第8話 血の通った関係を結ぼう
シルキィとフウカは、アングラズから逃げ切ったあと、たまたま見つけた廃墟の小屋で休憩を取ることにした。
逃げる途中で調達したローブ代わりの布を脱いだシルキィは、床に座ると、両手で体を支えて呼吸を整える。
「はあぁ……まさか城門を閉じるなんて。外に逃げるつもりは無かったけど、動きが早すぎるよ……」
フウカはそんな彼女の隣に、肩をぴたりとくっつけて腰掛ける。
「それだけ私を逃したくなかったということだろう」
「……ねえフウカ、近くない?」
「問題あるか?」
「特に無いけど……」
シルキィから見たフウカは、本当に芸術品のように美しいので、あまり近いと緊張してしまう。
そんな彼女の気持ちも知らずに、フウカはこてんと肩の上に頭を乗せた。
「でもやっぱり近い……」
「久しぶりに人肌の暖かさを感じたんだ。少し……甘えさせてくれないか」
捨てられた子猫のように、寂しそうな顔をするフウカ。
(そんな顔されたら何も言えないって……)
フードで頭を隠して他人と会話するぐらいはできたとしても、触れ合うのは難しかっただろう。
およそ2年、誰とも接さずに生きてきたのだ。
ようやく手に入れた、触れられる相手に甘えたくなる気持ちは、シルキィも理解できないではない。
それにしたって、距離の詰め方が急すぎるのだが。
(さっき用水路で『運命を感じた』みたいなこと言ってたけど、そのあたりから空気感が変わった気がするなぁ)
いまいちシルキィはピンと来なかったのだが、フウカにとっては大事なことだった――と思うしかない。
何はともあれ、衛兵が追ってくる様子もないので、今晩はひとまずここで休めそうだ。
緊張の糸が切れ、体から力が抜ける。
すると途端に、アングラズに掴まれた足の指が痛みだした。
「そ、それにしてもあのアングラズとかいう兵士、馬鹿力だったよね。あんなに大きな武器を振り回すんだもん」
「ヤツは私なんかよりよっぽど化物だ。街の衛兵程度に収まる器ではない」
「どこかの軍で問題起こして、クビになって拾われたとか?」
「そんなところかもな。あいつにやられた足は痛むか?」
「我慢はできる。ただ、少しずつ痛みが強くなってる気がするんだよね」
靴を脱いでみると、親指は見事に腫れ上がっていた。
「折れているな」
「やっぱり?」
「骨折となるとすぐには治せないが、治癒魔法を使ってみよう」
そう言うと、フウカは移動し、シルキィの足に両手をかざした。
その手のひらから淡い光の粒が放たれ、粒子が患部を包み込む。
治癒魔法は、対象の自己治癒能力を急激に引き上げ、怪我を治すものだ。
病気も治せるためかなり重宝されるが、あくまでも人間の治癒能力に依存する。
そのため、どんなに極めても一瞬で傷を塞ぐことはできないし、高齢の人間ほど治りが遅くなるという欠点もある。
「魔力、まだ大丈夫なの?」
「少し足りなくなりそうだ。治療を終えたら……その、血を飲ませてほしい」
「もちろんいいよ、治してもらってるんだもん」
やはりシルキィは簡単に承諾してしまう。
血を吸うという行為は、食人衝動を忌避するフウカにとってみれば、禁忌そのものだ。
できればやりたくない。
自然回復か、魔物の血肉で補いたい。
当然、人間側だってオーグリスに血を捧げたくなど無いはずである。
シルキィには、それを拒まないどころか、むしろ自分から『吸っていいよ』と言い切る異常さに関する自覚が無さすぎるのだ。
「フウカも顔が赤いけど、具合が悪かったりしない?」
「これはそういう赤さではない」
「じゃあどういうの?」
「……気にしないでくれ」
言葉を濁し、治療を続けるフウカ。
首を傾げながらも、身を委ねるシルキィ。
静かだが穏やかな時間が過ぎる。
「私たちの似顔絵、張り出されてたね」
「そうだな、あまり似ていなかったが」
「ふふ、特に私の方は全然だったよね」
