4 兄王子との密約
その夜のこと。
「なんてことだ……眠れない……」
いつも通り早々に床についたソラリスは、一向に訪れない眠気に、眠ることを諦めて起きだした。
「寝るのだけは得意なんだけどなあ……あれだけ寝たらさすがに無理か」
即位式が決まりにわかにばたついているらしい王宮内の情報収集に赴いたリカルドが不在なのをいいことに、日中はエファルと昼寝をしまくったのだ。
枕元の燭台に明かりを灯し、机に移動したソラリスは、隅に積まれた本の中から一冊を選び、広げた。これらの本の数々は、簡単な読み書きしか出来なくなったソラリスに、この離宮の主人である『彼』が見繕ってくれたものだ。読書の習慣などはなかったが、挿絵のついた物語風の本は、読んでみれは楽しいものだ。もっとも、リカルドの差し出す細かい文字がびっしり並んだ本などは、目眩がするけれど。
ソラリスが今手にしている本は、『日の沈む森』を舞台にした物語だった。森のモデルがアーミラルの忌み地、『西の森』であることは、世情に疎くとも想像がつく。
日の沈む森に住む面々は、皆を守り導く〈魔女〉のもとに、泣いたり怒ったりしながらも楽しく平和に暮らしている。『彼』のくれた本の中でも、ソラリスはこの一冊が特に好きだった。実際の西の森を見たことはないが、建国の際、森に追放されたとされる民たちが、それでもこの物語のように楽しく暮らしているのだと思うと何となく嬉しい。
(本当は、森の『咎人』を——混血民を守る強い〈魔女〉なんて居ないんだろうけど)
分かっているが、いればいいなあ、とは思う。思うのはまあ、自由だろう。
それにしても、〈七部族〉の中でも尊い身分の者たちが集う王宮内にこんな本が置いてあるとは意外だ。頭の固いリカルドあたりが見つけたら怒り狂いそうな内容である。
しばらく一人でページをめくっていたソラリスの耳に、ふと衣擦れの音が届いた。音の出処と思われる続き部屋に目をやると、図ったように扉が開く。
「やあ、『ソラリス』。こんな時間に起きてるとは、めずらしいな」
「……お兄さん……」
薄明かりの中に現れたのは、円の王子——ソラリスの兄であり、この離宮の主人である『彼』こと、レムだった。
軽く手を上げたレムは、銀髪についた煤を払いながら、ソラリスの向かいに慣れた仕草で腰掛ける。
「また暖炉から来たの? ここはお兄さんの離宮の一つだし、普通に来ればいいのに」
城に多数ある隠し通路の一つは、この離宮の暖炉に通じている。
今現在のソラリスを保護しているのはレムなのだから、こんな風にこそこそやってくることはないと思うが、彼は公の見舞いの他は、こうやって人目を忍んで隠し通路から一人でやってくることが多かった。
「リカルドが怖いからな。俺のこと露骨に大嫌いだし、人払いしても聞き耳立てるし」
ぼやくように言ったレムは、次いで自嘲めいた笑みを浮かべる。
「まあ、王宮にある七部族の内に、他部族の王子を好いている奴なんて居ない、か。王族は代々兄弟仲が悪いからな。警戒するのは従者としては当然だ」
「……そう、みたいだね」
控えめに相槌をうつ。レムのように身にしみて知っているわけではないが、この一年間で王室の事情は概ね理解していた。リカルドに叩きこまれたアーミラルの歴史とそれに由来する七部族の不和の理由を、頭の中で順繰りにおさらいする。
広大陸と呼ばれるこの大陸を束ねる大国、アーミラルが建国されたのは、もう遥か昔のことだ。建国前の広大陸には多数の部族がそれぞれ国を持っていたが、長きに及ぶ戦いの末、〈
託宣により七部族の長の中から選ばれた初代の王は、七部族の全てから一人ずつ妻を娶り、最初に産まれた男子こそが神に選ばれた次代の王だという掟を作った。公平さを保つための掟だったが、それにより七部族の平等は終わりを告げることになる。
代々の王は、神に選ばれし王を生み出した部族であるという大義名分のもとに自らの部族を公然と優遇し、それは政治にも反映された。結果的に王を輩出した部族は栄え、そうでない部族は力を弱めることとなった。
長きに渡るその風習により、かつては一枚岩だった七部族は、表向きは共存共栄を謳っているものの、腹では策略と敵対心を抱き合う、明確な序列のある集合体と成り果てているのが実情——ということ、らしい。
「みたいだね、って。『ソラリス』も、俺が嫌いだから決闘を挑んだんだろ?」
「……そんなの、私なんかに分かるわけないよ」
現在の七部族の最下は、建国以来、王子に恵まれることのなかった〈兎〉だ。ようやく産まれた王子として『ソラリス』が何を思っていたのかなど、知る由もない。
