第27話 あの子の終わりのお祝いに
目を覚ましたシルキィは、体を起こす。
「う……うぅっ……」
腹部から走る強い痛みに、彼女は思わずうめき声をあげた。
包帯は巻かれているが、血は止まっている。
すぐにここが詰め所の一室だということも理解した。
(私、助かったんだ……)
さすがにクリドーに刺された時は死んだと思った。
生きていること自体は喜ぶべきなのだろうが、無傷の右腕を見ると清濁入り混じった複雑な感情が湧き上がる。
「おはよう、シルキィ。朝になる前に目を覚ましてよかったわ」
ルーシュは読んでいた本を閉じ、シルキィのベッドに歩み寄る。
「また助けられちゃった……」
「安心して、事が終わったらしっかり料金を請求させてもらうから」
「あはは、払えるよう頑張るね」
いかにもルーシュらしい言葉に、シルキィは笑う。
しかし控えめに笑ったつもりでも、やはり腹が痛む。
「ある程度は治療できたけど、完治までにはあと数時間はかかるわ。それまでは無茶をしないように――と言いたいところだけど」
「何かあったの?」
「アスカって子が、すでに仕掛けてきているらしいの。ギュオールや数人の兵士が消されたそうよ」
「そんな、ギュオールが……」
後ろ盾になってくれるはずだった人物が、死んだ。
もはやシルキィたちは、個人として戦うしかないのである。
「安全な場所があるって言ってたはずなのに」
「その程度の守りは軽く突破されるってことでしょうね。オーグメントって想像以上に厄介だわ。この調子だと、朝になる前にシルキィ以外はみんな消されてしまうかも」
「……」
「そうならないように、できるだけ固まって行動しましょう。いざ目の前に現れたら、アングラズがどうにかしてくれるそうだから」
「確かにアングラズさんは強いけど、勝てるのかな……」
「さあ。ただ、彼で無理ならわたくしたちに勝ち目はないでしょうね」
シルキィはふいに、自らの右腕に触れた。
ここに封じられているオーグメントを解放すれば、あるいは明日香に勝てるかもしれない。
だが、一度解き放った今ならわかる。
あれは制御できるものではない。
次、解放されたら――シルキィもろとも、周囲にいる人間を食い荒らすだろう。
前回止まってくれたのは、何らかの“都合のいい偶然”、あるいは“奇跡”のような何かが起きたからだ、と彼女は考えている。
(最善は全員が生き残ること。次にいいのは、私だけが死ぬこと……そのためなら、私は)
少なくともファムとルーシュは、完全に巻き込まれただけの被害者だ。
彼女たちが死ぬようなことがあってはならない。
「何か背負い込んでるわね」
「へ?」
「顔に出てるわよ。もしかしてわたくしたちのこと心配してくれてる?」
「それは、もちろん」
「そこも安心していいわよ。わたくしはファムの命を誰よりも優先するわ。いざとなれば、容赦なくあなたのこと見捨てて逃げるから」
「ルーシュさんのそういうとこ、素敵だと思う」
「普通、嫌うところでしょう」
「そうかなぁ。ファムさんとかも好きって言うと思うけど」
「言わないわよぉ、そこまで素直じゃないもの」
「そんな感じなんだ」
「甘ったるい関係が楽しめるのは最初のうちだけよ」
非常に実感の籠った言葉だった。
とはいえ、シルキィから見ると、ファムとルーシュの関係も十分に甘く見えるのだが。
おそらく当たり前になりすぎて麻痺しているに違いない。
「これぐらい話せるなら、フウカを呼んできても良さそうね」
「待って、自分で行くから」
「無理はしないほうが――」
「明日香が近くにいるのに、寝てるわけにはいかないよ」
「……そうね、どこにいたって危険なことに変わりはないもの」
生か死かのこの状況において、怪我の痛みなど些細な問題なのかもしれない。
どうせ寝たところで、向上するのは元からある人間の自己治癒力だけ。
魔法により向上された分は、立って歩いても変わらず肉体を癒やし続けるのだから。
シルキィはベッドから降りると、痛みに少し顔を歪めた。
だが歩くのは問題ないらしく、ルーシュの肩も借りずに、自らの足で部屋を出た。
◇◇◇
アングラズたちのいる部屋には、開門作業を行っていた兵士が報告に戻ってきていた。
消えたのは詰め所の周囲で警戒していた兵士だけだったらしい。
「お前らは家族を連れてイニティから逃げろ。今日1日は絶対に戻ってくるんじゃねえ」
指示を仰いだ兵士に、アングラズは言った。
もちろん兵士は戸惑う。
