第2話 逃げ出すにはうってつけの場所

 



 囚えられたシルキィは、両手に枷を付けられたまま地下牢に投獄された。


 連れてきた衛兵は乱暴に彼女を投げ捨て、鍵を閉めるとニヤニヤと笑う。




「私っ、本当に何もしてないんですっ! お願いします信じてください!」




 鉄格子にしがみつき、必死で訴えかけるシルキィ。


 もちろん犯罪者の戯言に衛兵が耳を貸す訳もなく――




「悪人はみんなそうやって言い訳するんだよ。強盗殺人なんて重罪を犯しちまったんだ、諦めて処刑されるんだな」


「そんな……」


「だが、処刑も手間がかかる。その前に死んでくれたほうが都合がいい」


「自殺しろって言うんですか!?」


「違う違う。後ろを見てみな」




 言われるがまま、彼女は振り向く。


 そこには壁にもたれかかる、同い年ぐらいの少女の姿があった。


 髪は赤みがかった銀色で、肌は白い。


 数日――あるいはもっと前から閉じ込められているためか、薄汚れていたし、身につけているのはボロ布一枚だった。


 それでも「うわ、綺麗……」とシルキィがつぶやいてしまう程度には、惹きつけられるものがあった。


 しかし彼女は気づく。


 少女の頭から、角のようなものが生えていることに。




「鬼?」


「ああ、人喰い鬼だ。オーグリス族って言えばわかるだろ」


「なんでしたっけそれ……?」


「知らねえのか? 山奥に生息してるっていう人喰い種族だよ。街に潜んでたところ、俺らの隊長がとっ捕まえたのさ。もう何日も喰ってなくて腹を空かせてる。そこに新鮮な餌が来たんだ。あとは……わかるだろ?」




 わからない。わかりたくない。


 だが――鬼はシルキィの存在に気付いたのか、顔を上げ、赤い瞳でじっと彼女を見つめた。


 鉄格子を掴む腕が恐怖に震える。




「ま、待ってくださいっ。本当に、本当に私、何もやってなくてぇ! 調べたらわかるはずなんです! 調べる前に死ぬなんて嫌ですっ! 死ぬにしても食べられたくないですー!」


「うるせえな、どうせ死ぬんだから大人しく受け入れろ!」




 衛兵は鉄格子に絡まった指を、外から足裏で蹴りつけた。


 ゴリッと何かが砕けたような感触と共に、強烈な痛みがシルキィを襲う。




「いっだぁああ!」




 彼女は思わず声をあげて、床に倒れ込み、痛む手を抱き込むように体を丸めた。


 衛兵は「いい気味だ」と吐き捨て、牢の前から去っていく。




「ううぅ。なんで私が……まだ罰を受け足りないっていうの……?」




 目をぎゅっと閉じて、痛みの波が過ぎ去るまで耐えるシルキィ。


 すると背中のほうから、誰かの気配が近づいてきた。


 人喰い鬼――オーグリスの少女が、四つん這いでにじり寄ってきている。




「あ、あの、私を食べても、おいしくないですよ?」


「ふー……ふうぅ……」




 鼻息荒く近づいてくるその姿は、まるで血に飢えた獣のようだ。


 とても人の言葉が通じる状態にも見えない。


 そもそも、オーグリス族とは人なのか、それとも魔物なのか――それすらシルキィはよく知らなかった。


 だがどうやら、人喰いであることは事実らしい。


 銀髪の少女はシルキィに馬乗りになると、赤い瞳を見開いて獲物を凝視する。




(すごく綺麗な人……)




 シルキィは一周回って冷静になっていた。


 もうどうあがいても生き延びることはできそうにない、なら諦めるのが利口というもの。




(こんな綺麗な人に食べられて死ぬなら、幸せな方なのかな)




 目を閉じて、身を任せる。


 すると少女の体温が首筋に近づき――「んぁ」と口を開くと同時に声が聞こえた。


 ちょっと可愛いな、なんて思っていると、直後に牙が突き刺さる。




「づぅ……ぐ、くうぅっ……」




 鋭い先端が皮膚を破り、肉に沈み、開いた穴から熱があふれ出す。


 諦めた――そうは言ったものの、いざ死を実感すると無性に怖くなって、全身がこわばった。


 歯がカタカタと鳴って、手足が震えて、血の気が引いていく。




(ああ……私、死ぬんだ)




 そして意識が遠のき――彼女の意識は闇に閉ざされた。


 思ったよりも苦しまずに済んで、少し安心した。




 ◇◇◇




 シルキィが次に目を覚ましたとき、彼女の頭は柔らかな感触に支えられていた。


 牢獄の冷たくてジメッとした床ではない。


 高級ホテルを思わせる、暖かくて、甘い香りのする極上の枕だ。




(天国だこれ……よかった、地獄に堕ちないで)




