第26話 怪物の腹の中

 



 ベッドに横たわるシルキィを、ルーシュが治療している。


 フウカはその近くで、シルキィの手を両手で握って無事に目を覚ますことを祈っていた。


 一方、手の空いていたファムとアングラズは別室で作戦会議を行っていた。




「アスカ、か。そんなやつがオーグメントを持ってるとはな」




 アングラズは相変わらず椅子には座らず、壁にもたれながら腕を組んでいる。




「オーグリスでも動きが見えないぐらい早いってヤバいんじゃない?」




 ファムは体と一緒に椅子を前後に傾けながら、ちょっぴり不機嫌な様子で話していた。


 本当はルーシュのところにいたかったし、アングラズとも接点がほぼないのだから仕方のないことだ。




「オーグリス一人分で作ったなら、同じぐらいの強さになる気がするけどね。いっぱい詰め込んであるのかな」


「人間が生きてくのに必要なのは戦う力だけじゃねえ。だが兵器となれば事情は別だ」


「あー、歩いたり考えたりする部分も、全部戦うことに費やせちゃうワケだ」


「そう考えりゃ、オーグリスより強いのは納得できる。だが問題は、どの程度の差があるか、だな」


「勝ち目あんの?」


「さあな。だが、本気を出しても構わねえ相手ではあるらしい」


「まるで今までは手を抜いてた、みたいな言い方じゃん」


「手は抜いてねえ。だが、限界まで力を引き出したわけじゃねえよ」




 そう言って、彼が取り出したのは、袋に入った粉薬だった。




「何それ」


「一種の興奮剤だ。飲むと脳のリミッターを外せるんだよ」


「うわ、あーしそれ知ってるかも。つか薬物ってより毒物だよね。普通に死なない?」


「そんなヤワな鍛え方はしてねえよ。俺が使うと脳の枷が外れて、世界を何倍も鮮明に捉えることができる」




 現状、明日香についてわかっていることは、フウカでも視認できないほどの速さで動くということのみ。


 それに対し、感覚の拡張――動体視力の飛躍的な向上により対処するのは定石だ。




「代わりに、ちと凶暴になっちまうがな」


「あーしとかルーシュ巻き込むのはやめてよ?」


「安全の保証はできねえ。だから、アスカの相手は俺一人でやる」


「無理じゃない?」


「周りに誰かいるほうが足手まといなんだよ。それに、どうやらあの赤い化物の親玉らしいからな。下手に犠牲者を出したくねえんだ」




 戦いに死者はつきものだ。


 アングラズは幾多の戦場を駆け抜け、人の死には慣れている。


 だが慣れと悲しみはまた別の問題だ。


 タムガルの屋敷への突入でも、数人の部下が命を落としている。


 まだ弔う余裕はないが、アングラズは胸の内で、彼らの勇敢さを讃え、その死を悼んでいた。




「俺の部下には門の解放を命令してる。何だったら、あんたも今のうちに逃げちまっていいんだぞ?」


「ルーシュがいるのに逃げるわけないじゃん。あいつもさ、何だかんだで自分が治療した相手の面倒は最後まで見たがるタイプだし」


「他人のために命を賭けるか」


「もちろんどっちか選べって言われたら、あーしは自分とルーシュの命を優先する」


「それでいい。ま、どっちにしろ俺が本気を出してる間は足手まといな上に――」




 アングラズは皮肉っぽく笑う。




「仮に俺が負けたとして、そんな相手に勝てるやつがイニティにいるとは思えねえな」


「自信家じゃん」


「ったり前だろ、それだけの修羅場はくぐり抜けてきたつもりだ」




 それは自惚れなどではない。


 経験から来る、確かな自信である。


 実際、薬を使っていないアングラズ相手でも、まともに戦える者はほとんどいない。


 彼がシルキィの能力を知らない時なら勝機はあったかもしれないが、知られた今はなおさらだ。




「つうわけで、その間どうするかは自分らで考えといてくれ」


「わかった、無駄に終わることを祈っとく」




 ファムはそう言うと、部屋から出ていこうとした。


 すると扉が開き、口の周りをわずかに血で汚したフウカが入ってきた。




「あれフウカじゃん。シルキィは大丈夫なの?」


「つかその口なんだよ。まさか傷口から吸ってきたのか」


「一時的に目を覚ましたシルキィに頼まれたんだ。無駄にするより飲まれたほうがいいと」




 そう語るフウカは少し不満げである。


 さすがに、そんな状態のシルキィから血をもらっても嬉しくはないらしい。


 気分が落ちると、味も不味く感じるものだ。


 フウカも、シルキィの気持ち自体は嬉しいと思ってはいるし、魔力補充はできるので無駄ではないのだが。




「それより、アスカがいつ来るかわかったぞ」


