24 お前は王には向いてない
ミューが倒れた後、シータに「安眠妨害」と殴られ昏倒したソラリスは、それまでの疲労もあったのだろう。一日の間こんこんと眠り続けた。
翌朝、すっきりした顔で朝食の席に現れた弟は、パンを千切りながら「ああそうだ」と思い出したように言った。
「腕相撲とかどうですか? 兄上」
「……? 別に構わないが……?」
意図が掴めず曖昧に頷くレムに、切り分けた林檎を齧っていたシータが苦言を呈する。
「やめなさいよ食事中に。遊ぶなら食べ終わってからにしなさいよ」
「女王様は気が早いな。今じゃないって、遊びでもないし」
「じゃあ何よ、何の話よ」
外見だけなら同年代のような二人は、馬が合うのか妙にぽんぽん会話を続ける。
ならば聞き役に徹していようとのんびり茶を飲みかけたその時、ソラリスは思いがけないことを言った。
「だから、決闘のかわりにさ。王位をかけて腕相撲大会とかどうかなって」
「……腕相撲大会……? 王位をかけて……?」
吹きそうになった茶をなんとか飲み下して復唱する。打ち所が悪かったのかと若干心配にもなったが、残念ながらそういうことでもなさそうだった。
一方、シータは特に驚かず、ただ呆れたように林檎の刺さったフォークを行儀悪くソラリスに向ける。
「なに、あなたそれ諦めてなかったの?」
「えぇだって、諦める理由がないだろ」
レムが空を飛んでいる間にあった出来事のあらましはシータに聞いていた。ソラリスが再び自分に挑むと言っていたことも、その理由も。
ただ、ソラリスはまだ何も知らないままだ。レムの思惑も、シータの事情も。
シータと顔を見合わせる。少しして、苦笑と共に彼女は言った。
「レム。あんたが話しなさい。あんたがちゃんとするべき話よ」
姿も性格も年甲斐のない魔女にやけに大人びた風に先を譲られ、それもそうかと姿勢を正す。少し考えて、口を開いた。
「『どうかしてる』って、シオンがよく言っていたのを覚えてるか、ソラリス」
「……はい」
シオンの名を口に出すのは久しぶりだった。彼の名は、王宮の内でも禁忌のように扱われている。
わずかに緊張した顔で、食事を中断してこちらを見た弟に、レムは続ける。
「シオンが気に入って読んでた本があっただろう。この森をモデルにしたような古い童話だ。ソラリスに読ませたら夢のような話だと一蹴された、と拗ねてたな」
「一蹴したわけじゃないですよ、あればいいとは思いましたし。……あの時は、そうは言えなかっただけで」
「そうだな。俺も言えなかった。そういう国を作りたいとも、たぶん思わなかった。シオンは『どうかしてる』と言ったが、俺にとっては『どうかしてる』世界が普通だったからな。あの時までは」
「……あの人に裏切られた時ですか?」
「いや」
首を振って否定する。
「シオンの処刑を命じた時だ」
父王は、シオンの処遇はレムに一任すると言った。それが助命を許すという意味ではないと、レムは正しく悟ってしまった。
懐に入り込んで不意をつき、王の後継たる長兄を襲ったシオンはそれだけを見れば、たしかに卑劣な反逆者だ。王家か神か、その両方かはわからないが、彼はたしかに反逆した。反逆者は罰さねばならない。それが、王になるものの役目だから。
レムとシオンが、アーミラルの王室ではありえないほど親しい『兄弟』だったのは誰もが知っている。レムはその時、試されていた。王たる資格があるかどうかを。
そして、レムはそれに応えた。
「兄上は、後悔してるんですか? ……あの人を助けられなかった、と」
ソラリスは、レムを責めてはいなかった。むしろ気遣わしげな目をしている。初めてレムを兄と呼んだあの夜もこんな顔をしていたと、ふと思い出す。
「……どうだろうな。ただ、もう——もうごめんだ、とは思った」
二度とこんな決断はしたくない。だが、殺意は向こうからやってくる。なぜやってくるのかを考えたときに思い至ったのは、「どうかしてる」というシオンの言葉だ。レムを取り巻くこの世界が、この国が、どうかしているからこうなった。それなら。