 大真面目にそんなことを思った。


 目を開いたら、きっと可愛らしい天使が飛び回るお花畑が目の前に広がっているに違いない。




「目が覚めたか?」




 なるほど、確かに可愛らしい天使のような顔をした少女はいた。


 だが残念ながら、彼女は人喰い鬼である。


 シルキィはさっと血の気が引いて、顔が青ざめていくのがわかった。




「ひょっ、ひょわあぁぁああああっ!」




 思わず奇声を上げて体を起こし、鬼から距離を取る。


 その反応は当たり前なのだが、鬼はしょんぼりと肩を落とした。




「はぁ……はぁ……はぁ……わ、私、生きてる……食べられて、ない……?」


「すまなかった。私としたことが、いくら飢えていたからと言って人を襲うなんて……」


「言葉、通じてる?」


「もちろんだ。あのときは魔力が欠乏していて、理性が飛んでしまったのだ」




 あのときのような獣の殺気は感じられない。


 そもそも、シルキィはしばらく意識を失っていたのだ。


 その間、食べるどころか、心配して様子を見ていてくれていた。




「も、もう、食べない?」




 ……と言っても、やはり怖いものは怖い。


 恐る恐るそう尋ねると、鬼は真っ直ぐにシルキィを見て答える。




「二度と襲ったりはしない。血も……貰ってしまったからな」




 そう言われて、シルキィは噛みつかれたことを思い出し、拘束された手で首筋に触れる。


 だがそこに傷口はもう残っていなかった。




「傷は塞いだ。自己治癒力を上げる魔法も、簡単なものなら使えるんだ」


「どうも……ありがとう?」




 そう言ってから、お礼を言うのはおかしいと気づく。


 鬼も同じように感じたのか、きょとんとした顔をしたかと思うと、柔らかに微笑んだ。




「あ、いや、ほら、たぶん、膝枕もしてもらってたみたいだから!」




 そう慌てて付け加えるも、やはり変であることは変わりない。




「私のような貧相な膝で満足してもらえたのならよかったが」


「貧相じゃないよ! また使いたいと思ったぐらいだし!」


「ふふっ、それはそれで恥ずかしいがな」




 口元に手を当て、肩を震わせ笑う姿もまた麗しく――




(本当にすっごい美人さん)




