第20話 乱戦
タムガルの屋敷に逃げ込んだクリドーは、来客用の部屋を与えられ、そこに匿われていた。
しかしクリドーとて一端の冒険者だ。
屋敷全体に漂う異様な雰囲気を感じ取ることぐらいはできる。
「本当に……ここに逃げてよかったのか。いや、だがあのときはそうするしか……」
机に肘をつき、俯きながらぶつぶつとつぶやくクリドー。
「まだイニティの門は閉じている。外に逃げるのは難しい。ここが、本来なら一番安全な場所のはずなんだ」
一種の自己暗示のようなものだ。
ここは安全、何も違和感などない。
しかし何度言い聞かせてみても、青ざめた顔のタムガル、そして屋敷を警護する私兵たちの発する奇妙な気配が気になる。
「ならなぜ、タムガルはあんな、脅された人間みたいな顔をしていたんだ。僕は一体、何に巻き込まれいるんだ」
逃げ回っていた彼は、イニティに渦巻く陰謀の中身を知る由もない。
だが、報酬の異様な高さから、依頼の裏に何かがあることぐらいはわかっていたのだ。
そのリスクを承知の上で、サミーを殺し、ペンダントを手に入れる――はずだった。
とっとと依頼人に渡して金さえ手に入れば、あとはどうとでもなる予定だったのに。
全ては、あのペンダントが消えたところから狂い出した。
「ペンダントさえ僕の手元に残っていれば。シルキィが悪いんだ、絶対にあいつが持ち出したに違いない! しかもファムとルーシュまであいつの味方をしやがって。クソッ、こうなったらせめて、一矢報いるだけでも……ッ!」
完全な逆恨みである。
そもそも、金のために自分に好意を寄せる女性を殺し、その罪を他人になすりつけるような人間だ。
それぐらいのことは、息をするようにやってのけるだろう。
憎しみを滾らせ、拳を握るクリドー。
静寂の中、昏い炎を瞳に宿す彼だったが――
「……ははっ」
ふと、奇妙な音を聞いて殺気を緩める。
「笑い声、か?」
来客がいた様子はなかった。
タムガルも、愉快に笑うような精神状態だとは思えない。
ならば、私兵たちだろうか。
クリドーが来ても兜を被ったままで、言葉一つさえ発さなかったはずなのだが。
客人の前だったから、黙り込んでいただけなのだろうか。
彼は部屋を出て、声がするほうへと進む。
屋敷は二階建てで、タムガルは一階にいる。
そしてクリドーががたどり着いた場所は、同じフロアの別の部屋だった。
扉はわずかに開いており、そこから声が漏れ出ているようだ。
「本当に良かったね、黒川さんに会えて」
「あとは繭ちゃんを連れ戻せば宿題は終わり」
「そうだね、繭ちゃんも素直に従ってくれたらいいのに」
「ねえ丸木、どうして黒川は帰ろうとしないの? 先生だって探してる」
「なんでだろう。ふふ、悪いものでも食べてしまったのかも」
その会話に、クリドーは強い違和感を覚えた。
(女……だ。女がいる。男女比は大体半々のようだが――どういうことだ? 私兵の半分が女だというのか?)
傭兵や冒険者は、比率として男性のほうが圧倒的に多い。
男1、女3のクリドーのパーティはかなり珍しいのだ。
確かに鎧で体は隠れているので判別はつかなかったが、これは偶然なのだろうか、はたまた何らかの異常が起きているのか。
彼は気配を殺し、勇気を振り絞って部屋の中を覗き込んだ。
「宿題が終われば、先生は褒めてくれますね」
「ご褒美はどうする? 次のテスト、簡単にしてもらう?」
部屋はクリドーに与えられたものとほぼ同じ間取りの客室だ。
広さは、頑張っても四人で寝泊まりするのが精一杯だろう。
「いいね。そのほうが私も楽だよ」
「丸木くんは大変だからね。そのためにも早く黒川さんを連れ戻さなければならない」
だが、無数の声がする。
この室内にはかなりの人数がいて、しかし――
「そうだそうだ、あいつは帰るべきなんだ」
「みんな悲しんでいます」
姿が、見えない。
奥に集まっているとでもいうのだろうか?
しかしここからでは、室内を完全に見渡すことはできなかった。
「私たちも寂しいよ」
「欠けてはいけません。逃げてはいけません」
「みんな揃って、はじめて1年C組だもんね!」
クリドーは生唾を飲み込み、ドアに手をかけ、音をたてないようゆっくりと隙間を広げた。
そして見えたものは――椅子に腰掛ける白髪の少女の姿。
彼はその顔立ちを見て、ふいにシルキィを想起したが、姉妹と呼べるほど似ているわけでもない。
ただ系統として、同じ地方の生まれだろうと思わせる共通点があった。
だが、そんなことはどうでもいい。
問題は声がどこから発されているか、だ。
答えは――“右腕”だった。
(何だ、あれは)
少女は、右腕と会話をしている。
しかしそれは人間の腕よりも数倍大きく、そして皮膚が剥がれ、筋肉がむき出しになったような見た目をしていた。
表面は不規則に脈打ち、指先からは、刃物のような歪曲した鋭い爪が伸びている。
(僕が、馬鹿だったのか? あんな、明らかに怪しい依頼を受けたから)
そして筋と筋の間を押し開いて、無数の突起物が生えていた。
それら全てが――赤い血で出来た、人間の顔だった。
(だからって、だからって! こんなもん、予測できるわけないだろぉぉぉぉおおッ!)
