第21話 私たちの存在定義
(み、見逃された……?)
振り上げられた剣は、クリドーの鼻先で止まった。
そして兵士はくるりと踵を返し、エントランスホールのほうへと向かったのだ。
「し、死ぬかと思ったあぁ……」
ギリギリ失禁しなかった、それぐらいの恐怖であった。
腰を抜かしたクリドーは壁を使って立ち上がると、後ろを振り向いた。
「こんばんは、お兄さん」
部屋にいた白髪の少女が、笑って立っていた。
「うおぉぉおおおおっ!?」
再び腰を抜かし、後ずさるクリドー。
少女はそこに立ったまま、微動だにせずに彼を見下ろしている。
「な、何だっ、誰だよお前! 何なんだよその腕ぇ!」
服は黒の上着に、胸元にネクタイの付いた白のインナー。
下は短めのスカート。
この世界では見慣れないデザインだが、奇妙と言うほどではない。
姿形もそうだ。
シルキィとそう年代の変わらない少女に見える。
それだけに、異形と化した右腕が圧倒的な威圧感を放っている。
「オーグメント」
「お、おーぐ……? オーグリス、なのか?」
「クラスメイトがお兄さんを殺さなかったのは、優先順位を定められているから」
「どうでもいいっ、ぼ、僕は、死ななければ。生き延びればそれでいいんだあぁっ!」
クリドーは急いで立ち上がると、少女とは逆方向に向かって走りだした。
「うわあぁあああぁあっ!」
そして窓に向かって飛び込み、ガラスを割りながら飛び降りる。
着地がうまくいったかはわからない。
しかし少女はそれを追ったりしなかった。
「修学旅行はこれで終わり。あとは宿題を先生に提出するだけ。みんな、そんな夢を見ている」
その場に立ち尽くし、友の顔を思い浮かべ、羨ましそうに、寂しそうにそうつぶやく。
「“夢”が、“夢”を見ている。そう――私たちはきっと夢そのものなんだよ、繭ちゃん」
階下より聞こえてくる戦いの音を背に受け、少女は屋敷の奥へと進む。
そして暗闇に溶け込むように、静かに姿を消した。
◇◇◇
一階ホールでの戦いは、終わりを迎えようとしていた。
数人の兵士が犠牲になったものの、すでにタムガルの私兵の数は2名にまで減っている。
「タイマンで俺に勝てるわけねえだろうが!」
アングラズがハルバードを敵の脳天に叩きつける。
斬撃は兵士の体を鎧ごと真っ二つに引き裂いた。
「伊達にオーグリスを名乗っていないんでね」
フウカは離れた場所で短弓を構える兵に一瞬で接近し、その顔を鷲掴みにする。
そして力ずくで頭部を引きちぎり、投げ捨てた。
床に血が流れる。
少し離れてその様子を見ていたシルキィは、その一部が不自然に流れていくのを見た。
「頭を破壊されると、体から出ていくんだ……」
一方で、ファムは倒れた兵士の兜を引っ剥がす。
そこにあったのは、顔面がえぐられた無惨な死体。
「うえぇ、悪趣味ぃ……」
「全員やられてるみたいね」
「じゃあタムガルも、とっくに……」
「どうだろうな。利用価値があると判断されて生きてるかもしれねえ、手分けして探すぞ」
兵士たちはアングラズに指示され、屋敷の探索を始める。
シルキィたちも、彼ら同様にクリドーとタムガルを探すため、行動を開始した。
フウカとシルキィが向かったのは2階である。
「確かにこのあたりから音がしたな」
「それは私も聞いた」
戦いのさなか、クリドーが外に逃げ出す音をはっきりと二人は聞いていたのである。
そして実際、すぐに割れた窓を発見した。
シルキィは開いた穴から外を覗き込んだが、そこにクリドーの姿はなかった。
「着地の形跡はあるな」
「草が少し血で濡れてる……?」
フウカは割れたガラスを観察すると、その一部に血が付着しているのを発見する。
「ここで傷を負ったんだろう」
「私たちが踏み込んだから、慌てて逃げたのかな」
「だとしても、兵士は周囲を放置しているぞ」
「でもあのあたり、何か慌ててるように見えない?」
シルキィが指差した先には、持ち場を離れて走る兵士の姿があった。
