第23話 手と手を繋いで奈落の君へ

 



 燃え広がる炎、そして立ち込める煙から逃げるように、シルキィたちは屋敷から出た。


 そして魔法を使える兵士たちが、消火活動にあたる。


 アングラズも、斧槍で屋敷を破壊するという方法で手伝っているようだが、ストレス解消に利用しているだけのようにも見えた。


 シルキィは屋敷から出てもずっとフウカに抱きしめられたままだ。


 だが、どうやらフウカは水魔法も使えるらしい。


 消火に向かうべきか、それともシルキィと共にいるべきか、ちらりと視界の端に揺れる炎を見ながら悩んでいる様子だった。




「行ってきて、フウカ。私は大丈夫だから」




 シルキィは穏やかに微笑んで言ったつもりだった。


 だが、フウカはなぜか不安そうな表情になる。


 そう、シルキィは気付いていないのだ。


 自分がうまく笑顔を作れていないことに。


 確かに、目の前で起きた爆発は恐ろしかっただろう。


 タムガルにたどり着くまでの間に、肉体的にも精神的にも疲弊したはずだ。


 しかし――




(私にはとても大丈夫なように見えないよ、シルキィ)




 それ以上に、彼女の心は弱っている。


 フウカにはそう思えてならなかった。


 するとファムが、彼女を軽く茶化すように行った。




「付き合いたてだから心配なのはわかるよ」


「そういうわけではっ」


「いーのいーの。あーしとルーシュが見ててあげるからさ、行ってきなよ」


「その間にわたくしが傷の治療もしておくわ」


「……そうか」




 ルーシュにまで背中を押されてしまっては、向かわないわけにもいかない。


 後ろ髪を引かれる思いで、フウカは屋敷へ向かう。


 そして彼女が離れた途端、シルキィはうめき、顔をしかめた。




「やせ我慢してたのね」


「だって……心配、かけたくないから……」


「かけといていーと思うけど。ま、今は消火を優先させたい気持ちはわかるけどさ」


「とりあえず横になりなさい、治療するから」


「うん……」




 シルキィの傷は小さいが深い。


 すでに“逃走時”という条件が解けた以上、痛みを和らげるスキルも発動していないのだ。


 おそらく本当は、立っているのがやっとなのだろう。


 彼女が芝生の上に横たわると、ルーシュが体に手をかざす。


 放たれた淡い光が全身を包んでいく。


 傷の数が多いため、必要なのは局所的な治癒魔法ではなく、全体を癒やす魔法だ。


 その代わり効果は薄くなるが、光に包まれていると、それだけで痛みが和らぐような気がした。




「それにしてもあいつら、結局なにがしたかったんだろうね」




 ファムが近くの地面に腰掛け、未だ火のあがる屋敷のほうを見て言った。


 ルーシュは治療を続けながら答える。




「クリドーも勝手に逃げ込んできただけでしょうし、匿っていたのは想定外だったはずよね」


「クリドー……逃げていったって、兵士の人が……」


「言ってたわねえ。あいつ、『勇者』のくせに逃げ足がやけに早いのよ」


「シルキィちゃんに色々言ってたくせにさ、結局あいつが一番のビビリなんじゃん」




 衛兵たちもクリドーの足取りを追っているようだが、今のところ捕まったという話は無い。


 もっとも、最初は彼を捕らえるのが主な目的だったが、あの化物に襲われた時点で変わっていた気もする。


 結果として、何か知っていそうなタムガルが生き残ったのだから、突入作戦自体は成功したと言ってもいいだろう。




「タムガルのやつ、あそこで休んでるみたいだし、何が起きてたのか聞いてこよっかなー」


「ぜひお願いしたいわね」


「お願いされた!」




 謎の敬礼ポーズを取って、勢いよく立ち上がるファム。


 彼女は駆け足でタムガルに近寄ると、人懐っこく声をかける。


 どうやら彼は、まだ爆弾の恐怖から立ち直れていないらしく、かなり青ざめた顔をしていた。


 だが自分を救ってくれた恩義もあるからか、会話自体はまっとうに成立しているように見える。




「こういうとき、ファムの馴れ馴れしさが役に立つのよね」


「ファムさんとルーシュさんは、お互いに支え合ってるって感じがする」


「あなたとフウカもお似合いよ」


「でもまだ、出会って日も浅いから。私たちはこれからって感じで」


「そうねぇ、時間の差はどうしてもすぐ埋められるものではないわ」




 ファムとルーシュとの差。


 明日香との差。


 フウカと過ごした時間は短く、濃密だが、それだけに付け焼き刃な部分があって。


 シルキィが今、“伝えるべきか”と悩んでいることだってそうだ。


 彼女自身、なぜ悩んでいるのかわからない。




『屋敷の東にある路地で、待ってるから。必ず一人で来てね』




 そんな見え見えの罠に、なぜ“乗ろう”と考えてしまうのか。


 明日香の声だからか。


 まだ彼女が普通に生きていて、元の関係に戻れるんじゃないかと夢を見ているのか。


 馬鹿らしい。


 そう思うのに、希望を抱くのをやめられない。