会話していたのは、それらの顔だったのだ。
一つ一つが意思を持って、声を発し、主らしき少女と会話している。
楽しそうな会話内容とはかけ離れた、あまりに異様な光景であった。
「丸木さん、頑張ろうね!」
「うん、頑張る」
「私たちもできる限り手伝いますね、明日香ちゃん」
「ありがとう。けど、その前に……」
クリドーは顔に冷や汗を浮かべながら、ゆっくりとその部屋から離れようとしていた。
しかし、
「邪魔な虫は排除しておかないと」
その肩が冷たい何かに触れて、かしゃんと音がした。
クリドーの顔が、ゆっくりとぶつかった“何か”の方に向けられる。
そこには、鎧を着た兵士が立っている。
ただし、兜は被っていない。
顔がある。
ただし、ただしあるべき顔はない。
人としてのそれはえぐり取られ、こそぎ落とされ、代わりに――赤い顔が、
大人の肉体に、少年の顔。
そのアンバランスさは、滑稽と恐怖のちょうど狭間にあった。
だが今のクリドーにとってみれば、“おぞましい”以外に抱く感情などない。
「だるいよな、掃除当番って」
引き抜かれる剣。
射し込む陽の光が刃に反射して、彼の視界の中できらりと光る。
「あ、あ、あっ。うわあぁぁあああああッ!」
クリドーの裏返った叫び声が、屋敷に響き渡った。
◇◇◇
衛兵たちの包囲網はすでに完成していた。
集められた兵士によりタムガルの屋敷は取り囲まれている。
さらに正門の前には、大勢の兵士に加えて、シルキィ、フウカ、ファム、ルーシュ、そしてアングラズが立っている。
彼女たちはそれぞれの武器を手に、今まさに屋敷に踏み込もうとしていた。
ちょうどそのときだった。
「うわあぁぁあああああッ!」
音としては小さいが、敷地内から男の叫び声が聞こえてくる。
それに受けてファムが言った。
「今の情けない声、クリドーっぽかった!」
「別にクリドーが痛い目を見るのはいいと思うわよ」
ルーシュのその言葉に、シルキィは焦る。
「クリドーが痛い目を見るのはいいけど、捕まえる前に死んじゃうのは困る!」
「シルキィの言うとおりだ。アングラズ、もう踏み込んでいいんじゃないか」
フウカに問われたアングラズは、顎に当てていた手を下ろすと、大きく息を吐き出した。
彼としても、イニティで最も力を持つ商人であるタムガルの屋敷に、許可も取らず踏み込むのはやはり緊張するらしい。
もっとも、急ぐか慎重に行くかの違いであり、途中でやめるつもりは全く無いが。
「こんだけ囲んでるんだ、警告としては十分だろ」
彼は背中にかついだハルバードを握り、鉄格子の門に向かって振り回す。
「うおぉぉおおおおおッ!」
バラバラに解体されていく頑丈な門。
目の前で斧槍が乱舞する様は、まるで吹き荒れる嵐のようであった。
「話には聞いていたけど、大したものね」
「うっひゃあ、魔法も使わずにぶっこわしちゃった」
初めて見るファムとルーシュは驚きを隠せない。
そしてシルキィとフウカも改めて、彼の恐ろしさを再認識させられた。
「よし、突入だぁッ!」
アングラズが腕を高くあげて宣言すると、兵士たちは『おぉぉおおッ!』と雄叫びをあげて屋敷に向かって突撃する。
彼らにも、赤い顔の化物がいる可能性はすでに伝えてある。
その上で、この士気である。
先頭を走るアングラズの存在が、彼らの精神を高揚させているのは明らかだった。
もちろん、兵士たちと一緒にシルキィたちも走る。
「私から離れるんじゃないぞ、シルキィ」
「うん、足手まといにならないよう頑張る!」
逃げるのではなく、自ら攻め込むのだ。
当然のようにシルキィの能力は使えない。
そのため、彼女の腰には数本のナイフや麻袋がぶら下がっている。
それらはファムから分けてもらった暗器である。
投擲のスペシャリストであるファムほどうまくは使えないだろうが、非力なシルキィでも戦いの役に立てる道具が詰まっているのだ。
そしてついに、アングラズが玄関に到達する。
扉は紙のように切り刻まれ、ホールに突入すると、そこは吹き抜けになっていた。
二階の廊下には、ずらりと兜で顔を隠したタムガルの私兵が並んでいる。
「待ち伏せかよ」
一斉に飛び降り、襲いかかってくる兵士たち。
「邪魔すんじゃねえぇええッ!」
ハルバードを薙ぎ払い、空中の敵を吹き飛ばすアングラズ。
「それって飛んで火にいるなんとやら、じゃん?」
ファムは両手にナイフを持ち、それらをほぼ同時に投擲する。