(第一、七部族に序列があるなんてことすら私は知らなかったし)
アーミラルでは、部族を超越したとされる王を除いては、同部族以外との婚姻は禁じられている。『西の森の咎人』との差別化を図るためだ。
アーミラル建国時、七部族以外の部族は咎人と呼ばれ、太陽の沈む忌み地、神の加護なき西の森に追いやられた。追放された彼らはそこで血を混ぜ、今もひっそりと暮らしているらしい。故に、混血は、神に背いてなお生きようとする卑しい咎人の象徴となっている。建国以後、森の外に産まれた七部族同士の混血にもその印象は付き纏い続けた。
結果、婚姻の禁を破り生まれた混血児は、どの部族の里にも定住を許されない『混血民』として、現在もなお差別の対象となっている。
(純血っていうだけで雲の上の存在だったけど、七部族内でも差別があるんだもん。ややこしいね、世の中って)
最初にリカルドに説明された時は、理解するのに手間取ったものだ。
答えを放棄したソラリスをたしなめるように、レムは言った。
「おいおい、そんなぶん投げるなよ。君は『ソラリス』。そういうことにしておくって約束しただろ、『ミュスカ』ちゃん?」
「……ミューでいいってば、そっちの方が慣れてるから。まあ、ミュスカでもいいけど」
ようやく自分の名前で呼ばれて、ソラリスは——この一年、ソラリスと呼ばれている『ミュー』は、ふう、と大きく息を吐いた。
「みんなの前では『記憶を失ったソラリス』のふりしてるよ。……でも、あなたくらい私を私の名前で呼んでくれないと、自分がなんだかわからなくなっちゃうよ」
「一年、 だもんなあ。ミュスカちゃんがそいつの中に入ってから」
ミューの——『ソラリス』の正体を知る唯一の男はそう言って、困っているのか面白がっているのかよくわからない表情で、軽く笑った。
一年前、レムの腕輪から放たれた黒い光に貫かれたミューが目覚めたのは、決闘の日から十日が経った後だった。
白い、小さな部屋のベッドで目覚めたミューの側には、レムが一人で控えていた。
「やっと起きたか。……大丈夫か? 体に異常はないか?」
「え……? あ、あのえっと、ここはどこ……? なんであなたが側に……私は——あの王子様はどうなったの⁉︎」
「お前、その口調……? それに『あの王子様』って……誰のことだ?」
急き込んでたずねたミューに、レムの顔に心配を超えた困惑が浮かぶ。
「誰、って……白い髪に青い目をした——〈兎〉のソラリス、って呼ばれてた王子様だよ。あなたの弟なんでしょ? 無事なの⁉︎」
思わず大きくなる声でもう一度たずねる。
それに対するレムの答えはしかし、ミューの思いもよらないものだった。
「何を言ってる? 『ソラリス』はお前だろう」
「え……?」
「なんだ、寝ぼけてるのか? 十日も寝ておいてまだ寝たりないのか、お前は」
「あ、あなたこそ、冗談言ってる場合じゃないでしょ。私はソラリスじゃない。一座『鴉』の芸人の、ミュスカだよ。そんなの見ればわか——……って、何やってるの?」
人の話も聞かず、レムは部屋の隅から長細い、鏡台とおぼしき家具を引きずってきた。眉をひそめたミューの前で、鏡にかかった布をめくる。
「——……っ⁉︎」
そこに現れた姿に、ミューは目を見開く。
鏡には、白い髪に青い目をしたあの王子様が、はっきりと映っていた。ただし、ミューの記憶より幾分やつれており、そのせいか、瞳にはあの星のような光がない。
やけに驚いた顔をした彼は寝台に上半身を起こしており、鏡に映った自分を輝きの欠けた瞳で呆然と見つめている。
(……いや、これは『彼』とかではなく、もしかして——いや、でもまさかそんな——)
震える指で自分の頬に触れば、鏡の中の『ソラリス』も同じように頬に触れる。手を鼻にやっても頭にやっても同じことで、最終的に頬をつねってみたら普通に痛かった。そこでミューはようやく悟る。
(わ、私——なんか、なってる。なんか、王子様になっちゃってる……‼︎)
それはわかったが、相変わらずわけはわからない。
深まるばかりの謎に頭を抱えたミューに、レムは「ほらな」とのんきに言ってのけた。
「お前はソラリスだ。まさか、自分の顔を忘れたわけはないよな?」
弟がとぼけているとでも思っているのか、苦笑を浮かべて丁寧に説明してくれる。
「芸人の彼女は、既に一座ごと城から出したよ。決闘に理由なく介入した、と罰されそうだったからな。理由はわからないが、結果的には俺を助けてくれたようなものだし、放っておくのは忍びなかったから」
「……あなたを助けたわけじゃない。私はただ、黒い光があの人を消してしまいそうだったから、とっさに——」
