(3)

 降って湧いたような好機を前に、柊は胸を躍らさずにはいられなかった。

 今目の前にいる椿は、本物の椿だった。昔、淡い恋心を抱いていた女童の成長した姿。

 当時を知る柊からしてみれば、完全に想像を裏切られた姿ではあったが、生きていてくれたこと自体が奇跡だと思っていた。

 しかも、あの時自分を助けてくれた【妖斬妃】こそが村の御神刀であり、その適応者だったのが当時の椿。小さな体に妖斬妃を宿し、圧倒的な強さで持って村を蹂躙していた妖たちを屠って行った。

 後に、村を出て奪われた【揺り籠刀】を探し求めて旅をしていると、妖斬妃自身から説明された。

 その間、椿は知ったことかとばかりに視線の一つもくれずにひたすら蕎麦を啜っていた。その数五杯。並の男でも五杯も食わない。一体その小柄な体のどこに入っているのかと、思わず見詰めていると、ふと顔を上げた椿に睨まれて、思わず視線を逸らしてしまう。

 そして、今この町に奪われた【揺り籠刀】があり、それを有している者を突き止めようとしているのだと知らされて、俄然柊はやる気をみなぎらせていた。

 この町のことは椿よりも柊の方が詳しかった。

 詳しくなければ網目衆など名乗れない。

「是非その捜査に俺も加えてください!」

 この町にやって来た目的を知った今、柊の申し出は当然のことだっただろう。

「俺はこの町の網目衆です。きっとすぐにその男の居場所を突き止めて見せます!」

《そうかそうか。それはなんとも頼もしいのォ。のお、椿や》

「好きにすればいい」

 取り付く島がなかった。

 見えない壁がはっきりと見えていた。

 その言葉に、見て見ぬふりなど出来ない痛みを覚える。

 自分はずっと椿のことを忘れていなかった。妖斬妃のことも忘れたことは一度としてなかった。同じぐらいの熱量を持ってくれているかと思っていた。自分が誰かと分かれば、その冷たい他人行儀な態度も変わると淡い期待を抱いていた。

 だが、椿には何の変化もなかった。

 表情にも、言葉にも、声音にも。

 それがとても悲しかった。取るに足らない記憶だったのかと、存在だったのかと思うと、泣きたくなるほどに切なくもなった。

 だとしても、長年抱いて来た想いを簡単になかったことになど出来なかった。

 出来るはずがなかった。なかったことには出来なかった。

 落ち込んでいる暇はなかった。諦めている暇はなかった。傷ついて逃げ出すなど論外だった。

 今ここで捕まえていなければ、きっと、もう、二度と会えない確信があった。

 椿は言った。「好きにすればいい」と。「余計な邪魔をするな」とは言われなかったことを幸いに、柊は告げる。

「絶対に俺、探し出してきますから、ここでちゃんと待っていてくださいね! 絶対ですよ!」

《あいわかった。椿が何と言おうと、その身を操ってでもちゃんとここで待っている故、励めよ、人の子よ》

 目を細め、妖艶な笑みを浮かべて約束してくれる妖斬妃に対し、椿が余計なことをと言わんばかりの視線を向けるが、

「じゃあ、俺、今から情報集めに行ってきます!」

 柊は勢いよく席を立って店を飛び出した。

《ほんに、元気のよいおのこよのォ》

 妖斬妃が、椿の横で心から楽しそうにコロコロ笑う。

「まぁ、それも仕方がねぇんじゃねぇか。まさかの想い人二人が同時に現れたんだからな」

《妾も罪作りな女よな。して? お前さまはどうじゃ? 改めて熱い想いを告げられて、心は揺れぬか?》

「何を期待しているのか知らないが、そんなものはない」

《欠片もかェ?》

「欠片もだ」

《思い出しもせんのか?》

「…………」

《記憶にはあるようじゃのォ》

「だったら何だ。今更それが私に何の関係がある?」

《睨むな、睨むな。言うたであろう? お前さまは人の子なのじゃ。確かに幼いそなたを守るために、幾度となく妾が体を借りた悪影響というものが出ているのかもしれぬが、だからこそ、そなたまで人の心を凍てつかせる必要はないのじゃ》

