(3)


 自分がこんなにも役に立たない男だったとは思いもしなかった。

 いいところを見せたかった。

 頼れるところを見せたかった。

 何も知らなかった。あんなに優しく愛らしかったが椿が、まるで面影のない娘になるほどに辛く大変な時を過ごしていたということを知ったとき。自分もそれなりに使える人間になっていたと思っていた。

 だが、実際は違った。一人ではいまだに何もできなかった。

「はぁ~」

 深々と溜息が吐いて出る。

 店の裏手にある網目衆の長屋の一室。自分の宛がわれた部屋で、泣きたい気持ちに襲われる。

 明かりをつけることなく夜着を着こんで布団に寝転がる。

 その手には、唯一目撃情報をくれたあの干支の木彫り職人が暮れた戌の置物。

 手のひらにすっぽりと収まり、掴み心地が良かった。

 持っていれば、良いことがあるかもしれないと言っていた。

(持っていたからと言って、どんな良いことがあるのだろうか)

 別に信じているわけではないが、何かに縋りたい気持ちが大きかった。

 本当に情けないと、布団の上に丸くなる。

 嫌われたくないと強く強く思っている自分がいた。

 認められたいと思っている自分がいた。

 それが妖斬妃に対しての想いなのか、椿に対しての想いなのか、柊にも解らない。

 どちらかに対してかもしれないし、両方かもしれない。

(いや、二人に対してだ)

 誰が聞いているわけでもないのに、柊は顔に熱を持つのを感じていた。

 何の役にも立っていなのに、こんな調子でどうするのだと心底情けなくなる。

 それでも、逢いたい気持ちに嘘偽りはなかった。

 会えなければ我慢も出来た。

 だが、どんな運命の悪戯か、恋焦がれていたと言っても過言ではない二人の恩人が、自分の目の前に現れたのだ。気にするなという方が無理だった。我慢しろと言い聞かせる方が無理だった。

(役に立つと認められれば、二人の傍にいられるだろうか)

 居たかった。いつまでも居たかった。居たいと思っていた存在なのだから、ずっと傍にいたいと願ってしまった。

 だが、このままでは足手纏いでしかない。

 柊がこうして長屋に戻って寝ようとしている時も、椿と妖斬妃は戻っていなかった。

 二人が帰って来るまで待っていると粘った柊を、明日も朝早いだろと、寝るように仕向けたのは境土。そういう境土は二人が帰って来るまで待っているのだろう。

 自分よりも人生経験も、戍狩歴も長かった。不用意に妖に注意を向けられぬように情報は操作されていたという事実も知っていたし、妖や妖刀たちとも渡り歩き、【揺り籠刀】の持ち主としても認められている境土。柊の叔父。

