第24話 むき出しの感情で

 



 シルキィとフウカは、屋敷の東側にある路地にやってきた。


 空はすでに暗くなっており、あたりを照らすのはわずかなランプの明かりのみ。


 視界は悪く、路地の奥はほとんど暗闇に閉ざされ何も見えない。




「言われた通り来たよ。私を呼んだのは誰? ちゃんと出てきて答えてよっ!」




 一人で来て――という部分にはあえて触れず、シルキィは首謀者に向かって声をあげる。


 しかし反響した声が消えても反応はない。


 フウカはじっと、闇の向こう側をにらみつけるように見つめていた。




(今のところ気配は感じないが……)




 人間はもちろん、あの化物も前方にはいそうにない。


 そう思っていたのだが――ふいに、まるで無から生まれたように何者かがそこに立つ。


 思わず身構えるフウカ。


 それを見てシルキィも体を強張らせた。


 足音が近づいてくる。


 夜闇の向こうから姿を現したのは、高校の制服を着た、白髪の少女。


 その顔を見た瞬間、シルキィは半開きの口から「ぁ……」と小さなうめき声を発した。




「一人で来てって言ったのに、駄目だよ繭ちゃん、約束破ったら」


「明日香……なの?」


「それ以外の何に見える?」




 親しい友人に向けるように、穏やかに微笑む明日香。


 だが彼女の右腕は異形と化しており、とてもではないが再会を喜べる雰囲気ではなかった。


 フウカはシルキィの前に立ち、敵意をむき出しにして声を荒らげた。




「お前がオーグメントか」


「違うよ。オーグメントはこれの名前、私はただ適合しただけの器」




 そう言って、明日香は右手を軽く振る。




「なぜシルキィをここに呼んだ」




 結局、現れたのは明日香だった――そのショックに、うまく声が出せないシルキィに代わり、フウカが問いただす。


 明日香は少し寂しそうに目を細めると、意外にも素直に答えた。




「会いたかったから。ふふ、今はシルキィって名乗ってるんだね」


「本当の目的を言え」


「あなた、脱走したオーグリスだよね。奪還命令が出てるよ」


「シルキィを連れ戻すのが目的というわけか」


「アザルド軍はそう望んでる。先生も」


「……でも、明日香は」




 フウカに守られながら、ようやくシルキィは声を発することができた。


 胸元を強く掴みながら、何度か肩を上下させ、深く呼吸をして問いかける。




「私を殺すって言ったよね」


「うん、言った」




 よどみなく。


 迷いなく。


 明日香は、そう断言する。




「私は繭ちゃんを殺しにきたの。上の命令なんてどうでもいい、繭ちゃんを殺せるならそれだけで」




 明日香は殺意を発するでもなく、悲しんだり、嘆いたり、逆に感情が高ぶるわけでもなく、ただ――以前と変わらぬ平坦な感情でそう語った。


 それが余計に、シルキィやフウカから見て異様に思えた。


 繭を殺すことに一切の迷いや罪悪感が見られないのである。


 だが同時に、誰かから操られているような雰囲気もない。




「私は……死にたくないよ。明日香だってそうでしょ? こうして話せてるなら、一緒に生きてくことだってできるんじゃないの!?」


「できないよ」


「なんで!」


「見ての通りだよ。それでもわからないって言うんなら――」




 明日香は右腕を天にかざし、大きな声で言った。




「1年C組、全員きりーつ!」




 当時は委員長がやる仕事だった。


 明日香は引っ込み思案だったから、そういう係に立候補することはほとんど無かった。


 しかし、この堂々とした発声――シルキィがいなかった2年間で、幾度となくそれを繰り返してきたのだろう。


 彼女の右腕に潜り込んでいた“クラスメイト”たちが目覚める。


 筋肉の繊維をかき分けて顔を出し、それぞれがどことなくキリッとした表情を浮かべる。




「校歌斉唱!」




 そして合図と共に口を開き、合唱・・をはじめた。




「う……何だ、この歌は……」


「こ、こんなのって……」




 それはフウカにとっては聞いたことのない奇妙さで、シルキィにとっては聞き覚えがあるからこそおぞましい、そんな歌だった。




「聞いての通りだよ。こんなもの、生きてるとは言えないよね。それを統べる私を含めて」


「明日香……それは、何なの? みんなはどうなったの!?」


「死んだ」




 きっぱりと言い切る明日香。


 ギュオールの話では、圧縮された人体には意識が残っているとの話だった。


 だが、彼女はそれを“生きている”とは考えない。




「死んで、あの世に行けないまま夢を見続けてる。きっとみんな、楽しい学校生活を続けてるんだろうね」


「人を殺して、その体を乗っ取ったりするのは……」


「本能、なのかな。人じゃなくて、この生き物の存在意義。元の意識とは関係ない。ああ、ちなみにペンダントさえ回収できればほぼ全員揃うよ。繭ちゃんが逃げる前に死んだ子たちはどうしようもないけど」




