第19話 束の間の休息
アングラズが兵士たちを集める間、シルキィ、フウカ、ファム、ルーシュの四人は詰め所の一室で体を休めていた。
いくつかのベッドが並ぶ中、わざわざファムとルーシュは同じベッドに陣取り、ルーシュはファムに膝枕をしている。
フウカはその様子を見てしばらく考えたあと、別のベッドに座り、太ももをぽんぽんと叩いた。
「ん!」
そしてなぜか得意げな顔でシルキィのほうを見る。
シルキィは困惑しながら、フウカの顔と太ももを交互に見た。
「ん!」
二度目の“ん”が飛び出した。
どうやら有無を言わさず、膝枕をするということらしい。
(何で対抗してるんだろう……)
シルキィにはさっぱり意味がわからなかったが、特に断る理由も無かったので、ありがたく枕を使わせてもらうことにした。
一方、ルーシュはファムの頭を撫でながら、その様子を観察している。
「どんな関係なのかしらね、あれ」
「付き合ってるんじゃないの?」
「わたくしたちじゃないんだから」
「でも近くなーい?」
「近いわねえ」
二人の会話は、ばっちりシルキィにも聞こえていた。
彼女は太ももの柔らかさと暖かさに包まれ、顔を真っ赤にしながら言う。
「あ、あの、聞こえてるから……あと付き合ってないよ」
「あらそうなの? フウカのほうはどう思ってるのかしら」
「シルキィの言うとおりだ、付き合ってはいない」
その声はめちゃくちゃ不満そうだった。
シルキィがフウカの顔を見上げると、彼女は頬をぷくっと膨らませていた。
(たまに子供っぽいんだよね……というか、付き合ってるって言ったほうがよかったのかな。いやいや、全然そんな関係じゃないからなぁ)
好きか嫌いかで言われば好きだし、好みか好みでないかと言われれば好みだ。
ただ、付き合うとか付き合わないとか、そんな次元で考えた事はなかった。
だが、こうして改めて考えてみると、後頭部に感じる太ももの感触などをやけに意識してしまう。
「でも距離は近いわよねぇ。気持ちはわかるわ。人間に恐れられる中、普通に接するシルキィにきゅんと来ちゃったんでしょう」
「そんなんじゃないよ、ルーシュさん。私とフウカは同じ牢屋に入れられたの、そこから二人で脱走することになって――」
「私は……きゅんとしていたぞ」
真っ赤な顔が、シルキィを見下ろしていた。
膝の上に頭を置いているので逃げようもない。
潤んだ瞳に染まった頬。
元から綺麗なフウカがそんな表情を見せたら反則級の威力だ。
加えて、彼女の感情はシルキィにだけ向けられている。
「そ……そう、なんだ……」
ドキドキしないわけがなかった。
距離が近いという自覚はあった。
ただ、他の友人ともそういうスキンシップを取った経験があったから、友情の延長線上としてはあり得ると思っていたのだ。
何より逃避行の真っ最中だったので、吊り橋効果による部分も大きいのではないかと。
しかし、ようやく落ち着いてベッドで休める今でも、変わらず高い熱量を持った感情は、心を蕩かそうとし続けている。
「少しはシルキィだって意識してくれていいんだぞ、私のこと」
「あの……えっとぉ……フウカは、いつから私のことをそんな感じで?」
「襲いかかっても普通に話してくれた時点で、唯一無二だとは思った。同じ施設から逃げ出してきたと知ったときは、運命だと確信した。そして血を吸わせてくれたときには……もう、この人しかいないと思った」