「悩んでるわね」


「ごめん」


「いきなり謝られても困るわ。でも、フウカもわかってたみたいよ


「わかってる……私も、隠せてないなって自覚はあったから」


「不器用ねえ」


「こんなこと初めてで、どうしていいかわからないの」


「状況が特殊すぎるもの、うまくやれる人なんていないわ」


「でも……うまくやらないと」


「最善手を見つけるのは難しい、未来なんて誰にもわからないわ。けど、見える範囲なら予想することぐらいできるんじゃないかしら」




 ルーシュは、同じパーティのメンバーとして、というよりは――先輩から後輩へのエールのつもりで語る。




「届かない誰かを想うより、届く誰かに伝えることが大事だと私は思うの」




 ファムと生きてきた時間で、何度も間違って、すれ違うことだってあった。


 今となっては、その失敗も二人の絆を強める糧にできている。


 だがちょっとしたズレで、その失敗がルーシュとファムに別離をもたらした可能性だってあるのだ。


 だったら、できるだけ同じ過ちを繰り返さぬよう、経験者からアドバイスをしてもいいはずだ。


 決して、大きなお世話ではないはず――


 などと頭の中で理論武装してしまうのは、ルーシュ自身、『ちょっと偉そうだったかな』と不安になったからなのだろう。




「届く誰か……私は、フウカに……」




 そして幸いにも、シルキィにその言葉はとても響いたようだった。




「軽い助言程度に考えておいて。わたくしだって間違えることはあるんだから」


「ありがとう、ルーシュさん。すごく参考になった」


「ふふ、どういたしまして」




 結果として、彼女がどういう結論を出すのかはわからない。


 そもそも何で悩んでいるのかもルーシュはわかっていないのだから。


 だが、自分の言葉で少しでもシルキィとフウカの未来が良い方向へ向かってくれればいいと祈る。


 そんな話をしているうちに、ファムがか駆け足で戻ってきた。




「タムガルからいい話を聞いてきたよー」




 手を振りながら駆け寄ってくるその姿を見て、ルーシュの頬が思わず緩む。




「どうだったの?」


「やっぱ脅されてたんだってさ。依頼を出したのも、目の前で私兵が赤い顔の化物に変えられて、逆らうわけにもいかなかったって」


「脅せる知能を持った化物がいるのね」


「しかも……人間を、あの化物に変えられる……」


「白い髪の女の子だって言ってた」




 それを聞いて、シルキィは少し安堵した。




(明日香とは違う……)




 明日香はシルキィと同じ黒髪のはずだ。


 もっとも、記憶にある姿は2年前のものなのだが。




「その子は右腕が大きくて、ぐにゃぐにゃしてて、そっから喋る赤い触手みたいなのが出てくるらしいよ」


「話を聞いただけで嫌になるわね」


「噂のオーグメントってやつなのかな」


「タムガルが言うには名前すらわかんないって。けどとにかくヤバいやつらしくってさ、話すだけでめちゃくちゃビビってんの」




 まだ正体ははっきりしていないが、明確な“倒すべき敵”は見えてきた。


 その白髪の少女を倒せば、赤顔の化物が出てくることもなくなるだろう。


 もっとも、なぜ今回は直接戦おうとしなかったのか、なぜ明日香を名乗ってシルキィを呼び出したりしたのか――など疑問は多いが。


 しかしシルキィは、ボロボロの状態で会話をしたせいか、ふと気が抜けた瞬間に一気に疲れが押し寄せてくる。


 まぶたが重くなり、持ち上げるのも難しくなってきた。




「寝てる間に治療を進めておくから、気にしないでいいわよ」


「後始末のが忙しくなりそうだし、今のうち休んどきなよ」




 ファムとルーシュにそう言われ、シルキィは大人しく目を閉じた。


 意識を手放すまでは一瞬だった。




 ◇◇◇




 次にシルキィが目を覚ましたとき、そこには夜空ではなく、なぜか満足げなフウカの顔があった。


 頭の下には彼女の太ももがある。


 またしても膝枕をされてしまったらしい。




「んぁ……フウカ、おかえりぃ」




 寝ぼけた声でシルキィがそう言うと、フウカの手のひらが優しく額に乗せられ、頭を撫でた。




「傷の具合はどうだ?」


「ルーシュさんのおかげでかなり良くなった」


「それは何よりだ。だが血が足りないだろう、詰め所に戻ったら食事を採って、すぐにベッドで休むべきだ。立てるか?」


「ん、だいじょーぶ」




 まだ声はぼんやりとしていたし、痛みも残っていたが、体を起こすのに支障はない。


 シルキィは立ち上がって屋敷のほうを見る。


 一部が燃えただけで、火事の被害はそこまで広がらなかったようだ。


 フウカの尽力と、後に合流した火消しの専門部隊のおかげだろう。


 兵士たちは引き上げの準備を行っており、その中にはアングラズの姿も見えた。


 ファムとルーシュはもういない。


 すでに詰め所、あるいは宿に戻ったのかもしれない。




(いざ立ってみると……ちょっとふらつくな。フウカの言う通り、血が足りてないのかも)




