5 舞台上の少女

 継承式は、それから一月後に行われた。


 アーミラルでは、祝事は神に捧げるものとして盛大に、時間をかけて行われる。長さはめでたさの大きさに比例するので、継承式とそれに伴うお祭り騒ぎはそれはもう長々と、たっぷり二月ほども続くという。


「いいか、余計なことは何も言うなよ。何も喋らず何も見ずただ座ってろ。ただし寝るなよ。わかったか?」

「わかった、わかった」


 上着の裾やら襟やらを執拗に整えながら同じ言葉を執拗に重ねるリカルドにされるがままになりながら、何度目かわからない相槌を機械的に打つ。


「もう、しつこいですよー、リカルド君。そんなに何回も言ってたら、覚えたことが古い方から順番に消えちゃいますよ、ねぇ?」

「それはお前のことだろうが、エファル」

「え~? 普通そうですよねぇ。ね、ソルちゃん」

「おい、こら、シワになるだろ、離れろ!」


 抱きついてきたエファルを引き剥がそうとしたリカルドが逆手を取られてわめいているのを横目に、ひとまず解放されたミューは窓際の椅子に腰掛けた。


 磨き上げられたガラスに映る、あの日と同じ装いをした『ソラリス』の顔形は相変わらず美しい。ほとんど軟禁されていたせいで線は細く、肌もより白くなってはいるが、それもまた繊細な外見にはふさわしかった。けれど。


(目の星はなくなっちゃったな……)


 ミューをやけに惹きつけた、星のように強い瞳の光は、中身がミューになったその日から消え失せてしまった。それだけが残念だ。


(お兄さんの言うとおり、王子様は——ソラリスは本当に、来るんだろうか)


 いや、レムの物言いからして、無事であるなら、彼は絶対に来るのだろう。目的は当然、自分の体の奪還のはずだ。


 この美しい外見と王子という地位を持つソラリスが、いつまでも華も色気もない混血民であるミューでいられるはずがない。一刻も早く元に戻りたいと願っているだろう。


(でも、私は……どうだろう。私は、私に戻りたいのかな)


 長くても数ヶ月で居場所を変える生活や、純血種に当たり前のように見下されることを、不幸と感じたことはない。母が居る限り、そこがミューの居場所だったからだ。


(でも、今はもう、お母さんは居ない)


 戻っても、ミューを待つ人などいない。必要としてくれる人なんていない。無条件にミューを愛し、案じ、守ってくれる人なんて、この世界のどこにも居ない。


「いい加減に離せよ、怪力女! あぁおい座ってんじゃねぇぞソル、シワになるだろ!」

「いいじゃないですかぁ、ちょっとくらい。リカルド君、さすがに気にしすぎですよ」

「お前が気にしなさすぎなんだ、みっともない形して笑われるのはこいつなんだぞ⁉︎ のんびり構えてないでちょっとは心配しろ!」

「…………心配……してくれてたんだ、リカルド」


 式典への出席を命じられて以後、座る席だの作法だの会話を振られた際のかわし方だのを文字通り叩き込まれていたので、てっきりまた怒られているのかと思っていた。


(それじゃあ、あの教育虐待も私の物覚えの悪さに苛ついていたわけじゃなくて……)


 ひょっとして、心配の裏返しだったのだろうか。


 見つめた先で、リカルドはきまり悪そうにくせ毛頭をかいた。


「……決闘敗者が一年ぶりに人目に晒されるんだぞ。ただでさえ当たりはきついんだ、突っ込まれる要素は無いにこしたことはない。前ならまだしも、記憶をなくしてからのこいつは別人みたいに頼りないし小心なんだ。ここ数日は食欲だってなかったし胃も痛えみたいだしすぐ考えこむし」

「愛ですねぇ、愛。やたら重いけど、軽いよりはいいか。ね、ソルちゃん。ソルちゃんは愛されてますねぇ」


 やけになったようにまくし立てるリカルドをのんびり遮ったエファルは、目を丸くしたままのミューを、赤い瞳でまっすぐに見つめて言った。


「でも、私だってちゃんと愛してますからね。エファルの愛は、信じる愛ですから。……嫌な奴もいっぱい居ますけど、ソルちゃんはそんなのに負けないで、舞台の上のかわい子ちゃんだけ見て現実逃避できる子だって、エファルは信じていますから」

「どんな信用の仕方だそれは……」


 げんなりと指摘するリカルドに、エファルは小さな舌を出す。

 そのいつも通りの様子に、ミューはふっと吹き出した。


「大丈夫。おとなしく現実逃避しながら座ってるよ。寝ないようにも気をつける。……本当にありがとう、二人とも」

「…………」


 改まって礼を言ったミューに、二人は顔を見合わせる。が、すぐに揃って——リカルドは怒ったような顔で、エファルはえへへとゆるく笑いながら、頷いた。

 そこで、廊下に控えた衛兵から時間を知らせる声が届く。


「じゃあ、行ってくるね」

「……ご武運を」


 リカルドは、神妙に頭を下げて臣下らしい礼を取った。エファルもぺこりと頭を下げる。


「……って、ご武運は何か変じゃないかなぁ、リカルド君?」

「うるっさい、いちいち混ぜっ返すなお前は!」


 扉が閉まる前に聞こえた会話にもう一度笑いながら、先導する衛兵について歩く。衛兵は、ミューが『ソラリス』として一年を過ごした離宮を無感情に通り抜け、あっという間に門の外に出る。瞬間、足が竦んだ。