まるで何かを探しているようだ。
「……逃げたか」
「クリドーは何だかんだいって『勇者』のジョブを持っているから、全力で逃げたら兵士ぐらいなら撒けるかも」
「しかし城門が閉じている以上、外に出ることはできない」
「怪我もしてるからね。後で落ち着いて探そう」
またしてもクリドーを逃してしまったのは残念だが、兵士たちだって彼を追っている。
そしてもう、彼に逃げ込める場所はない。
捕まるのも時間の問題だろう。
となると、ここで重要なのは、なぜ化物が屋敷にいるのか、そしてタムガルの行方である。
窓から離れたシルキィは、別の場所を探索していた兵士が布のようなものを拾っている姿を目撃した。
近づくと、フウカの顔を見た途端に兵士の顔色が変わる。
「な、なんでしょうかっ!」
明らかに上ずった声。
どうやら、オーグリスを前に恐怖を隠せないらしい。
誤解をときたいところだが、ここは無難にシルキィが声をかけることにする。
「何か見つけたんですか?」
「ここに落ちていた布切れです。特別変わったものではないようですが」
そう言って差し出されたのは、赤いネクタイだった。
シルキィは目を見開き、声を震わせる。
「どうして……こんな場所に……」
「見覚えがあるのか」
「だ、だってこれ……私たちの通ってた学校の、制服で……」
シルキィはもちろん、クラスメイトの女子も身につけていたものだ。
それが、わざわざこの場所に、見つけてくれと言わんばかりに落ちていた。
フウカは、またしても心が不安定になったシルキィを抱き寄せる。
兵士は少し気まずそうに視線を外した。
「大丈夫だ、何があっても私が守る」
「フウカ……で、でも、これって……私が来るのを、待ってたみたいで……」
「アザルド軍の連中がやりそうなことだ。こちらにはアングラズと私がいる。オーグメントとやらを投入しても、力ずくではシルキィを奪取できないと判断したんだろう。だからこんな方法で心を揺らそうとしているんだ」
「そうかな……そうなのかな……」
「そうに決まっている! だが安心しろ、私がいる限り絶対にシルキィを奪わせたりはしない」
シルキィはフウカの背中に腕を回し、胸に顔を埋める。
「……ありがと」
そうしていても、全ての不安が消えるわけではない。
だが穴だらけになって崩れそうになる心を、体温と甘い香りが埋めてくれるような気がした。
「おい、お前らそんなとこで何してんだ!」
二階廊下にアングラズの声が響き渡る。
シルキィが顔をあげ、フウカが振り向くと、彼は少し呆れた様子で声を荒らげた。
「タムガルを見つけたぞ。お前らもさっさと来い!」
彼に案内され、二人は一階へ移動した。
◇◇◇
大商人タムガルは、一階の厨房にいた。
彼自身はただ椅子に座っているだけだ。
だが――
「これは、蜘蛛の巣か……?」
部屋にはびっしりと、赤い糸が張り巡らされている。
フウカは“蜘蛛の巣”と形容したが、しかしそれにしては繊維は太く、どちらかというと血管を思わせるような見た目をしていた。
「何なのこれ。これも、オーグメントってやつの仕業なの!?」
「タムガルの胸元、見てみてよ」
先に合流していたファムが、タムガルを指差す。
彼女の言う通り、そこには心臓のように脈を打つ赤い何かが付着していた。
すると身動きが取れない様子のタムガルが、シルキィたちに呼びかけた。
「た、頼むぅっ、助けてくれぇ! そ、その糸に触れると、私の胸のこれが爆発するらしいんだ。君たちならできるだろう? 頼む、誰か外してくれぇっ!」
どうやら、首謀者はわざわざ彼にルール説明をして去っていったらしい。
糸と糸の隙間は、細身の人間がギリギリ通れるほどしかない。
それに一度も振れずにタムガルにたどり着くのは――かなり難しいだろう。
「まず俺の体型じゃ無理だな。面倒だから、あの爆弾ごとぶった切ってみてもいいが」
「やめたほうがいいんじゃない、爆弾の威力がわかんないんだから」
