第3話 捕まって初めてわかる自分の能力
まるで体温を噛みしめるように、フウカは手を繋いだまま黙り込む。
すると彼女は急に顔をあげたかと思ったら、控えめの声で目の前にシルキィに問いかけた。
「ここから逃げるつもりか?」
「無実を証明するにはそれしかないよ。フウカも一緒にどう?」
「私は……もう、大丈夫だ。外の世界に未練は無い」
「でもっ」
「だがシルキィが傷つくのは困る。だから脱走の手伝いをしたい」
フウカはそういっておもむろに立ち上がると、先ほどまで自分が座っていた場所に移動する。
そしてクッション代わりに、お尻と背中の下に敷いていた薄い布をめくった。
露わになった石壁には削ったような形跡があり、わずかだが凹んでいる。
「それは?」
「さっきアングラズが言っていた前の囚人……彼女が穴を空けられないかと試していたんだ」
そう話すフウカの手には、鉄のスプーンが握られていた。
「ま、まさか、それで削るってこと?」
「ああ、心もとないが道具なんてこれぐらいしか……」
食事のときに与えられるスプーンを、何らかの手段で隠し持っていた、ということだろう。
「幸いにも、衛兵たちは怖がって私の牢の中に入ろうとしない。私が壁になれば穴は隠せる」
「な、なるほど……」
シルキィにスプーンが手渡される。
女の子が手で握っても、さほど大きいとは感じないサイズだ。
(これで穴を……?)
彼女はまじまじとスプーンを見つめた。
とても正気の沙汰とは思えない。
時間をかければ不可能ではないのだろうが――おそらくシルキィの処刑までは3日か4日程度の猶予しかない。
それまでに、この先がどこに繋がっているかもわからない壁に、穴を空けるというのか。
(やってやる……って言いたいところだけど、無理じゃない?)
それが正直な感想だった。
まだ他の方法で鉄格子を開いて、全力で逃げ出す方が成功率が高いように思えるが――その先には、強いらしいフウカでも勝てないという、さらに強いアングラズが待っているわけで。
かといって部屋を見回しても、ダクトや窓のような抜け道にできそうなものはない。
「私も手伝えたらよかったんだが……」
無言で困惑するシルキィの反応を受けてか、フウカは申し訳無さそうに口を開く。
「拳で壁を砕いても限界がある。音で衛兵に気づかれたら意味がないし、何より力を使うとまたシルキィの血を求めてしまうかもしれない」
「いいよ、フウカが落ち込まなくても。逃げるのは私なんだもん。スプーンありがとう、できる限りやってみる」
「そうか……衛兵の見回りのタイミングは把握している。見張りは任せてほしい」
胸に手を当て、真剣な眼差しでフウカは言った。
こうなってしまうと、もうやるしかない。
シルキィはスプーンを握ったまま四つん這いで壁まで移動する。
そして、前の囚人が削ったという場所の目の前までやってきた。
(たったこれだけしか掘れてないのに、スプーンのほうはもう変形してる。絶対に無理だよこれ……でも)
いざここまで来てみると、なぜだか無理ではないような気がしてくる。
蹴られた手は痛いし、匂いはひどいし、お腹は空いたし、とにかくシルキィはボロボロなのだが、そのせいで一周回ってテンションが上がってしまっているのかもしれない。
やる気のある今のうちに、第一歩を踏み出さなければ――彼女は意を決して、腕を振り上げ、スプーンを壁に叩きつける。
ガキンッ、と固い音がして、手に鈍いしびれが走った。
壁は――これっぽっちも削れていない。
(……やっぱ無理じゃない?)
