(4)

 ぐぅぅぅ~と、間の抜けた腹の音がしたのは、柊がちょうど金森神社に辿り着いたころだった。

 沿道から本殿まで、ずらりと並んだ出店の数々。飴売りや小物売り、面売り風車。子供用のおもちゃや袋物。安価で誰でも買いやすい値札のついた出店には、数多くの客たちが思い思いに楽しんでいた。

 その気分をさらに盛り上げるのが、どこからともなく流れて来る囃子の音。笛の音、鉦の音、太鼓の音。軽妙な音の調べが聴く者の心を高揚させ、おおらかな気持ちにさせて財布のひもを緩くする。

「あの。こちらのお店は一月前もここにお店を出していましたか?」

 朝から何も食べていなかったことに気が付いた柊が、一番近くにあったカリントウ屋の売り子に一袋分の代金を払いつつ訊ねれば、売り子は一月前も二月前も、休まず毎日出ているよと素敵な笑顔で答えてくれた。

 だったら――と。釣られて浮かべた笑顔のままに、柊は重ねて訊ねる。

「では、この辺りで左顎に火傷の後がある、青と黒の市松柄の布を羽織っている男の人を見たことはありませんか?」

 すると売り子は、顎の下に手を当てて、少し上を見るように小首を傾げて唸ること暫し、ちょっとそんな目立つ格好の人は見なかったような気がするわ。と、少しだけ申し訳なさそうな顔をして、その人何かやらかしたの? と次の瞬間には興味津々の顔を向けられた。

 昨日の今日だった。致命傷などは負ってはいないが、柊もそれなりに傷を負い、網目衆を示す半纏の袖口や首元からは治療を示す包帯も見えている状態で問われれば、当然相手もそう思う。

 だからと言って、柊の探し人が『実は普通の人間に妖を生み出す力を与えているみたいなんです』などとは言えるものではなかった。

 故に柊は言う。

「いえ。小さな依頼人に頼まれたんです。半年前にいなくなった父親を捜してほしいと。その手掛かりが左顎に火傷の痕があり、青と黒の市松柄の布を纏っていたというもので。先月この辺りで見たという報告があったので、もしや、子供の元へ帰るために土産でも買っていたのではないのかと、確かな情報が欲しくて聞き込んでいる最中なんです」

 少しだけ困り顔をして、すらすらと偽りを述べる自分を客観に見たとき、自分も網目衆らしくなったとしみじみと思っていると、売り子は心底同情した顔を柊に向けて、網目衆ってそんな地味な仕事もしてるんだねぇ。と感心された。

 人探しも仕事の内ですと頭を下げれば、あたしも少し、みんなにそれとなく聞いておくね。と大変ありがたい言葉をいただきながら、柊はその場を後にして、同じようなことを二度三度と繰り返した。

 だが、生憎と誰も左顎に火傷の痕がある、市松柄の布を纏った男のことは知らなかった。

 当然か――と、カリントウを口にしながら柊は思う。

 四之助が見つけられたのは、一月も前の話なのだ。同じ場所に同じようにいつまでもいるとは限らない。むしろ、さっさとその場を離れるのが普通だろう。

 だとすれば、今更こんなところに来ても無駄だったかと思わなくもない。

「またやってしまった……」

 柊は、深々と絶望交じりのため息をついていた。

 動く前に考えろと、網目衆の先輩である清吾や叔父である境土にも、これまで何度も言われて来たことだった。

「だって、仕方ないじゃないか」

 あの場所には妖斬妃と椿がいたのだ。

 自分にとっての生きる目標である二人が、思わぬ形で目の前にいて、その二人の役に立つことが出来るかもと思ってしまったのだ。冷静になど物事を考えることが出来なかった。出来るわけがなかった。必ず情報を掴んで来ると豪語しておきながら、何も得られなかったと言うわけにはいかない。

(――というか、帰れない)

 椿の軽蔑した目が柊に向けられる様がまざまざと思い描ければ、柊は目の前が真っ暗になった。

「あああああ~どうしよう」

 楽しいはずの出店の通りで、この世の終わりのように頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまう柊。他の客たちの邪魔になっていることすら気が付かないまでに心の余裕をなくしていたまさにそのとき、

「坊。坊。そんなところでしゃがみ込まれたら通行の邪魔にもなるし、俺の仕事の邪魔にもなるんだけどな」

 苦笑交じりの声が掛けられた。

 お陰で柊は、ハッと我に返り。

「す、すみません。お邪魔してしまいました」

 慌ててその場に立ち上がって、目をゆっくりと見開いた。

 何故ならそこに、目の前の木彫りの干支を並べた出店の商品棚に掛けられていた布が――

「そ、それは!」

 柊が思わず駆け寄り握り締めた布は、目にも鮮やかな青と黒の市松柄の布だった。

「な、何で、これ」

 弾かれたように顔を上げると、

「というか、そんな乱暴に扱われると、うちの大事な品が倒れちまうんだけど」

 若干迷惑そうな目を向けられて、再び柊はハッとして手を離した。

 年の頃は三十路も手前。襟足は短く揃えられているものの、左目から頬までを隠すように伸ばされた前髪が印象的な、どこか青空のように晴れ渡ったすっきりした印象を与える男だった。

 咄嗟に柊の視線は男の左顎に向けるが、男が両手で頬杖をついていたせいで見ることは叶わず、思わず硬直していると。

「どうした。坊。何をそんな固まってるんだ? 壊れるって言ったのはただの冗談だぞ? 冗談。こんな木彫りのコロコロした木彫りの人形なんぞ、落ちたところで壊れもしねぇさ」