もごもごと言い返したミューは、そこではっと顔を上げた。
「そうだよ、あの黒い光はなに? あの時、光は私を貫いて——たぶん、王子様も一緒に貫かれた。そうだよ、だからこんなことになったんだ。あの光、なんだか変だったもん」
「……黒い——光?」
そこで初めて真剣な表情を作ったレムを、ミューは問いただす。
「あなただって見たはずだ、あんなに近くに居たんだから。あの光は、あなたの腕輪から現れた。あれは何?」
「……光なんて、俺は見ていない」
余裕のなさから強気にまくし立てたミューの勢いは、レムの一言にあっさり削がれる。
「え……? で、でも……」
困惑した隙を突くように、笑みを消したレムは淡々と言った。
「あれだけ居た観客だって、そんなことを言ってる奴は誰も居なかったよ。ただ、あの子がいきなり俺とお前の間に割り込んできた。そう見えた」
「——……そんなこと……」
そう言うのが精一杯のミューに、レムは更に訳の分からない話を続ける。
「ともかく、決闘で俺を殺せなかった以上は、挑戦者であるお前の負けだ。なんだかおかしな理論だがまあ、協議の末にそう決まった。目覚めて早々こんなことを言うのは心が痛いが、お前は敗者として処刑されることになる」
「……しょけい? しょけいってしょけい……処刑⁉︎ 処刑のこと⁉︎」
意外すぎて中々脳に到達しなかった単語の意味をやっとのことで把握したミューの心中は、いよいよもって混乱を極めた。だってわけがわからない。
「円の王子との決闘だ。神の意思は勝者の上に。俺に勝てればお前が世継ぎになれたわけだが、残念だったな」
「だから私、決闘した王子様じゃなくて一座の、混血民のミューだよ? 処刑されるような大それたこと何もしてないし、歌すら歌えないのに処刑なんて大役務められないよ⁉︎」
「大役って、処刑は役とかではないのでは」
「役じゃないなら余計無理、殺されるとか、しかもみんなの前でとかそんなの絶対無理! 処刑の前に胃痛で死ぬ! とにかく嫌だ、帰る、私もう帰る‼︎」
「いや帰るって、ここは俺の離宮だけど王城内だから、一応お前の家はここ」
「違うもん、私王子様じゃないもん! うわぁん、助けてお母さん———‼︎」
「え? な、何だ? 泣くなってソラリス、お前もう十六だろ、男の子だろ、おい?」
ついに泣き出した弟にレムもうろたえる、というより露骨に引いているようだったが、ミューの動揺はその比ではない。
「男じゃないもん女だもん、ミューだもん! あとまだ十五だし! うわぁああん!」
「だから泣くなって! わかった、認める、お前はソラリスじゃない! ソラリスじゃない、わかったから!」
盛大に泣き叫ぶミューに、ついに観念したレムが叫ぶ。
「……ほんとに?」
「ほんとに、ほんとに」
「じゃあ、処刑しない?」
「しない、しない。実は最初からさせるつもりもない」
「……どういうこと?」
手渡された布で涙と、ついでに鼻水を拭ったミューに、レムは肩をすくめて答える。
「実は、な。あの芸人の女の子——つまりはミュスカちゃん、君なんだがね。決闘の件は、全部君のせいにしといたんだ」
「は? わ、私のせい……?」
ぽかんと繰り返すと、レムはもっともらしく頷いた。
「——ソラリスは、芸人に扮したアーミラル崩壊を目論む何者かに操られ、円の王子に意に沿わぬ決闘を挑んでしまった。しかし、王家を守護する太陽神の力により彼女は自ら円の王子を助けてしまったのだった。神様ありがとう! というような演説を審査会でぶちまけて、その裏で君を逃がして、ほら、悪しき力を使って警備をかいくぐって逃げたでしょ、という流れに持っていって。かなり怪しまれてたけどまぁ強引に押し切ったよ」
「………………」
さらりと白状された突拍子もない話をなんとか理解したミューは、理解したが故に強く打ちひしがれた。泣き叫ぶ気力もなくし、ただ膝に顔を埋めて呻く。
「…………最悪じゃないか…………‼︎」
小さな一座の雑用係でしかないミューが、とんだ謀反人に仕立てあげられている。今も昔もこれからも、そんな大望を持つようなことなどないと断言できるのに。
「ごめんごめん。つきたい嘘じゃなかったが、そうでもしなきゃソラリスを生かしておけないだろ。あの一座の座長なら多少の追手もかわしてくれると思ったし」
軽い謝罪に腹はたったものの、話の方が気になって、のろのろと顔を上げる。
「あの王子様を助けたかったの? ……あの人はあなたを殺そうとしたのに?」
何だか掴み所のないこの人は、そんなに広い心を持っているのだろうか。決闘は、あんなにすんなり受けたのに?
