31 痴話喧嘩の果てに

 ソラリスがミューを連れてきたのは、完成まであと僅かの野外劇場だった。


 柵を乗り越えて忍び込み、円形の舞台に上る。開閉式の屋根はまだ未完成のため、夜空がよく見えた。


 舞台の手前に並んで座り、すっかり遅くなってしまった食事を始める。


「うまいよ」

「ありがとう」

「ミュー、いつも以上に食うの遅いな」

「唇が痛くて……」

「それは自業自得」

「……怒ってる?」

「怒ってないって、もう」


 声はたしかに怒っていないが、言葉はどうもそっけない。おそるおそる問う。


「…………私のこと、嫌いになった?」

「……あのさぁ。信用ないのは俺の自業自得なのかもしれないけどさ。そろそろミューももう少し、自信を持ってくれてもよくないか?」


 苛立っているのか、嘆いているのか。抑えた声からは判別できずに縮こまる。自信なんてミューには一番縁遠い言葉だというのに、何に対して自信を抱けというのか。


「たしかに俺は、俺の都合でミューを振り回してる自分勝手な男かもしれないけどさ。その分、なんていうかちゃんと——ちゃんとしたいんだよ、ミューとの関係は。だから浮気とかそういうのはしませんよ、神とお父さんに誓って」

「つまり……責任感……?」

「何でそうなる! 好きだからだよ、大事だから大事にしたいの、分かれよほんと‼︎」

「ご、ごめん……なさい……」


 さっきのミューの行動が原因なのだろうが、今夜のソラリスはずいぶん言葉に遠慮がない。だからこそ、彼の言いたいことが分かった。


(……好かれてる自信を持っていいって、言ってくれてるのかな?)


 隣の彼を覗き見る。膨れっ面でパンを齧る姿はどこか幼い。怒られている時に思うことでもないかもしれないが、拗ねたような横顔はやけに可愛らしかった。


「私はやっぱり、お兄さんよりソルの顔の方が好きだな」


 きょとんとしたソラリスに顔を寄せ、そっと触れるだけのキスをした。丸まった目を見て告げる。


「私もソルが好き。だから心配になって——ソルは私のなのにって、腹も立って。疑ってごめん。……あと噛んだりしてごめん」

「……またやるなら戻ってる時にしてくれよ。それなら甘んじて受け入れるから」

「や、やらないよ! たぶん!」

「強引なのも嫌いじゃないぜ、合意の上なら」

「やらないってば! ほんとにごめん!」


 慌てるミューに、ソラリスは声を上げて笑う。漂う空気がやっといつものものに戻った。





 メニューの割に時間のかかった食事を終えて、二人で舞台に横たわる。星の瞬く夜空がきれいに見えるが、ミューにはやはり、青空に浮かぶ星の方が魅力的に思えた。


 青い目に夜空を映し、ソラリスは口を開く。


「もうすぐここも完成だな。舞台で歌うミューが初めて見られる」


 竣工式ではシータの名代として、また舞台で歌う予定になっている。


 〈歌姫〉の使う術は、世界に宿る『力』を自分を媒介にして発現させるものらしい。


「『力』っていうのはつまり、蝋燭みたいなものよ。〈歌姫〉はそれを集めて燃やす炎を持ってる部族ってことね」、とシータが説明してくれた。


 故に、『力』の濃度が濃い森では、『力』を集める術を知らないミューにも巨大オブジェが作れたが、森の外ではそうはいかない。未だに継承式で見せた、初歩中の初歩だという光を浮かべる術しかまともに扱えないでいる。


「バカの一つ覚えじゃないの。普通のでいいから持ち歌増やして働きなさいよ」とカンナには怒られている。森の主の名代が、舞台上で普通に歌っていいものなのかは不明だ。


(いや、継承式では歌っちゃったからいいのかな……あれは事故だったけど)


「継承式では寝てたもんね、ソル。入れ替わらなくて焦ったなぁ」


 おかげで森とは全然関係のない流行歌を歌ってしまった。混乱の末の苦肉の策だったが、「あれはあれでなんか大丈夫だった」とレムが言ってくれたのでよしとする。あやふやではあるが。