「実物はもっとかわいい」
「それに関してはフウカもだよ」
「そ、そうか?」
言い出しっぺなのに思わぬカウンターを受け、恥じらうフウカ。
シルキィはお構いなしにさらに褒めちぎる。
「うん、ちょっぴり特徴は捉えてたけど可愛さは全然だったね。きっとフウカのことをちゃんと見たこと無い人が描いたんだよ」
「ま、まあどれだけ不出来な似顔絵であろうと、名前は出ているからな」
「そだね、クリドーは気付いてるかも」
「だが、その男もイニティから出られないという条件は同じだ」
「同じ宿を使ってたから、居場所は知ってる。すぐにでも会いにいきたいところだけど……」
そう言って、シルキィは治療が続く自らの脚に目を向けた。
クリドーを探すということは、つまりこちらから“追う”ということ。
逃げるわけではないので、シルキィの能力も弱まってしまうはずだ。
それに加えて、指の骨折――
一本でも折れてしまえば、走るスピードは格段に落ちる。
何より無理に動かせば、さらに怪我が悪化してしまうかもしれない。
「アングラズも私たちを探っているはずだ。不用意に動いても、この脚ではいつ限界が来るかわからない。ひとまず治癒魔法の効果が十分に効果を発揮するまで……そうだな、三時間程度は休んだほうがいい。その頃には腫れも引いているだろう」
「もどかしいなあ……」
「パーティメンバーは他にもいるんだろう? クリドーが妙な動きをすれば疑ってくれるかもしれない」
「ファムさんとルーシュさんだね」
「シルキィとの関係はどうだったんだ?」
「良好だったよ。二人とも優しかった……けど」
「クリドーより先に会ってみるか? 味方は多いほうがいい」
「殺人犯のことなんて信じてくれるかな……」
いくら信用していると言っても、限度はある。
クリドーに先手を打たれてしまった以上、シルキィ側の不利は否めない。
そもそも、巻き込まれることを知らなかったのだから、防ぎようもないことだが。
「説明しても無理そうか?」
「捕まったときに、凶器のナイフと、被害者から奪ったペンダントが私のカバンに入ってたんだ。だから、疑いを解くのはかなり難しいと思う」
「そこまで物証が揃っていたのか。となると、やはり直にクリドーを叩く以外無いか」
「そうなっちゃうよね、結局」
最初からそのつもりではあったが、できればサブプランも用意しておきたい。
なにせ、二人を探して街中を衛兵たちが見回っているのだ。
必ずしも思い通りに事が運ぶわけがない。
「よし……ひとまず足の処置は終わりだ。このまま朝まで安静にしていれば、ある程度痛みは引くだろう」
「本当にありがとね、フウカ」
「対価は貰うことになっているからな。少し頭がぼーっとしてきた、そろそろ血を飲んでもいいか?」
「もちろん。はい、どーぞ」
襟をずらし、首筋を晒すシルキィ。
細くしなやかなその曲線を無防備に晒す姿を前に、フウカはゴクリと喉を鳴らす。
そして肩に手を置くと、ゆっくりとそこに顔を近づけた。
「では……吸うぞ」
「我慢するけど、できるだけ痛くしないでね?」
「善処する」
フウカも吸い慣れているわけではないので、痛くない噛み方はよくわからない。
だが、少し力を入れたら破れて中身が溢れそうな薄肌を前に、必要以上に慎重にはなっている。
開いた口はわずかに震えていた。
フウカはまず、「はぷっ」と唇を肌に接触させる。
シルキィはその生ぬるい感触に、わずかに「んっ」と喉を鳴らした。
その色気を感じさせる声に、フウカの心音が跳ねる。
高まる緊張。上がる体温。
(落ち着け私、ただ血を貰うだけだ)
わざわざそう言い聞かせなければならないほど、この行為を“特別”だと意識してしまっているフウカ。
彼女はきゅっと強めに目を閉じ、煩悩を振り払って、ついにシルキィの肌に噛み付いた。
オーグリス特有の鋭い歯は表面の皮をつぷりと簡単に裂き、白い牙が肉に浅く沈んでいく。
