第一章『《妖斬妃(ようきひ)》の目覚め』
(1)
――――、――――。
――――、――――。
まただ。と椿は箸を止めて宙を見回した。
正確には、音とも声ともつかぬ物を拾おうと、耳を傾けただけなのだが、
「どうしたのだ、椿」
上座に座っている父親が低い声で問い掛けた。
「また、声が聞こえるのか?」
威風堂々としている父親の言葉を受けて、後に続いたのは十歳離れた兄。
厳めしい顔つきの父親とは似ても似つかない、母親似の穏やかな顔つきと声の兄だった。
別に責められているわけではないのだが、椿はそのたびに慌てて正面を向き、食事を再開する。そして、いつも通り、ぽつりぽつりと疑問を口にする。
「声……か、どうかはわかりません」
「でも、何かが聞こえるんだろ?」
と、軽い口調で促して来るのは次男。
それにコクリと椿は頷き、
「呼ばれているような気がするのです」
「気のせいですよ」
と、少しだけ心配を滲ませて母親が否定すれば、
「そうそう。仮に本当に呼ばれているのだとしても、そんなものに近づいては駄目よ」
と、六歳離れた次女がしたり顔で忠告して来る。
「ですが、何かは聞こえるのです」
「聞こえません」
と、ぴしゃりと姉に言い切られ、椿はぷくりと頬を膨らませた。
「ねえさまには聞こえなくとも、椿には聞こえるのです!」
「そういうのを幻聴って言うのよ。病気よ病気」
「病気ではありません!」
膳を挟んで次女と三女である椿が睨み合えば、
「いい加減にしなさい。二人とも。食事時ですよ」
母親そっくりの長女が、穏やかだが有無を言わせぬ口調で窘めた。
それは怒鳴られるよりも効果てきめんで、二人は素直に口を噤んで俯いた。
故に、椿は自分の頭の上で家族全員が視線を合わせていることに気が付かなかった。
椿の中で大切だったのは、何を言われたところで何かが聞こえるという、ただ一点。
「あの御神刀の間から聞こえて来ている気がするのです」
その、絶対に譲れないという事実は、口の中で呟かれ、
「今、なんと言った?」
厳しい口調で父親から問い直されて、初めて椿は自分が言葉にしていたことに気が付いた。
「お前は、御神刀の間に入ったのか?」
「は、入ってはおりません」
父親に睨まれて、椿は震えながら否定した。
「とと様が入ってはいけないと言っている場所には入っていません。女子が入ってはいけないと言われている場所には入ってはいません!」
「ああ。そうだ。そこには絶対に入ってはならない」
「はい。でも、どうしてそこには入ってはならないのですか? 御神刀の間にも火の神様が居られるのですか?」
「そうではない」
「では何故?」
「……」
問われて一瞬、父親は口を噤んだ。
椿は怒られることを覚悟で、震えながら答えを待った。
だが、答えは次男からもたらされた。
「何故かというとだな」
と、張り詰めた空気を打ち破るかのように気楽で明るい口調で、
「御神刀の間に祀られている神様がな、無類の女童(めわらわ)好きでな。お前みたいな可愛い女童が入り込んだりすると、自分の力に変えるためにパクッと喰っちまうからさ」
「え?」
と、椿は驚いて目を丸くした。
「食べられてしまうのですか?」
「そうだぜ」
と、今度は一転。ドスの利いた声で、悪い笑みを浮かべて肯定する次男。
「嘘です」
と、椿が震える声で否定すれば、
「嘘なもんか。御神刀と言えば神様だ。神様が宿る刀だ。その刀があるからこそ、俺たち【
「人を、呼ぶ?」
「そう。自分の声が聞こえるものは相性が良いらしくてな。どうでもいいもの食ってるより断然力を取り戻せるらしいんだ。それが特に女童だったら最高らしくてな」
「う、嘘です」
「嘘なものか。今では誤魔化し誤魔化し他のもので力を補充していただいているが、実際昔々には本当にあったことなんだからな」
「う、嘘ですよね、とと様」
と、不安いっぱいに椿が問えば、父親は太い眉を寄せて眉間に皴を深く刻み無言を貫く。
それは次男が、片目を瞑って黙っていてと頼んでいたからだということは、当然のことながら椿には解らないままに、
「本当本当。本当だから父上も黙っているだろ?」
「でも、でも、これまでそんな話は一度も」
「そりゃそうだ。そんな人食い刀が祀られているなんて知られたら、村の皆も怖くていなくなっちまうだろ? そうなると、食っていくために必要な食料を作る者がいなくなっちまう。今は、女たちが作ってくれてるだろ?」
「はい」
「だから、男手が総出で材料集めや運搬が出来るわけだ。でも? 人が少なくなって材料が集めにくくなったらどうなる? 刀作りの材料を確保して運んで来る者たちを確保した結果、研ぎ師や細工師や鞘を作る奴らが駆り出されたら、刀にするために必要な工程がこなせなくなる。そうなると? 後を継ぐ者もいなくなるんだなぁ。これが。
嘘だと思うだろ? 大袈裟だと思うだろ? でも、そうやってみんなが協力してくれているお陰でこの村は刀を作れている。
でも? もしもみんな出て行ってしまえば? そんな怖いことを隠している俺たちのことを信用できないとなれば、みんないなくなっちまう可能性も十分にある。そうなると当然、刀は作れなくなるな。で? そうなるとどうなるかというと、町や村で暴れる妖を退治する武器が出回らなくなるわけだから? 対抗手段を失った戍狩は自分を含めて誰のことも助けてやることが出来なくなる。そうなるとどうなる?」
「大変なことになります」
顔を蒼褪めさせて、震える声で椿が引き継ぐ。
「だからな、そうならないためにも内緒なんだよ。で、可愛いお前たちが食べられないようにするために、近づいてはならないって言ってるんだ」
「でも、椿には聞こえています。はっきりした声だというわけではありませんが、何かが聞こえています」
「だから、特にお前は近づいちゃならないんだ。間違っても好奇心で襖を開けたりするなよ? 開けた瞬間……ガブ! と行かれるぞ!」
「ひっ」
両手を上げて大声を出され、椿はびくりと首を竦めたその横で、
「いい加減に不必要に脅すのはおやめなさい」
呆れたように額に手を当てて母親が窘める。
「嘘……なのですか?」
「そうですよ」
「違うよ!」
呆れた母親と、笑っている次男の相反する答えが同時に上がる。
そこでやっと椿は、自分が騙されていたと知り、
「兄さまの嘘つき!」
完全に膨れて小さな肩を怒らせた。
だが、
「でも、御神刀は大切なものです。この村を支えている、なくてはならないモノ。そこに女人が入ることは許されていません。理由は何であれ、あなたは絶対に近づいてはいけませんし、あなたにしか聞こえていないその声を気にすることも、出来ればおやめなさい」
「――はい。かか様」
それでも、椿の耳には聞こえていた。
何を言っているのかは分からない。本当に言葉を発しているのかも分からない。
ただただ無性に椿はその聞こえて来るものに心が惹かれていた。
惹かれていても、それが真っ当なことではないということぐらいは幼いながらに察してはいたため、必要以上に耳を傾けることはしなかったが。
何故自分だけに聞こえるのか。本当に母親たちには聞こえていないのか。
確かめる術がないままに、突き止めたい衝動を小さな体に押し込んで、椿は今日も野良作業の手伝いに励みながら、工房から聞こえて来る相槌の音に安らぎを覚えるとともに、小さな痛みを抱くのだった。
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