「来るの? あっちから?」


「シルキィに予告したらしい。明日の朝、迎えに・・・来ると」


「明日の朝って……」




 ファムは時計に目を向けた。




「もう日付変わりそうなんだけど」


「猶予があるだけマシだろ。それに、相手が予告通りに動くわけもねえしな。俺らがやることは変わらねえ、現状での最善を目指すだけだ」


「相手はシルキィがいる場所に現れるはずだ。彼女の傷が塞がるまではまだ少しかかるが――場所を移すことは可能だろう」


「ここで構わねえよ。俺がオーグメントを迎え撃つ、お前とシルキィは後ろで見てろ」




 あまりに強気な発言に、フウカはちょっと困った様子でファムのほうを見た。


 しかし彼女も肩をすくめることしかできない。


 とはいえ、直にやりあったことのあるフウカはわかっている。


 アングラズが自分よりもずっと強いことを。


 彼が倒せないのなら、フウカとシルキィはまず逃げて、機を伺うしかない。




「一応確認しておきたいんだが、この詰め所から街の外に出る隠し通路のようなものはないのか? 例えば――私たちが脱獄に使った水路が、外に繋がっているとか」


「こっからはねえな。だが、ギュオールの屋敷からはどっかに繋がってるかもな」


「屋敷か……」




 詰め所から屋敷までは少々距離がある。


 明日香から逃げつつ、あるかもわからない隠し通路の場所を探すのは厳しい。


 仮に存在するのなら、先に知っておきたいところだ。




「そういえば、ギュオールはどうしているんだ? タムガルの屋敷での一件は報告されているのか?」


「部下に頼んでる……あー、そういやまだ戻ってこないのか。遅いなあいつ」


「あーしが見てこよっか?」




 ファムは軽く手を上げて言った。




「ちょうど外に用事あったとこだし」


「頼む。俺が出るわけにもいかねえからな」


「りょーかい」




 ひらひらと手を振りながら部屋を出ていくファム。


 彼女は出かける前に、ルーシュに声をかけにいったようだ。


 部屋に残されたのはフウカとアングラズだけになる。


 二人はしばし目も合わせずに黙っていたが、フウカがため息交じりに愚痴をこぼす。




「……我ながら情けないよ」


「だろうな」


「まったく相手の動きが見えなかった。気づけば意識を奪われ、次に目を覚ましたときはシルキィがあのザマだ」


「オーグリスなら、オーグメント相手でもどうにかなると思ってたんだろ」


「慢心があった、と認めるしかないだろうな。シルキィを守ると誓ったのに、これでは……」


「別に守れなけりゃ嫌われるってわけでもねえんだろ? だったら考えたって意味なんてないんじゃねえか」


「それはそうだが……」


「時間さえありゃ鍛えられる。だが今は無理だ。お前は絶対にアスカに勝てねえ、それを踏まえた上でどう動くか、だろ」




 ある意味で、フウカは幸運だった。


 初遭遇で明日香に殺意はなかったのだから。


 もしあのとき、彼女が本気でフウカの命を奪いに来ていたら、なすすべもなく死んでいただろう。


 “逃げなければならない相手”と知れたこと。


 それは十分な情報アドバンテージに成りうる。




「逃げる……か。はは、そうなれば私は逆に守られる立場になってしまうな」


「そうか、あいつ『逃亡者』だからな。それでもいいんじゃねえのか、支え合いって感じでステキじゃねーの」


「からかっているのか?」


「当然。まだ完全に信用しちゃいねぇのよ、オーグリスってやつを」




 タムガル邸での戦いで、兵士たちもフウカのことを信用しつつある。


 とはいえ、やはり人と人食い鬼の間には壁がある。


 別け隔てなく完全に心を開いてくれるのは、やはりシルキィぐらいのものだ。




「世の中にはそれ以上の化物やクズがいるから、今は手を組んでるけどな」


「クズといえば、クリドーはどうなった? 死んでもおかしくないぐらい全力で殴ってしまったが」


「半殺しってやつだな。回復魔法を使えるやつに死なない程度に治療してもらったが、骨も折れまくってるし、内臓もいかれちまってる」


「では病院に?」


「いや、そのまま牢屋にぶちこんでるが。ずっと呻きながら苦しんでるらしいが、どのみち処刑だしな、完治させる必要はねえよ」


「そうか……一度はシルキィに土下座させたかったんだがな」


「処刑まで生きてたら、絞首台の上でやらせりゃいい」




 誰一人として、クリドーの命の心配などしていなかった。


 フウカやアングラズは当然として、ファムやルーシュも、別に彼に生きていてほしいとは思っていない。


 サミーを殺した時点で、それだけのことをやっている。


