第七章『《妖斬妃》円舞』

(1)

 そこは出店の並ぶ賑やかな通りのはずだった。

 老いも若きも関係なく、富む者も貧しい者も関係なく、所狭しと立ち並んだ出店を冷かし楽しみ、憩う場所。

 心弾むお囃子が流れ、子供のせがむ声が上がり、客引きが呼び込みをし、甘味を頬張り、歓喜の声が上がる。土産物を何にしようかと悩む者。どうにか値切れぬものかと交渉する者。成功する者失敗する者。それを励ます者笑う者。様々な人々で賑わう場所。

 決して広いとは言えない通りと広場にひしめく数多の人々が集う場所。

 しかし今、その場に集いし者たちは、人に似て人にあらぬ者たち。

 力が強ければ強いほど、何故かその姿かたち見た目が人間と変わらなくなる《妖》と呼ばれる存在。その数。二百は下らない。

 ジリジリとジリジリと、包囲網を狭める妖たちが狙うのは、真紅に染まった太刀を手にした一人の少女。

 季節外れの桜の描かれた薄桃色の小振袖に藍色の袴に草履姿。頭には簪。顔に微笑みを浮かべれば、なんとも愛らしと思えるだろうが、着飾ることを良しとしない、厳しい眼差し。その小柄な体から発せられるのは激しい闘気。

 昼間の浮かれた陽気など皆無。

 今この場を支配しているのは張り詰めた緊張感。

 限界まで引き絞られた弓のごとく、下手な動きを見せた瞬間、弾けかねない殺意。

 一対多数。

 どう考えても椿が不利。

 しかし椿は背後に迫る妖たちを振り返りもしなかった。肩越しに見ることもなかった。

 見ているのはただ一人、離れて階段に座る市松柄の布を肩に掛けた男だけ。

 それでも妖たちはすぐに飛び掛かることはしなかった。

 ピリピリと張り詰めた椿の鬼気迫る闘気が許さなかった。

 まるで後ろにも目が付いているかのように、睨まれているかのように、息をするのも憚れるほどの威圧感。

 それを打ち破ったのは、『カーン』と打ち鳴らされた甲高い音。

 階段に腰掛け、高みの見物を決め込んだ男が、どこからともなく取り出した太刀の鞘を石階段に打ち付けた音。

 その、月明かりの元でもはっきりと主張する空色の鞘を見た瞬間、椿の目がカッと見開かれ。

「それを寄こせえええ!」

 弾かれたように動き出したとき、引き絞られた弓が矢を放つがごとく、妖たちを動かした。


『ギャッ』

 短い悲鳴を残して頭部を薙ぎ払われたのは、椿が二歩目に踏み込んだ瞬間に、上空から襲い掛かって来た翼のある妖。

 椿は二歩目に着いた足を軸にして旋回。一切の躊躇いもなく腕を振り抜く。

 真紅の太刀は赤光の軌跡を残し、豆腐を切断するかのように妖の頭部を切断した。

 その流れのままに、腰の鞘を左に持ち掲げれば、腕に鎌を生やした妖の一刀を防ぎ、その腹を引き裂き、すかさず後退。

 一歩二歩と飛ぶように後退したかと思うと一気に前進。

 背後で待ち構えていた妖の攻撃が空を切る中、

「はあああっ!」

 気合の声を上げて、前方から迫り来る妖に太刀を突き出す。

 妖のみぞおちに柄まで差し込み、さらに前進。二体を串刺しにして走るだけ走り、地面に爪を立て抵抗されたと分かるや否や、体を反転。強引に二体分の体を真横に引き裂いて刀の自由を取り戻す。

 一体そこにどれだけの膂力を必要とするものか。肉も骨も関係なく断ち切って、背後に迫っていた妖を斬る。

 黒い血しぶきを頭から被りつつ、椿は走る。

 鞘で受け止め、太刀を揮い。小柄な体を生かして懐に潜り込み、一閃。

 振り向きざまに切りつけ、時に背後を振り返ることなく太刀を突き出し串刺しに。

 好機とばかりに掴み掛って来る相手には、即座に逆手に握り直した太刀を、引き抜き様に体ごと回転させて、伸ばされた手を切断。

 痛みに悲鳴を上げる妖を無視して次の妖へ。

 圧倒的な数の差で攻め込まれているはずの椿だが、妖たちは椿のことを捕らえることが出来なかった。

 スルスルと妖たちの間をすり抜け掻い潜り、腹を腕を脚を背中を切り裂いて、あちらこちらで苦悶の声が上がる。

 腕が飛び、首が飛んだ。

 喉が裂け、腸の代わりに闇が落ちた。

 それでも椿は階段の男の元へは近づけなかった。

 二重三重の妖の壁が立ち塞がっていた。

 初めこそ油断めいたものがあったのだろう妖たちの目の色が変わっていた。

 同時に椿の足も止まる。

 鋭く左右に視線を走らせ、初めに飛び掛かって来た妖を縦に両断。

 がら空きになった背中を狙う妖の一体を仕留めるも、雪崩れ込まれた椿は後退を余儀なくされる。

 掴み掛らんとする数多の手を打ち払い、切り落とし、寸前のところで躱して逃げる。

 立ち塞がる者は切りつけ、少しでも距離を取ろうとするも、周辺は妖だらけ。

 体格はどれもこれも椿より大きく、人外の力を有する存在たちばかり。油断もなくなった妖の間を潜り抜けることは至難の業だった。

 それでも椿は逃げ回った。逃げながらも一体。また一体と戦力を削っていく。

 逃げながらのために満足に力の籠らない一撃は、致命傷を与えるものではなかったが、それでも腕が飛べば、足が切り裂かれれば、背中を割られれば、十分に痛手は与えられていた。

 妖どもの股下を滑り抜け、時に転がって躱し、左右に飛んでは方向を変え、翻弄する。

 一体どれだけの体力と集中力を有するものか。

 椿は口を大きく開けて、荒く速い呼吸を繰り返していた。

 喉がカラカラに乾いていた。肺腑が悲鳴を上げていた。

 喉が痛み、肺腑が痛む。

 腕が、肩が、重かった。

 妖を斬るたびに赤く輝きを増していく《妖斬妃》。

 だが、足りなかった。まだまだ足りなかった。

 体を濡らす汗が、冷や汗なのか脂汗なのかも分からない。

 着物が肌に張り付いていた。

 髪が顔に、首に張り付いていた。

 邪魔だった。動きにくかった。

 忌々しかった。鬱陶しかった。

 あの妖どもの奥に、【沈根】を持つ者がいる!

 一刻も早く取り戻したい衝動だけが強まった。

 折らずに持っていたことは褒めてもいいと椿は思う。

 これまでの間に、経緯は様々だが見つけたときには既に折られていた【揺り籠刀】も存在していた。目の前で腹いせに折られたこともあった。

 その時の喪失感と衝撃は、思い出しただけで腸が煮えくり返り、頭の中が白く染まるほどの怒りを連れて来る。

 今、それと同様の怒りが、衝動が、椿を突き動かしていた。

 足が重くとも、腕がしびれて来ていたとしても、肺腑が悲鳴を上げ、喉が痛みを訴えようとも、進むことを止めるわけにはいかなかった。

 目の前に。妖の囲いの向こうに、高みの見物を決め込んでいる憎むべき男がいるのだから。

 夜のせいで顔が見えなかったが、嗤っていることだけはしっかりと感じていた。

 椿がどんな目的でここへ来たのかを知っているが故に、悔しがっているであろうことを知っているが故に浮かべられた笑み。

 想像するだけで忌々しかった。

 それを手助けする妖たちが忌々しかった。

 限りなく人間に近い外見を有していながら、見るからに人間とは違うと分かる妖たち。

 肌の色が違った。耳の形が違った。目の色が違い、人間にあってはならない爪や牙が備わっていた。刃を生やし、翼を生やす者がいた。異常に筋肉の発達した者がいた。

 元は人間だった者もいるはずだった。

 妖憑きとなって自我を保ってここにいる者もいるはずだった。

 単純に共食いを繰り返して力を増した者も当然。

 それを見極めることは出来なかった。するつもりもなかった。

 元が人間であろうと、元々妖であろうと、椿にとってはただの障害。

 邪魔するものはすべて排除の対象となっていた。

「そこをどけええ!」

 椿が叫ぶ。

 疲労を蓄積し、休みたいと弱音を上げ始めている己自身をもどかすがごとく。

 一切の邪魔ものを排除せんとばかりに気合を放ち、数で押し勝とうと雪崩れ込んで来る妖たちに殴り込む。

 斬って斬って斬って斬って斬った。

 鞘で受け止め、足で蹴り上げ蹴り飛ばし。旋回し、すり抜け様に斬って行く。

 呼吸をしている暇はなかった。足を止める暇はなかった。

 とにかく動き続けなければならなかった。

 全身を目にし、見る前に体を動かす。目で追っていては間に合わなかった。

 もっと速く。もっと速く!

