元ノラ猫、決心する

 最初の一カ月は地獄だった。檻からは出られたけど、部屋にずっと閉じ込められていた。


 お食事は十分にいただけたので良かったけれど。


 あとは、部屋の隅でおしっこしたら怒られたっけ。そのたびに、砂の入った箱につれていかれた。


 息子さんの足音も怖かった。ドタドタと大きな音で駆け寄ってこられると、びっくりして物陰に隠れた。


 そう、一度だけ檻に入れられて外に連れて行かれた。


 後から知ったのだけど、あれは医者というものらしい。ノラ猫のアタシが病気をしていないか検査したのだ。


 そんな感じの始まりだったけれど、次第に慣れてきた。足音は気にならなくなったし、おしっこも箱の中でするようになった。


 人に触ら得ても気にならなくなった。


 むしろ撫でられると、気持ちがいい。外では感じなかった感触。


 慣れてくると、和室から出してもらえるようになった。


 二階建てのお宅は意外と広く、走り回ることができた。


 公園よりは狭いけど、ベランダの手すりに乗っかかると外も見える。


 でも、ちょっと悲しいこともあった。


 ここに来て、数か月経ったころだったと思う。その日も、ベランダから外を眺めていた。


「あっ、猫!」


 下を横切る猫を見つけた。トラ猫! 公園でいつも一緒だったトラ猫だった。


「ニャー」


 思わず声を掛けたの。気付いたトラ猫がベランダを見上げた。少し驚いた表情で目を丸くしていた。


「ニャ―」


 トラ猫は目を輝かせて返事をした。


 でも、アタシは掛け寄ることはできない。トラ猫も登ってこられない。


 少しだけその場にいたトラ猫。そのあと、悲しそうな目をして去っていった。


 その日はちょっと悲しい気持ちになった。


 毎日、ベランダから外を見るけど、トラ猫は二度と現れなかった。


◇◇


 パパさんとママさんと息子さんに囲まれる生活は楽しい。


 夏は涼しいし、冬は暖かいし、可愛いと言ってくれる。 


 不自由のない生活。


 でも……昔のように公園を走り回ったのは楽しかったかな。虫を取ったりして。


 窓が開いてると……出られると思うと、ちょっと昔を想像しちゃう。


 トラ猫のことも気になる。


 ちょっとだけ外に出て、また戻ってくるという方法もある。


 うん、それもあり。


 でも、ちょっと待って。もう一年も外に出ていない。ちょっと遠くに行ってしまうと戻れないかもしれない。


 庭だけなら出てもいい?


 うん、それはいいかも。


 でも、突然、ママさんが帰ってくるかもしれない。時々、忘れ物をして帰ってくることもある。


 そのタイミングでアタシが庭に出ていたら……。


「あんずちゃん。あなた、やっぱりお外がいいのね。じゃあ、もう入ってこなくていいわよ!」


 そう言って、窓を閉めてしまうかもしれない。

 

 うーん。どうしよう。


 出るなら、戻らないくらいの決心がいる。


 うーん。うーん。


 窓のから入ってくる空気は冷たいけれど、新鮮で魅力的。


 うーん。うーん。うーん……。


 よし、決めた!!


◇◇


「ただいま」


 夕方、一番に帰宅したママさんの声が玄関から響く。


「ふう、疲れた、疲れた」


 独り言を口にしながらダイニングの扉を開ける。


「暗くなってきたので、雨戸をおろしましょう」


 そう言って、窓際に近寄る。


「あれ、鍵が閉まってない……朝、急いでたので閉め忘れたのね」


 窓を開けて雨戸をおろす。


「窓を開けっ放しにしてなくて、良かった。もし開いてたら大変……」


 そして、鼻歌を歌いながら、キッチンへ向かう。


 皿にあんずが好きなおやつを入れる。


「あんずちゃん、おやつ!」


 皿をコツコツ叩く。


 ドドドと走る音がする。


「にゃー」


 あんずは、どこからともなく現れ、いつものように喉をゴロゴロいわせながらおやつを食べ始めた。


――出れば良かったかな?


 あんずには一抹の後悔は残っていた。


 窓が開いていると、出たい衝動が大きくなる。


 その衝動を断ち切るために、あんずは窓のふちに手を掛けて必死で閉めたのだ。


――泥棒が入ると困るし


 そう言い訳をしながら。


――もう、開けっ放しはやめてね


 ママさんをチラッと見たあんずは、再びおやつを食べ始めた。


(了)

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『扉』にまつわるエトセトラ 松本タケル @matu3980454

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