25 真相、そして内緒話

 そこで一区切りつけたレムに、ミューは固唾を飲んで尋ねた。


「それで……勝負の結果は……?」

「そりゃ俺が勝ったよ。自分で言うのも何だが圧勝だった」

「……よかったぁー」


 ほっと安堵の息を吐いたミューに、レムは意外そうな声を出す。


「よかったのか? あいつが負けたのに」

「だって、王様になっちゃったら、ソルを一座に連れて行けないもん」


 ミューの答えに、レムは意表を突かれたように瞬いた。やがて複雑な表情で呟く。


「……ミュスカちゃんは本当にただ、ソラリスと一緒にいたいと思ってくれてるんだな」

「……? そうだよ?」

「そうか。……そうだな。君たちには、そういう道もあるんだな」


 思案するような顔をしたレムを不思議に思う。

 しかし、理由を問う前に、彼はいつもの掴みどころのない笑みに戻ってしまった。


「ちなみに、俺の勝利の半分はミュスカちゃんのおかげなんだよ。ありがとう」

「え、私の? なんで?」

「この一年でソラリスはかなりひ弱になったからな。君の引きこもり生活のおかげだ」


 よもや自分の怠け癖が玉座に通じるとは思ってもみなかった。にわかに焦る。


「そ、それで特訓……?」

「それはそれで喚いてたけど、今シータとやってるのは違う方の特訓だな。どっちかっていうと精神的な……概念というか……?」


 急に曖昧になる。レムにもよくわかっていないらしい。


「まぁそれはシータに聞いた方が早いな。帰ってきたようだし」


 たしかに廊下の奥から言い争うような声がする。

 扉が開くと同時に、明瞭になった高い声が部屋に響いた。


「だからもっと引っ張るのよ、頭の上の……上? 周り? 四方向? とにかくその辺を意識して」

「曖昧なんだよ女王様の指示、もっと具体的に言ってくれよ。歯を食いしばるとか尻に力を入れるとかそんな感じに」

「下品すぎるわよ! そもそも尻じゃなくて頭らへんって言ってるでしょう、なんかあるでしょその辺に!」

「だからわからないんだって、〈歌姫〉とは違ってそういうの感じる器官がそもそもない……ん? ミュー?」


 そこでやっと卓についたミューに気がついたらしい。ぱっと表情が明るくなる。


「お、おはよう。おかえり」

「起きたのか、よかった! 心配し——……」


 駆け寄ってこようとしたのだろうが、そこで意識が一瞬ぶれる。目を開くと、隣に小柄なシータの頭が見下ろせた。


「……あ、ソルの体だ。なんか久しぶり」

「もう、言ってるそばから緩んでんじゃないのよ、バカ!」

「いたっ」


 背伸びして頭を叩かれる。


「女王様、そっちは今はミューだって」


 卓にあった茶をミューの体で飲みながら、ソラリスが指摘する。シータは苛立ちもあらわに首を振った。


「ややっこしいわね……まあ、森の助けがあったとはいえ、意識がある中で半日くらいは保ってたんだから、徐々に記録も伸びるでしょ。気長に勝手にやんなさい」

「おぉ……なんか完全に投げられると悲しいものがあるな……」

「しょうがないじゃない、あなたの覚えが悪いんだから。時間がそのうち解決するわよ、一年か五年か五十年後かは知らないけど。嫌ならがんばりなさいよ、尻に力入れて」

「おーい、下品になってるぜ、女王様」

「あなたが先に言ったんでしょう!」

「え、えっと、何の話? 私たちの体の話?」


 会話が弾むのは結構だが、またしても手近なミューが殴られそうなので話をそらす。


「じゃれてないでミュスカちゃんにその辺りを説明してやれ、シータ」


 レムが座るように促してくれたので、そそくさと魔女から離れる。


 斜向かいに座るソラリスと目が合う。具合が悪くはないことを身をもって確認できたのか、安心したように笑った彼につられて笑う。まるきりいつも通りの様子に、結婚は夢かと内心で結論付けて緊張を解く。


