12 王室の流儀
初めてまともに話をしたのは、六年以上前のことだ。
血を分けた兄弟とはいえ、他部族の王子同士は実際、他人よりもよそよそしい。
王宮で、あるいは式典で顔を合わせた際に挨拶をする程度。お互いに危害を加えないように、礼儀正しく距離を取る。それがアーミラル王家における『兄弟』の流儀だった。
「お前ら、ほんとどうかしてるな」
偶然に行き会った、本殿の書庫でのことだった。
流儀に乗っ取り礼儀正しく挨拶を述べたソラリスに、同じように礼儀正しく鷹揚に応えたレムに。
長椅子に気配なく寝そべっていた彼は唐突にそう言った。——当然のように寝そべったままで。
「……私はともかく、長兄であるレム殿下にそれは失礼ではないですか? シオン様」
レムが何も言わないので、机の奥に居るらしい顔の見えない次兄に仕方なく反論する。
すると、やっと体を起こしたシオンは、我が意をえたりというようにソラリスを指差し言った。
「ほらそれ! なんだその喋り方。ガキが賢ぶって気持ち悪ぃ」
「え……?」
「じゃなくて、兄貴に殿下だの様だのつけるのなんなの? 流行り? かっこいいと思ってんの? 気持ち悪いだけだけど」
「…………えぇ?」
思ってもない非難につい眉が寄るが、彼は年長者な上、変わり種とはいえ七部族の次席である〈獅子〉の王子だ。ソラリス個人への侮辱なら反論はするべきではない。
吸った息を諦念と共に吐き出して、頭を下げる。
「お気に障ったなら申し訳ありませ」
「だからそういうの止めろって」
いつの間にか前にいたシオンに頭を叩かれる。割と強い力で。
「いって! いきなり何すん……」
「ん?」
咄嗟に出そうになった怒声をぐっと飲み込み、期待に満ちた目を睨んで言い直す。
「……何すんですかあなたは!」
「なんか中途半端だなぁ」
「からかうのはその辺にしておけ、シオン。ソラリスが困ってる」
この場で初めてレムが口を開いた。言葉の割に楽しげな口調を不思議に思う。
「お兄ちゃんってのは弟をからかうもんなんだよ、レム」
「なるほど。〈獅子〉の里は賑やかそうだな」
減らず口に肩をすくめたレムは、そこでふと思い出したように言った。
「それはそうと、教師が探してたぞ。お前がやった昨日までの課題の解答、すべて間違っていたそうだ」
「は⁉︎ お前あれで合ってるって言って」
「今日中に解き直さないと課題を倍にすると怒ってたぞ。急げよ」
「くっそ! これだから嫌なんだ王宮は!」
毒付きながら去るシオンの背が扉の外に消えた頃、横から忍び笑いがもれる。
「……殿下。もしかして今のは」
「ん? ああ、嘘だよ。半分くらいは合っていたらしいから」
「半分……はともかく、いいんですか? 騙すようなことを」
例え些細な嘘であっても、不必要なそれは王室の流儀に反するはずだ。
咎める響きを持ってしまったソラリスの問いに、レムは笑ってこう答えた。
「だって、兄は弟をからかうものなんだろう?」
現在の〈獅子〉の王子であるシオンが王宮に入ったのは、一年ほど前のことだった。
里で気ままに暮らしていたらしい彼が王宮に呼ばれた理由は、今代の〈獅子〉の王子がかねてからの病により亡くなったことによる。
アーミラル王家で王子と呼ばれるのは一部族に一人だけ、初めに生まれた男児のみと決まっている。そのたった一人の王子が死んだとしても、それは神の意思と見なされ、他部族に王子があれば問題になることもない。だが、今代の〈獅子〉に関しては事情があった。極めて稀なことだが、彼らは同じ容姿を持つ三つ子として生まれたのだ。
