第7話 誰も彼もが“想定外”
「はぁ……はぁ……めっちゃくちゃ疲れたあぁ……」
軽装の女冒険者は、酒場に到着するなり椅子に座り、テーブルに倒れ込む。
まるで溶けた液体のようにだらける彼女の前に、もう一人の女冒険者が座った。
「ほんとねえ。誰かさんが変な道を選ぶから大変な目にあってしまったわ」
そのローブと杖の形状から、パーティでは回復や味方の強化の役目を担う、『聖職者』のジョブの持ち主と思われる。
一方で軽装の女のほうは、腰に提げられたナイフなどから、『盗賊』なのだろう。
そして最後の一人、『勇者』クリドーは二人の女からの冷たい視線を受け、気まずそうに腰掛ける。
「文句ばかり言うな、ファム、ルーシュ。今回はたまたま強力な魔物に出くわしてしまっただけだろう」
運が悪かっただけだ――そう主張する彼に、盗賊のファムは不満そうに唇を尖らせる。
「昨日もそうだったじゃん?」
さらにファムに続き、ルーシュもクリドーにダメ出しした。
「そして今日もそうだったわ。クリドーはシルキィ無しでも雑用を完璧にこなしてみせると言ってたけど――」
「出来ていない、と言いたいのか?」
「うん」
「ええ、もちろんよ」
即答する二人に、「ぐ……」とクリドーは言葉に詰まる。
「薬草も途中で無くなりかけたしぃ」
「魔力も尽きかけたわね」
「あと薬草の質自体も悪いのに、値段高すぎだよね」
「道にも迷っていたわ」
「それとご飯もめっちゃマズかった」
「加えて、苦労した割には報酬も高くなったわねえ」
マシンガンのように襲い来る苦情の数々に、ついに彼はキレた。
テーブルを叩いて立ち上がり、声を荒らげる。
「だったら手伝ってくれればいいだろう!」
「嫌だよ」
「シルキィを首にしたのは貴方よね?」
「僕はそっちのほうが取り分も多くなるから楽になると思ったんだ。実際、今日みたいに強力な魔物と遭遇したら、シルキィは足手まといになっていただろう?」
「彼女は逃げ足だけは早かったと記憶しているわ」
「だよねー、むしろ無傷で帰ってそう」
「だ……だからそういうところが駄目だったんだ! 今度はある程度戦える人間をパーティに入れる、それまで役割分担をして負担を分かち合おう」
「だから嫌だって」
「自分でやったことは自分で責任を取るのが筋よ」
全力で拒否するファムとルーシュ。
そして何も言い返せないクリドー。
二人に相談せずにシルキィをクビにした時点で、彼の立場が悪くなるのは当然であった。
「シルキィをクビにしたこと自体、わたくしは納得してないもの」
「取り分少ないのに頑張ってくれてたじゃん。狩りの準備とかほぼ丸投げだったけど、何の不満もなかったんですけど」
「素性を話そうともしない人間だ、どうせどこかで犯罪に手を染めて、逃げてきたに決まってるんだ。いつ裏切るかわかったものじゃない」
「その信用度で言ったらクリドーが一番低くない?」
「僕が二人を裏切るっていうのか!?」
「そこまでの信頼を得る長い付き合いではないわ。ねえ、ファム」
「だよねー、あーしとルーシュならともかく」
クリドーがこのパーティに参加したのはおよそ1年前である。
ファムとルーシュは、それよりずっと前から二人で組んで活動をしていた。
なぜかクリドーは『勇者』だからとリーダー面をしたがるが、特に二人はそれを認めているわけでもなかった。
「わかった、わかったよ。とにかく、近いうちに代わりは探してくる! 雑用だって全部僕がやる、それで満足なんだろう!?」
「いや、不満だからこんな話になってるし」
「大人しくシルキィを連れ戻したほうがいいと思うわ」
「クソッ……だったら今すぐ代わり探してみせる。それで納得してくれ!」
そう言い残し、クリドーは酒場を出ていく。
もちろん残されたファムとルーシュが納得するはずがない。
「どーも怪しいんだよねー、あいつ」
「調べてみる?」
「金にはなんないかもしんないけど、シルキィちゃんが変なことに巻き込まれてたらやだもんね」
「あら、むしろ私は金の匂いがすると思ってるわよ」
「どこから?」
「クリドーみたいな男を不自然な行動に走らせる。そんなもの、権力かお金ぐらいしかないじゃない」
クリドーという人間は、一見して真面目で誠実そうに見える。
だが実際のところ、金遣いは荒く、女遊びも激しい放蕩勇者なのだ。
おそらく、比較的希少価値が高く、万能な戦闘職である『勇者』として生まれてきたことで、周囲からちやほやされてきたのだろう。
実際、『勇者』は様々な魔法や剣技を覚え、パーティでの中心的存在になりやすいので、リーダーの素質が高いジョブではある。
しかし、結局のところ、リーダーに向いているかどうかは本人の人格次第である。
そしてクリドーの性格は、リーダーにこれっぽっちも向いていない。
だが本人は、うまくできると思いこんでいるのだ。
「お金ねえ。クリドーがそういうの話しそうなのって誰かいるっけ? あーし、あいつのプライベート全然知らないかも」
「わたくしも知らないわ、興味ないから。けど、色街に足繁く通っているという話は小耳に挟んだことがあるの」
「あー、おねーさんたちに自慢話とかしてそう」
「ええ、きっと聞けばわかるでしょうね」
クリドーの動向を怪しむファムとルーシュ。
二人は食事を済ませると、早速その足で、怪しげな店が立ち並ぶイニティの一角へと向かった。
