(2)
「知らない間に、町ではかなりの数の失踪者や妖が関わったような事件が起きていたんですね」
「だなァ」
と、気の抜けた同意の声を上げたのは境土。
金森神社での満足な目撃情報も、四之助に妖刀を譲り渡した男の足取りを見つけられずに椿の前に出るしかなかった柊は、その際、妖斬妃に助言をもらっていた。
《これまでとは違い、網目衆や戍狩に根回しする必要も、恩を着せる必要も、目の敵にされたり不審がられたりする必要もなく、素直にすぐに情報を手に入れられるそなたがいてくれて助かっているのじゃ。椿の言葉なぞ気にはせず、もっと自信を持つがよい》
と、慰められ、
《この町でのここ数年の間の獣憑きと判じられたものたちと、失踪者と、妖が関わったかもしれぬ不可思議な事件の記録が欲しいのじゃが、調べて来てもらえるかのォ》
と、願われた。
柊に断る理由などどこにもなかった。
二つ返事で頷いて、明日詰め所に行ったとき調べてきます! と力いっぱい請け負ったものの、実際調べてみると、思った以上に失踪者と不可思議な事件というものは起きていた。
戍狩とは違い、必ず決まった日に出勤しなければならないという立場にはない網目衆。
お陰で調べ物は大いに捗った。
一瞬、網目衆である自分が見せて欲しいと頼んで、そういう資料は見せてもらえるものなのだろうかという疑問と不安が過ったが、そこはそれ。戍狩の中でも一目を置かれていた境土が後継人であるということを知っている戍狩たちは、嫌な顔などせずに見せてくれた。
後になって、戍狩だけでは手に負えない、妖が関わっているかもしれない事件の解決に、今もこっそり手を貸していたのが境土だと知ることになるのだが、この時点ではまだ柊は何も知らず、またも手ぶらに近い状態で帰らずに済んだことに安堵して、ただひたすら資料から必要な情報を書き写すこと一日目。
いい加減夜も遅いから、今日はもう帰れと追い出されて『定休日』と木札を下げている蕎麦屋に帰って来ると、既に椿と妖斬妃の姿はなく、せっかく喜んでもらえると思っていた柊はあからさまに落胆した。
そのあまりの落胆ぶりに、心から同情した境土が、柊の前に蕎麦を置き、向かい合うように椅子に座れば、「ねえ叔父さん」と、柊が切り出したのだ。
「俺が網目衆になってからまだ一年と少しですが、妖そのものと相対したのはまだ数えられるほどでしたが、本当にこれだけの疑わしい事件って起きていたんですか?」
「そうだな」
「聞いたことがありませんでした」
「だろうなぁ」
「何故ですか?」
「何故って言うか、お前」
と、少し困り顔で境土が次に紡いだ言葉は、
「三軒隣の小間物屋で、最近問題が起きたこと知ってるか?」
「え? そうなんですか?」
まるで関係のない問い掛けだった。
「通り一つ向こうの甘味屋でじいさん死んだことは?」
「し、知りません」
「斜め向かいの蕎麦屋の息子がいなくなったことは?」
「え?」
「裏の袋物屋の娘さんが離縁言い渡されたことは?」
「……知りません」
何故今そんなことを? と思いながらも答えれば、
「つまりは、そういう事だ」
溜め息交じりに境土はまとめた。
「下手すれば俺たちは隣にいる奴に起きている問題も気が付かない。根掘り葉掘り首突っ込んで聞き出そうとする野次馬根性があれば別だが、隣近所だからと言って何でも情報を共有しているわけじゃない。ましてや、通りを挟んだり町が変われば、まったくそこは未知の領域だ。
そんなわけで、妖と関わったって話や、獣憑きが家から出たなんて口にした日には、どんな噂が立つか分からない。客商売してたら尚更周りには知られたくないもんだ。結果。俺たちみたいな輩には口止めをしてくるわけだ。で。俺たちだって事情が事情だと同情すれば、事実は全部一般人の目に触れないところにしまっておいて、表向きはそれなりの建前を言うわけだ」
「だから俺は知らなかったと?」
「ま、そういうことだな」
「運よくそれほど妖に関わって来なかったと?」
腑に落ちないとばかりに喰らい付けば、
「そりゃそうだ。石を投げりゃ妖に当たるって時代じゃねぇんだ。まぁ、そもそもそんな時代があったのかどうかも知らねぇが。それこそあれだ。破落戸に絡まれる奴は気の毒になるぐらい絡まれまくるが、同じ場所に暮らしていても死ぬまで破落戸に絡まれることなく一生を終える人間が沢山いるように、俺みたいに妖絡みの事件にばっかり遭遇する奴もいれば、悠々自適に任期を終えるまで妖絡みの事件に一度として関わらない奴もいる。
つまりな、お前さんが疑問に思うかもしれねぇが、別にそれ自体は珍しいことでも特別なことでもないんだよ。むしろ、そんな訳の分からんもの相手にするよりは、凶悪犯でも人間相手にしてる方が遥かにましだと俺は思うし。そんな人間相手で終わっておかなけりゃ、命がいくつあっても足りねぇって話でな。それでも一応、心構えは必要だから、仲間内では妖の話ってのは出るが、表向きには妖が出た! って騒ぐ瓦版屋を叱る立場にあるわけだ」