「で、ですが」

「それとも、俺のとこで使ってる布が何か事件にでも関係してるのかい?」

 と、突如確信を突かれ、思わず顔を強張らせれば、

「ダメだぜ、坊。そんな簡単に顔に出しちゃ。どんだけ素直なんだよ」

 柊は盛大に笑われた。

 お陰で柊の顔が熱を持つ。長年かけて培って来た平常心が今朝のおかげで木阿弥状態だった。

「俺が犯人だったらいくらでも惚ける算段つけられちまうぞ」

「す、すみません」

 顔を伏せ、体を震わせながら謝罪すれば、

「まぁ、良いってことよ。お陰で俺も合点が行ったからな」

「合点?」

 と、視線を上げれば、男は言った。

「いや、しばらく前のことさ。ここでの品の売れ行きがよろしくなくてな。ここに店構えるのもそろそろ潮時かなって思ってたときだよ。この布を被った男が来たんだ」

「男?!」

「そうそう。で。ジッと真正面から俺の作った木彫りを見てたかと思うと、その戌をくれと。でも、持ち合わせがないからこの布をやると言って来てな。それは少し考えものだと俺が言うと、そいつは言ったんだよ。この布を敷いてみろ。そうすれば人目に付きやすくなって売り上げが伸びるかもしれない――ってな。

確かに、市松柄ってのはよくあるが、大抵は白と黒だ。他の色の組み合わせがないわけじゃないが、青と黒は珍しい。駄目か? と、淡々とした表情と顔で訊ねられるから、普段はしないが、何か事情でもあるのかと思ってな、仕方なく交換してやったらどうだ。面白いように売れ始めてな。

でも、俺は見たし聞いた。その布と戌の彫り物を交換して、そいつが後ろを向いた時だよ。走って来た童がぶつかってな。腰に下げてた巾着袋から小銭の打ち合わさる音がしたのをな。ぶつかった子供は怒られると思ったのか泣きそうな顔してな。そしたらその男、交換したばかりの戌の彫り物を童に渡して頭撫でて行っちまった」

「え?」

「な? 意味が解らねぇだろ? 持ち金はないが木彫りの戌が欲しいって、着て来た布と交換したくせに、実は金は持ってるわ、交換した戌はぶつかって来た童にあげちまうわ。だったら何のために布と交換したんだよって話だよ。意味が解らなさ過ぎて困ったが、貰ったものは使おうと使ってみたら売り上げは上がるから、もしかしたら、俺に同情してくれた神様のお使いかなんかだと思ってたんだが……網目衆あんたらが思わず血相を変えるような証拠品の一つだったとしたら納得もいく。とりあえず、目立つものを先に処分したかったんだろうな」

「ち、ちなみにその男の顎には火傷の痕はありましたか?」

「ああ。あったな」

「顔はちゃんと見ましたか?」

「見たな」

「じゃあ!」

「でも、人相書きに協力は出来ねぇぜ。もう一度見ればそいつだって言えるが、紙に描き起こすほどに細かく覚えちゃいねぇ」

「そんなぁ」

「そんなぁ~なんて、情けない声出されても仕方がねぇだろ。お前さんだって、自分の母親の顔描いて見せるから特徴言ってみろって言われたって無理だろ?」

「!」

 言われて柊は顔を強張らせていた。

 母親の顔。最期に見たその顔は――

「そ、うですね。とても言葉では言えませんね」

「だろ?」

 顔が引きつくのは男には見えなかったのだろう。我が意を得たりとばかりに得意げになる男に、柊は賢明な苦笑いを返すしか出来なくて、

「その後、その男の姿は見かけたりはしていませんか?」

「さあ。俺は見てないが、それとなく知り合いたちにも聞いてみるよ」

「ありがとうございます。何かわかりましたら、最寄りの戍狩の詰め所にお知らせください」

「ああ。わかった」

「では」

 と、存在したことだけは確認が取れたことを胸にしまい、その後の足取りをどうやって探ろうかと次のことへ頭を切り替えて踵を返したときだった。

「おい、網目衆の坊!」

 声を張り上げ呼び止められて、何か思い出したのかと振り返ったときだった。

 ひょいと投げてよこされたものを反射的に受け取ると、

「あんたにやるよ。忠義の熱い戌は大事にすると良い物を持って来てくれるかもしれないぞ。頑張れよ」

 掌には丸みを帯びた木彫りの戌。

 思わず苦笑が込み上げて、

「はい! 頑張ります!」

 と、改めて笑顔を浮かべて応えれば、勢い良く頭を下げて柊は移動した。


 その張り切った後ろ姿を見て、男は嗤う。

「甘いにもほどがある」

 商品棚に肘をついて寄り掛かり、俯いて嗤う。

 嗤うしかなかった。派手な外見も、解かりやすい特徴も、いつまでも残しておくわけがないことぐらい常識なのではないのかと。それとも、愚かさを演じて泳がせる気なのかどうかと考えて、男は嗤う。

「あんたたちが俺を見つける前に、俺の仕込みが完成する方が遥かに早いぞ」

 若い網目衆を初めて見た瞬間、その胸の内に秘めた強い強い想いを見た。誰かが少しでも背中を押せばなかなかに面白くなると容易に想像がついてしまえば、やらずにはいられない。

「さて。この結果がどうなるか。見ものだな」

 楽しいお囃子の響く出店の通り。不穏な気配が立ち込めるも、気が付く者は誰一人としていなかった。

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