 恐ろしい存在だとわかっていても、そう思わずには居られないほど、彼女は美しかった。




「私はフウカという。知っての通りオーグリス族だ」


「私は……シルキィ」


「シルキィか、かわいらしい名前だな」


「ふ、フウカこそ、風情があって……素敵だと思う」


「はは、ありがとう。そんなことを言ってもらったのは初めてだよ」




 もちろんシルキィも言ったのは初めてだった。


 緊張でうまく頭が回ってないのだ。


 フウカは喜んでいるようなので、結果オーライではあるようだが。




「改めてシルキィには謝罪したい……すまなかった。オーグリス族は魔力が欠乏すると、理性を失って人を襲ってしまうことがあるんだ」


「じゃあ、人喰い種族っていうのは……」


「事実だ」




 びくっと身構えるシルキィ。


 頭では悪いことをしているとわかっていても、体が反応してしまうのである。




「私は二世代目だからか、人食衝動は少し弱まっている。今のところは血を吸えば収まるんだ」


「血を吸うのは、魔力を補充するため、ってこと?」


「そうなるな」




 ひとまず、この場でシルキィが殺される、というわけではないらしい。


 ……フウカの言葉を信じるのなら、だが。


 となると、問題は処刑のほうだ。


 強盗殺人――確かにそれらの罪が事実なら、殺されるのもやむなしである。


 もちろんシルキィにそのような記憶はない。


 そもそもいつ、誰が殺されたかすら知らないのだから。




「ところで、シルキィはなぜこんな場所へ?」


「殺人の濡れ衣を着せられちゃって……」


「それは大変だな」


「信じてくれるの?」


「襲われたというのに、オーグリスである私とこうして言葉を交わしてくれているんだ。なら私もシルキィを信じよう」




 あまりにまっすぐすぎる言葉と視線に、シルキィのほうが恥ずかしくなってしまう。


 彼女は頬をほんのり染めながら、わずかに目線を外し、誤魔化すように問いかける。




「その……フウカのほうは、なんでここに?」


「私はオーグリスだからな。普段はフードで角を隠しているが、見つかってしまえば捕まるものだ」


「捕まったら、そのあとどうなるの?」


「処刑されると思っていたが、拘留されてしばらく経っている。ひょっとすると、物好きな金持ちに売られるのかもしれないな」


「何も悪いことしてないのに?」


「人類にとってみれば、オーグリスは存在そのものが悪だ」




 寂しそうにフウカは語る。




「最後の一人として二年ほど逃げ回っていたが、そろそろ潮時だろう。このまま朽ち果てるのも悪くない」


「そう、なんだ……」




 確かに人喰い種族は恐ろしい、人間が恐れる理由もわかる。


 だからといって、何の罪も犯していないのに捕まる理由にはならない。


 しかもフウカは、人を喰らわずとも血を吸えば生き延びられるのだから。


 だが、所詮は出会ったばかりの他人である。


 シルキィ自身も余裕が無い今、無責任に前向きな言葉をかけることもできなかった。


 不自由な両手で膝を抱え座り込む彼女は、無言で目を伏せ、冷たくじめっとした石床を見つめる。




「そんな悲しそうな顔をしないでくれ」


「……してた?」


「ああ、見ているこちらが辛くなるぐらいにな」


「だって、本当に人を食べるわけじゃないんだし」


「シルキィは変わっているんだな。普通はオーグリスと聞いたら、みな無条件で顔を真っ青にして怯えるというのに」


「生まれが遠い国だから、あんまり知らないのかも」


「どこで生まれたんだ?」


「一生帰れないぐらい遠い場所……たぶん東の方にあるんだと思う」


「曖昧だな」


「離れすぎて、どこにあるのかもわからなくなっちゃったから」




 それでも、思い出すと胸が締め付けられる。


 半ば変えるのを諦めていると言っても、望郷の念は消えないものである。


 それはシルキィだけではない。


 きっと、フウカも諦めただけで、ここで終わりたいと思っているわけではないはずだ。


 そのとき、シルキィはふと気付いた。




「オーグリスって、体は普通の人間と同じなの?」


「魔力を使えば、身体能力は何倍にも跳ね上がるな」


「だったら逃げられるんじゃない? ほら、私と違って両手も自由みたいだし」




 そう、フウカには腕の枷が無いのだ。


 それだけで、動きの自由度にはかなりの差がある。


 しかし、彼女は「ああ……」とため息交じりに相槌を打った。




「確かに、私に拘束具が無いのは、その気になれば破壊できるからだ。だが――」




 フウカがなぜ逃げないのか、その理由を語ろうとしたとき――鉄格子の向こうから、低い男の声がした。




「俺の目の前で脱獄の作戦会議か? いい度胸をしているな、女」




 シルキィが声のほうに目を向けると、顎に短いひげを生やした、赤髪の男が立っている。


 彼は、通常の物より一回り以上大きいハルバードを背負っていた。




「アングラズ……わかっているさ、お前がいる限り逃げられないことは」




 フウカは彼に向かってそう言った。


 どうやら、彼女が脱走しない理由がこの男にあるらしい。


 確かに、目が合うだけで体がすくむほどの迫力がある。


 身長も見上げるほど大きく、腕も足も筋骨隆々としており、シルキィぐらいなら簡単に握りつぶせそうだ。




「シルキィと言ったか。この牢に入れられたと報告を受けて、とっくに死んでいると思ったがな。それどころかオーグリスと仲良く歓談とは、強盗殺人を犯す女は度胸が違うな」


「私はやってない! だいたい、死んだ人って誰なの? それすら知らないのに!」


「これは驚いた、ペンダントしか眼中に無かったってことか」


「本当に知らないの!」


「誰が信じる。凶器も、奪った物もお前が持っていたんだろう?」


「そんなものっ……本当に私がやったんなら、あんなわかりやすく持ち運んだりしないよ!」


「なるほどなぁ。なら今度、一流犯罪者の手法というやつを教えてくれ。処刑台に行く途中にでもな」




 アングラズは、シルキィの言葉を一切聞き入れず、牢屋の前から去っていく。


 しかし途中で足を止め、




「ああ、一つ伝え忘れていたことがあった」




 そうわざとらしく言った。


 振り返った彼は、冷たい眼をフウカに向けながら告げる。




「前に同じ牢にいた囚人が、その女に食い殺されたばかりだ。人喰い鬼の言うことなんて信じるなよ」




 今度こそアングラズの足音は止まることなく遠ざかっていく。


 シルキィは、『そんなことないよね?』という気持ちを込めて、フウカのほうを見た。


 否定してほしかったのだ。


 しかし彼女は俯き、黙り込むばかりだった。




「い、今の話……本当?」




 恐る恐る尋ねると、フウカは首を振った。




「わからない。意識が戻ったら、目の前に彼女の死体があったんだ。アングラズとの戦いで魔力を消耗していたので、理性を失ったうちに、と言われたら……」




 オーグリスは魔力が欠乏すると、理性が失われる。


 その間に食い殺してしまっていれば、覚えていない可能性もあるわけだ。


 シルキィは辛そうに語るフウカに近づき、無垢に笑った。




「じゃあフウカはやってないね」


「え……?」




 顔を上げ、フウカは困惑する。


 対するシルキィは迷いなく言い切った。




「だってあんな意地悪なことわざわざ言うようなやつだもん。きっとフウカに嫌がらせするために、そう思い込ませようとしてるんだよ」


「それで……いいのか?」


「それでいいの」




 フウカへの信頼というよりは、衛兵への不信感のほうが大きいのかも知れない。


 だが、それでもシルキィの言葉は彼女にとっての救いにはなる。




「シルキィは……変なやつだな。私が出会ったどんな人間よりも」




 シルキィの手を両手で包み込むように握るフウカ。


 彼女は目を潤ませながら微笑む。




(なんて澄んだ笑顔……こんな人が人喰い鬼だなんて信じられるわけないよ)




 シルキィは軽く手を握り返す。




(このまま死ぬわけにはいかない、なんとかして逃げ出さないと)




 そうして脱獄を決意すると、体に力が湧いてくるような気がした。



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