元は一人だったのだからという〈獅子〉の主張により、シオンは二人目の王子として王室へ迎え入れられた。つまり、王宮へ来てまだ日が浅い。王室の流儀を身に付けていないのは仕方ない。それは仕方ないのだが、しかし。
「え……? もしかして馬鹿……?」
卓に広げられた解答を前に、ソラリスは思わず言った。書庫での会話から、既に三月が経っている。
何を気に入ったのか、王宮ですれ違う度に、シオンはソラリスを構うようになった。今代の王には王子が多い。レムとシオン、ソラリスを除いても他に二人の王子がいるが、最年少で最下位部族の王子であるソラリスは、暇つぶしの相手には都合がよかったのかもしれない。王宮を無意味にうろついている彼は、レムと居るのを見かけることが最も多いが、世継ぎと目される長兄はやはり多忙だ。こんな課題の添削などに毎回付き合ってはいられないのだろう。
そういう理由で引っ張り込まれた本殿の一室で、ソラリスは今、間違いだらけの彼の課題と格闘している。
「精一杯やってる人間に対して馬鹿とはなんだ馬鹿とは、馬鹿にしてんのかソラリス!」
容赦なくバツを付けるソラリスに、八つ当たりのようにシオンは喚いた。
添削の済んだ用紙をシオンの前に滑らせて、次の紙に移動する。
「馬鹿にはしてませんけど、馬鹿なのかなぁとは思っていますね……? わぁひどいなこれも」
「ソーラーリースー?」
「だってこれ明らかに子供向けというか俺ですら三年前に終えている内容というか」
〈獅子〉の次代の長として教育を受けているのは、里に残った彼の片割れらしい。
ゆえに放任されていたそうだが、基礎的な勉学すら治めていないところを見ると、放任が先か馬鹿が先かと悩むところだ。
「それはそれは、王子様は優秀なことですねぇ」
「お褒めいただいたところ申し訳ありませんが俺の頭は人並みです。レム殿下は優秀だそうですけどね」
「だから兄弟を殿下とか呼ぶなよぞわっとするから」
「いって!」
わざわざ椅子を立って頭を叩いてくる次兄を今はもう遠慮なく睨み、反論する。
「あなたはそう言いますが、そういう流儀なんですよ、ここは」
円の王子と目される長兄のレムを弟妹が殿下と呼ぶのも慣習のようなものだ。ソラリスに限った話ではない。
「どうかしてんなぁ」
「外では知りませんけど、王宮でどうかしてんのはあなたの方ですよ、シオン様」
「『シオン様』だってー、ソラリス様ったら相変わらず気持ち悪いわぁ」
「えぇ……じゃあどう呼べば満足なんですかあなたは」
「おう兄貴! とか、お兄ちゃん! とか」
「…………俺がどうかしたかと思われそうなんで却下です、『兄上』」
無意味な問答に疲れ、ついでにバツをつけ続ける作業にも疲れたソラリスは、羽ペンと共に全てを投げた。
「ん? おぉ?」
「……で、課題の直しもせずにさっきから何を読んでるんですか、兄上は」
喜色を帯びた声を遮るように、目の前の紙を無視してページをめくっていた本を指して問う。
「あぁこれ? 読むか? けっこう面白いぜ」
素直に差し出してきた古びた本をまじまじと見る。表紙をめくると明らかに子供向けであることを示す画が現れた。
「……絵本? そこまで退行を……?」
「違うわ」
さすがに驚くソラリスに、やっと添削した紙を引き寄せながらシオンは告げる。
「こないだの祭りに来てた一座の子どもにもらったんだよ、遊んでやった礼にってさ」
それもまた王族らしく——というよりも、七部族らしい振る舞いとは思えないが、一座の者の自由闊達さはどこかシオンに通じるものがある。自分が咎めるいわれもないと、本の続きに目を落とす。
(日の沈む森……要するに西の森か。混血民のお伽噺か?)