「すでにオーグメントによる死者が出ている。ただの人間がこの街に残ったところで、できることなんざ何もねえんだよ」
「でしたら住民の避難を――」
「下手に大衆を動かせば、犠牲者が増える可能性がある。俺の判断が確実とは言えねえが、相手の狙いはあくまで一人だ。騒ぎを大きくすれば、相手に暴れる理由を与えちまう可能性もある」
「ですが……」
「雇い主に命を捧げるのは柄じゃねえだろ。いいから逃げとけ、他の連中にも同じことを伝えろ。これは命令だ。いいな?」
「……はい」
悔しそうに肩を落とし、兵士は部屋を出ていく。
足音が遠ざかっていくと、少し距離をとって見ていたフウカが口を開いた。
「いい上司だな」
「そうか? 雇い主のギュオールが死んだことは黙ってたがな」
「あーしは賢明な判断だと思ったけどね。無駄に混乱が広がっちゃうもん」
「どうせ時間が経てば領主の死はバレちまう、隠せるのは今だけだ」
「それまでにアスカの件はケリをつけたいところだな」
どのみち、殺されるなら一瞬の相手だ。
こちらが殺すにしても、一瞬で終わらせるしかない。
戦いはそう長引かないだろう。
兵士の足音が完全に聞こえなくなったあと、それと言われ変わるように別の足音が近づいてきた。
いちいち音に反応してしまうのは、明日香を意識して神経が研ぎ澄まされているからだろう。
だが、部屋に入ってきたのはシルキィとルーシュだった。
フウカは椅子から勢いよく立ち上がり、シルキィに駆け寄る。
「シルキィ、体は平気なのか!?」
「まだ痛いけど、動くのには問題ない」
「そうか……よかった」
フウカはシルキィの体を優しく抱きしめた。
その体温に包まれていると、シルキィは痛みが少しは和らぐような気がした。
するとアングラズが、恋人の腕の中で目を細める彼女に声をかける。
「アスカってやつと直に喋ったらしいな。どんな内容だったんだ?」
「あの赤い顔の化物が、私と一緒にこの世界に連れてこられた仲間たちで、普段は明日香の腕の中にいることとか。あとは……アザルド軍は私の奪還を命じたけど、明日香は私を殺したがってること、とか」
それを聞いて、アングラズの眉間のシワが深くなった。
「命令を無視してんのか。動機が個人的怨恨だとするなら、厄介だな」
「すっごい執念深そうだよねー」
「シルキィの親友だというのに、なぜ殺そうとするんだ! やはり施設で心まで壊されてしまったのか?」
「……いや、明日香は正気なのかも」
「だったらなぜ……」
「明日香には明日香なりの理由があって、私は幸せになるために死ぬべきだと思ってる。私がこの世界で生き続けるのは不幸だって、確信してるんだよ」
そしてシルキィはその理由に心当たりがある。
この右腕だ。
明日香はシルキィより長く施設にいたのだ、この腕のことだってより詳しく知っているのだろう。
理解できるからこその、葛藤――唇を噛むシルキィに、ルーシュはこともなげに言った。
「相手の事情なんてどうでもいいじゃない。シルキィは生きたいんでしょう? だったらそのために全力を尽くすべきよ」
「ルーシュの言うとおりだ。私は、シルキィが死ぬなんて耐えられない……」
捨てられた子犬のように、弱々しくシルキィの肩に顔を埋めるフウカ。
シルキィは「フウカ……」と名前を呼びながら、その頭を撫でた。
「シルキィ、その後はどうなったんだ? アスカと別れてからクリドーが現れたのか? それともアスカがいる間に?」
アングラズはなおも追求を止めない。
時間が無いのだ、フウカが落ち着くのを待つ暇などなかった。
「後だよ。アスカとの話が終わったあと、フウカを連れて戻ろうとした私を急に襲ってきたんだ」
「ほう……じゃああの周辺の建物がぶっ壊れたのはどのタイミングなんだ?」
「それは――」
シルキィはわずかに言葉に詰まった。
正直に話すべきなのか、今もまだ迷っている。
フウカならきっと受け入れてくれるだろう。
だが、シルキィの感情として、あんな姿をフウカに見せたくない。
それに、仮にあれがシルキィの攻撃的な感情によって誘発されるものなら、気をつけていれば二度と表に出てくることはないはずだ。
加えて、もしフウカたちを守るためにこの力を使うことになるのなら――前もって伝えれば、特にフウカは全力で止めようとするだろう。
(……今は、まだ)
いずれは話す必要がある。
しかし今ではない。
シルキィが沈黙していると、アングラズの目つきが鋭くなる。
「話すと都合の悪いことでもあったか?」
「ううん。思い出すと、うまく言葉が出てこなかっただけ。すごく恐ろしい光景だったから」