「それなら正すしかないと……なんとなくだがそう思った。そんなことを考えながらこの森に来て、それでシータに会ったんだ」
出会いはそう穏当なものでもなかった気がするが、シータはレムを構うことにしたようだった。犬猫を拾うような気持ちだったのかもしれないし、長い生の中の一時の戯れだったのかもしれない。出会ってからの数日を森で過ごして、その時には、お互いの核心には触れなかったように思う。ただ、同じような責任を負っているような気配がしただけで。
それからレムは、まとまった時間が空くとふらりと森へ訪れるようになった。長くて数日、年に数回。その程度だ。その程度で充分に、彼女の存在はレムにとって希望になった。
「シータは最後の〈歌姫〉だ。もう、シータの次に森を継ぐ魔女はいない」
「そしてあたしだって、無限に生きられるわけじゃないわ。こう見えて、もうけっこう生きてるの。森にいればミネルヴァよりは長生きするでしょうけど、せいぜいあと百年か、二百年か、そんなものよ」
「シータは自分がいなくなった後も、この森と森の民を守りたいと言った。今のこの国の有り様ではそれは不可能だ。魔女の守護があるから、国はこの森を黙認せざるを得ない。守護者がいなくなればどうなるかは明白だ」
「よくて放逐、悪ければ駆逐……でしょうね」
ぽつりと言ったソラリスに頷く。
「だったら守護者がいるうちに、国に有利に交渉しておきたい。俺とシータの利害は……理想は、一致した」
「あなたの」
ソラリスは短く尋ねる。
「兄上の——理想はどんな国ですか?」
「それはお前にもう言われた」
不思議そうに瞬いた瞳はレムと同じ青だ。そのことがなぜか嬉しい。
「わかりやすくていいな、『夢の国』」
「…………なるほど。意外に気が合いますね」
椅子にもたれ、深く息をしたソラリスは、やがておかしそうに肩を震わせた。困ったように眉尻を下げて笑う。あるいは、安心したように。
ひとしきり笑ったソラリスは、姿勢を正し、大きな瞳でまっすぐにレムを見つめる。
「——それはそれとして、腕相撲でいいですか?」
「え」
「何を聞いてたのよあなた」
さすがに絶句するが、ソラリスは至って真面目なようだった。
「ちゃんと聞いてたって。兄上と俺が同じようなところを目指しているのはわかった。理想は遠いが、王の権威と女王様の圧倒的な火力で殴れば夢じゃないはずだ。森の主の力添えのもと、森の民も混血民も七部族も共に暮らせる世を作ろうと、ついでに七部族の不和も、不和を作るそもそもの掟も変えていこうと、そういうことですよね?」
「殴る予定はないが、まあ、そういうこと……なのかな……?」
「そういうことですよね。でも、別にそれ俺が王様でもよくないかなって」
強気な返事に「そういうことかな」と言いそうになるが思い留まる。
「……お前はそんなに王になりたいのか?」
そもそもの疑問に、ソラリスはあははと頭をかいた。
「聞かれると微妙ですが、まぁどうせならてっぺんを取るという心意気も大事かなって。ミューにも宣言しちゃいましたし。……で、腕相撲でいいですか?」
「………………」
レム自身、近い場所に生まれたというだけで、玉座に強い執着があるわけではない。自分より向いている誰かがいたら、委ねることにそれほどの抵抗はない。——『向いている』誰か、だったなら。
「……もう面倒だからそれでいいが、これだけは言わせてもらうぞ、ソラリス」
もしソラリスが王になったとしたら、全てを腕相撲大会で解決しようとしかねない。俺の弟は馬鹿ばかりなのだろうかという疑惑が胸を渦巻く。残念ながら否定する材料はない。
笑いを堪えたシータが、いそいそと食卓のものを脇に退けている。即席の競技場につき、楽しげに腕を差し出してくる弟に向き合う。絶対に負けられない。理由は明白だった。
「お前は王には向いてない」
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