 何もかもが当然のことながら、比べるのもおこがましいほどの実力の差。

 悔いたところでどうしようもない。

 それでも、教わる立場でしかない自分が堪らなく嫌だった――と、思う自分の気持ちが嫌だった。

 駄目だ駄目だと言い聞かせる。もう寝ようと雑念を振り払うように目を閉じる。

 だからだろうか。柊は夢を見た。


 月光が照らす青白い町の中で、どこから湧いて出たのかもわからない妖の群れを次々と滅ぼしていく美しい妖斬妃の姿を。

 その手前で、妖斬妃の動きと全く同じ動きを披露している椿の姿を。

 椿の動きを妖斬妃が真似ているのか。妖斬妃の動きを椿が真似ているのか。

 どちらがどちらかなど分からなかった。それでも柊は見惚れていた。

 長い髪が大きく広がり、長い袖が翻る。炎のような真紅の刀身が月光を跳ね返し、円舞のように舞う様は、魅入られぬ方が無理だった。

 ずっとずっと見ていたかった。

 だが、突如椿が柊の方を見た瞬間、まるでいけないことをしているような後ろめたさを覚え、柊は逃げた。

 その背中を何かが勢いよく追って来る気配がすれば、柊は夢の中を全力で逃げた。

 驚いて目を覚ましたとき、まるで全力疾走しているかのように息を切らせていた。

 何がそこまで恐ろしい夢だったのか分からない。

 それでも、よくぞ見つからずにいたとホッとしている自分を見つけてしまえば、柊は布団の中で頭を傾げた。

 あまりに二人のことを考えていたせいでおかしな夢を見たのだと、半ば呆れ、半ば落ち込み、柊は二度寝した。

 それからというもの、柊は毎日日中は、回復傾向にあり話まで出来るようになった清吾の見舞いをしてから、仲間の網目衆たちと資料漁りをしつつ、緊急の取りものに駆り出されたり手伝いに駆り出されたりしながら、夜には地図に調べてきた結果を書き出し、寝付いてからは夢の中で、常に妖の群れを滅ぼしていく妖斬妃と椿の姿を見て来た。

 もっと近くで見たいと近づいて、椿に見つかり逃げ帰ることを繰り返す。

 何故夢の中でまで逃げなければならないのだろうかと日を重ねるごとに腹が立って来た。

 現実では、調べ上げてきた情報を境土の助言の通りに地図に書き起こし、場所を絞って行ったことで妖斬妃に褒められたが、思いついたのが境土だったため素直に喜べず。

 当たり前のように椿や妖斬妃と話す境土や若草丸のことが羨ましいと思うようになっていた。

 何かがずっと納得が行かなかった。

 傍にいたいのに許されず。

 顔も見たくないとばかりに朝は柊が出かけるころになっても起きては来ず、夜は柊が寝た後も帰って来ず。

 満足に顔を合わせて話すこともない。たまに顔を合わせたとしても、話すのはもっぱら境土か若草丸。柊はいてもいないようなものだった。

 役に立ちたかったのに、認めてもらいたかったのに、話の流れに柊は入ることが出来なかった。

 寂しかった。悲しかった。辛かった。

 自分のことを見て欲しかった。話を振って欲しかった。

 だが、妖斬妃も椿も、境土を頼った。


 ――もしも境土がいなかったら。

 ――もしも【若草丸】と言う名の【揺り籠刀】を持っていなかったら。

 ――妖に対して何一つ、抵抗する手段がなかったら。


 そこまで考えて、柊は我に返った。

 心の臓が早鐘を打っていた。

 冷や汗がこめかみを伝っていた。

(一体俺は、今何を考えていた?)

 自分自身が分からなかった。何を考えていたのか思い出せなかった。

 まるで悪い夢を見て起きたときのように、内容は思い出せないが、ただただ嫌な気持ちだけが胸いっぱいに広がった。

《大丈夫かえ? 柊よ。何やら具合が悪そうじゃが》

 問われても、咄嗟に柊は答えられなかった。

「ちゃんと休んでいるのか?」

 椿ですら若干心配して見せるほどに柊の顔からは血の気が引いていた。

「だ、大丈夫です」

 と、何とか答えは返せたものの、

「何が大丈夫だ。大丈夫なわけないだろ。熱があるじゃねぇか」

 すぐさま柊の額に手を当てた境土が、怒ったように柊に言葉を叩きつけると、

「悪いが今日はここまでだ。こいつを寝かしつけて来る」

 一方的に解散を告げて柊を抱え直す。

(嫌だ。離れたくない。もっと一緒にいたい。まだ何も役に立てると証明していない)

 柊は内心で悲鳴を上げる。

 誰にも届かない悲鳴を上げる。


(邪魔をしないでください。ぼくの邪魔を、ぼくの邪魔を、しないでください!)

 まともに働かない思考の中で、怒りと悲しみに混濁しかける思考の中で訴える。

 直後、ぞろりと何かが柊の体から抜けていくのを柊は感じた。

 同時に、どこか遠くで犬のような遠吠えを聞いたが、それを最後に柊の意識は完全に闇のまれて消えていた。


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