ペンの滑る音を聞きながらページを捲る。短いそれはすぐに終わった。強い〈魔女〉と、それに守られる明るい民。登場する彼らの全てにおいて、七部族のどれとも混血であるとも記述はなかった。そんなのどうでもいいと言うように。
これは、なんというか。……なんという。
「……平和な世界、ですね」
「だよなぁ。俺もそんな国に住みたいわ」
山積みの課題から目を背けたいのか、やけに身に染みたように言うシオンに苦笑する。
「さすがにそれは……そんな夢みたいな国はないでしょう」
「ないのかねぇ?」
「ないですよ。あれば……」
あればいいのに、とは、その時は何故か言えなかった。
言えば、この王室を否定することになるからかもしれない。あるいは、そう。
「あるのは、どうかしてる現実ばかり、か」
こちらを見る兄の瞳に、倦んだような翳りの兆しを見つけてしまったからかもしれない。
凶行は、それから一年ほど経ったある日に行われた。
場所は、初めて話した書庫だった。見つけたのはソラリスだ。そこに行ったのは、あの日と同じように偶然だった。偶然だったはずだ。
「いいぜ、どっちでも」
見慣れた書庫にあった光景は、非現実的なものだった。
行儀悪く机に腰掛けたシオンは、床に膝を突くレムを見下ろしていた。
片手で腹を押さえたレムの、足元の血溜まりが少しずつ大きくなるのを、どこかぼんやりした目でじっと見ていた。
視線だけでこちらを捉えたシオンは、投げやりですらない平坦な声で、戸口で佇むソラリスに言ったのだ。
「これがお前らの流儀なんだろ? ……だったらもう、どっちでもいいんだ」
「…………っ!」
迷ったのは一瞬だった。
すぐに踵を返したソラリスは、走りながら衛兵を呼び、連れ戻る。
抵抗もせず捕らえられたシオンは、レムの血に塗れた自分の手を見てこう言った。
「本当にどうかしてるな」、と。
数日後、レムの容態は回復したと知らせがあった。シオンの処遇はレムに一任された、とも。
——苦しまないように眠らせてやってくれ。
それがレムの下した裁きだった。
慈悲深いと誰もが言った。決闘ですらないシオンの凶行は単なる叛逆だ。累は〈獅子〉の部族にも及び、三人目の王子が王室に加わることは認められなかった。
シオンが何を思ってレムに殺意を向けたのかはわからない。〈獅子〉の里で何かがあったのかもしれないし、何かを守ろうとしたのかもしれない。ただ王宮に倦んだのかもしれない。
いずれにしろ、飲み込まれたのだとそれはわかった。彼は飲まれたのだ。どうかしてると笑ったはずの、王室の流儀という怪物に。
「礼を言いにきたんだ」
月の明るい夜だった。
葬儀という名の処刑の後、触れもなしに〈兎〉の宮殿へやってきたレムは、荒れた庭に不似合いに、やけに静かに笑って言った。
「お前が助けを呼んでくれたからな。もう少し血を失くしていたら危なかった、らしい」
人ごとのように笑う。何もなかったように。
「お体は、もう」
「何ともないとはいかないが、概ね回復したよ。……それは?」
手にした髪の一束を見咎められてはっとするが、言い訳がきかないことは気付かれた時点で明らかだった。
「……せめてこれだけでもと思ったんです。埋めるものがないのも寂しい気がして」
おかしいことなど何もないのに笑ってしまう。きっと今の自分は、レムと同じような笑い方をしているのだろうと、ふと思う。
「そうか。……そうだな。埋めてやろう。あいつが好きそうな場所に」
ソラリスの指から髪を抜き取って、レムはゆっくり踵を返した。思わず呼び止める。
「——兄上!」
今のレムを「殿下」と呼ぶのはどうしてかためらわれた。結果、口から出た言葉に自分でも少し驚く。
「……? なんだ? ソラリス」
初めての呼称に不思議そうにしながらも、レムは律儀に振り返った。戸惑いを振り切るように短く告げる。
「西の森に埋めてください」
「西の森……?」
「……それがきっと、『兄上』の望みだったので」
一瞬瞳を歪ませたレムは、やがておかしそうに声を上げて笑った。この場で初めての本心からの笑いだと思った。
「なるほど、あいつらしい」
ソラリスの元に戻ったレムは、低い位置にある頭を親しげに叩いて言った。
「埋めにいくよ。西の森に、ちゃんとあいつを埋めてくる」
「お願いします。……兄上」
頷いて、レムは今度こそ去っていく。
共犯めいた空気だけが、残滓のようにしばらくその場に留まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます