第三章『恋焦がれた相手』
(1)
「?」
柊は、自分が見たものが何だったのか、何度も目をこすって見上げていた。
長い紫色の髪をざっくりと簪でまとめた、蝶のごとき艶やかな柄の着物を纏った成人の女人だと思った。
だが、改めて見るとまるで似ても似つかぬ娘がそこにいた。
年の頃は十代半ば。前髪を眉の上で切り揃え、漆黒の長い髪を頭の上で一つに束ねたきつく冷たい表情の娘だった。
季節外れの桜が描かれた薄桃色の小振袖に、裾がボロボロになった藍色の袴に草履。
一体どこをどう見れば、かつて妖の群れから自分を救ってくれた恩人と重なるのか、全く柊は解らなかった。
それでも、その娘が持つ真紅の刀身の刀だけは同じだった。
あの時と全く同じ。【妖斬妃】と名乗った妖艶なる女人が振るっていたあの刀と。
そして、す――と上げられた顔を見たとき、柊は己の胸がキュゥと痛むのを感じた。
直後、どくどくと早鐘の如く打ち鳴り始めた心の臓を、柊は思わず押さえていた。
頭の中で誰かが何かを叫んでいた。
恐ろしい既視感が柊を襲っていた。
(なんでだ?)
問わずにはいられなかった。恐ろしく冷たい黒い瞳と目が合って、何故自分はこの娘のことを知っていると思ったのかが解らない。
これほどまでに冷たい目を持つ娘を忘れるはずがなかった。
それでも、
(俺は、この子を知っている?!)
妙な確信があった。
「あ――っ」
と、何か言おうと声を出すも後が続かない。
その間に、娘はスッと立ち上がり、左右へ視線を走らせた。
つられて柊も視線を移せば、畳の上にはボロボロに刃こぼれしていながら、点々と空を写し取ったかのような目の覚める青色が散った刀が、真っ二つになって落ちていた。
それこそあの妖が【妖刀】と呼ばれる存在だったという証拠。
刀の持ち主の弱い心に寄生し、その心が弱く妬みや嫉み、憎しみが強いほどに強さを増す妖。
そして、その刀の持ち主の心を反映する姿で具現化し、命が尽きると霧散する妖とは異なり、古びた刀の姿を晒すモノ。
脳裏にまざまざと、突然現れた妖の姿を思い出す。
痩せ衰えた犬のような妖。
柊は、娘越しに四之助を見た。
四之助は、顔面を蒼白にして明らかに怯え、震えていた。
――負け犬。
ふと浮かんだ言葉。卑屈な心が形作った犬の妖。
それを一刀の下に両断され、滅ぼされ、四之助は震えていた。
いや、それに追い打ちをかけたのは、目に見えぬはずの怒りの焔が突如燃え上がったかのような殺意を撒き散らした娘のせい。
柊ですら、思わず体を竦ませるほどの殺気だった。
体が震え、思わず片膝を付いていた。
そして、四之助を締め上げていたソハヤですら、顔を引きつらせていた。
小柄な娘の体のどこからこれほどまでの殺気が出て来るのか。
座敷は、完全に娘の支配下に置かれていた。
娘の許可がなければ、呼吸をすることすら憚れる。
そんな世界の中で、娘は柄のついている方の刀の残骸を拾い上げ、刹那柊を見下ろした後、興味をなくしたかのようにまっすぐに四之助に向かって歩みを進めた。
左手に折れた刀。
右手に真紅の刀身の太刀――と思しき刀を持ったまま。
「ひっ」
と、四之助が小さな悲鳴を上げる。
娘が近づく分、後ろに逃げようとする。が、背後にはソハヤがいるせいで逃げられないはずだった。
だが、娘の気配に気圧されたソハヤ自身も思わず後ずさっていたのだろう。四之助は僅かながら後ずされたものの。
「こいつを・いったい・どこで・付与された?」
器からはみ出した怒りを無理矢理にでも圧縮したような冷たく低い声だった。
四之助の前にしゃがみ込み、折れた刀を四之助の喉元に突き付けて問う。
娘の体のせいで四之助の様子は全く見えない。
それでも柊には見えていた。顔面蒼白になり、目が零れ落ちそうなほどに見開いて震えまくっている様を。
「おい。聞いているか?