「……」

《まぁ、村を出てすぐの頃には想像を絶する裏切りを幾度となく体験した。その中で幼い心を守るために心を凍てつかせる必要があったことは、他の誰よりも妾が知っている。じゃがな、だからこそ、あの男の存在は都合が良い。そうは思わぬか? 境土よ》

「まぁ、知らない仲じゃないからな。ちょうどいいと言えばちょうどいいだろうが」

「必要ない」

 椿の態度は頑なだった。

「これは私と妖斬妃との問題だ。それに他人を巻き込むつもりはない」

「他人たって、これまでも協力者はいただろ? 昨日はそういう話だったじゃないか」

「ああ。確かにな。だが、その協力者はすべて妖斬妃の眷属である【揺り籠刀】を扱う妖刀使いたちだ。そこにただの一人も無力な人間はいない」

「無力と言うが、アイツは戦えるぞ?」

《それに、妾の声も姿も見えているということは、素質があるということじゃぞ? そなたがあの時、兄の扱う【沈根】の姿を見たのが良い証拠。言うておくが、あのとき【沈根】の姿が見えていたのはそなたと、【沈根】を扱う兄だけじゃ》

「…………」

《じゃからな、少しは頼ってみてはどうじゃ?》

「知らん!」

 頬を膨らませて跳ね除けられる。

 それに対して困ったものだと、妖斬妃と境土が顔を見合わせたとき、

《妖斬妃さま! ただいま戻りました!》

 蕎麦屋の天井を突き抜けて、若草丸が卓の上に降り立った。

 ご丁寧に妖斬妃の目の前で片膝を付いて。

「――っぶねぇな、おい!」

 と、椅子を引いて立ち上がった境土の抗議は無視され、

《して? 首尾はどうじゃ?》

 まるで犬猫にするかのように、若草丸の下顎を撫でて上向かせ訊ねる妖斬妃に、若草丸は恍惚としながら告げた。

《妖斬妃さまの読み通り、町中には昨夜以前とは明らかに違う妖の気配があると報告がありました》

《そうかェ、そうかェ。やはり気になりだして動き出したかェ》

 袖を口元に当てて妖艶に笑う。

《本来であれば、直接ボクが妖刀使いを見つけたいところですが》

《仕方あるまい。本体からさほど離れられぬという契約があるからのォ。すまぬな。不便な思いをさせてしまって》

《そんな! 妖斬妃さまは何も悪くはありません。妖斬妃さまの決断に倣うと決めたのはボクの意志なのですから!》

《そう言うてくれると救われる》

《お役に立てて本望です!》

 頬に手を添えられ、撫でられ、労われ、尻尾があれば千切れんばかりに振りかねない情けない顔で喜ぶ若草丸に、「騙されてるぞ」と、思ったのは椿と境土。

 ただし、流し目のごとき色香を湛えた妖斬妃の目が境土に向けられれば、さすがの境土もごくりと唾を飲んで見返した。

「な、なんだ」

《いや。若草丸のことも利用して、ここに【揺り籠刀】がいるということを知らせたからのォ。下手をすればこの辺一帯が巻き込まれるかもしれんと思うてな》

「ああ。それか」

 どこか面白がっている妖斬妃に対し、境土は諦めたように手で顔を覆った。

「そいつに何か頼み事した時点でそうなりそうな予感はしてたよ」

《迷惑をかけるな》

「構わねぇよ。そいつがいながら俺はこの町の妖騒ぎを率先して解決しようとはしてなかったからな。その付けが来たと思えば問題ないさ」

《そうです。そうです。妖斬妃さまがお気になさることは一つとしてございません。こいつがこれまで怠け過ぎていたのですから》

「誰がだよ。俺は元々蕎麦屋がやりたかったんだよ。念願叶って蕎麦屋始めたんだから平穏な生活望んで何が悪い」

 と、卓上でバチバチと火花を散らす境土と若草丸を見て、

「何故、何もしなかった?」

「ん?」

 椿が、境土を睨み付けて問い掛けると、

「何故……て、言われてもなぁ」

 境土は顎を擦って天井を見上げた。

「下手に俺が動いた方が、余計なものを近づけるって知ったからかねぇ」

 口調は何でもないかのように軽いものだったが、椿は感情が焦げるような臭いをかぎ取った。

「【揺り籠刀】は鞘自体が二つ目の封印のようなものなんだな。刀身に封じられた若草丸そいつの力をさらに封じるための物。それがあるから、外に不要な力を漏らすこともない。だからだろうなァ」