と、苦笑を浮かべて締め括られる。
だからこそ、柊は確かめた。
「つまり、妖自体は本当にこれまでも現れていたってことですね」
「まぁ、知らないところでは現れていたってわけだな」
「でもって、叔父さんは割とその妖と対峙して来たと」
「まぁ、そうなるな」
刹那、境土の顔が苦虫を噛み潰したようになる。
「じゃあ、叔父さんにとって、妖って何ですか?」
「は?」
「そもそも妖って何ですか? 何だと思いますか?」
「何って、あやしのものだろ。闇の住人――って、そういう事じゃないんだな?」
「はい」
と、背筋を伸ばし、真剣極まりない目を向けられれば、境土は一度溜息を吐くと頭を一掻きしてから答えた。
「まあ、あれだ。妖ってのは、要は人の想いが凝り固まったもんだ」
「え?」
「だから、妖怪とは違って形がきっちり決まっていない」
「て、ちょ、ちょっと待ってください、叔父さん?」
「なんだ?」
「人の想いが凝り固まったものが、妖なんですか?」
「そうだって言われてるな」
「いや、でも、そんな。人の想いが形を作るなんて……」
「別に不思議じゃねぇだろ。古今東西怨霊やら幽霊やら、死んだ連中の恨みつらみが化けて出てくる話は余るだけあるだろ?」
「そ、それはそうですけど」
「別にそれを頭っから否定してもいいが、記録に残っている以上は誰かが見てるんだろうさ。それぐらい昔の連中の想いが強かったと言ってもいいが、たった一人の人間の想いだって、あまりに強けりゃ、肉体を持たずに現れて、現世に障りをきたしたりする。だとすりゃあ、そんな同じような想いが、十も二十も百も二百も集まって見ろ。形を持ったところで不思議じゃない」
「……」
「ただ、一つの想いが重なってるから、その目的を果たすためだけに行動をしだす。でも馬鹿だから、考えなしだとすぐに強い連中に喰われておしまい」
「喰われる……」
「そう。本能のままに生きてるようなものだからな。一つのことしか頭にない。でもって、強い想いに引かれる傾向があるから、実力差があろうとお構いなしに妖同士が初めは共食いを繰り返すんだよ」
「共食い……」
「そ。その時点では妖連中に人間を襲うって考えすらないそうだ。というか、存在自体が儚さ過ぎて、俺たちが暮らしているこことは少しばかり違う場所で生きてるらしい」
「違う場所」
「今一わからねぇって顔してるな」
問われて柊は頷いた。
「まぁ、そう言うもんだと思って聞いてればいい。俺だってよく分からねぇし、本当かどうかも確かめようがない」
どこか投げやりに言い捨てられ、そんな適当でいいのかと思わなくもないが、柊は大人しく続きを聞いた。
「ただ、その場所で生まれた連中は、こっちに来られないから人間様に悪さをすることはそうそうないそうだ。で、そんな連中は同じように強い感情に引かれて、それを取り込もうとするんだと。そうすることで様々な感情が混ざり合うようになるんだな。で、何かの拍子に自我が目覚める」
「自我……」
「そうすると、本能だけだったのが欲を覚えるんだそうだ。より強い感情が欲しいってな。そうしてこっち側に出て来るんだと」
「でもそうなったら、至る所で妖の被害が出るんじゃないんですか?」
「そうなんだろうけど、そこで結界が効果を発揮してくるわけだ」
「結界……」
「そう。しめ縄やお札もそうだけどな。木戸も敷居も玄関口も、大きく結界って言えるんだと。だから、家の内に入っているうちはまだいい。だがな、それを招き入れちまったら終わりだ。結界は、内側のもんが外のもんを引き入れちまうと、今度は閉じ込めて外に出さないように働くそうだからな。そうなっちまえば、相手の思うつぼよ」
「じゃあ、この事件の被害者たちは」
「招き入れちまったんだろうな。で、心を喰われて体を乗っ取られるか、逆に妖の力を乗っ取ったか」
「乗っ取る? 逆に喰らうんですか? 妖を?」
「そう。そう言う奴らが、意識してか無意識か、妖を育て上げて強力な手駒にするわけだ。それが――」
「妖刀?」
「――の元――になるものだな。一応人の体って言う器に収められたからな。後はその力を研ぎ澄ましていくだけ。結果、寄る辺のない想いだけの塊だったが妖が、躰を得た妖刀となる。だから、妖は滅ぼすと何一つ残さず消え失せるし、妖刀は倒すと壊れた刀をこの世に残す。で、それをちゃんと処分しないと、今度は他の妖の依り代として復活されちまうわけだな」
「でも、それが本当なら、もっと注意喚起した方がいいんじゃないですか?」
「してどうする?」
思わぬ返しに戸惑う柊に、重ねて境土は告げた。