 緩んだ空気に、シータも諦めたようにミューの向かいに腰掛けた。


 そこでソラリスはふと気付いたように頭をかく。


「なんか頭かゆいなぁ。話すなら俺の体でもいいよな? 風呂入ってきていい? ミューの体なら、女王様の言う頭らへんの何かがどこにあるか分かるかもしれないし」

「風呂って……ソラリス、お前それはさすがにデリカシーが」


 慌てたようなレムを横目に、そういえば寝てる間はお風呂入ってないもんな、と今更にかゆくなった気がしたミューは軽く頷く。


「じゃあよろしく。あ、お手入れもする? 蜂蜜つかう?」


 立ち上がったソラリスに、紅茶用に置いてあった蜂蜜を渡す。

 鼻歌混じりに部屋を出たミューの体の弟を見送り、レムは困惑したように呟いた。


「いいんだ……いいのか……?」

「お風呂くらいお互いに今更だし。本当の体になってるソルに色々されると照れるけど」

「色々⁉︎ されたのか⁉︎ なにを⁉︎」


 慌てるレムに、扉の方から新しい声がかけられた。


「純情ヒロインうるせぇー。レム様もそろそろ仕事したらどうですか? 即位式で発表する予定の候補、決まったらしいんで写して持ってきましたよ」

「あ、ウルク。いたんだ。忘れてた」


 声の方に視線をやれば、人型のウルクが扉の前に立っていた。


「普通にひどいですね、ミュスカ様けっこう僕のこと忘れがちですよね。飛んだら早いからってすげぇ城と森を往復させられて一番仕事してるのに」


 淡々と恨み言を言いながらも、ウルクは手にした書類をレムに差し出した。ぱらぱらと捲り、レムはめずらしく憂鬱そうな声を出す。


「あー……そうか……出揃ったか、ついに……」

「せいぜいお好みのお姫様がいるといいわねぇー?」

「……なんでシータは大人気なくそういう嫌味を言うんだよ、年増のくせに」

「生意気いうと泣かすわよ? お坊ちゃん」


 険悪に睨み合うレムとシータに内心で慌てる。と、肩をすくめたウルクが面倒そうに割って入った。


「はいはい、主人に泣かされる前に行きますよ、ヒロイ——じゃなくてレム様。人前でそういうプレイはお客さまが引いちゃうんで」

「プレイ……?」


 首を捻りながらも、ウルクに促されたレムが執務用の部屋へ移動する。


 扉が閉まると、幼い仕草で椅子にもたれたシータがため息まじりに切り出した。


「ソラリスの顔を見るのも飽きたけどしょうがないわね。で、何だっけ? 体の話ならさっきした通りよ」

「も、もう少し順序立てて説明を……」

「まったくもう、ほんとにミネルヴァと同じで物分かりが悪いわね。あの子も素質はあったのに、〈歌姫〉の力を使うことには何の興味もなかったわ。あげく、外の人間に恋をして、森を捨てて出ていった。勝手なものよね」

「……お母さんのこと、怒ってるの?」


 眉をしかめて話す様子に、おそるおそる尋ねる。怯えるミューに気付いたのか、シータは少しだけ口調を和らげた。


「……お気楽でいいわね、とは思ったわ。でもまぁ適材適所って言葉もあるし、この森はミネルヴァには狭すぎたのね。そして出ていく勇気ときっかけが、あたしに無くてあの子にはあった。それだけの話だと、思うようにしてきたわ」

「……つまり、やっぱり怒ってるよね?」

「しつこいわね。怒ってないわよ、今は。あの子みたいにはなれないけれど——あの子の気持ちも少しなら、わかるようになったもの」


 そこでシータはレムが残していった茶を一口飲んだ。仕切り直すように姿勢を正し、入れ替わりについての説明を始める。


「あなたたちに起こった出来事については、概ねは予想の通りよ。あたしがレムの腕輪に仕込んだ力——そうね、呪いとでも言おうかしら。その呪いは『魂抜』っていって、〈歌姫〉に伝わる術の中でも禁術の類のものなの。名前の通り、受けた人間の魂を抜き取る術で、術を封じ込めるのに腕輪の前で三日三晩歌い続けたりして大変だったのよ」


