく歌間違ったり踊りで転げたりしてたけど、照れ笑いとか投げキッスとかできれいさっぱり誤魔化してたわよ。あぁほんと自分の売り方わかってる女って腹立つわねえ、これだから女って、あたしだって純粋な美しさなら負けてなかったってのに女って……!!!」

「おーい、カンナちゃん、そろそろ出番だよ」


 後ろから、三十手前ほどの屈強な男が、思い出し怒りに震えるカンナに順番を促す。


「カンナちゃんはやめろって言ってるでしょ、ジョン!」


 座員の一人、力自慢のジョンにお馴染みの叱責を飛ばしてから、カンナは視線をミューに戻した。


「まあとにかく、あんたはあんたに出来ることを精一杯、この舞台にぶつけなさい。……それができなきゃ、この先あんたをうちに置いとく理由はないわ。いいわね」


 直球に釘を刺され、ぎくりと固まったミューを感情の読めない目で一瞥し、カンナは舞台へ登っていった。


 カンナの持ち芸は、様々な小道具を用いた踊りである。


 長身にしなやかな体躯、長い黒髪、美しい切れ長の目と細い顎。

 そろそろ四十に届くという年齢にそぐわない、艶やかな雰囲気を持つカンナの登場はしかし、観客にはいつも笑いを以って迎えられる。その原因は、顔の半分を覆うヒゲ、だ。つまるところカンナの性別は、その内面とは裏腹に、男性なのだった。


 例に漏れず、今日も笑い混じりの椰揄で歓待を受けたカンナは、にこりともせず挑発的に観客を見渡す。そしてその表情のまま、楽に合わせてゆったりと舞い始めた。手ぶらでしばし舞った後、くるりと優雅に回転したカンナの手には、ドレスの中から取り出した長剣が握られていた。どうやら今日の演目は剣舞のようだ。


 小馬鹿にした風だった観客の表情は、舞が佳境に至る頃にはまるでその様相を変え、感嘆に満ちたものになる。美しい男なのだから、最初から男の形で踊ればいいのにとミューは思うが、何かのはずみでそう伝えた時には「自分を偽った芸に何の面白さがあるっていうの」と一蹴された。「それに、あたしを舐めてた奴らの表情が逆転するのを見るのが快感なのよ」、とも。


 カンナの踊りは今日は一段と冴えていた。客席の盛り上がりは充分、ぎこちない歌姫もどきの拙い芸も、今の観客たちにはいい箸休めになってくれるかもしれない。だから、ミューは安堵したっていいはずで、こんな胸の軋みはおかしいだろう。


(……大丈夫だよ、何とかなる。さっきはそう思えたじゃないか。なのに、なんで)


 でも、出来ることをぶつけろという、さっきの言葉。ミューが舞台上で出来ることなどろくにないと、カンナは知っているはずなのに。だとしたらやはり、カンナはミューが邪魔なのだろうか。この舞台で失敗することを、もしかしたら望んでいる?


(そんなはずない。だったら尻とかアドバイスくれるわけないし)


 そもそも『鴉』の座長はカンナなのだから、ミューをクビにしたいならそう言えばいいだけのことだ。今のだって、びくついているミューに、カンナなりの発破をかけただけなのだろう。それなのに。


(それが分かってるのに、なんで私はこんなに震えてるんだよ……!)


 胸の前で強く手を握る。指は冷たく冷えきっていた。同じように、温まっていたはずの胸の奥にも、今は冷たい塊しかない。


(……信じたい、のに)


