気になって仕方ない

〈3〉

 翌日も男性は大量のマンガ本を買って帰った。その日は金曜日。週末かけて読めるほどの冊数を買って帰るのが通例だった。


「週末、読みまくるぞ」


 人気のマンガの百巻目だ。すぐに読んでしまうのが勿体ない。既刊をいくらか遡って読んでから最新刊に進むか悩み始めていた。


 袋に入った大量のマンガ本をドサッと畳の上に置いた。その勢いが小さい空気の波となり室内に広がった。


「おや?」


 男性の視野の端に何かがなびいた。目を向けると、それは白い布切れ。ふすまの隙間から少しだけ顔をのぞかせている。


 前日はそれほど気にしなかったが、改めて考えると不自然だ。


「これは何の布だ?」


 男性は顔を近づけて観察した。レースにも見えるが刺繍ししゅうがあるわけではない。女性もののワンピースか? とも思った。しかし、交際相手がいたのは五年以上も前だ。しかも、その女性は部屋に入ったことはない。


 両親が何かを片付けたのか? しかし、両親は三十歳の超える息子の部屋に決して入らなかった。前日はそれほど不審に思わなかった男性だが、いよいよ気になり始めた。


 机の引き出しからルーペを持ち出し、スタンドを近付けて観察し始めた。しかし、手がかりは得られない。「ふすまを開けてしまえばいい」と頭をよぎるが、なぜかそうしてはいけない気がした。

 そこで、男性は数少ない職場の友人に電話を掛けることにした。博学で何でも良く知っている同世代の友人だ。電話口に出た友人に事情を話した。


「それは、もしかすると……」


 友人は言いにくそうに言葉を濁す。


「何だよ。はっきり言ってくれよ」


 もったいぶる友人に男性はいら立ち始めた。


「それは、ワーム・ホールかもしれんぞ」


「ワーム・ホール?」


 SFマンガで見たことがあるワードだ。しかし、細かい理屈を気にせずに読んでいる男性は、それがどう布切れに繋がるのか分からない。


「離れた空間同士をつなぐ穴みたいなものだ」


「ふすまの向こうが別の空間と繋がっているということか?」


 余りに突飛な意見で男性の声が上ずる。


「そうことだ。どこか別の部屋の押し入れに繋がっているのだ。お前の知らない服か何かは、向こうの空間にある物なのだよ」


「そんな話、信じられない。開けてみれば分かることだ」

 男性はふすまに手を掛けた。


「待て、待て! それはいかん」


 電話口から響く友人の大声に思わず手を止めた。


「開けると時空が避けてしまうぞ!」


「どういうことだ?」


「地球、いいや、この銀河系がのみ込まれるかもしれん! 診断する必要がある。君、少しだけその布を引っ張ってみてくれないか? 私は原因の調査のため、一旦、電話を切る。追って報告してくれ」


 友人は一方的に電話を切ってしまった。男性は半信半疑で布切れに手を伸ばした。


〈4〉

 翌日、女性は残業のため目当てのドラマの開始時間に帰宅できなかった。開始から十数分、経過した時点で帰宅した彼女は諦めて録画を見ることにした。


 エアコン暖房を入れる。そして、室内着に着替えて夕食の準備を始めた。その日は給料日だったので少し高めのステーキ肉と、小さなケーキを買って帰った。ドラマを見ながら食べられないのが残念だが仕方がない。


 ケーキを冷蔵庫に入れて、ステーキ肉を焼き始める。美容と健康のために野菜を切りサラダも作る。お盆にのせて部屋に運び、ソファーの前にあるテーブルに置く。テレビをつけると、何やら怖そうな番組が放送されている。心霊スポットを巡る番組。


 彼女は怖がりであるため決してその手の番組を見ない。実家暮らしだと誰かいるので良かったが、一人暮らしで見る勇気はない。


 急いで別のチャネルに切替えた瞬間、ふと、クローゼットに視線が行く。


「そういえば……」


 前日に気になった白い布切れ。それは相変わらずはみ出したままだった。こんな色の服は持っていない……。改めてそれを確認した彼女は怖くなってきた。


 もしかして、自分がいない間に誰かが入って何かを置いていったのか? もしかして入ってきたのは人じゃないなんてことも! 怖い番組を目にしてしまった彼女は妄想が膨らみ始めた。観察したい気持ちもあったが、恐怖のために近付くことができなくなっていた。


 彼女はすがる思いで、学生時代の女友達に電話を掛けた。


「どうした?」


 友人が間の抜けた声で電話口に出る。勤め先に同世代がいないため、その友人とは良く電話で話すし、会うこともあった。


「ちょっと、助けて欲しくて」


 友人は、彼女の震える声にただならぬ雰囲気を感じて、真剣に聞くことにした。彼女、前日から気付いた布切れについて説明した。


「どうしたらいいと思う?」


 ソファーから立ち上がれない彼女は、次の行動を友人に任せることにした。


「脅かすわけじゃないけど、それ、すぐ対策しないと大変なことになるよ」


 真剣な声から決して冗談ではないことが分かる。


「『白紙さん』って知ってる?」


「な、何それ……」


「知らない? 今、巷で流れている噂。ある日、ポストに白い紙が入っているのだって。何も書いてない真っ白い紙。大きさはハガキくらい」


「……」


「その紙が来たら、すぐにお祓いしないと大変な事が起こるって。実際に命に係わるような事態も……」


「やめてよ。そもそも紙じゃなくて、布だよ。ポストでもないし」

「家に届くって点じゃ、同じでしょ」


「お祓いって言っていたけど、それって対策があるってこと?」


「そうそう、思い出した。対策があるって」


「何? 早く教えて!」


「まず塩を一つまみ用意する。そして、紙の端を持った瞬間に、それを掛けて『白紙さん、お帰りください』って言うの」


「ありがとう。やってみる」


「わ、私はこの辺で切る。あとで報告して」


 友人は一方的に電話を切ってしまった。電話をしたまま実行したかった彼女は不安になった。友人は自分に悪いことが起こるのを避けたかったのだろう。


 女性は台所に行き小さい皿に塩を少し入れてから、忍び足でクローゼットに近付いた。そして、白い布切れにおそるおそる手を伸ばした。

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