身近にあった出会い
〈5〉
男性は、博学な友人の指示通りに布切れに手を伸ばし端をつかんだ。
女性は、怖い話が好きな友人の指示通りに布切れの端をつかんだ。
同時につかまれた布切れ。男性が少し外側に引いた。
「キャー」
布がクローゼットの内側に引かれた感触を得た彼女は、大声を出し思わず引っ張り返す。それと同時に逆の手に持っていた塩を布に掛けた。
「……お、おい、女性の声が聞こえたぞ」
布をつかんだまま引っ張り返された感触を得た男性が思わず声を上げた。
「な、何? 男の人の声が聞こえたような」
女性は恐怖でお尻から床にへたりこんだ。手が硬直して布から離れない。
「ワーム・ホールの向こうからか? まさか」
男性は冷静だった。マンガ本をたくさん読んできたおかげで耐性があった。そこで、思い切って確認することにした。
「つかぬことをお聞きしますが、そちらはどこなのでしょう!?」
女性の耳にはハッキリとした声が聞こえた。恐怖で震えが止まらない。しかし、その声はあまりに普通の男性の声。まさか、クローゼットの中に誰かいる?
「ど、どこって。あなたこそ、私の部屋のクローゼットの中で何をしているんですか!」
精一杯の威勢を張るが、声は激しく震えている。
「クローゼット? そんなところと繋がっているのですね。これは信じがたいことだ」
男性の声は嬉しそうだ。
「私の部屋は和室です。クローゼットはありません。あなたの声はふすまの押し入れの中から聞こえています」
女性の声があまりに震えているので、安心させようと男性は努めて明るい声を出した。
「そんな、突拍子もないことが信じられますか! 不法侵入です。今、クローゼット開けます」
不審者なら、開けるのは正しい判断ではないが、女性は確実な事が知りたくて仕方がなくなっていた。
「待ってください! それは、大変は大事になる可能性があります。少しだけ私の話を聞いてください」
大声で制した。
「クローゼットから男の声がして、さぞかし怖い気持ちでしょう。しかし、それは私も一緒です。私のほうは、ふすまの向こうの押し入れの中から女性の声がしているのです。状況は同じなのです」
女性はその場面を空想してみた。確かにその体験は恐怖だ。
「今のところ、お互いの状況を証明することはできないのです」
「いいえ、開けてみれば確認できますわ」
女性は納得できない様子だ。
「私の仮説を聞いてください。私は大学時代に少々、物理学を学んでおりまして……」
学んでいたことは確かだが、語った理屈は博学な友人からの受け売りだった。
「なるほど。その説が正しいと、開けないほうがいいってわけね」
完全に信じたわけではないが、根拠があることを知り安堵した。
「昨日はあなたの声や物音が聞こえなったけど、どうしてでしょう?」
「私なりの仮説があります。おそらく、両者が同時に布を握った場合にだけ音声でのやり取りが出来るのではないでしょうか?」
男性は突然、ひらめいた仮説を披露した。
「この先、どうすればいいと思いますか?」
女性から恐怖が少しずつ消えていった。男性の声が誠実、かつ、少々間が抜けていたのが功を奏していた。
「我々は運命共同体だと思うのです」
「……なんの運命なのです?」
男性は事象の謎を解きたい思いがあったが、それ以上に相手の女性と会ってみたくなった。人見知りの彼にとっては大きな挑戦だった。頭の中で必死に方策を練る。
「不可思議な現象を解明するため選ばれた戦士ってことです」
「戦士って……フフフッ。あなた、マンガの読み過ぎですよ」
女性は思わず吹き出してしまった。男性に届いた女性の笑い声は、新鮮で心が踊るものだった。
「若い女性に突然、名前や連絡先を聞くわけにいきません。なので、私の聞くことに『はい』か『いいえ』で答えていただけますか?」
男性は女性の承諾を得たあと、自分の住んでいる地域と最寄り駅の駅名を言った。
「その辺りまで来ることはできますか?」
「はい、電車で一時間ほどです」
「明日は土曜日、私は休日です。先ほど申した駅の近くの喫茶店に午後一時にいます。奥の席に座っています」
「私に来てほしいと?」
「はい。気が向かないなら結構です。この場で返事をしていただかなくていいです。もし、あなたが来なくても私は気にしません。そして、今後、布切れには触れないようにします」
「少し……考えます」
「ありがとうございます。そろそろ切りますね」
「切るって、電話じゃないのに……」
女性はまたクスクスと笑った。そして、「私も切りますね」と言って布切れから手を離した。彼女は、少しだけ頭を整理してから改めて友人に電話をした。
「どうだった、お祓い終了した?」
「ええ、滞りなく」
「良かった。これで安心」
「でさ、明日の午前なのだけど空いている? 服を買いたいのだけど付き合ってくれないかな」
友人は最新のファッションに明るい。これほど突飛な現象を通じて人と会うのは変だと分かっていた。しかし、なぜか楽しみになっていた。
「あなた、清楚で可愛いのにいつも地味な服ばっかり。私がばっちり選んであげる」
快諾を得た女性は、待ち合せ場所を決めて電話を切った。それから、クローゼット前の床に散らばった塩をふき取った。
「選ばれた戦士……って」
女性は思い出し笑いをしながらソファーに座ると、お気に入りのドラマを再生した。
(了)
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