「……『俺』を殺そうと、ねえ?」
なぜか笑ったレムは、追求を避けるようにさっさと続ける。
「ま、いいじゃないか。俺には俺の理由があるんだ。それに、じゃあ処刑ってなったって困るだろ、そいつの中身は君なんだから」
「それはそうだけど」
「とにかく」
納得がいかないミューに、レムは強引に畳み掛ける。
「俺は君がソラリスではなくミューだと信じよう。その上で君を保護する。だが、他の奴には正体は伏せておいてくれ。何がなんだかわからない以上、話を大きくするのは避けたい。君は、そうだな……操られたショックによる記憶喪失、とでもしておこうか。俺の監視下で療養させると言えば、外部との接触は避けられる」
「……何がなんだかわからないの? あの黒い光は、あなたの腕輪から、あなたを守るみたいに出たのに。本当に心当たりはないの?」
「…………どうだろうな」
ソラリスと同じ、青い目を伏せたレムは、ふと思いついたようにたずねる。
「時に、ミュスカちゃん。君は自分を混血民と言ったけど、何と何の混血だ?」
「さあ……? お父さんは〈鳥〉の血が濃かったみたいだけど、最初から混血だったし……お母さんはわからないけど、純血ではなかったよ。七部族とは特徴が違ったし」
混血は混血同士で血を混ぜるのが一般的だ。純血種と混血民が恋に落ちることは滅多にない。そして、混血民は自分に何の部族の血が入っているかにはあまり興味を持たない。何だとしたって、純血種から差別されることに変わりはないからだ。
「そうか……」
ミューの答えに、レムは考えこむような仕種をしたが、またすぐに口を開いた。
「とりあえず、原因の調査は俺がしよう。……俺に隠してた以上、一筋縄ではいかないだろうが」
「え?」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
さらりと流し、首を傾げたミューにてきぱきと指示を出す。
「じゃあまあそういうことで、君は今から記憶喪失の『ソラリス』だ。そして俺は君を心配する優しいお兄さん。元に戻るまでの間はそういうことにしておこう。いいね?」
黒い光の正体も、ソラリスの中身の安否も、目の前のレムの思惑も。
わからないことだらけだし色々と納得はいかないが、これ以上ゴネても仕方がないのだろうと諦めてしぶしぶ頷く。諦めが早いのは、ミューの数少ない長所だ。短所でもあるが。
「わかった、けど……あなたが調査をするなら、私は何をすればいいの?」
「そうだなあ。何か特技はあるかい?」
「……家事……なら一座でやってたから、一通りできるけど……」
「それは結構なことだが、今はソラリスだしなあ。他には?」
「他? え、えーと……いくらでも寝れる、とか?」
「…………なるほど、わかった。君は——」
しばらく悩んだ末、一際優しい笑顔を浮かべたレムは、きっぱりとこう言った。
「何かわかるまで、慌てず騒がずおとなしく、俺に飼い殺されておいてくれ」
それはつまり、清々しいまでの戦力外通告だった。
「ミュスカちゃんには申し訳ないと思ってるよ。まさか、一年も何も進展がないとは思わなかった」
殊勝なことを言ってみせたレムに、ミューはふと回想から覚めた。
そうだ。『ソラリス』として振る舞うと約束を交わした日から、すでに一年。
事態は、意外なことに何も進展していないのだった。ミューの体の行方も、共に逃がしたという『鴉』の目撃情報すら得られていない。レムの立場上、秘密裏に探しているという理由もあるだろうが、どちらかと言えば『鴉』が——カンナがレムより上手ということなのだろう。世間ずれしているだけのことはある。
「……『鴉』の情報も掴めないってことは、私の体は今も『鴉』と一緒に居るのかな?」
一座ぐるみで咎人にでっち上げられたミューを匿ってくれている、ということだろうか。
(王子様だって芸なんて出来ないだろうし、そもそも体は私だし……厄介者に拍車がかかってるのに、よく付き合ってくれてるなあ)
感謝するような後ろめたいような、だったら最初から歌えとか舞台に立てとか言わないでおいておいてほしかったような、そうすりゃこんな面倒な事態にはならなかったような。