 明日香の言葉に、シルキィの脳裏にある光景がフラッシュバックする。


 液体で満たされた試験管の中で浮かぶ、少女の開かれた体。


 隣のベッドの上でうめく、手足を切り開かれた少年。


 思い出さないようにしていた。


 一瞬想起するだけで、血の気がさっと引いて吐き気がこみ上げてくるからだ。




「シルキィもその中に取り込むつもりか!」




 喋れる状態ではないシルキィに代わり、フウカが明日香に噛み付く。




「やだなあ、そんなわけない。言ったよね、殺すって。殺すっていうのはね、この世から消すってことなの。どんな形でも残すつもりはない」


「やらせるものか。シルキィは私と一緒に生きるんだ!」


「そ。でもそれって、絶対に無理だよ」




 フウカへの返答は、シルキィに対する受け答えよりも冷めていた。


 そして次の瞬間、明日香はフウカの視界から消えた。


 さらに移動先を認識するより早く、彼女の体は壁に叩きつけられ、意識が吹き飛ぶ。




「フウカッ!?」




 突然の出来事に、とっさにフウカに駆け寄ろうとするシルキィ。


 だが体が前のめりになったところで、その首筋に冷たいもの――右腕から伸びる鋭い爪が突きつけられた。




「私のほうが強いんだよね。誇らしいとは思わないけど」


「っ……明日香、私は……私だって、フウカと一緒に……」


「その人のこと、好きなの?」




 かつての――いや、今も想い続けている幼馴染からそう問われ、シルキィは目を閉じた。


 そして息を吐き出し、答える。




「……好きだよ」




 嘘偽りなく。


 今、胸に抱いている感情を。




「じゃあさ、もし私が普通の人間に戻って生き残ることができたら、どっちを選ぶ?」




 だが、いざそんな質問をされると、




「っ……それは」




 迷いが生じる。


 反射的な感情な動きである。


 シルキィはすぐさま迷った自分を嫌悪し、殺したくなった。


 すると明日香は首に当てた爪を降ろし、自嘲的に笑いながら一歩距離を取る。




「ごめんね、今のは忘れて。殺すって言ったのに馬鹿みたい。うん、私は馬鹿だから、ちょっと嫉妬しちゃったのかもね」




 自己嫌悪したのは、どうやら彼女も同様だったらしい。


 その人間じみた感情の流れに、シルキィは今の明日香という存在に強く“人間”を感じた。


 異形ではない。


 2年前から変わらず、彼女はそこで人として在り続けているのではないか、と。




「私としてはね、繭ちゃんが幸せならそれでいいんだ。隣にいるのが私じゃなかったとしても、他の誰かが繭ちゃんを幸せにしてくれるのなら、私は幸せ」




 明日香は――前からよく、そんなことを口にしていた。


 高校に通っていた頃までは、繭にとっても明日香と一緒にあることが最上の幸せだった。


 だから、互いに満たされていたのだ。


 しかし今は違う。


 どうしようもなく、すれ違っている。




「なのに、殺すの?」




 震える声で尋ねると、明日香は笑みすら浮かべながら首を縦に振る。




「うん。だって、どんな人が隣にいたとしても、今の繭ちゃんは死んだほうが幸せだもん。殺すのは、私の最大限の愛情表現」


「どうして? 私が、逃げたから? 私だけが生き残ったから? だから憎んでるの!?」




 思い当たる節なんてそれしかない。


 だが予想外にも、明日香は強めに否定した。




「それは絶対にない。悪いのは私たちをこんな風にした連中。繭ちゃんは悪くない。だから私は今も昔も変わらず、繭ちゃんのことが好きだよ。愛してるって言ってもいい。もちろんクラスメイトのみんなだって悪くない。けど私は――」