◇◇◇
一方、店を飛び出したクリドーは、すっかり暗くなった街中で途方に暮れていた。
「啖呵を切ったのはいいものの、伝手なんて無いぞ。どうしたものか……」
実際のところ、今回の追放劇に関して、シルキィに一切の責任はない。
全てはクリドーがやったことだ。
(僕だって殺すつもりなんて無かったんだ……でも仕方ないじゃないか。あの女が、勝手に本気になるから……)
とぼとぼと道を歩きながら、あの日のことを思い出す。
三日前、クリドーはとある店の裏で、顔なじみの娼婦と揉めた。
彼はどうしても、以前彼女にプレゼントしたものを取り戻したかったのだ。
だが女は頑なに譲ろうとしない。
『返してくれたら別のものをあげるよ、どんな高価なものだって構わない。欲しい物があるだろう? な?』
『私はこれじゃないと嫌なの!』
『頼むよ、僕がここまで頼み込んでるんじゃないか!』
クリドーにとって、女はただの娼婦に過ぎない。
だから彼女の本心も知らず、たまたま店で見かけた安物のペンダントだから、と渡してしまったのが運の尽きだった。
説得したのは一度や二度じゃない。
どうしてもペンダントが必要だったから、土下座してまで頼み込んだこともある。
それでも娼婦は、『初めてのプレゼント』という部分にこだわり続け――
(だから、僕は……彼女を殺した)
それは最終手段だった。
何があってもペンダントを返さないと言うのなら、殺すしかない。
しかし、こんなことのために殺しの罪をかぶりたくない。
何より、『勇者』である自分が罪に問われるのは世にとっての損失である。
だから彼は、シルキィに罪をなすりつける方法を考え、実行した。
(僕の判断は賢明だったはずだ。ただの娼婦なら死んでも誰も悲しまない。身寄りのないシルキィが捕らえられたところで、大して嘆く人間はいない。そして僕は――)
殺人を犯すリスクの大きさはクリドーとてわかっている。
だが、それ以上に大きなリターンがある。
(大金が手に入る。一生遊んだって使い切れない額だ。いくらか分け前を与えれば、ファムとルーシュも黙るに違いない)
自分の選択は正しい。
間違っていないはずだ。
そう頭の中で繰り返すのは、不安の裏返しに他ならない。
そしてそういうときに限って――不安というのは現実になってしまうものである。
クリドーはイニティの城門付近で異変に気づき、足を止めた。
「やけに騒がしいな」
すでに空は暗いというのに、まるで繁華街のような賑わい方だ。
そちらに視線を向けると、真っ先に閉じられた城門が目に入ってきた。
あれが閉じられるのは、敵軍か魔物の大群が攻め込んできたときぐらいのものだ。
不思議に思って近づくと、衛兵が立ち、外に出たいと詰め寄る人を押し返す姿が見えた。
また、近くの壁には張り紙がされており、それを人だかりが囲んでいる。
興味本位でクリドーもその張り紙を読むべく、近づいていく。
「オーグリスと……殺人犯が脱獄? こ、これは……そんな馬鹿なっ!」
思わず大声をあげると、周りの人々の視線が集中する。
まずいと思ったクリドーはその場から逃げ出し、自分が使っている宿に急いだ。
(シルキィが逃げた? しかも人喰い鬼と一緒に!? なぜオーグリスがこんな街で捕らえられていたんだ。なぜあいつがそんな化物と一緒に逃げ出すんだ!)
城門が閉じられていた原因は、外敵から守るためではなく、内側から逃さないためだったのだ。
だがそれは同時に、クリドーも同じ空間内に閉じ込められたことを意味する。
(さすがに本人は僕に罪を着せられたことに気付いているはずだ。恨まれている。憎まれている! まさかそのためにオーグリスと? 僕を殺すために人喰い鬼を!?)
彼は走り続け、軽く呼吸が荒くなっていたが、体温は上がるどころか血の気は引くばかりだ。
曲がり角に差し掛かるたび、その先にシルキィがいるのではないかと警戒してしまう。
あるいは、深くフードを被って顔を隠している人間が、実は彼女なのではないかと疑ってしまう。
周囲全てが敵に見えた。
ようやく宿の前までたどり着いた彼は、中年店主の「おかえりなさい」という穏やかな声を無視して、自分が借りている部屋に駆け込んだ。
「どうする……どうする……? あの人に保護を頼むか? 予定は前倒しになるが、すぐにでもペンダントを引き渡して――」
クリドーは、大事にペンダントを保管していた引き出しを開いた。
そして中に入っていた袋を持ち上げ、唖然とする。
「軽い……う、嘘だろっ、入ってないのか!? どうして!」
袋の中身は空っぽだったのだ。
開いて指を突っ込んでも、ひっくり返しても、金属の一片すら出てこない。
再びクリドーの顔が真っ青になっていく。
「誰だ……盗みが入ったのか? いや、そんな形跡はっ!」
頭を抱え、髪をかき乱しながら部屋を歩き回る。
だがいくら思考を巡らせたところで、答えは見つからなかった。
「数日中に渡すことになっているのに……大金のために、人まで殺したっていうのに! どっ、どうしたらいいんだよぉおおっ!」
クリドーは崩れ落ち、悲痛な声をあげる。
その後もしばらくうずくまっていたが、ゆっくりと立ち上がると、最低限の荷物だけ持ってふらふらと宿を後にした。
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