第二章『古傷を抉るものとの再会』

(1)

「貴様らで本当に、俺を守ることが出来るのか?」

 あからさまに見下し馬鹿にした物言いは、正直、ひいらぎを含めた【網目衆あみめしゅう】五人の気分をものの見事に害した。

 不二の国の西にある瑞穂みずほ町。その町で今、一つの連続事件が起きていた。

 繰り返される惨殺事件。

 遺体は刀傷もあれば、獣に喰い千切られたような痕もあり、犯行現場は見るも無残な有様を呈していた。

 これが路上であれば、不幸な辻斬りに遭った上に、野犬にでも喰われたのだろうと、あっさりと納得も出来ただろう。精々夜道には気を付けなければと注意するだけのこと。

 だが、犯行現場は夜道ではなかった。家屋内だった。

 誰もが安心して眠れる場所――事件は、そこで起きていた。

 近年見ることのない残酷極まりのない事件に、町の治安を守る戍狩じゅしゅやその補佐をする数多くの網目衆が躍起になって犯人を突き止めようとした。

 しかし、そんな努力を嘲笑うかのように、同じ手口の犯行が三日と置かずに起き続けていた。

 都合四件。瓦版屋は面白おかしく書き立て、人々は、次は自分が襲われるのではないかと戦々恐々としていた。

 そんな中、被害者同士の唯一の共通点が浮かび上がった。

『源心流道場』

 その門下生ばかりが襲われているというもの。

 発足は六年前とまだ新しい道場だった。

 通う者は武家の次男や三男坊が多く、周囲の評判はすこぶる悪かった。

『師範代は良い人なのに、どうしてそこに通う門下生は……』

 というのが周囲の認識。

 実際、素行が悪いことは網目衆たちの中でも知れ渡っていることだった。

 その門下生たちが惨殺されていた。それも、玄関先で。

 おそらく、標的の門下生が初めに狙われ、その時取り次いだ家人や、騒ぎを聞きつけて運悪く顔を出した者たちが、そのまま被害に遭ったのだろうと推察された。

 故に、奥座敷に居た者や、騒ぎに気付かなかった者たちは命を失うこともなく。

 犯人が消えた後に惨状を目撃して慌てふためき戍狩や網目衆を呼び、事態が発覚しているという有様だった。

 一体犯人はどんな人間なのか。獣を連れた腕の立つ者の噂を捜し回る一方で、門下生たちに護衛を付けることで被害を喰い留めようと試みている最中だった。

 だとしても、戍狩の数には限りがある。事件とてこの連続惨殺事件だけではない。故に宛がわれたのは戍狩の補佐役である網目衆たち。

 そして、柊を加えた網目衆たち五人は、今宵ここに、佐藤喜代三郎(きよさぶろう)の屋敷の離れに来ていた。


 年の頃は三十半ば。四角い顔に大きな体。剣の鍛錬だけは欠かしたことはないのだろう。しっかりと作り込まれた肉体を有してはいたが、その、何もかもを見下している目が全てを台無しにしていた。

「まったく。何が悲しくて俺がこんな離れに」

 喜代三郎は苛立ちを隠そうともせずに大声で不満を口にする。

「そもそも、お前たちで本当にこの俺を守れるのか?」

 あからさまな侮蔑を込めて睥睨される。

「特にお前」

 と、顎で指されたのは最年少の柊。齢十六。

「そんなもやしのように細く小柄な身で、この俺を守るとは片腹痛い」

「!」

 ムッとした。

 ムッとしない方がおかしかっただろう。

 確かに、喜代三郎に比べれば柊は小柄にも細身に見えただろう。

 だが、柊だとて日々の鍛錬を欠かしたことはない。

 それは仲間であり先輩である他の網目衆たちの神経も逆撫でした。

「ご心配なく。こいつは確かに若いが腕は立つ」

 一番年嵩の網目衆――清吾せいごが怒りを抑え込んで反論を口にすれば、

「どうだかな」

 喜代三郎は見下ろしながら鼻先で嗤い飛ばした。

 残念ながら、喜代三郎は集まった網目衆の誰よりも背丈があった。

「そもそも。本当に俺が狙われているのか? 貴様らが騒ぎ立てるお陰で、俺は父上から叱責を喰らうわ、母上たちからは恐れられるわ、兄からは見下されるわ、散々だ」

(こっちだって散々だ!)

