第五章『もどかしい日々の先に』

(1)

 結論から言えば、柊も椿も満足のいく結果を得ることは叶わなかった。

 椿は苛立ち、柊は落ち込んだ。

 この六年。常に椿は苛立っていた。

 それは弱い自分にであったり、簡単に見つけることが出来ないもどかしさのせいだったり、偽の情報に踊らされたり、【揺り籠刀】を所持していながらも役に立たない協力者のせいだったり。苛立ちは自身にも他者にも向けられた。

 故に、椿は不思議でならなかった。いつも、常に、不思議でならなかった。理解が出来なかった。

 我が子を取り戻すと誓っていたはずの妖斬妃が、特別焦りを見せないことが。

(私だったら耐えられない)

《まことに今宵の月は綺麗じゃのう》

 明かりを持たずとも通りを見通せるほどに明るい満月を見上げ、椿の前を行く妖斬妃の機嫌は良い。

(そう言えば、初めて会ったときも笑っていたな)

 と、後ろを歩きながら椿は思い出す。

 我が子だと称した刀を。仲間だと称した刀を。突如奪われた妖斬妃。

 奪われて行くのを感じながらも、自身は全く動けずにいた妖斬妃。

 自分を揮ってくれる者を強く強く望んでいた。

 それでも妖斬妃は笑っていた。凄まじい殺気を周囲に撒き散らしながら、村を蹂躙し数多の命を奪った妖たちを殲滅しながら、妖斬妃は笑っていた。

 そして、共に【揺り籠刀】を取り戻そうと村を出た後も、妖斬妃は笑っていた。

 楽しそうに、誰よりも楽しそうに、地面を踏み締めて歩くことも、空を見ることも、風に吹かれることも、ありとあらゆることを楽しんでいるかのように笑っていた。

 椿が泣くほどに恐ろしい思いをしていた時も、不注意によって一時奪われてしまった時も、妖斬妃は笑っていた。

 椿が強くなろうと努力している間も、妖斬妃は楽しそうに傍で見つめて笑っていた。

(何がそんなに楽しいのだろうか?)

 不思議でならなかった。

 逆の立場であれば、椿はきっと笑えていなかっただろう。

 一体誰がどこに持ち去ったのか。どこで誰の手に渡されたのか。

 探す手掛かりがなさ過ぎて、途方に暮れて、絶望に暮れて、それでも探し出したくて、がむしゃらになっていたはずだった。

 それでも妖斬妃ならば、気配を辿るなどをして見つけて行くのだと思っていた。

 だが、違った。

 恐ろしく地味な調査をしなければならなかった。気配は近づかなければ感じることなど出来なかったのだ。鞘に納められていたせいで気配は消されていた。

 それでも妖斬妃は笑っていた。ようやく気配を掴めたと喜んだ。

 その後も妖斬妃は焦るような姿を見せたりはしなかった。

 季節の移り変わりを楽しんだ。椿が人並みの幸せを営んでくれれば良いのにとお節介を焼いては楽しんで。

 ずっとずっと不思議でならなかった。

 自分だけが焦って苛立っているのに、妖斬妃にそんな素振りを見たことは一度もない。

「何故?」

 と、気が付くと椿は口に出して問い掛けていた。

《何がじゃ?》

 神社の聞き込みが芳しくなかったが故に、真夜中の偵察時のことだった。

 妖斬妃が消えない笑みを浮かべて振り返る。

 そこで初めて椿は、自分が口に出して問い掛けていたことを知り、わずかに動揺を覚えるも、声を掛けてしまったのだから仕方がないと、椿は訊ねる。

「どうしてあなたは、いつも笑っているんだ?」

 すると妖斬妃は、キョトンとした。

 まるで予想外のことを聞かれたと言わんばかりの顔だった。

《どうして……とな?》

 聞き返されて頷くと、

《楽しいからに決まっておろう?》

 意味が、分からなかった。

《まぁ、そなたに解かれと言う方が難しいかもしれんなァ。長らく自身の身で動くことが出来ずにいたせいか、見るも聞くも楽しくて仕方がないのじゃ》

「でも……」

《満足に刀も集まっていない中、そなたには不謹慎に見えるじゃろ?》

「…………」

《じゃがな。どれだけ気を急いたところで隠れられてしまえば見つけるのも一筋縄ではいかぬもの。であればじゃ。気長に構えて探せばよい》

「でも、その間に取り戻せなくなったらどうするんだ?!」

《どうしたものかのォ》

 焦る椿に対して、またもや微苦笑を浮かべる妖斬妃。

《妾たちはヒトではないからかのォ》

「人ではないから?」

《折られぬ限り、妾らは多分生き続けることが出来る。妖も、倒されるまでは生き続けることが出来る。じゃが、人はそうもならん。寿命という括りがある。それが長いか短いか。たとえ長くとも、妾たちより生きる者はいない。じゃからこそ、妾は気長に構えることも出来るが、そなたは焦るのだろうなァ。じゃからこそ、そなたには悪いことをしたと思うておる》

 突如の懺悔に眉を顰めれば、

《ただでさえ短い命のそなたをこんなことに巻き込んでしまったことじゃ。妾たちの問題にかかわらなければ、今頃好いた男と所帯を持ち、子を産み育てて幸せに生きられただろうに。せっかくの可愛らしい年頃に、着飾るでもなく恋に恋するでもなく、ひたすら命の危険と向かい合うような生き方をさせてしまっておる》