 疎まれているわけではないと、思いたいのに。

 でも、ミューには、母のような芸も華もない。——ここに居てもいいんだと胸を張れるだけの、根拠がない。


「ミュー、そんなへこむなよ。カンナちゃんの口が悪いのなんていつものことだろ?」


 悲壮な表情で黙りこんだミューを見かねたのか、ジョンが困ったように頭をかきながら励ましの言葉をくれる。


「大丈夫、お前ならできるさ。それに、もし失敗したって俺たちの出番で持ち直してやるって! なあ、サリ、エリ?」


 ジョンは、ミューを鼓舞するように豪快に笑いながら、舞台袖に押し込められたカーテンで遊んでいた二人の子供に同意を求める。


 二人揃ってこちらを見た赤毛の子供の顔は、髪の長さと服を除けば、見分けがつかないほどにそっくりだった。サリとエリは、双子の兄妹なのだ。


 ジョンの言葉に、双子は揃って口を尖らせた。


「とかいってさぁ、ジョンの出番は最後じゃん? ミューの次は僕らじゃん? ねえ、エリ、そうだよね?」


 ズボンを履いた短髪のサリが小首をかしげて同じ顔の妹に問えば、


「そうよね? 盛り下がった客の視線に冷や汗かくのはあたし達よね、サリ? 貧乏くじはあたし達なんだからぁ、ジョンは余計なこと言わないでほしいわよね?」


 三つ編みをしたスカートのエリが、鏡写しのように首をかしげて兄に答える。


「……………………」

「さ、サリ、エリ! これ以上ミューを追い詰めるなよ、もっとやばくなるだろうが!」


 更に深く俯いたミューに焦ったジョンがたしなめるが、その様が面白いのか、双子はけたけた声を揃えて笑った。


「あれあれ、ってことは、ジョンは大丈夫とか実は全然思ってなかったんだね、エリ!」

「筋肉バカみたいな顔してとんだ腹黒ね、大人って怖いわね、サリ!」

「うわあああ、違う、違うからな、ミュー! ああもう黙れクソガキども!」

「わーい怒った~筋肉が怒った~~~!」

「肉襦袢が怒った~~~!」

「誰が筋肉だ、肉襦袢だ————‼︎」


 項垂れたままのミューを置き去りに、ジョンと双子は追いかけっこを始めてしまった。舞台には聞こえないように静かにはしゃいで怒鳴って走っている。これがプロ意識なのだろうか、などとどうでもいい所に感心しつつも、ミューの心はますます沈む。


(なんか、仲いいなあ……。サリとエリなんて、うちに来てまだ二年足らずなのに、生まれた時からいる私よりずっと馴染んでるし)


 ジョンは丸太を一人で三本持ち上げるほどの力自慢だし、双子は子供ながらに見事な手品で客を翻弄する。外見だって可愛らしい。だから、なのだろうか。


(みんな、自分の力で一座を渡って生きてるんだもん。何もできない私なんかとは違うんだよね、やっぱり)


 不安と緊張の他に疎外感まで覚えたミューは、一縷の望みを託すように小声で母の歌を歌った。さっき、不思議な瞳の王子と会った後のような、胸に灯る熱を求めて。


「——…………♪」


 縋るように歌い終えると同時に、カンナの舞も終わった。

 一際優雅に、そして高飛車に一礼したカンナが戻ってくる。


 盛大な拍手がやっと鳴り止み、すくむミューの背をカンナが押そうとしたその時。場内の空気を震わせて、大きな角笛の音が鳴った。


 追いかけるように響いたのは、シャンシャンと涼やかな鈴の音。最後に、衛兵の一人が誇らしげに声を張り上げこう告げた。


「国王陛下及び、王太子殿下! これよりお出ましになられます!」


 その一声で、皆が一様に起立する。場はたちまち静まった。


 やがて、一番高い位置にある扉が開き、薄布で覆われた輿が現れる。細い金糸を緻密に撚り合わせたような飾りで覆われた輿の正面には、同じく金で出来たきらめく腕輪が——太陽を象った『円の紋章アーミラル』がある。国王が乗っているのだ。


 静々と進む輿を先導するのは、光をはじく明るい銀髪を短く整えた、長身の青年だった。


 さっき出会った不思議な王子と同じような刺繍の入った上衣を纏った青年は、その腕に、輿に掲げられているものと同じ腕輪を——『円の腕輪アーミラル』をつけている。


(じゃあ、あの人がこの国の王太子殿下——『円の王子』、なんだ……)


 太陽を神と崇めるアーミラル王国では、円は聖なる形とされている。特に、太陽と同じ金色で作られた『円の紋章アーミラル』と呼ばれる腕輪は、国王と世継ぎの王子のみが所持できる特別なものだ。ゆえに、アーミラルでは王太子のことを『円の王子』と呼ぶ。