改めてそう痛感する。
早速心が折れかけたシルキィは、フウカのほうを見た。
彼女は鉄格子にしがみつき、外の兵士の動きを察知しようと一生懸命だ。
だがシルキィの視線に気付いたのか、ふいにこちらを振り向く。
そして目が合うと、ぐっと拳を握って顔で『頑張れ!』と伝えてきた。
(見た目は賢そうだけど、意外とそうでもないのかもしれない……)
シルキィは何気に失礼なことを考えながら、仕方なく再び壁と向き合う。
そして腕を振り上げ、無心で壁を削り続けた。
しばらく続けていると、少しずつだが石壁が砕けはじめる。
(お……角度次第なのかな。それに全力で叩けばいいってわけでもないみたい)
当人はコツを掴んだと思っているようだ。
そのおかげか、ただの単純作業も少しずつ楽しくなってきて、腕の痺れも気にならなくなってくる。
(このあたりから壁も柔らかくなってきた。この穴の先がどこに繋がっているのかわからないけど――きっと、逃げ道はこの先にある)
かれこれ30分ほど、シルキィは集中して穴を堀り続けた。
ちょうどそのとき、フウカが彼女の肩を掴む。
「もう衛兵が来る、穴を隠してくれ!」
「へ?」
シルキィが呆けた声を出す。
同時に、焦るフウカの言う通り、衛兵の足音が近づいてくるのが聞こえた。
(やばっ。集中しすぎて聞こえてなかったんだ!)
大慌てで布で穴を隠し、フウカがそこに座る。
そしてシルキィは転がるように彼女から離れ、生きる気力も無くなったかのように横たわった。
土で汚れてしまった顔を隠すためでもある。
そして兵士が牢屋の前にやってくる。
彼は二人の様子を軽く観察すると、そのまま踵を返し遠ざかっていった。
シルキィは横になったまま、「危なかったぁ……」と胸をなでおろす。
フウカも大きく息を吐きだした。
「何度呼んでも反応が無いから肝が冷えたぞ」
「ごめん……集中しすぎちゃって」
「まあ、見つからなかったならいい。それよりも――」
彼女が布を剥がすと、そこには人の頭から肩までが入る程度の穴ができていた。
「短時間で、ここまでできるのか?」
「確かに改めて見てみると、結構大きくなったねぇ……少し掘り進めたら、壁のほうが柔らかくなったんだ。石は薄くて、その向こうは土なんだと思う」
「私が試してみても?」
「もちろんいいよ」
フウカは試しにスプーンを握ると、穴の最奥に向かって叩きつけた。
ガギッ、という音がして、彼女は顔をしかめる。
「いや、とてもじゃないが掘れないぞ……」
オーグリスは魔力を使わずとも、基本的な身体能力でも人間を上回る。
そんな彼女が力を込めて振り下ろしたスプーンは、壁に傷を入れるのが精一杯だった。
「私から勧めておいて何だが、普通はこんな速度では無理だと思う」
「そう? 貸して貸して」
今度はシルキィがスプーンを持ち、穴の中に顔を突っ込む。
突き立てた先端部分から感じるのは、硬めのアイスに刺さったときぐらいの抵抗感だった。
「ほら、掘れたよ」
その様子を見ていたフウカは、眉間にシワを寄せ唸る。
「普通じゃないな。シルキィのジョブが関係してるんじゃないか?」
「『逃亡者』が?」
「そんなジョブだったのか。身なりからして冒険者だったから、てっきり戦闘職だと思っていたが」
「私も同じジョブの人に会ったことないんだ。私が持ってるスキルは、『逃走確率100%』っていう、効果もよくわかんないし、使い道がありそうで無いやつだけだけど……」
「スキルが無くとも、特定の状況で力を発揮するジョブは他にもある。農民は畑を耕すときに、道具を軽く感じるというからな。シルキィの場合、“逃げようとする”ときに力が発揮されるのかもしれない」
「逃げるときに……強くなる……」
自分の両手のひらを見つめるシルキィ。
なんだかすごそうな能力だが――
「戦うときに強くなりたいのに、逃げるときしか強くなれないんだ……」
やはり絶妙に汎用性の無い能力であった。
「だが今はそれが頼もしい。この調子で掘り進めば、やがてどこかにつながるかもしれない」
少なくとも穴を掘るのは不可能ではなくなった。
ここは地下牢、その先に何かがあるという確証はない。
だが、野垂れ死にを待つよりは、あがくという選択肢があるだけ気持ちは楽である。
「また掘ってみるね、見張りはお願い」
「ああ、任された」
それに、シルキィには『必ずこの先にはなにかある』という、明確に言葉にしづらい“感覚”ようなものがあった。
ひょっとすると、それもまた『逃亡者』の能力なのかもしれない。
彼女は再び穴に頭を突っ込むと、スプーンでの削岩を再開した。
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