「それは!」

《自分のためでもあると言うのであろう? じゃからこそ、気負わぬようにと働きかけてはいるのじゃが、どうも上手くいかぬ。許せ》

 と言って笑うから、

《それにな。もう一つ理由を上げるとすれば、そなたが共にあるからじゃ》

 愛おしそうな目を向けて笑うから。

《妾をその身に纏い、妾を連れて行ってくれる者が居るからこそ、こうして笑えているのだと思う》

 その、不意打ちのような言葉に、椿はものの見事に動揺する。

《もしも、今もってあの村に祀られているだけだったとしたら、もしや祟っていたかもしれぬなァ》

「祟る?」

《それはそうじゃ。誰も妾を連れ出せぬのだ。連れ出すことは出来ても、妾を揮って取り戻すことは出来ぬ。そうであれば、もどかしく苛立っていたかもしれぬ。じゃからこそ、そなたが共にいてくれるから、妾は嬉しゅうて笑いっぱなしなのかもしれぬ。なんせ――》

 と、この瞬間。少しばかり声音が冷たくなる。

《そなたと共にいれば、存分に暴れることも出来ようからなぁ》

 事実、次の瞬間には妖斬妃が椿の横をすり抜けて、背後に現れた妖に襲い掛かっていた。

 こうなると、椿の出番はなかった。

 どこからともなく現れた異形の者ども。

 それらの間に嬉々として乗り込んで、椿が腰に差してある太刀と同じ真紅に燃える刀身を月光に煌めかせて狩り尽くす。

 満足に悲鳴を上げることすら許されない妖たち。

 それでも妖たちは火に飛び込む虫のごとく、妖斬妃目がけて殺到していた。

 妖斬妃曰く。

《自我も持たぬ妖は、無意識に強さを求めて強い妖の元へやって来る。

 少しばかり知恵をつけた妖は、不用意に強い妖の元へはやって来ないが、しっかりと知恵をつけた妖は、強さを得るために徒党を組んでやって来る。

 彼奴らにとって妾のような強い妖は、髪の毛一本。血の一滴ですら、手に入れ食せば格別の力を得る貴重なモノ。そう。人の心に寄生して生まれる妖とは違う《野良》と呼ばれる妖は、互いに食い合うことでしか強さを得ることは出来ぬ。故に、我らは襲われなければならぬ。さすれば大物が引っ掛かるようになるからのォ》

 旅をして早々。多くの妖に狙われて恐怖に捕らわれた椿に妖斬妃が話してくれたことだった。

 心配せずとも、《野良》は夜が更けてからしか動けないとも、そうなってからであれば、いくらでも妖斬妃が狩り尽くしてやるとも。

 そうすることで妖斬妃の腹が満たされるとも言っていた。

(そう、これは、偵察も兼ねた食事……)

 それはそれは楽しそうな笑みを浮かべて宙を舞う妖斬妃を見て、今笑みを浮かべる理由だけはすんなりと納得ができると椿は思った。

 腹が減れば、どんな食い物もご馳走に見えるもの。

 腹に入れば、よほどのものではない限りどうでもいいと思う椿ですら。空腹感が満たされれば満足する。

 それと同じだと思えば、実力差も分からずに引き寄せられていく妖たちに、喰われるために妖斬妃の口の中に飛び込んでいくかのような存在たちに、同情すら抱くというもの。

 月光を浴びて楽しげに舞う妖斬妃は、どう控えめに見ても美しかった。

 流れる髪も、翻る衣の裾も、円舞のごとき足さばきも。

 吹き上がる妖の黒い血飛沫も、弾け飛ぶ躰も、何もかもが妖斬妃を美しく引き立て、椿の目を奪っていた。

 我知らず、椿は妖斬妃の動きを真似し始める。

 腰の太刀を引き抜いて、足を出し、刀を揮う。

 袈裟懸け、横払いのままに一回転し、下から上に切り上げる。

 すかさず右足を踏み出して逆袈裟懸け。流れるように技を繋ぎ、背後からの敵にすら的確に対応する。

 技を盗まなければならなかった。自分のものにしなければならなかった。

 目の前に妖の幻影を生み出し、同じ数だけの幻影を作り出し、妖斬妃の動きを移し取りながら滅ぼしていく。

 無心でただひたすらに型を真似る。蹴り上げる姿すら優美な妖斬妃だが、既に椿の息は上がり始めていた。

 圧倒的な持久力のなさが悔やまれた。一体どうすれば持久力が付くものか。

 苛立った。思うように動かない体が。すぐに上がる息が。それでも大分マシになっていたはずだったが、まだまだ満足するには程遠かった。

 苛つくほどに呼吸が乱れることは分かっているが、どうしても苛立ちが先だった。

 刹那、首筋に突き刺さる視線に、弾かれたように振り返る。

 月光に照らされた青白い世界に伸びる通りの奥。

 椿は射殺さんばかりに睨み付けた。

 息を張り詰め、気配を探る。

 自分を中心に円形状に捜索範囲を広げる。

 だが、その境界が届くか届かないかで、気配は消えた。

 刹那掠めた何者かの気配。

 しかし、逃げられる方が速かった。

「っち」

 思わず舌打ちをしてしまうと、

《どうした、椿よ》

 全てが終わったらしい妖斬妃が、椿の真横に立って訊ねれば、

「いや。誰かが見ていたらしいんだが、逃げられた」

《そうかそうか。そなたの目つきが悪すぎたせいで、声を掛けられずに逃げ帰ってしまったか》

「どうしてそうなる!!」

《怒るな、怒るな。冗談じゃ》

「で? そっちの収穫は?」

 不満いっぱいに刀を鞘にしまいながら成果を問えば、

《うむ。それなりに少しばかり前進じゃ》

 ニコリと笑う妖斬妃の発言に、しかし椿はいまいち喜ぶことが出来なかった。

 そして、これから一週間。同じように夜回りと言う名の妖斬妃の腹ごしらえのために町の中を移動していると、決まって視線を感じるということが続いた。

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