 柊はこの時、仲間の気持ちが一つになっていたことをしっかりと感じていた。

 実際柊は、仕事でなければ喜代三郎のように人を馬鹿にした人間を守ることなど真っ平ごめんだと思っていた。

 正直、狙われたとしても自業自得ではないかと思っていた。

 今回、『源心流道場』の門下生にたち全員に護衛をつけると決まったとき、柊たちは護衛対象者の人となりを調べた。

 結果。守る必要はあるのか? と、誰もが思った。

 元々いい評判のなかった『源心流道場』。

 だが、その原因は門下生全てによるものではなく、門下生の一部のせいだということが分かって行った。

 力のある一部の門下生たちが徒党を組み、好き放題していたのだ。

 その徒党を組んでいた面々が襲われていて、生き残った門下生を中心に、身体能力の高い網目衆たちが護衛のために割り振られていた。

 佐藤喜代三郎は、次に狙われる門下生の筆頭人物だった。

 そこに割り当てられたことは、網目衆としても実力を認められたということで、正直柊は気分が高揚したものだが、ある意味胸の悪くなる思いだった。

 喜代三郎たちが騒ぎを起こせば、師範代たちが頭を下げて回っていた。

 だから道場近隣の人々は師範代たちには同情していた。

 だが、同時に疑問も抱いていた。どうしてそんな問題を起こすものたちを破門にしないのかと。何か破門させられないような弱みを握られているのかと。だとすればそれは何なのか? 人が良さそうに見える苦労人だが、実は脛に傷のある人間なのか? いやいや。人が好過ぎて逆らえないだけなんじゃないのか? 道場で実際に剣を教えているのは師範代ではなく、そもそも剣術の稽古なんてしていない。ただ単にごろつきの溜まり場になっているだけだ。あんな連中に束で掛かられたら師範代もひとたまりもない。だから大人しく謝って歩くことしか出来ないんだ。

 同情する声、非難する声。様々な声を聞いて来た。

 その悪評をバラまいている原因の、生き残りの一人が喜代三郎。

 仲間が惨殺されている。狙われていると知っても、怖がるわけでもなく大人しくなるわけでもなく。どこまでも、どこまでも、太々しく他人を馬鹿にする態度は、正直柊の許せるものではなかった。

 そんな相手を守らなければならない。

 嫌だな――と、網目衆たちの顔にはありありと浮かんでいた。

 だが、仕事は仕事と、己の不満を抑え込もうとする柊の横で、

「あんたも気に入らないだろうが、こっちだって仕事じゃなきゃこんなとこで、あんたみたいな男守ったりしねぇよ」

 柊と年が近い網目衆の一人――光来こうらいが喜代三郎を挑発する。

 驚いて仲間を見やれば、

「なんだと?」

 当然のことながら喜代三郎は眉を吊り上げ、鬼のような形相で睨み付けるも、

「そりゃそうだろ。あんたらが逆恨みで襲われてなけりゃ、今頃綺麗な姉ちゃんのところに潜り込んで幸せいっぱいに過ごしてたっつーのによ。夜通し眺めてなけりゃならねぇのが、その面だぜ? 愚痴の一つぐらい許してほしいもんだぜ。あ、そんな度量もねぇからこんなことになってるんだもんな。悪いな」

「馬鹿にしてるのか! 貴様は!」

「馬鹿にされてる自覚はあるんだな。安心したぜ。こんな嫌味も通じなけりゃどうしようかと思ってたし」

「殺されたいか?!」

 突如喜代三郎が腰の刀の柄に手を掛ける。

 だが、

「おいおい。やめておけよ。そんな疲れることしたかねぇんだよ」

 光来はがっくりと項垂れて見せるだけ。

 加えて、他の面々も深々と面倒くさそうに溜息をつく。

 明らかな挑発になると分かっていてやっているのだから性質が悪いと柊は思うのだが、案の定。

「下手人よりも貴様らを先に叩っ斬ってくれる!」

「いやいやいや。だから、そういうことは止めておけって。無駄に疲れるだけなんだからよ」

「お前が悪いだろ、光来。挑発すれば簡単に乗ることは分かっていたのだから」

「すんません。なにぶん根が正直者でして」

「だから、そういうところが駄目だと言ってるんだ。いい年をして舌を出すんじゃない。

 すまないな、え~と……」

「佐藤喜代三郎さんです」

 とっさに名前を思い出せない清吾の代わりに、即座に名前を柊が囁けば、

「そうそう。佐藤喜代三郎殿。お互い気に食わないことも多いだろうが、今は暫し怒りを鎮めてくれ。余計なお世話だということは重々承知。だが、あんたも気にはならないか? 殺された連中の剣の腕の方はどうだったんだ?」