 世継ぎの王子は、膨大な数の視線を当然のようにその身に受けながら、輿を舞台の正面まで導いた。輿が台座に降りると、中に居る父王に一礼し、単身で舞台の上へと歩む。


 身軽に舞台へ上った王子は、端正な顔に手本のような美しい笑みを浮かべ、ゆっくりと観衆を見渡した。


「お楽しみの舞台をむさ苦しい私で汚して申し訳ない。すぐ終わるから、皆、少しだけ我慢してくれ」


 厳かな沈黙を破ったのは、思いがけず軽い言葉だった。

 ちょっとした驚きの後、あちこちで笑声が沸く。浮かべた笑みを深くした円の王子は、そこで大きく腕を広げて声の調子を改めた。


「こうして見守ってくださる皆のおかげで、この私、〈ルプス〉の王子レムも無事に二十の年を迎えることができた。これを以って、国王陛下は私を後継と定めることを決定された」


 レムの宣言に、観衆は大きな歓声と拍手をもって答えた。

 笑顔のままで皆の祝福を受けたレムは、場が静まるのを待ち、明るい声で続ける。


「この宴は、円の王子たる私から皆への最初の贈り物だ。大いに楽しんでくれ。我らがアーミラルに、この場と同じ、活気と情熱に彩られた繁栄のあらんことを!」


 再び観衆が沸いた。

 皆に手を振ったレムは、去り際にこちらを見て合図のように小さく頷いてみせる。


「…………?」

「……ミュー。早く出なさい」

「……………………え? あ、ああ、うん……?」


 何だったんだろう今の、とぼんやりしていたミューは、どことなく苦い顔をしたカンナに背中を押され、我に返った。あ、今のは再開していいよって合図か。……あれ、でも、待てよ。次の出番って、たしか——。


 がばっと顔を上げたミューは、悲鳴じみた声で叫んだ。


「ちょ、ちょっと待って! い、今、すごくハードル上げたよね、あの人⁉︎」


 宴が贈り物とか活気とか繁栄とか、そんなようなことを言っていた気がする。つまり、次の演目に対する期待値が上がっている。よりにもよってこの場で一番未熟なミューの出番の直前に、なんて余計なことを言うんだあの王太子様は!


「む、むむむ無理だよ! 絶対無理、もう一度カンナ行ってきてよ!」

「あたしが出たってしょうがないでしょ、オネエの数と国の繁栄は反比例するのよ!」

「そんな自虐はよくないよ、文化の発展には寄与してるよ!」

「あーもう、ごちゃごちゃうるさい!」


 取りすがるミューを一喝したカンナは、舞台を指差し厳しく命じる。


「いいから早く行きなさい! 何にもしないまま、うちをクビになりたいの⁉︎」

「で、でも……、うわっ!」


 半泣きになったミューを、カンナはついに突き飛ばした。

 たたらを踏んだあげく、袖からはみ出すように舞台の上で無様に転ぶ。


 ぽかんとした観衆の視線を浴びて、かあっと顔が熱くなる。足は震えるし、頭は真っ白で、歌うはずの歌は、歌詞も旋律もふっとんだ。


(……む、無理だよ! ここで歌うなんて、やっぱり私にはとても無理!)


 カンナには後で誠心誠意謝ろう。とりあえず今は逃げよう。

 と、ほとんど泣きながら袖に逃げ帰ろうとしたミューの目の前に、すっと影が差した。


「次の演目の前に——少しだけよろしいですか、兄上」

(……! この人……!)


 身軽に舞台に飛び乗ってきたのは、数時間前に出会った、不思議な瞳の王子だった。そうだ、たしか、名前は——。


「〈レプス〉のソラリス……か。お前に話しかけられるのは何年ぶりだろうな?」


 意外そうな声を出したレムだったが、すぐに泰然と続きを促す。


「で、どうしたんだ、ソラリス。祝辞でもくれるのか?」

「いいえ。〈兎〉の声など、円の王子たるあなたには届かないでしょう。ですから——」


 卑下するように言ってのけたソラリスはしかし、瞳に宿る星のような光を、そこで一際強くした。腰に下げた鞘から短剣を抜き放った彼は、鋭い切っ先を迷わず兄へと定める。


「ですから、私はこれをあなたに捧げます」

「——……!」


 静かに宣言した弟に、レムはさすがに驚いたように目を瞠ったまま黙りこむ。


 ミューはといえば、袖に引っ込むことも出来ないまま、剣を構えるソラリスの背中をただぼんやりと見上げていた。状況が理解できなかったのだ。


(こ……これは、なんだろう。兄弟喧嘩……? にしては落ち着いてるけど……?)