(いや、まあ、それは逆恨みだけどね……)
複雑な心境でため息をついたミューに、レムは「そうだね」と頷く。
「その可能性は高いと思う。ミュスカちゃんがソラリスの体に居るように、ソラリスがミュスカちゃんの中に居るんだと仮定すればね」
曲がりなりにも王子様が身ひとつで——いや、身すら自分のものでない混血民として生きていくためには、居場所が必要だろう。常識的に考えれば、今のミューが『ソラリス』として生きているのと同じように、ソラリスも『ミュー』として生きているはずだ。
「あいつが君として——一座の芸人として生きているなら、このチャンスを逃すはずはない。もうすぐ来るよ」
「来る……って、王子様がここに? どうやって?」
こっそり侵入できるなら、一年も待たずに来ているだろう。
だとすれば、中から招かれるしか手段はない。けれど、混血民が王宮に招かれるなんて、祭典に芸人として招かれる以外ないだろう。
(あ、でもたしか、何かの式があるってリカルドが言ってたような……)
思い出す前に、レムは言った。
「聞いてないか? 即位式の日取りが決まったんだよ。父は近頃病気がちだからね。立太子式から一年経ったし、俺に王位を譲ってくださるそうだ。円の王子になって一年間生き抜いたから、合格ってことなんだろう」
合格、という言葉が何となく、ミューのあずかり知らぬ所で色々あったんだろうなあ、と想像させる。やはり王宮とは恐ろしいものだ。
「それに、早いところ譲位しないと、元気になった誰かさんがまた決闘を挑んだりするんじゃないかって、そういう心配もしてるみたいだしな」
「……私はお兄さんに決闘なんて挑まないよ」
「そうだろうさ。君は、な」
ミューが反駁するより先に、レムは話を先に進めた。
「ま、とにかくそういうわけだ。招く一座の調査はあえて去年の君を知らない新人に一任しといたし、ソラリスはまず間違いなくここにくるよ。自分の体を持つ君と——俺に接触するために、ね」
「………………」
いきなり状況が進展してしまった。
複雑な心境で黙りこんだミューの気持ちを知ってか知らずか、本心の見えない笑みを浮かべたレムは、ことさらのんきにこう言ってのけた。
「というわけで、式典には君も出席してくれよ、『ソラリス』」
「……え? なんで?」
「決まってるだろ。ソラリスをおびき寄せる餌として、さ。まずは君に目標を絞らせる。宴会のどさくさにまぎれて殺されちゃたまらないからな。俺はまあ、適当に替え玉作って、ちょっと旅行にでも行ってるよ。式典は長いしな」
「……え? それはもしや……面倒事はひとまず私に押し付けてみる、ってこと……?」
恐る恐る確かめると、レムはわざとらしく遠い目をして見せた。
「決闘敗者は、本来なら死罪なんだよな。首を落とされて、遺体は埋葬もされず野にさらされるのが習わしだ。それを生かしているのは、ひとえに俺の慈悲、なんだよなあ……」
「……で、でも、決闘したのは私じゃないし……」
「そんな素っ頓狂な話、俺以外の誰が信じるかなあ? 今の君の体はソラリスだ。体が死んだら、君の魂はどうなるんだろうねぇ……」
「……で、でも……っ」
脅迫めいた言葉に体をこわばらせたミューに、止めのようにレムは命じる。
「——と、いうわけだ。うまいことソラリスをおびき寄せて、出来ることなら俺が戻るまで、ここに留めておいてくれたまえ」
「………………」
「式典中の護衛として従者を一人おいていくから、よろしく頼んだよ、ミュスカちゃん。ああでも、ソラリスの中身が君ってことは伏せてあるから、そのつもりで」
それじゃあね、と、ミューの返事を待たずに隣室へ去っていく。
その気配が暖炉の奥に消えた後、卓に突っ伏したミューは低く、呻くように呟いた。
「……『ソラリス』があの人に決闘を申し込んだ理由、ちょっとだけわかったかも」
その言葉も、深いため息も聞く者はなく、薄闇の中に虚しく溶けて消えたのだった。
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