(ここから出たら……私はきっともう、『ソラリス』ではいられなくなる)


 記憶をなくし、変わり果てた性格になってもああして心配し、大切にして、心を砕いてくれる人が居る。


(……いいなあ、『ソラリス』は。私だって、そういう人が欲しいよ)


「どうかしましたか、ソラリス様?」

「……なんでも、ありません」


 訝しげに振り返った衛兵を慌てて追いかける。大切な何かを振り切ったような痛みが胸を走ったことで、ミューは初めて、戻りたくないと願っている自分に気が付いた。




□□□


 ——そんな悲痛な気持ちで式典に参加したのが、一週間前の話である。


 それから七日間。すでにミューは飽いていた。


 さすが二ヶ月も続くだけあって、式典の進行はとてつもなく悠長だった。


 初日は七部族の代表が現王の治世に対する謝辞を壇上で述べるのみで終了したし、翌日は同じ面子が次代の王に対する祝辞を述べるのみで終了した。その翌日は神官らがよくわからない祈祷を繰り返し、その次の日は新たなおっさんが何かをくどくどと語るのみで終わり、そのあたりからはもうミューの記憶は混濁している。


「はぁ。また今日が始まっちゃったなぁ……」


 薄布を吊るした天蓋の中に作られた自席につくなり溜息をついたミューに、ウルクはあくびを噛み殺しながら答えた。


「今日からは一座を招いた宴会が始まるそうですよ。尻が痛いのは変わらないでしょうが、少しは退屈が紛れるんじゃないですか」


 身も蓋もないことを言ったウルクは、レムが置いていった式典中の従者だ。特に官位はないが、レムが護衛としてそれなりに重用している男らしい。数年前、視察にいった先の〈狼〉の集落で士官の口を求めてきた平民だという。王室にしがらみもないし気安い奴だから、と言っていた。


 灰茶の髪に黒い瞳をした彼は、レムによると文武に秀でているらしいが、ミューが目にする日中はどうにもぼんやりと眠たげだ。いわく、夜番専任だったから明るい時間は眠たいらしい。


「一座の舞台……」


 ついにこの時が訪れた。おそらくは偉いおっさんの、宴会の開始を告げる話が終わるのを待つのももどかしく、ミューは舞台を凝視する。


 最初に現れたのは屈強な男ばかりが行う火芸だった。これはまあ、違うだろう。次は女ばかりが鈴を鳴らしながらの伝統舞を披露する。美女ばかりだが、伝統だけあって皆、十代のミューよりだいぶ年齢が高い。これも違う。


(みんな立派な芸だなあ。カンナとかお母さんみたいなインパクトはないけど)


 などと思っているうちに演目は進み、新たな一座が紹介された。『アーラ』というらしいその一座は、黒い布を背景に敷くのみで座の支度を終えた。


 キィン、と高い金属音と共に、王族を模したような白い衣装を纏った仮面の男が舞台上に現れる。短い黒髪に玉飾りをつけた長身の男はやはり王の役のようで、現れる大男や小柄な悪鬼の攻撃を踊りながら軽々と避け、退ける。見事な身のこなしに、観客から感嘆の声が漏れ聞こえた。


(すごい……あんなに高く飛んで、道具の取り零しも全然ない。でもこの動きって……)


 その動きの鮮やかさに既視感を抱く。まさかと思いながら舞台袖に消えた男を目で追った先に——薄衣で顔を覆った、一人の少女が現れた。


 色とりどりの羽根で、高く結い上げた空色の髪を飾った少女は、本当に鳥が羽ばたくように軽やかに舞台に降り立った。光で色を変える薄絹から透けて見える長い手足は、伸びやかな若木のように美しくしなる。髪を彩る羽飾り以外の装飾は一切身に付けず、靴すらも履いていない。爪だけが宝石のように磨かれ色付いている。


 精霊の化身のような少女は縦横無尽に舞台上を飛び回った。その度に、舞台の上が色付いていくように思える。


 一人舞を終え舞台袖に近寄った少女は、王を模した男の手を握り導くように舞台の中心に戻った。しばし二人で舞った後、図ったように少女の顔を覆う薄衣がはらりと落ちる。


「——って……えぇえ……⁉︎」


 現れた顔に、ミューは思わず立ち上がった。あの顔を、ミューは知っている。

 上気した頬に浮かべる表情は似ても似つかない。けれど、でも。あの顔形は絶対に——。


 舞台に夢中な観客らは末席のミューの行動を気に留めなかったが、舞台上の彼女はなぜか、ぽかんと口を開いて立ち尽くすミューに気付いたようだった。見覚えのある、金色にも似た琥珀色の瞳がこちらを見やる。その瞳に宿るのは、いつかの星。


(あの人……だ……!)


 確信し、席に倒れるように座り込む。視線だけが、舞台の上の少女に張り付いたように離れない。覚悟はしていた。それなのに、こんなにも戸惑っている。


 うとうとしていたらしいウルクが、どうしましたぁと目を擦りながら聞いてくるのに曖昧に答えながら、ミューはドクドクと鳴る心臓を必死になだめる。


(ソラリスは……戻ってきたんだ、本当に。私として——一座の『ミュー』として)


 瞳に星を宿した少女は——ソラリスは、よく知っているはずの、けれどミューの全く知らない顔で、舞台の上で艶やかに笑った。ミューの困惑を見通すように。


 まるで何かに、挑むように。

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