「お、おぉ……」
軽く血をあげたが、思ったよりえらいことをしたのかもしれない――と今さら気づくシルキィ。
どうも今までのフウカにとって、自らに宿る人食衝動は忌むべきものだったようだし、当然のようにこの世界の人間はそれを恐れる。
だがシルキィは、逃げるどころか、自分から首筋を晒して血を与えたのだ。
(そっかぁ、特別になっちゃうよねえ……)
普通ではないとは思っていたが、そこまで特別なことをしたつもりはなかったシルキィ。
本当に今さらではあるが、その行動の意味の大きさを痛感する。
だったら、彼女も素直に思っていることを伝えるのが責任というものだろう。
「一応、言っておくと」
「ああ」
「私も、フウカを初めて見たとき、すっごく綺麗な人だなと思ってドキっと、したよ」
ちょっと弱かったかな――そう思ったシルキィだが、フウカの顔を見ていると、彼女は見開いた目をキラキラさせていた。
要するに、めちゃくちゃ嬉しそうなのである。
「こんなに美人な人がいるんだって、びっくりしたぐらいだし。それに一緒に行動をし始めてからは、かわいい部分もあるなと思って」
「ほ、本当か? 本当にそう思ってくれているのか!?」
「うん、もちろん。血を吸ってるときの必死な感じも、私はかわいいと思ったよ」
おそらくそれは、フウカに対しては殺し文句のようなものだ。
今に限って言えば、シルキィは少し意図的にそういう言い回しを使った。
自分の存在が少しでもフウカの救いになっているというのなら――孤独なこの世界において、その“価値”はたぶん、自分を救うことにもなるから、と。
彼女の目がうるうると潤む。
そしてついにはほろりと涙の雫がこぼれた。
フウカはそれを手のひらで拭うも、すぐに次が溢れてくる。
「っ……シルキィ……わ、私っ、私な……本当に、シルキィと出会えて……よかった……」
「私も同じ気持ちだよ」
シルキィが指でその涙を掬うと、さらにフウカはぼろぼろと泣いてしまう。
「シルキィぃ……好きだ。私、シルキィのこと大好きだからぁっ……ずっと、一緒にいてくれぇ。私の傍にいてくれえぇ……!」
「フウカ……」
これではまるっきり愛の告白だ。
実際、本当にそうなのかもしれない。
出会ったばかりではあるが、シルキィにとっても、フウカが特別であることに違いはない。
「それはもう約束したでしょ。いられる限りずっと、一緒にいるよ」
「うん……っ、うんっ……!」
目を真っ赤にして、フウカは何度も首を縦に振った。
自分の言葉が誰かを救えていることが、シルキィも嬉しくてしょうがなかった。
ただ――
(……人前なんだよね、ここ)
どうしても、視線は気になる。
シルキィは恐る恐る、視線だけをファムとルーシュのほうに向けた。
二人はいつの間にか膝枕をやめ、ベッドの上に座りじーっとシルキィたちのほうを見ている。
「にやにや」
「にやぁ……」
すごくにやにやしていた。
何なら声に出して「にやにや」と言うほどにやにやしていた。
(完全に観戦されてる……!)
恥ずかしいこと極まりない。
しかしフウカが感極まっている今、水を差すわけにはいかない。
(女、黒川繭。この場の恥は私が引き受けるッ!)