 シルキィが自分で自分を責めたように、明日香も自身を責めている。


 とっさに、シルキィの口からもそれを強く否定する言葉が出た。




「明日香が悪いわけないじゃん!」




 そう、それは当たり前のことだ。


 この場にいる誰かが悪いわけじゃない。


 悪いのはアザルド軍だ。


 シルキィたちを実験道具に使ったやつらだ。


 だが、この世には当たり前が当たり前ではない場所がある。


 そこで生きてきた人間にとっては、“当たり前”は何よりの救いだった。




「ありがとう。自分で自分を許すわけにはいかないから、繭ちゃんが言ってくれてよかった」




 どうしてこんなにも変わらないのか。


 髪の色さえ、あの腕さえなければ、明日香は明日香のままなのだと、シルキィは感じた。




「うん、今日はそれでいいかな」




 彼女は満足してそう言うと、シルキィに背中を向けた。




「何も良くない、私にはぜんぜんわかんないよ!」


「どうせ明日になったらわかるよ」


「待って!」




 シルキィの伸ばした手が、明日香の肩を掴む。


 明日香は振り返ると、半分悪ふざけで睨んでみせた。




「呼び止めるの? 殺すって言ってるのに」




 たったそれだけで、シルキィの心臓は握りつぶされそうなほどぎゅっと痛んだ。


 一瞬、呼吸も止まる。


 それぐらいの迫力があった。


 明日香はすぐに頬を緩め「くすくす」と笑ったが、それでもシルキィの緊張状態は解けない。




「心配しないでも、明日の朝になったらちゃんと起こしに・・・・来るよ。今さら途中でやめたりしない。絶対に殺してみせる。繭ちゃんもそろそろ夢から覚めないと」




 その言葉には、強い決意が感じられた。


 シルキィが何を言っても、もう明日香は考えを曲げないだろう。




「だからそれまでに、大事な人とのお別れは済ませておいてね。後悔せずに済むように」




 彼女はそう言い残して、今度こそ路地の闇に溶けるように消えていった。


 もう追跡は不可能だろう。


 一人残されたシルキィは、膝から崩れ落ちる。




「夢って、何? こんなに辛くて、苦しくて、痛いのに、夢なわけないじゃん!」




 嘆いて、叫んでみたって、ただ虚しく、誰にも届かない声が響くだけだ。


 彼女は崩れ落ちたまま、唇を噛み、右手を強く握りしめる。


 だがその視界の端に、ぐったりと倒れ込むフウカが映り込むと、涙でにじむ目を手の甲でぬぐい、飛びつくように彼女の肩を揺らした。




「フウカ、起きて。フウカ、フウカ、フウカぁっ!」




 体は温かい。


 出血もほとんどないようだ。


 頭を打って――あるいは明日香の腕の衝撃で意識を奪われ、気絶しているのだろう。




「あぁ……駄目だ、私じゃどうしようもない。は、早く、人のいる場所まで連れて行かないと!」




 シルキィはフウカの体を、背中から抱きしめるようにして引きずり運ぶ。


 体力面、精神面両方で消耗が大きいためか、呼吸は荒く、半ば過呼吸のような状態だ。


 それでも必死にフウカを運んでいたが――そんなシルキィの背後で何かが橙色に光った。


 火の玉が一直線に彼女に迫っている。


 突然のことに反応できなかったシルキィは、右肩に直撃を受けると、地面に転がった。




「あっ、ひぃぃいいっ!」




 燃え広がりはしなかったものの、一瞬で服は燃え、肌は真っ赤に焼けただれている。