 ミューの疑問に答えたのは、一足先に事態を掴んだ観客たちだった。


「……決闘……」

「決闘だ!」

「〈兎〉が〈狼〉に決闘を挑んだぞ‼︎」


(け、決闘⁉︎ あの人の良さそうな王子様が、お兄さんに決闘を挑んだの⁉︎)


 思わぬ展開にうろたえるミューに反して、剣を向けられたレムは、何かに納得したように目を伏せた。


「……なるほど、残念だ。そこまで嫌われていたとはな」

「申し訳ありません。……ですが、お受けいただきたい」

「気は進まないが、神の理に背いては、太陽の及ばぬ西の忌み地に埋められてしまう」


 短いため息をついたレムは、自分を睨みつける弟にきっぱりとこう答えた。


「〈兎〉の王子、ソラリスの挑戦。〈狼〉の王子として、何より円の王子として——このレムが、謹んでお受けしよう」


 わあっと歓声が上がった。

 腕に覚えのありそうな男らは舞台際に走り、口々に叫ぶ。


「レム殿下、ぜひとも私に代理をお命じください!」

「いえ、戦いならば〈獅子〉の族長である私に!」

「心遣いはありがたいが、代理は結構だ」


 あっさり断ったレムは、ざわめく観衆をよそに、静かにこう続けた。


「決闘は、私自身が受けよう。——それで構わないな、ソラリス」

「……感謝します、兄上」


 剣先を一度下げ、ソラリスは兄に向けて丁寧な礼を取った。

 苦い笑みで答えたレムは、そこでふと、弟の背後に這いつくばるミューに気付いたようだった。ちょうどよかったとでも言いたげに、軽く命じる。


「ああ、ちょっと、君。立会は、そこの君に任せよう」

「……へ?」


 首をかしげたミューに、剣を抜いたレムは淡々と指示を出す。


「どちらかが負けを宣言、あるいは戦いの続行が不可能となった時点で決闘は終了だ。では、開始の合図を頼む。はい、どうぞ」

「……ふぁッ⁉︎」


 動揺したミューの出した裏返った声に、まずはソラリスが動いた。

 一足飛びに駆けた背中を、ミューは呆然と見送る。


(……い、今のが合図になっちゃったってこと⁉︎ いいのあんなので⁉︎)


 ミューの困惑をよそに、戦いは始まってしまったようだ。

 ソラリスの一撃を正面から受けたレムは、すっと力を抜いてその刃を横に流した。

 ジャッ、と刃のこすれる音がやけに大きく耳に響く。


(そもそも決闘って、なんで、兄弟なのになんで——)


 勢いを殺しそこねてバランスを崩したソラリスにレムが追撃をかける。回転して避けたソラリスだが、完全には避けきれなかったようだ。僅かな間の後、白い頬に赤い線が浮く。


 舌打ちと共に後ろに飛んだソラリスをレムは追う。着地した弟を兄の剣先が捉える。


 そこでソラリスは再び大きく——今度は前へと、飛んだ。


「————!」


 お互いを捉えた剣先が交差する。


 上体を反らしたソラリスは、既の所で兄の長剣を避けた。

 一方、勢いを保ったソラリスの剣は、レムの胸を——心臓を、捉えている。


(……刺さる……ッ!!!)


 そう思ったミューが思わず目を瞑ろうとした、その間際。

 

 柄を握るレムの腕。

 それを飾る金色の腕輪から、

 

 ——

 

 黒い光は、ソラリスに向かって一直線に走る。


「————駄目だ‼︎」


 それが何か、とは、どうしてか考えなかった。

 ただ、あの光は、きっと——。


(あの人の星を消すものだ……!)


 それだけは、絶対に、させてはならない。


 打たれるように強く思ったミューは、とっさにその場を立ち上がり、目の前の背中を横に向かって突き飛ばす。重なって倒れた下には、見開いた青い瞳があった。


(よかった、助かっ——……)


 瞳の中で輝いたままの星に安堵した、その直後。

 

 方向を変えて走ってきた黒い光は、ミューの背中をまっすぐに突き抜けた。

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