そんな武士っぽい決意を胸に、シルキィはフウカが泣き止むまで膝枕から逃げなかった。
泣き止んだ彼女がファムたちの視線に気づき、顔をりんごのように赤くするのは、それから数分後のことであった。
◇◇◇
「いやあ、良いものを見せてもらったねえ。ルーシュ」
「言い方がジジくさいわよ」
「えー、だってそっちだって同じこと思ったっしょ?」
「それはそうだけど」
さらに時間は過ぎ、フウカはどうにか羞恥心から立ち直っていた。
しかし膝枕を続ける度胸までは無かったらしく、彼女とシルキィもベッドの上に座っている。
もっとも、その手はしっかりと重ねられていたが。
「人のことばっかり言ってるけど、ファムさんとルーシュさんだって付き合ってるんでしょ?」
「うん、まあね」
ファムは平然と答えた。
ルーシュも動揺している様子はない。
「いつからそんな関係だったの?」
「いつだっけ」
「もう何年も前のことだから忘れたわ。別に告白したってわけでもないものね」
「そーそー、気付いたらそうなってたって感じ」
「じゃあクリドーと組む前からそうだったんだ……」
シルキィもそこそこの期間を一緒に戦ったはずなのだが、全く気づかなかった。
「シルキィはとっくに気付いているものと思っていたわ」
「そうだな、私から見ても二人には特別な絆があるように思える」
「鈍いんだねー」
「そういうことではなくてっ! その……女の子があれぐらい仲良くするのは、普通のことなのかな、と思って……」
「あら、じゃあ以前にも仲良くした経験があるのね?」
少しいじわるな顔でルーシュは言った。
もちろん、彼女はシルキィの過去のことなど知らない。
「幼馴染がいたんだ。明日香って言って……何をするにもずっと一緒だった」
「シルキィ、それは……」
「明日香は私を施設から逃がすときだって、最後まで一緒だった。直前で、私の背中を押して取り残されちゃったけど」
遠い目をして語るシルキィを見て、ルーシュは不穏な空気を読み取り、気まずそうに目を細めた。
「ごめんなさい、どうやら私、うかつなことを聞いてしまったようね」
「話しにくいなら本当に大丈夫だよ。無理しないで」
「ううん、いいんだ。タムガルの屋敷に攻め込む以上、ファムさんとルーシュさんにも私の事情を教えたいから。フウカにも知っててほしい。聞いてくれる?」
「もちろんだ。私はシルキィのこと、もっと知りたいと思っている」
「ありがと」
そう言って、シルキィは自分が違う世界から拉致され、施設から逃げ出したことを語った。
そして、同じ施設に捕らわれていた仲間が化物として目の前に現れたことも。
「あー! じゃああのとき、宿屋で戦ってた顔の赤い人がその同級生? なんだ」
「ファム、だったな。なぜそのことを知っているんだ?」
「だってあーしもルーシュも現場にいたもん。シルキィちゃんから聞かなかった? 同じ宿に泊まってるって」
「話しそびれてた、ね」
「そうだったのか……では、まさかあの煙幕は」
「
「へへーん、ああいうの得意なんだよね」
宿屋で化物と遭遇したとき、逃げる隙を作ってくれた謎の煙幕。
その正体を知り、フウカはファムに頭を下げた。
「ありがとう、本当に助かった。おかげで無事に外に逃げられたよ」
「うんうん、あれが無かったから危なかったかも」
「そう? ふへへ、褒められちゃったよぉ」
「結果オーライね」
ルーシュは止めた側だった。
実際、化物のターゲットが彼女たちに向いていたら危険だったのだから、どちらが正しいというわけでもない。
だがフウカたちが救われたのは事実である。
「ってことはさ、タムガルの屋敷にもあれが出てくるのかな」
「その可能性は高いと思う」
「何なら、もっと強い“オーグメント”とやらが出てくる可能性もある。もちろん、相手をするのは私とアングラズになるだろうが」
「わたくしたちは雑魚掃除とクリドー探し、というわけね」
「もしかしてそこに、シルキィちゃんと仲がよかった子ってやつも関係してくんの?」
ファムの問いに、シルキィはゆっくりと首を縦に振った。
「施設に残された以上、無事では済まないと思う。そしてまだ、明日香は化物の姿として私の前に現れていない。ペンダントの中に封じられた中にもいなかった」
「タムガルの屋敷で出てくる可能性があるってことね」
「他の同級生たちを見ただけで、私は足がすくんで、動けなくなった。明日香に会ってしまったらどうなっちゃうんだろうって、怖くて怖くて仕方ないんだ」