「い、つっ……」
シルキィが感じた痛みは、注射よりも強いぐらいのものだ。
しかし2年の旅で、ある程度の苦痛にも耐えられるようになった彼女にとっては、大した痛みではない。
だが、どうしても反射的に声は出てしまうし、体もこわばってしまう。
そうしている間にも、フウカの牙に穿たれた穴から、じわりと血が滲み出す。
彼女の舌が鮮血を舐め取ると、シルキィはそのくすぐったさに、再び「ん、ん」と喉を鳴らし、動きに合わせるようにぴくりと体を震わせた。
やがて牙は引き抜かれ、フウカはそこから滾々とあふれ出す血を、ちゅうちゅうと音を立てて吸い取る。
シルキィは慣れたのか、はたまた別の理由があるのか、すっかり痛みを感じなくなり、唇と舌が肌に触れるこそばゆさだけを感じるようになっていた。
「ん……ちゅぅっ、ふむぅ……」
シルキィよりも少し大人びて見えるフウカだが、こうして首筋に吸い付く姿を見ていると、あどけなさも垣間見える。
(お母さんに授乳される子供みたい……って例えはあんまりよろしくないんだろうなぁ)
だが、いつの間にか背中に腕を回してシルキィに抱きつき、必死に血を吸うフウカの姿を見ていると、そう思わずにはいられなかった。
母性というやつだろうか。
気づけばシルキィも相手の体に腕を回し、抱き寄せていた。
「ちゅう……ん、ふぅ……」
鼻で呼吸をするフウカは、血の出が悪くなってくると、吸うよりも舐める頻度が多くなる。
他人に舌で舐められる経験なんてものは、もちろんほとんど無いわけで。
(くすぐったい……)
慣れない感覚に、さすがのシルキィにも恥ずかしさが湧き上がってくる。
だが、あくまでこれはフウカに必要なことなのだ――と言い聞かせて、気持ちを落ち着かせた。
やがて完全に血が止まると、「ぷぁっ」と彼女は口を離す。
そしてとろんとした目で、ぽーっとシルキィの顔を見つめた。
「お腹いっぱいになった?」
彼女がそう笑いかけると、次第にフウカの目に光が戻ってくる。
どうも、血を吸うのに夢中になりすぎて、理性がどこかに飛んでいたらしい。
オーグリスの本能というやつなのだろう。
冷静になった彼女は、瞬く間に耳まで真っ赤に染まると、それを隠すように両手で顔を覆った。
「またやってしまった……」
「あのときとは違ったよ?」
「だが、今の私は完全に意識が飛んでいた! 記憶すら曖昧なんだ。シルキィ、私に変なことをされなかったか? うわっ、ほら見ろ、肩のあたり涎でべたべたじゃないか!」
「ふふっ」
「笑っている場合か!?」
「場合だよ。だって血を吸うフウカ、可愛かったもん」
さも普通のことのように言い切るシルキィ。
フウカは恥ずかしさの限界を突破して、どうすることもできなくなって、やけくそ気味に目の前の彼女に抱きついた。
これで顔は見えないはずだ。
もっとも、さらに恥ずかしい状態になってしまった気はするが。
「本当にシルキィは不思議な人間だ。それにこうして抱きついていると、妙に気持ちが落ち着く。懐かしい匂いがする」
「匂う? あんまりお風呂に入れてないし……」
「嫌な匂いはしない。私は好きだぞ」
「そっか。ち、ちなみにフウカはすっごく甘くていい匂いするよ!」
「はは、それなら私も安心して抱きつけるな」
「今日はこのまま寝ちゃう?」
「ああ……シルキィがいいならそうしよう」
「あ、でも衛兵が」
「追手の殺気を感じたら私がすぐに目を覚ます、そういうのは染み付いている」
「じゃあお言葉に甘えて」
フウカを抱き枕代わりにして、目を閉じるシルキィ。
心地よい重みと暖かさが、痛みを忘れさせてくれる。
(今日は嫌な夢を見ずに済みそう)
まどろみに沈んでいく意識。
肉体が疲れ果てているからか、夢を見る余裕もなく、二人は数時間の仮眠を取った。
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