「見たんだな、オーグメントの力を」
「まるで個別に意思を持ってるみたいに暴れまわってた。伸びたり縮んだりするから間合いも関係ないし、枝分かれして触手を伸ばしたりもしてたよ。石造りの建物ぐらいなら簡単に壊れてたから、人間なんてもっと簡単に……」
シルキィは自分の身に起きた出来事を、あたかも明日香がやったかのように語る。
実体験なので具体性があり、かつ話すのも憚られるような恐ろしい光景――という言い分も自然だ。
誰も疑ったりはしなかった。
「速度だけならまだしも、リーチも向こうのほうが上か……広い場所だと俺が不利だな」
アングラズは、すぐさま“自分ならどう戦うか”考える方にリソースを回した。
最も強く疑念を向けてきそうな彼からの追求が止まり、安堵するシルキィ。
話も落ち着いたところで、彼女は自ら話題を変えた。
「明日香が来る前に、一度クリドーと話しておきたいんだけど、生きてる?」
「重傷だが生きてはいるらしい」
顔をあげたフウカが答えた。
相変わらず、至近距離で見つめられると反射的に胸が高鳴ってしまう美しさだ。
「でも消えちゃった人もいるし、牢屋の囚人たちも今ごろ同じ目に会ってたりしてね」
「あっさり死なれるのも癪ねえ」
「確認も兼ねて見に行ってもいいかもな」
「どうかな、アングラズさん」
「固まって移動するなら問題ねえか。俺が先導する、ついてこい」
アングラズの案内で、五人はまとまって地下牢へと移動することにした。
◇◇◇
地下牢は相変わらずジメッとしており、地上より空気が冷たい。
シルキィとフウカが使っていた牢には、現在誰も入っていない。
穴を埋めるのが間に合わなかったらしい。
その他の牢に入れられた囚人たちは、みな寝息を立てている。
「さすがに無事みたいね」
「殺す必要ないからかな」
ルーシュとファムが言った通り、今のところ欠けた囚人はいないようだ。
クリドーは、そんな地下牢の最奥あたりに収監されていた。
彼はボロ布のような布団の上に仰向きで横たわり、全身を冷や汗で濡らしながら呻いている。
だが人の気配に気付いたのか、薄っすらと目を開く。
「お、お前……ら……!」
シルキィの顔を見た途端、今にも死にそうだった顔に、生気が宿る。
這いずるように鉄格子に近づくと、その隙間に顔を押し当て、目を見開き叫んだ。
「よくもやってくれたな! 化物……がッ! なあ騙されるな、そいつだ! シルキィがっ、化物だったんだよぉ!」
「うわ、反省なしじゃん」
「もうちょっとまともな男だと思ってたんだけどね」
これにはファムとルーシュも引かずにはいられない。
少なくとも冒険者としてパーティを組んでいる間は、鼻につくがそこまでの悪人には見えなかった。
金に目がくらんだ結果、ここまで歪んでしまったのだろうか。
「信じてくれよぉ手んてん何で、僕がこんな目にぃ……」
「……サミーさんを殺したのは自分だよね。それを私に押し付けおいて“何で”ってよく言えたね」
「僕は……『勇者』なんだ。人々を救うために、魔物とぉ、もっと戦わなきゃいけないんだ! げほっ、げほっ」
「なら人殺しなどしなければよかった」
フウカが冷たく言い放つと、クリドーはいとも簡単に反論できなくなる。
頭では自分のせいだとわかっているのだろう。
だが行き着くところまで来てしまった今、もはや恨み節以外の言葉を出したところで、何か人生が好転するわけでもない。
「どうやら、こいつに謝罪なんざ期待したって無駄らしいな」
「……うん。もういいかな」
追い詰められた今なら、命乞いでもいいので何か聞けるかもしれないと思っていた。
それだけって自己満足の範疇だ。
ここまでさんざんひどい目に合ってきたのだから、少しぐらいすっきりしたっていいじゃないか――と、そう思っていた。
だが、そんな淡い期待すら無駄になるほど、クリドーは頭の天辺からつま先まで
諦めたシルキィは牢屋に背中を向ける。
他の面々も一斉に興味を失い離れようとすると、突然クリドーはルーシュに呼びかけた。
「な、なあ、せめて魔法ぐらいかけてくれないか。痛いんだよ……苦しんだよぉっ。ルーシュ、ファム、お前ら仲間だよなぁ!?」
もちろんそんな言葉に彼女が反応するわけもなく、無視して歩く。
「ぐわあぁあっ! 痛い、痛いよぉ。このままじゃ、罪を裁かれる前に死んでしまうぅ……頼むぅ、助けてくれえぇえ……」
今度は情に訴えるつもりらしい。
もちろん効果はない。