「いいか? 人って言うのは不思議なもので、知らないときは気にしないものだが、知ってしまえば必要以上に過敏になるものなんだ。例えば、蜘蛛が嫌いな奴ほど真っ先に蜘蛛を見つけちまうようなもので、妖に気をつけろ。戸締りをしっかり。何て大っぴらに言ってみろ。連中は皆、妖のことばかり考えるようになる。するとな、不思議とそういう連中に妖は引き寄せられるんだよ。お前だってそうだろ? もしも見ず知らずの奴にちらちら視線向けられて気にされてるって知れば、逆に何なのかって気になったりするだろ?」
問われてコクリと頷く柊。
「それと同じで、必要以上に妖に対して興味を抱かせないようにするのも、妖被害を抑える手なんだとさ。だから、表向きには情報を操作してたらしいんだよ」
「効果は、どれぐらいあるんですか?」
「さあな」
「え?」
「誰もちゃんと調べたことはないらしいからな。でも、実験するわけにもいかないだろ。絶対に安全ですなんて言えないんだ」
「そ、ですよね。でも、瓦版屋は面白おかしく書き立てたますよね? 戯作本だって、妖物多いですよね?」
「それはまぁ、読み物として読んでるからな。それが実は本当のことだって知って見ろ。面白がってみたりはしなくなる。たとえ事実でも、事実だと思われなけりゃ効果も薄い。話半分だと思ってるから流せることもある。だから、そいつらは大丈夫。問題は、《野良》って呼ばれる自然発生の妖たちよりも、襲って来た妖を逆に喰らって力をつけた
その連中が不可思議な事件を引き起こすんだ。で、大抵、その被害者たちは失踪者になるし、ただ体を乗っ取られただけの連中は、獣憑きとみなされてそれ相応の対処をされるわけだが……」
「だから妖斬妃さまは、獣憑きや失踪者や不可思議事件を探せと言ったんですね!」
「だろうな。おそらく、町のどの辺りにそういう連中がいたのかをそのうち聞きだして来ると思うぞ? 失踪者に関しては身元確認が出来ればいい方で、誰がいつどの事件で消えたのか、全然関係なしに消えたのか分からねぇが、事件と失踪者を関連付けて地図上に起こしていくだけでも何かが見えてくるかもしれねぇな。
ただでさえあれだろ? 今回は奪われた《揺り籠刀》の力を妖の温床にしてあえて利用してるかもしれないんだろ?」
「はい」
「じゃあ、明日は押収品目録も見て来た方がいいぞ」
「何故ですか?」
「確か前にも、妖だと思って倒した奴が実は妖刀で、その刀に斑に空色が交じっていたような気がするからな」
「え?」
それは聞き捨てならない言葉だった。
「だから、明日は続きの他にも押収品目録も調べて来い。妖刀は妖と違って黙っていても消えるようなものじゃねぇ。だから、ちゃんと目録にも記載しているはずだ。というか、少なくとも俺が戍狩にいたときには三回ぐらい見てたような気がするし、書いたような気もするし」
「そこでどうして同一人物の犯行だって気が付かなかったんですか!」
有力情報が思わぬ場面で飛び出して、思わず卓を叩いて抗議をすれば、境土は渋面を作って答えた。
「だって、若草丸が何も言って来なかったから。力を分配できるなんてこと」
《――って、そこでボクのせいにしないでもらいますか?! その頃まだボクはあなたの手に渡ってなかったでしょ!》
と、聞き捨てならないとばかりにこれまで沈黙を守って来た若草丸が飛び出して反論すれば、
「そうだったか?」
《そうですよ!》
「あー、そっか。
《そうですよ》
「じゃあ、聞けないわな」
《そうです。ですから、ボクが役立たずだったわけでも、情報を出し惜しみしたわけでもないですからね! あなたが奪われた【揺り籠刀】に関わってたなんて話、今聞いたばかりなんですからね! くれぐれもそこのところは肝に銘じておいてくださいよ!》
と、言うだけ言って再び姿を消す若草丸に、うんざりとした顔をした境土が、気を取り直すように一度大きなため息を吐く。そして、
「何の話だったっけ?」
「えっと、過去に同じような妖刀を押収していたはずなので、それも調べて来た方がいいという話だったと思います」
「おお。それそれ。多分、そこまでしておけばもしかしたら、もしかするかもしれねぇぞ」
と、提案され、柊は妖斬妃と椿の役に立てるかもしれないと、期待に大きく胸を躍らせたのも束の間。次の瞬間にはふと気が付いてしまった。
自分一人では何も物事を進められていないということに。
自分で情報を集めて来ると言ってここを飛び出して行ったときは、満足な手掛かりの一つも得られずに、結局落胆させた挙句に、妖斬妃の助言が翌日の行動を決めてくれた。
そして今は、境土によって情報を集めるだけでなく、その利用法を教えてもらった。
村を襲って来た妖の正体も成り立ちも知らず、妖と妖刀の違いもハッキリと解らないまま今に至っている自分の無知も、これまで培って来た自信など何だったのかと言わんばかりに、柊を打ちのめした。
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