「ああ?」

 落ち着いた清吾の問い掛けに、噛み付きかけるも渋面を作って押し黙る喜代三郎。

「あんたより上だったのか? 下だったのか?」

「そ、それが今、何の関係があるって言うんだ」

「あるだろ。あんたが襲われた面々よりも腕が立つなら、そりゃァ余計なお世話だってことになるが、もしもそいつらの方があんたより腕が立つなら、あんたが本当に狙われていたら万に一つも生き残る可能性はなくなる。そのぐらいのことは解かるよな?」

「ぐっ……」

「それでも不要だって言うんなら、残念だが俺たちはここを去る。後でどうなっても大丈夫なように、あんたの身内からはちゃんと許可をもらってな。証文と捺印してもらった後にな」

「だ、だからと言って、貴様らがどれだけの戦力になるって言うんだ」

 負け惜しみのように反論する喜代三郎に、清吾は肩を竦めて言った。

「どれだけの戦力になるかは分からねぇが、少なくともいざって時にあんたが逃げる時ぐらいは稼げるかもしれないぜ」

 と、自身よりも年上に見える清吾の返しに、喜代三郎は柄に手を掛けた状態で暫し唸り。

 その間、顔の筋肉をピクリピクリと痙攣させて、

「ふん。せめて壁ぐらいにはなってもらいたいもんだな」

 負け惜しみのような台詞を吐き捨てて刀の柄から手を放す。

「素直じゃねぇの」

 と、すかさず光来が囁くが、黙って清吾に睨まれて首を竦めたときだった。

「あ、あのぅ……喜代三郎様?」

『?!』

 どこか気弱な声がした瞬間、喜代三郎以外の網目衆五人は、【捕悔とく】と呼ばれる、手元に赤い房の付いた一尺五寸ほどの鉄の棒を引き抜いて、中庭に面する障子へ向かって構えた。

「誰だ!」と清吾が低い声で誰何すれば、

「あ、わ、私は、喜代三郎様と同じ道場に通っています四之助しのすけと申します」

 声の主は気圧されたかのように、声を震わせて答えて来た。

「知り合いか?」と清吾が背後に守った喜代三郎に訊ねれば、

「知っているような、知らないような……」

 喜代三郎は眉間に深いしわを刻みながら曖昧な答えを返した。

 おそらく、徒党に組み込まれていない人間のことなど眼中にないのだろうと柊は察した。

 残念ながら、世の中には多かった。たとえ同じ場所で毎日顔を合わせていたとしても、たいした人数がいるわけではなかったとしても、話の合う相手にしか興味を持たないという人間は。

そういう人間にとって、仲間以外の人間はいてもいなくても同じ。毎日顔を合わせていても顔を覚えず。声を覚えず。印象にすら残さない。

 だが、ある意味では仕方のないことかもしれないとは思わなくもないことではある。

 だとしても、今この瞬間。喜代三郎の答えは迷惑極まりないものではあった。

 確実に知っている者だとすれば障子を開けることも出来たのだ。

 だが、どうにもあやふやだと言われてしまえば――

 網目衆たちは互いに目配せをしあって頷くと、

「こちらへ」

 柊が喜代三郎に下がるように促した。

「な、なんだ小僧。俺に触るな!」

 当然のように嫌がるも、柊は睨み付けるように下から見上げて言い切った。

「念のためです。死にたくなければ従ってください」

 その有無を言わせぬ迫力に、一瞬でも怖気づく喜代三郎。

 その微妙な変化を見て見ぬふりをしながら、柊は喜代三郎を座敷の角へと誘導した。

 それを見計らい、障子の真正面に清吾と光来が。残り二人の網目衆の仲間は障子の左右に位置を取り。

 清吾の合図で勢いよく障子を開けた。


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