「魔法とかでどーにかなんないわけ?」
「なら私か」
フウカが一歩前に出て、タムガルに向かって手をかざす。
すると、途端に部屋中の糸が、まるで警告するように赤みを増した。
さらに彼の胸に付着した物体が膨張しはじめる。
「あ、あつっ、熱いぃっ! 待ってくれ、駄目だ! 魔法は駄目だぁあ!」
「魔力を感知しているのか……」
「となると、いよいよ誰かが助けに行くしかないってことになるが……誰も死にたくねえよな。仕方ねえ、被害を最小限に爆発させる方法を考えるか」
「待ってくれぇえええっ! 金ならいくらでも出すっ、金貨1万枚でも渡すから頼む、助けてくれぇえええ!」
無慈悲なアングラズに対し、泣きながら命乞いをするタムガル。
それを聞いたルーシュは言った。
「1万枚ならわたくしが……」
「そんなのやらせるわけないし!」
ファムはルーシュに抱きついてそれを阻止した。
「バカね、もちろん冗談よ」
「ルーシュの場合、冗談に聞こえないっつうの」
「いくら金を積まれたところで、命には変えられないからな」
だがそれはタムガルも同じこと。
だから彼は、いくら払っても助けてくれと懇願しているのだ。
そんな中、シルキィじっと張り巡らされた赤い糸を観察していた。
「シルキィ、助ける方法を考えてるのか?」
「うん……逃げるときみたいにあの光が見えれば、ひょっとしたら助けられるかもしれないと思って」
「しかし『逃亡者』のスキルは、何かから逃げていないと発動しないだろう。この状況では難しいんじゃないか」
「でも薄っすらと見えてる気がするんだよね。発動はしてるけど、弱い、みたいな」
何も見えないのなら、シルキィは自分の命を優先していただろう。
しかし、救えるかもしれない命を見捨てるのは、彼女の心情として許せない。
「シルキィちゃん、何か見えてるの?」
「スキルによって、“正しい逃げ道”を示す光が見えるようになるらしい」
「そっかぁ、でも逃げてるわけじゃないのに薄っすら見えてるってことは……シルキィちゃん自身が逃げてるわけじゃなくてぇ、タムガルが逃げたいわけっしょ? んでそれにスキルが反応してるんだ」
頭を悩ませるファム。
するとルーシュが言った。
「“逃がす”ってことじゃないかしら」
要するに、相手の攻撃の威力を逃したときと同じ。
シルキィの能力の発動条件は、必ずしも自分自身が逃げなければならないわけではないのだから――うまく解釈さえできれば、発動は可能なのだ。
「そっか、逃がす……!」
彼女がその概念に気付いた途端、薄っすらとしか見えていなかった光が、はっきりとした道を示す。
「光が見えた!」
「それでタムガルのやつを救えるのか?」
「ほ、本当か!? 頼むっ、どんな礼だってする! だから早くっ、早く助けてくれえぇ!」
不安はある。
なにせこれは、明らかな罠だ。
魔法は使えない。
かといって、触れずに近づくのも困難。
下手に助けようとすれば、さらに被害が増える。
そして何より――2階に落ちていたあのネクタイ。
まるで最初から、シルキィをおびき寄せているようではないか。
(でも思い通りにはさせない。それにこれは、私自身を救うためでもあるから)
揺らぐ存在意義。
クラスメイトたちの声を聞くたびに、施設から逃げ出したことが『間違いだ』と責められているような気分だ。
あのネクタイだってそうだ。
罪を忘れるな、と。
ナイフを首に突き立てられたような気分だった。
ただ一人生き延びた――それだけが、シルキィがこの世界で生きていく価値だったのに。
今はフウカのおかげで、まだ立てている。
しかし、やはり自分自身で自分を支えられる価値が、意味が必要なのだ。
そのためにも――決まりかけた未来を、自分の手で変えたいと思った。
「行くね」
そしてシルキィは示された光に従い、張り巡らされた死の巣へと足を踏み入れた。
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