「何がだ?」

「不用意に鞘から抜けない理由さ。下手に抜いてるとおかしなものが近づいて来る」

「だとしても、片っ端から斬り滅ぼして行けばいいだけのこと」

「確かにそうなんだけどな。そんなことをしてたら溜まり場所になっちまうだろ? ここ。そうなると、この近くを通る人間にだって悪影響を与えるようになる。だから、こいつは長いこと鞘に入れっぱなしにしておいて、ほら。あそこの神棚に御神刀として崇め奉ってやっていたんだよ。だって言うのに、こいつは四六時中あーだこーだ文句ばっか言いやがる。俺はその独り言を一切無視して客商売よ」

「邪魔なのか?」

「邪魔じゃねぇよ」

 否定は早かった。

「むしろ必要なモノさ。本当にどうにもならなくなりそうなときの最終手段ってのは、いつでも手元に置いておきたいものだろ? 守りたいときに守れず失うのは後味が悪過ぎるからな。だからな、嬢ちゃん」

「椿だ」

「お前さんの努力は認めるし、強さもまぁ、認める。実際どのぐらい動けるのかは知らないが、妖斬妃が認めるなら強いんだろうし」

《貴様! 何度様付けしろと言えば理解するんだ!》

「いいから。今いいところだから少し黙ってろ」

 噛み付かんばかりに抗議する若草丸を手で押しやって、境土は言う。椿の目をまっすぐと見て。

「己を極上の餌だと周知して、寄って来たところを一網打尽にする戦法はどうかと思うぜ?」

「……」

「やり方を否定されて機嫌悪くするのは自由だ。だがな、これまで無事だったからと言ってこれからも上手く行く保証はないんだ。志半ばで死にたくないだろ」

「当り前だ!」

「だったら、仲間を持つべきだ」

「妖斬妃がいる!」

「足りねぇよ」

「!」

 間髪入れず否定された。

「足りなさすぎる。たった二人でどこまで守れる?」

「守る?」

 思い掛けない問い掛けに、椿の眉間に皴がよる。

「これまでどんな状況であんたたちが【揺り籠刀】を取り戻して行ったかは知らないが、そこに無関係な一般人が巻き込まれたことはあるか?」

 問われて椿は唇を噛んだ。

「まぁ、巻き込まれないように人気のないところに誘導したとか、隠れ家的なところに攻め込んで奪って来たって話だったら、まぁ、巻き込まれる一般人も少ないだろうさ。でもな、頭を使う連中が相手になって来ると、そうそう思い通りには事は運ばなくなる。そうなったとき、たった二人で何が出来る? 自分たちの目的だけを叶えるなら、出来なくはないだろうさ。でも? その代償に無関係な輩が多く命を落とすことになっても、お嬢ちゃんは耐えられるか?」

 脳裏に、逃げ惑う村人たちの姿が鮮明に蘇った。

 これまでも何度となく夢に見る光景。忘れたくとも忘れられない光景。

 だからこそ、

「あなたに言われずとも分かっている!」

 椿は椅子を倒す勢いで立ち上がると、真っ向から境土を睨み下ろして叫んでいた。

(だからこそ、誰も巻き込みたくないんだ!)

 心の中で悲鳴のように叫んで、

「あなたたちに迷惑はかけるつもりはない! 失礼する!」

 踵を返して店の外へ。

《どこへ行くつもりだえ?》

 問い掛ける妖斬妃にただ一言。

「金森神社!」

 言うと同時にぴしゃりと障子を閉められて。

「行くのは良いが、道順を知ってるのか?」

 と、ぼやく境土に、

《すまぬが教えてもらえるかえ?》

 微苦笑を返す妖斬妃だった。


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