 逆に、そんな恐ろし気な術の用意が三日で済むことに驚く。さすが、王も手を出せない森の守護者だ。絶対に敵に回したくない。


 内心で怯えるミューには気付かず、森の魔女は滔々と続ける。


「腕輪には、レムに危険が及んだ時に魂抜が発動するような仕掛けをしておいた。あたしは森から出るわけにはいかないから、お守りのつもりだったわ。……まさか初日から役に立つとは思わなかったけど。ソラリスもなかなかよね?」


 皮肉気に問われても答えようがない。曖昧に笑うミューを、シータは細い指で差す。


「そこに、ミュスカ。あなたが介入した。あなたの歌は旋律だけで、何かの術を乗せているわけじゃない。だからこそ、あたしの術に妙な干渉の仕方をしたのね。体から抜けた魂は本来はこの森へくるはずなんだけど、その道がぐちゃぐちゃになって、近いところ——あなたとソラリスの間に繋がった。そして、あなたとソラリスを繋いだ道は、あなたの歌でだけ開く」


 ミューが寝ている間に試してみたが、シータの歌では道は通らなかったらしい。


「歌で開いた道が閉じるまでの間が、今のあなたたちが『戻って』いられる時間ということね。その時間を伸ばすためには、例えば……流れに逆らうというか、吸われているのを突っぱねるというか……まあそうやって、自分の方に魂を寄せるしかない」


 頬杖をつき、魔女は悔しげな息を吐く。


「一年以上、完全に離れていたのが痛かったわ。相手の体と自分の魂とが、しっかり癒着しちゃってるのよ。強引に引き離すのは危険だわ。まめに道を通して、自分を引っ張る訓練をして、時間をかけて元に戻していくしかない」

「えぇと、つまり一言でまとめると……?」

「悪いけどお手上げだわ。あとは二人で地道にがんばって」

「やっぱりそういうことだよね。わかった」


 あっさり頷くミューに、シータは訝し気な顔をする。


「やけに素直ね?」

「別にソルの体、嫌じゃないもん。これでソルから離れない理由ができたし」


 彼が王宮へ戻ると言った時の衝撃は忘れられない。理由で繋いでいなければ、ミューの手の届かないどこかへ行ってしまいそうな気がまだしている。


「……理由なら、もっとちゃんとしたのがすでにあるわよ?」


 首を傾げるミューに、シータは大きく腕を広げて言った。


「『ねぇシータ、どうしてかしら。あの人の言葉が全部光って見えるの、まるで流星群みたい!』」


 急に演技がかった台詞にぽかんとしたミューを見て、苦笑まじりに続ける。


「……って惚気てたのよね、ミネルヴァは。そんな恥ずかしい例えをよくも真面目にと思ってたわ。レムに会うまでは」

「……お兄さんに?」


 シータは記憶を辿るように視線を宙へ向ける。


「初めてレムに会ったとき、お墓を作って泣いてたの。その涙が、流れ星みたいに光って見えた。王族に関わるなんて、ましてや信じるなんて絶対しないと思ってたのに、あの子のことはどうしても、信じて守ってあげたくなった。それがなんでなのか、ずっとよくわからなかったけど——でも、やっとわかったわ」

「何で……だったの?」

「あなたも言ってたでしょ? ソラリスの『星』がどうとかって。それで確信が持てた。あたしたち、けっこう本能的なのね?」


 艶やかに笑ったシータは、そっと打ち明けるように言う。


「恋する相手に星を見る、なんて」


「——……そっか。……そういうこと、かぁ……」


 なんだか深く納得する。ソラリスに関してはどうしても、ミューらしからぬことばかりしてしまう理由。どうしても彼を失いたくない理由。本能か。本能ならば仕方ない。一目惚れとはどう違うのか。可視化されてることなのかな、などと考えながらも、顔は心に正直に熱くなる。


「……私の体じゃなくてよかった。私だったらまた鼻血でてそうだもん」


 星、星、星、星。ソラリスを見るたびに、何度そう思っただろう。

 今更に恥ずかしくなり、卓に突っ伏してうめく。


「出してもいいわよ。少しは血の気を減らした方がいいわ、ソラリスは」

「……ソルには秘密にしといてね、シータ」

「レムにも内緒よ、ミュスカ?」


 唇に指を当てて微笑む彼女は、今までで一番可愛らしかった。秘密にしてしまうのが、残念なほどに。

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