「そんなに大事な人だったわけだ、そのアスカって子」
「だって、ずっと一緒だったから。これからも一緒にいるって信じてたから。施設から逃げたあと、旅をしてた私の一番の目標は……明日香を助けることだったのかも。それを支えに生きてきたんだと思う」
目標なんて考える余裕のある旅ではなかった。
だが、“生き延びたい”と望んだ以上、そこには何らかの理由があるはずだ。
その理由のうちの一つが、明日香を救うこと。
そしてもう一つは、元の世界に帰ること。
心のどこかで、そんな幸せな終着点を夢見て、がむしゃらに逃げ続けてきた二年間。
だが、現実として突きつけられたのは、そんな都合のいい終わりではない。
すでに理由のうちの一つは壊れたも同然なのだから。
「でも今は……あんな姿で生き延びるぐらいなら、死んだほうがいいと思ってる。あれは人じゃない、化物だから。もう、みんな死んだも同然なんだよ」
「それでいいんだな」
「もし失うだけなら、私は折れていたかもしれない。でも今の私にはフウカがいる」
シルキィはフウカの目を真っ直ぐに見て告げた。
フウカは思わず彼女の体を抱き寄せる。
「要するに、あーしたちも容赦なくやっちゃっていいってことだよね」
「人の姿をしているけれど、それは完全な化物。シルキィがそう言ったからには、殺したって罪悪感だって抱かないわよ?」
「難しいかも知れないけど、お願い。でも、くれぐれも無理しないようにね? 相手はすっごく強いから」
「だいじょーぶ、引き際はわきまえてるから」
「命はお金じゃ買えないものね」
命の危機を感じたら、迷わずに逃げる。
それも冒険者として活動する上で重要なスキルである。
何より、自分の死が相手に途方も無い悲しみを与えることを知っているので、ファムとルーシュは互いに自分の命の大切さを理解していた。
そして同時にフウカも、少し前までは簡単に捨てようとしていた自分の命に、価値があることを噛み締めている。
抱きしめた温もりが、自分を頼ってくれるから。
「ねえフウカ。タムガルの屋敷での戦いでは、たぶん私、あんまり役に立てないと思うんだ」
「逃げるわけじゃないからな。『逃亡者』のスキルは発動しないだろう」
「だからサポートに徹するつもりだけど……戦う前にも、役に立てることがあると思うの」
シルキィは襟をずらして、首筋から鎖骨を晒す。
そして上目遣いでフウカを見つめながら言った。
「血、吸って?」
やはり今回も、まったく本人に
すぐにでも押し倒して首に顔を埋めたいところだが、人差し指を手のひらに食い込ませ、その痛みでどうにか理性を繋ぎ止める。
「それはありがたい……が。ひ、ひとまず、場所を移さないか?」
「何で?」
「あまり、人様に見せるものではないからな」
フウカがちらりとファムとルーシュのほうを見ると、二人は口元に手を当てて「うわー」「やってるわね」とにやにやしていた。
どうやら彼女たちは完全に“意味”を理解しているらしい。
「フウカがそうしたいなら、わかった」
「確か近くに物置があったな。そこでいいだろう」
立ち上がったフウカは、同じくベッドから降りようとしていたシルキィの体をひょいっと抱え上げる。
「うひゃっ!? な、何で抱えるの? 自分の足で歩くよ?」
「……そんな気分なんだ」
「変なの」
そう言ってくすくす笑うシルキィを連れて、フウカは部屋から出ていく。
ファムとルーシュは最後まで、その後姿を目で追っていた。
すると、シルキィたちと入れ替わるようにアングラズがやってくる。
彼は室内を見回し、眉間にシワを寄せた。
「おいあんたら、フウカたちはどこに行ったんだ?」
「別室で取り込み中だよ」
「じきに出撃だってのに……探しに行くか」
「やめておきなさい」
「そうそう、それは野暮だと思うなー」
二人がかりで止められ、アングラズは怪訝そうな顔で「あぁ?」と声をだす。
「何でだよ。別に問題ねえだろ」
「問題があるのよ、それが」
「今は二人きりにさせとくべきだと思うし」
「確かにまだ多少時間はあるが――」
「だったら別にいいじゃない」
「邪魔するもんじゃないよ、ああいうのは」
なぜそこまでして止められるのか、まったく理由はわからない。
だがファムたちから強い圧を感じたアングラズは、「お、おう……」とひとまず納得するしかなかった。
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