「……はぇ? あ、ま、待ってくれ! 今度は本当にっ、本当にまずいんだ! 助けてくれぇ! 殺される、化物にっ、あいつに殺されるぅぅうっ!」
挙句の果てには、まるで明日香が現れたかのような演技まで始める始末。
だが今度はなかなかの演技力だ。
思わず足を止めてしまうほどに。
「ああぁぁああああっ! 頭がっ、頭が割れるぅううう!」
そして、ゴスッ! と何かが壁に叩きつけられる音がした。
演出にしては生々しすぎる。
シルキィは走ってクリドーの牢の前まで戻った。
「明日香……!?」
鉄格子の向こうにいたのは、右腕でクリドーの頭を鷲掴みにする明日香。
アングラズはとっさにハルバードを構える。
フウカ、ファム、ルーシュも戦闘態勢を取るが、明日香の殺意はクリドーにだけ向けられていた。
「繭ちゃんが怪我しててびっくりしちゃった。私がいなくなったあと、あなたがやったんだってね」
「いぎいぃいいっ! や、やめっ、やめへっ」
ミシミシッ、と頭蓋骨がひしゃげる音がする。
「どうせ殺すなら私が殺したいのに、台無しになったらどうするつもり?」
「たひゅけてぇえっ! み、見てないでっ、たのむぅうう! 謝るからっ! ごめんなひゃいっ! 僕が、僕がわるかっ――」
「反省なし。救いようがないね」
ぐしゃり、と――くす玉が割れるように、クリドーの頭部は握りつぶされ、中身がぶちまけられた。
支えを失った首から下がどさりと落ち、赤い液体と、ピンクの半固体が、ぼたぼたと床を汚す。
明日香が異形の右腕に付着した液体を振り払うと、こびりついていた骨の破片や歯がシルキィたちの足元にまで飛び散った。
誰もが言葉を失う中、明日香がゆっくりとシルキィのほうを見る。
すると、アングラズが大きな声をあげた。
「お前ら下がれ、俺がやるッ!」
「違うよ、まだ早い」
「姿を現したんならやり合うしかねえだろうが!」
そうして威嚇する彼も、明日香の発する気配に違和感を覚えていた。
まるで殺意が感じられない。
クリドーに対しては、たしかに人間らしい怒りを向けている様子だったのに。
「朝になったらって約束だったから、夜が明けたらまた来るね」
「今やっても……同じじゃないの?」
明日香はふるふると首を振って否定した。
「だって繭ちゃん、まだみんなとお別れできてないもん。ちゃんとさよならを告げて、一人で私のことを待っててほしいな。少しでも悲しい思いをしないために」
肩が触れるほど近くにいるフウカを指差してそう言うと、彼女は壁に溶けるようにして姿を消した。
「舐めた真似しやがって……ッ!」
アングラズはこめかみに血管を浮かべ、怒りを露わにしながら、拳で壁を砕く。
◇◇◇
地上の部屋に戻ったシルキィたちは、ほぼ無言で朝が来るのを待った。
明日香のあの余裕は、明らかに勝利を確信した者のそれだ。
シルキィは不安で仕方ない。
明日香の言う通り、ここから逃げて、街の外で彼女の“迎え”を待った方がいいのかもしれない。
そうすれば、最初から誰も巻き込まないで済む。
けど、その場合でも、フウカは施設に連れ戻されてしまうだろう。
他の人間やオーグリスの扱いを考えれば、彼女は潰されて、人間の形をしていない別のなにかに変えられてしまう可能性が高い。
それでは、意味がないのだ。
だが、だからといって巻き込まれる人を増やすようなやり方では――
「全員、俺から離れてろ」
夜明けを直前に控え、アングラズがそう告げた。
彼の手には、薬の入った袋が握られている。
シルキィ、フウカ、ファム、ルーシュの四人は、言われれるがまま、部屋の隅に集まる。
アングラズが薬を飲み込むと、肌が赤みを帯び、体温が上昇しているのが見て取れた。
さらに筋肉が盛り上がり、全身に血管が浮かび上がる。
目は血走り、呼吸は荒くなり、終いには体が湯気が出るほど代謝が活性化していく。
窓の外では、空の色が変わり始めていた。
彼は愛用の斧槍を両手で握ると、部屋の中央に向かって穂先を向けた。
「……来い」
その言葉に呼ばれるように、テーブルの上にごとりと人間の生首が落ちる。
目を見開き、苦痛の中で息絶えたギュオールのものだ。
その首には、例の赤いペンダントが下げられていた。
そして――
「“おはよう”、繭ちゃん」
シルキィの前に、明日香が姿を現す。
「うおぉああぁぁあアアアアアッ!」
アングラズは獣じみた咆哮で空気を震わせながら、彼女に斬りかかった。
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