「そ、それは……」
「言わぬのであれば、次の瞬間、貴様の命、貰い受ける。言え。こいつを・一体・どこで・手に入れた?」
「そ、それは、も、貰ったんだ」
「どこで」
「か、
「いつ」
「ひ、一月前」
「どんな奴だ」
「お、男……」
「特徴は」
「あ、頭から布を被っていたから、顔は、わ、解からない。でも!」
グイッと刀を押し付けられたのだろう。四之助は大声を上げて、思いとどまらせるように続けた。
「せ、背丈は五尺半。こ、声は若そうだった。か、顔は本当に判らないが、左顎に火傷の跡があった」
「っち」
と、忌々しげに娘は舌打ちをした。
「で? 刀は?」
「は?」
「刀は持っていたのか?」
「わ、解からない! 本当だ! お、俺は相手の顔を見てないんだ! そ、そいつは、首を括ろうとしていた俺の前に、と、突然現れて、悩みがあるなら聞いてやると」
「で?」
「お、俺は話した。どうして死のうとしていたのか。俺は……」
「あんたの理由なんて知ったことじゃない」
バッサリと切って捨てられ、二の句が継げなくなる。
「そいつは話を聞いた後にどうした」
「い、良いものをくれてやると」
「で?」
「その男は、お、俺の胸にトンと手を当てて、もう少し生きてみれば面白いものが見られると」
「で?」
「そ、それだけだ。後は、どういう意味か解らないと問い掛ける俺を残して、いなくなった」
「――庇っているわけではないな」
「庇ってない! 庇ってない! 本当にそれ以降会ったことはないんだ! そのうち、何かに騙されたんじゃないかと思うようになって、何が起きたのか考えていたら、あいつらに怯えて自分が死ぬ意味がないんじゃないかと思うようになって、それで!」
「どうでもいい。何か特徴はないか」
「と、特徴?」
「布を被っていたのだろ。どんな布だ」
「どんな……って」
「模様は。色は。長さは」
「も、模様は、い、市松模様。色は青と黒。目深に被っていて、裾は足首まで届いていた」
「話し言葉に訛りは」
「な、なかったように思う」
「どこに行くか言っていたか」
「い、いや」
「だろうな」
取り付く島もないほどに突き放した言い様だった。
それでも、娘が知りたいことは知れたのだろう。
娘はゆっくりと立ち上がった。
その後、顎に手でも添えているのだろう。暫しその場に立ち尽くすと、何事もなかったかのように歩き出した。
刹那、
「待ってください!」
思わず柊は声を上げていた。
「なんだ」
と、予想を裏切って娘は足を止めて振り返った。
その冷たい目を見て、柊は一瞬言葉に詰まる。
だが、行かせてはいけないという衝動に突き動かされ、意を決して柊は訊ねた。
「ど、どこかで会ったことはありませんか?!」
今度はすぐに返事はなかった。
真っ向から見据えられ、居心地の悪さを感じるも、
「知らんな」
温もりの欠片もない冷たい答え。
それは目に見えぬ矢となって柊の心の臓を貫いた。
思った以上に傷ついたことに大きな衝撃を受けた中で、
「で、では、お名前を!」
続けて問い掛けられたことは奇跡だっただろう。
対して、娘は告げた。
「私の名は――【妖斬妃】」
「妖斬妃?!」
「妖どもを喰らう名だ」
その言葉を残し、あっさりと踵を返して歩き出す妖斬妃を、本当はすぐにでも柊は追いかけたかった。
だが、長らく忘れることのできなかった恩人の名を聞いて、似ても似つかぬ娘に重なったあのときの姿が幻などではなかったのだと知って、歓喜に打ち震えた柊は動けなくなっていた。
ようやく逢えたことに、逢えた奇跡に、涙を流して、動けなかった。
その耳に、どかどかと複数の足音が聞こえて来ると、
「大丈夫か?!」
「生きてるか?!」
応援に駆け付けた戍狩と、戍狩を連れて来た光来の声を最後に、柊の意識も遠退いた。
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