 己自身を叱咤する。

 頭に体が付いてこないのか、体に頭が付いてこないのか。

 己の理想が高過ぎて、叶えられない自身に苛立ちが募る。

 型も何もあったものではなかった。元々そんなものはなかった。

 様々な流派の教えをさらりと齧り、あとは見様見真似で身に着けてきた技術。

 荒削りの剣術。ただの真似事。それでも体は動いた。妖を斬ることは出来た。

 ただ、納得は出来なかった。ただの力技。大した力もないにも関わらず、力押ししか出来ないことが歯がゆく苛立つ。

 もっと速く。もっと滑らかに。もっと鋭く!

 理想とは程遠い無様な剣技で、足裁きで、椿は妖を斬る。

 真紅の刀身が徐々に徐々に明るさを増していく。

 だが、まだまだ足りない。

 相手も死に物狂いで襲い掛かる。腕の一本足の一本犠牲にしても、たとえ首を刎ねられたとしても、残った体が椿を捕らえんと動き回る。

 捕らえられるわけにはいかなかった。

 捕まったら最後。文字通り、最期。

 甚振る趣味などなければ、捕まった瞬間に椿の命は奪われる。

 小柄ながらに無茶な戦い方が出来るのは、ひとえに【妖斬妃】の適合者故のこと。

【妖斬妃】がなくば椿は動けず。椿が動けなくなれば【妖斬妃】も動けず。

 姿を現すことは出来ようとも、刀を揮うものがいなくなれば戦うことは出来ない。

 故に椿は捕らえられるわけにはいかなかった。

 あっ――と思った時には遅かった。

 倒れた妖を誤って踏みつけ、姿勢を崩す。

 足が滑って、地面に手を付いてしまったところを見逃す妖たちではなかった。

 強かに背中を蹴られて、手を付くことも出来ずに前のめりに地面をすべる。

 頬に痛みが走り、口の中に砂が入り、強い土の臭いが鼻を突き刺す。

 それでも、起きなければと反射的に地面に手を付くものの、その手を蹴り払われ、再び地面に顔を打てば、椿は反射的に素早く転がった。

 お陰で、直前まで椿がいた場所を妖の足が踏み抜いた。

 転がり避けていなければ、陥没させられていたのは地面ではなく、椿の背中。

 だが、転がる背中に衝撃が走って止められる。

 妖の足にぶつかったのだと理解するより早く、起き上がり様に刀を振り抜けば、手にはしっかりした感触が。

 刹那ドッと倒れる音と悲鳴が夜気を震わせ、妖がのたうち回る。

 それを、肩で息をし認めるも、無意識に鞘ごと挙げた左腕に衝撃が走り吹き飛ばされる。

 即座に身を起こした背中を蹴られる。前のめりに手を付く。腹を蹴り上げられて宙を飛ぶ。

 空中で込み上げて来たものを吐き出しながら、身をひねる。

 俺が喰うとでも言わんばかりに伸ばされた妖どもの手を睨み、落下しながらも刀を振り抜く構えを取る。

 何本かの腕を切り捨てて着地。旋回しながら刀を揮う。

 縦横無尽に考える暇もなく。ただ我武者羅に捕らわれてなるものかと動き回る。

 自分が息をしていないことすら気が付いていなかった。

 斬っても斬っても伸ばされて来る手は後を絶たず、押し寄せる殺意に押し潰されそうになっていた。

 ともすれば、油断すると鎌首をもたげて来る恐怖心が、必死の椿の頭の片隅に現れ始める。

 それを椿はきっぱり無視をした。

 考えている暇はなかった。相手の動きを見ている暇もなかった。勘だった。勘だけで体を動かしていた。一体いつ呼吸をしているのか自分自身でも分からない中、それは突然やって来た。

「え?」

 間の抜けた声が出ていた。

 油断していたつもりはなかった。

 気を抜いたつもりもなかった。

 だが、ドンと言う強い衝撃が背後から襲って来たかと思うと、椿は力の限り締め付けられていた。

 太い腕が容赦なく背後から椿の腹部を圧迫して来る。

 腕ごと抱き込まれた椿に抜け出す術はなかった。

 ミシミシと骨の鳴る音が聞こえて来た。

 内臓が飛び出すのではと思えるほどの締め付けだった。

 目の前に星が飛んだ。

 意味が分からなかった。

 何故こんなことになっているのか分からなかった。

 近寄って来る隙さえ与えていないはずだった。

 その上さらに、ガブリと横から首筋を噛まれたなら、

「ああああああああああっ!」

 堪えることなど出来なかった。

 押し止めていた恐怖心が一気に椿を塗り替えれば、

《じゃから、さっさと変われば良かったものを》

 場違いなほどに愉快気で、それでも少し呆れと同情を含んだ艶やかな声がした。

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