「あれは悪かった……けど、文句は俺を一睡もさせなかったリカルドに言ってほしい」

「ソルまだ引きずってるもんね、寝言で寝かせてって言うくらい」


 起き上がり、舞台の真ん中に立ってみる。王宮のものよりは小さいが、ミューにはやはり大きく広い。


「……はぁ。ちゃんと歌えるかなぁ」

「『無理、絶対に無理!』って言ってた頃からしたら成長したよな、ミューも」

「したのかなぁ。してたらいいけど」


 ソラリスも一座のみんなも森の民も、レムもシータも、それから〈兎〉たちも皆、変えようと、変わろうと、それぞれに頑張っている。


(私も、少しずつでも前に進みたい。置いていかれないように)


 根性も自信もないのは相変わらずだ。それでも思うようになった。これからもソラリスの隣に居られるように、強くなりたい、と。


「……うん。頑張るね、私も」

「ミューらしく、ほどほどにな」


 気の抜けた応援をくれたソラリスが身軽に舞台から飛び降りた。そのまま客席の最前列まで歩む。


「じゃあ、さっそく練習ってことで。いつもの歌、歌ってくれよ」

「……え? 今? ここで?」

「歌姫をひとりじめだな」


 期待に満ちた表情に、抵抗を諦めて肩を落とした。


「入れ替わっちゃうけど」

「そしたら部屋に戻って一緒に寝ようぜ」

「布団とらないでね」

「寝てる時は寝てるからなぁ」


 席に着いたソラリスは「どうぞ」と指揮者のようにミューに手のひらを向けた。照れくさいなと思いながらも顔を上げる。


 客席の彼をまっすぐ見つめ、いつかの母が言った通りに、ミューを彼のもとへ導いてくれた歌を奏でる。


「——…………♪」


 満足そうに微笑むソラリスの青い瞳には今日も、出会った日と同じ星が光る。


(あの時は、一緒にいられるようになるなんて、思ってもみなかった)


 胸に満ちるものを感じて、不意に母の言葉が蘇る。


 ——恋とか愛ってのはね、うまくやれば、なかなかどうして、いいものよ。


 こういうことかと今更ながらに実感し、笑いたいような泣きたいような、なんだかおかしな気持ちになる。


 ——だから、あなたもいつか、誰かにちゃんと恋をして、愛することを知りなさい。


 最後に教えてくれた母に、うん、と心の中で答える。


(大丈夫だよ、お母さん。私にしてはちゃんと気付いた。ソルの星と、お母さんの歌のおかげかも)




「……ねぇ、ソル。あのね」

 歌が終わり、視界が変わるまでの一瞬の隙間に、ミューは囁くように言った。


「私はあなたを愛してる」




 ソラリスの顔を見る前に、体が入れ替わる。


 ——ただ言いたかっただけだ。聞こえてなくても構わない。


 そう思って口にした言葉だったのに、彼にはしっかり伝わっているようだった。

 だって、こんなに鼓動が速い。顔も熱い。



 舞台を見上げると、ソラリスはミューの体で膝を抱えて丸まっていた。


「……結婚式まで取っておこうと思ってたのに、ミューに先に言われるとは」


 膝に顔を伏せたまま、くぐもった声で悔しそうに言う。悔しいだけではないことは、心臓の音が教えてくれる。


(うん。そうだね。少しは私も自信を持とう)


 鼓動に勇気付けられて、丸まった彼に告げる。


「ありがとう」

「……?」


 伏せた顔が不思議そうに持ち上がる。赤く染まった頬は、どちらの心を表しているのだろうか。


「ソルも、私と同じ気持ちなんでしょ? 心臓、すごい鳴ってるし」

「…………返事は結婚式でする!」


 照れ笑いで尋ねると、ソラリスは耐え切れないというように、もう一度顔を伏せてしまった。


 楽しみにしてるね、と心の中で呟いて、舞台で丸まるソラリスを迎えに行く。ミューの気持ちと混ざり合う彼の心音が、今はやけに心地良かった。

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王子と踊り子 三桁 @mikudari_han

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