相手は鎧で全身を覆った重戦士だ。
一般的にナイフでは突破できないが、彼女の放った刃は関節部の僅かな隙間を見事に居抜き、腕と足を貫く。
その状態でまともに着地できるはずもなく、受け身も取れずに床に転がったところに、ルーシュが近づいた。
「化物なら殺すわ、恨まないでね」
彼女は手に錫杖を持っている。
それを全力で振り下ろすと、ドゴォッ! ととても杖で殴ったとは思えない音が成り、兜ごと頭蓋骨を破壊した。
ルーシュは『聖職者』。
専門は人間の自己再生能力を高め、傷を癒やす回復魔法だが、強化魔法を使うことができる。
それを用いて、手にした杖で相手をぶん殴る――それが彼女のファイトスタイルであった。
「ナイスコンビネーション!」
「今日は前衛がいないわ、お互いに無理しないでいきましょう」
「生き残ること最優先ね、了解っ!」
ハイタッチを交わすファムとルーシュ。
そしてすぐさま二人は武器を手に、次に襲いかかってきた兵士と向き合った。
「そう容易く奇襲できると思わないでもらいたい」
一方でフウカもまた、空中の敵に向かって魔法を放つ。
襲いかかってきたのは左右から一体ずつ。
彼らに手のひらをかざし、風を凝縮させた衝撃破を放つ。
魔法が直撃ずるとプレートアーマーはべこんと凹み、敵は吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。
フウカはすかさずその一方に接近し、顔面を足裏で踏み潰した。
(この感触、やはり……)
伝わってきたのは、“中身の入っていない”頭蓋骨が潰れる感触。
99%間違いなくあの化物だろうと確信して、殺しにかかった。
なのでこの場合、感じたのは“安堵”である。
生きている人間でなくてよかった、と――ひとまず今は、この屋敷で誰かが化物に変えられたという事実は脇に置いておいて。
しかし一方で、奇襲に押し潰された不運な兵士もいた。
頭上から剣を叩きつけられ、腹の当たりまで体が左右に裂けた者もいれば、メイスでぶん殴られ、頭が半分ほど欠けた者もいた。
その馬鹿力を見れば、もはや兜を奪い確かめるまでもなく、相手が化物であることは一目瞭然であった。
(この兵士たちがあの化物だってことは……また、クラスのみんなが)
心を揺らしながら、フウカの背中を追うシルキィ。
すると彼女は頭上に気配を感じた。
顔をあげると、シャンデリアにぶら下がる軽装の兵士を発見する。
兜も顔の全てを覆うタイプではなかったため、赤い顔が半分ほど見えていた。
「黒川さん」
兵士の口元がそう動くと、相手は短剣を手に飛び降りてくる。
シルキィはとっさに前に飛び込み、それを回避した。
真後ろで、刃が床に突き刺さる音がする。
「シルキィッ!」
近くにいたフウカがそれに気づき、腰を落とす。
飛び降りてきた兵士は二本目の短剣を抜き、シルキィに迫る。
おそらくこの距離ならば、フウカは間に合うだろう。
だが、シルキィにだってできることはある。
腰のナイフを抜く。
刃には液体が付着しており、雫となって滴っている。
彼女はそれを、相手の鎧に守られていない部位――足元に向かって投げた。
精度はそう高くない。
なので突き刺さることなく、かすめるのが精一杯だった。
(よし、上出来だ私っ!)
しかしそれで十分だ。
ファム曰く、ナイフには人間を殺すにはちょっと過剰すぎる毒が塗られているらしい。
それは一瞬で肌を変色させ、腐らせる。
敵はバランスを崩し、わずかだがスピードが落ちる。
これで万が一にも、シルキィに手が届く可能性はなくなったわけだ。
そして相手の真横から、フウカの飛び膝蹴りが突き刺さった。
脇腹にめり込んだその一撃に、相手は肋骨を砕かれ、体を
「怪我はないか、シルキィ」
「大丈夫。この乱戦じゃ安全な場所は無いね」
「ああ、だが相手も戦力の多くをここに割いている。ホールを制圧できれば、案外すぐに戦いは終わるかもしれない」
しかし、その“制圧”が困難なのである。
何せ相手は普通の兵士ではないのだから。
フウカが膝蹴りで吹き飛ばした兵士が、むくりと起き上がる。
そして毒で腐った脚の代わりに腕を前脚として使い、犬のような体勢でシルキィに迫った。
「黒川さん、帰ろおおお」
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