 シルキィを刺した時点で、死以外の未来は消滅した。


 あとは傷ついたシルキィの心を癒やすために、彼の残った命をどう使えるか――その有効活用の方法を探るぐらいしか存在価値はない。




「気になることと言えば、あいつが『シルキィは化物だ』ってずっと繰り返してることぐらいか」


「責任転嫁を続けているんだろう。あれはそういう男だ」


「でもよ、俺にはあの現場の状況がいまいち理解できねえんだわ。アスカが出てきて、建物ぶっ壊して、明日殺しに来るって予告したあと、クリドーが出てきてシルキィを刺した……だがクリドーは、あの顔が赤い化物みてえに体を乗っ取られたり、操られたような形跡は残ってねえ」


「かといって、それがクリドーの戯言を肯定する理由にはなるまい」


「そうなんだが……なぁんか引っかかるんだよなァ。クリドーかシルキィ、どっちかからまともに話を聞けりゃはっきりするんだろうが」




 フウカもあの場で起きた出来事に関しては、一刻も早く真実を知りたいとは思っている。


 意識を失ってから目を覚ますまで、それなりの時間が空いていたことは把握している。


 現状で掴めているやり取りだけが行われたとすると、あまりに時間が長すぎるのだ。


 刺されて苦しんでいるとはいえ、あのシルキィの深刻な様子――他に何か重要なやり取りが行われた気がしてならなかった。


 とはいえ、何も知らないのはフウカもアングラズも同じだ。


 自然と会話は途切れ、二人は沈黙した。


 フウカは椅子に座ったままテーブルに突っ伏し、目を閉じる。


 アングラズは腕を組んで虚空を見上げ、戦いに向けて意識を研ぎ澄ます。


 そんな停滞が一時間ほど続いた頃、外に出ていたファムが帰ってきた。




「よかったぁ、こっちもちゃんといたし」




 彼女は帰ってくるなり、胸をほっとなでおろす。


 それを聞いて少し寝ていたフウカも目を覚し、不思議そうにそちらを見た。


 ファムは自分が見てきたものを、二人に身振り手振りを添えながら話す。




「ギュオールの屋敷に行ったんだけどさ、だーれもいないの。見張りの兵士もお手伝いさんも。深夜だからかなーと思ったんだけど、門も開いてるし玄関も鍵かかってなかったんだよねー」




 それを聞いたアングラズの眉間にしわが寄る。




「中はどうなってたんだ」


「みんな寝てるのかなと思ったけど、誰もいなかったよ。立派なお屋敷が無人だと、あんなに不気味になるんだね」


「つまり……ギュオールの姿もなかったっつうことか」


「うん、そうなるね。誰もいなかったわけだし」


「ギュオールは地下に隠れると私たちに言っていた。それらしき場所は見つかったか?」




 フウカの問いに、「うんうん」と二度首を縦に振るファム。




「それってたぶんあそこだよね、棚が横にスライドして、その奥に地下に続く階段があるとこ」


「そんな仕組みで隠されていたのか」


「下にある扉も頑丈そうだったよぉ、普通に開いてたけど。あと、その近くにギリギリで人が通れそうな穴もあった。たぶん逃げ道だねあれ」


「……ギュオールのやつ、そこから逃げやがったか」




 アングラズは少し嬉しそうに言う。


 しかしファムは申し訳無さそうにそれを否定した。




「んーん、それも違うと思うよ。通り抜けようとしたら体が擦れると思うけど、そんな形跡は残ってなかった」




 小さな期待を裏切られ、思わず舌打ちするアングラズ。


 フウカもテーブルに両肘を置いたまま、額に手を当てうつむく。




「あれー……もしかしてあーし、これ話さないほうが良かった感じ?」


「んなわけえだろ、有益な情報だ。有益すぎて嫌気がさすぐらいにな」


「アングラズ、これは……」


「十中八九、消されちまったんだろうな。アスカってやつに」


「え、えっ!? マジで言ってんの? だってさっきまでは朝にならないと来ないって言ってたじゃん!」


「あれはあくまでシルキィに対する予告だ。私たちを含め、周りの人間を消さないとは言っていない……ということだろう」




 予告の時間になる前に、シルキィ以外の人間を全て消し去っておくつもりなのか。


 それとも、単純にペンダントの奪還も任務の一つだから、先に終わらせたのか。


 後者ならまだ時間はある。


 だが、仮に前者だった場合――




「じゃ、じゃあさ……もしかして、この建物の周りに全然兵士がいないのも、消されたからだったりする?」




 気まずそうにファムが言うと、アングラズは「マジかよ……」とぼやいて頭を抱えた。



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