 シルキィは石畳の上を転がり悶え苦しんだ。




「痛いっ、痛いぃぃいっ!」


「は、はは……こんな場所で一人きりのシルキィと遭遇するなんて、僕も運がいい」




 影から出てきたのは、クリドーだった。


 遠くに逃げたと思わせておいて、近くに潜んでいたのだ。


 そしてシルキィと明日香のやり取りを偶然にも聞き、話が終わったあとに近づいてきたわけだ。




「どうせ僕の人生はもう詰んでるんだ」




 彼は剣を抜くと、一気にシルキィに接近した。




「だったらせめて、台無しにしたお前に復讐してやる! 僕自身の手でッ!」




 とんだ逆恨みである。


 苦痛の中、聞こえてきたあまりに愚かで身勝手な発言に、シルキィも怒りを抱かずにはいられない。




「うぉぉおおおおおッ!」




 だが刃は無情にも振り下ろされる。




(殺されたくない……こいつにだけは、こんなやつにだけはっ!)




 シルキィは痛みに呻きながらも、スキルが示す通りに左手を伸ばし、自ら剣に近づけた。


 指先が抜き身に直に触れる。


 瞬間、彼女の首を斬り落とすはずだった斬撃は向きを変え、ガギンッ! と地面を叩いた。




「おぉっ!? 何だ今の――」


「うわあぁぁあああああっ!」




 シルキィはクリドーに向かって、起き上がる勢いを利用して突進する。




(許せない。こんなやつ、いっそ――『殺して』しまったほうが)




 そして相手がよろめいたところで、手元に最も近いナイフを握り、首筋めがけて突き刺す。


 だが寸前で急所への直撃を、クリドーの右腕が防いだ。




「舐めた――真似をぉおおッ!」




 彼は後ろに飛びながら手のひらを前にかざし、魔法を放とうとする。


 放たれる火の玉。


 しかし今回は奇襲ではない。


 シルキィが光の示す通り火球を撫でれば、相手の攻撃は逸れていく。




(私は前に進まないといけない。逃げてばかりではいられない! そのためには、『戦わないと』。『殺さないと』!)




 再び生じた大きな隙。


 無我夢中で抵抗する中、彼女は右腕・・に力を込めた。




「何なんだよお前、戦闘職でもないくせにぃぃいいッ!」


「死ねえぇぇええええッ!」




 そして、下から上へと振り上げる。


 クリドーは両腕を交差して防ごうとしたが、衝撃を受け止めきれず、後ろに吹っ飛ぶ。


 跳ねて、転がり、ようやく止まった彼の腕には、ナイフとは異なる切り傷が刻まれていた。




「はぁ……はぁ……はぁ……」




 瞳をぎょろりと見開いたシルキィは、なおも殺意の籠った視線でクリドーをにらみつける。


 一方で彼は上体を起こすと、シルキィを指差し声を震わせた。




「何だよ……お前、それ……」




 人差し指の先にあるものは、彼女の右腕だ。


 ただし、火の玉で焼かれたものではない。


 明日香の腕によく似た――皮をはぎ、筋を剥き出しにしたような赤い外見に、鋭い爪が生えた、人間のそれよりも一回り以上大きな異形の腕。


 それが、今のシルキィの右腕だった。




「お前もっ、あの白い女と同じじゃねえかぁあああッ!」




 彼女がゆっくりと自らの腕に視線を移すと、その腕は当人の意思とは関係なくドクンと脈を打った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る