 フウカと並んで歩くシルキィだが、その足取りはおぼつかない。


 当人はまっすぐ進んでいるつもりでも、どうしても左右に揺れてしまう。


 フウカはそんな彼女に腕を絡め、体を支えた。


 二人は門をくぐり、屋敷の敷地から出る。


 そして少し歩いたところで、シルキィは告げた。




「あの……フウカに、伝えたいことがあるんだ。すごく、大事な話」




 フウカが見たのは、思いつめた様子のシルキィの顔。


 彼女は思わず足を止め、険しい表情を浮かべた。




「やはり、あの屋敷で何かあったんだな」




 素直にシルキィはうなずく。




「タムガルを救出しようとしてたとき、糸から声が聞こえてたの。私の幼馴染の、明日香にとてもよく似た声が」


「私たちには何も聞こえなかった。魔法の類か?」


「糸を振動させて、近くにいる人にだけ聞こえるようにしてたんだと思う。私を動揺させるようなことを言ってたんだけど……最後に、もし生きてこの屋敷から出たら、一人で東の路地に来てほしいって言われたんだ」




 それを聞いて、フウカは右手を強く握った。




「……行くつもりなのか?」




 止めたい。


 だが、“明日香”という名前が出てきた以上、シルキィの心中を考えると簡単にも止められないと思った。




「声は間違いなく明日香で、他の化物と違って、人間らしい感情もあるような感じがしたんだ。昔のこと、思い出すぐらい。でも……話してる内容は、おかしくて。明日香が、あんなこと言うはずないって思うんだけど……でも」




 その声を聞いているだけで、葛藤が手にとるようにわかった。


 だがフウカは、自分と明日香の間でシルキィの心が揺れているからといって、悲しいとか、嫉妬しようとは思わない。


 むしろ、天秤の一方に乗せられて拮抗できるほど、彼女にとって大きな存在になれていることを喜ばしく思う。


 もっとも、だからこそ、“止めたい”という気持ちが大きくなってしまうのだが。




「わかんないんだ、どうしたらいいのか。何が正解なのか……」




 俯き、黙り込むシルキィ。


 そんな彼女の結論を待つフウカ。


 するとシルキィは、彼女の目を真っ直ぐに見つめ、潤んだ瞳で懇願した。




「これって、すっごく、すごく身勝手なわがままかもしれない。でも、私は――フウカに、付いてきてほしい」




 その答えを聞いて、フウカは正直……少し、驚いた。


 心のどこかで、シルキィが明日香のほうを選んでも仕方ないとは思っていたからかもしれない。


 フウカは返答の代わりに、そっと指を絡めた。




「私が付いていってもいいのか?」


「来てくれるの?」


「いついかなるときも傍にいて、守ると言っただろう。私が守りたいと思うから言ってるんだ」


「ん……ありがと」


「それは私のセリフだ。声が聞こえたこと、話してくれてありがとう」




 なぜか礼を言われ、あたふたとシルキィは慌てだす。




「そ、そんなっ! むしろ隠してた私がごめんなさいって言わなきゃいけないことで!」


「シルキィにとってアスカが特別な存在だということは理解している。悩んで当然だ、それを攻められる人間なんて誰もいないさ」




 そんなことを言われてときめかない女子がいるだろうか。


 いや、いない。


 きゅーっと胸が締め付けられて、かぁっと顔が熱くなる。


 あまりにストレートなかっこよさを浴びせられて、シルキィは思わず目をそらした。


 手は握ったままなので、これで逃げられたとは思っていないが。




「フウカは……ちょっと優しすぎるよ」




 そう言いながらも、指を絡めた手にそっと力を込めて、繋がりを強めるシルキィ。


 するとフウカは彼女に顔を近づけ、額をこつんと合わせた。




「きっとそれは、相手がシルキィだからだな」




 夜風に吹かれたのか、触れ合った額はちょっと冷たい。


 けれど、体温は上がる一方だ。




(……キスされるかと思った)


(キスしてもいい雰囲気だったかもしれない)




 互いにそんなことを思っていたが、しかし一方で、ただでさえくすぐったいのに、唇なんて重ねたらどうなってしまうんだろう――と恐れる気持ちもあった。


 恋はあまりに未知数だ。


 初心者同士だと、急に踏み出すのはさすがに難しい。




「い、行こうか」


「うん……そだね」




 指を絡め、手を繋いだまま歩く二人。


 さながらデートをしているような雰囲気だが、彼女たちが向かう先は、夜景が綺麗な公園でも、洒落たレストランでもない。


 きっと、碌でもない悲劇の上映会だ。



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