第10話 化物には化物をぶつけとけ

 



 “長谷川”を名乗る化物は、男性の顔をえぐり取ったあと、その傷口に顔を近づけた。


 そして大きく口を開くと、ぼたぼたと血の塊のようなものを吐き出し、えぐって生まれた空間に詰め込んでいく。


 すると赤い物体は膨らみ、新たな顔が生まれる。


 中年の男の体に宿ったのは、少女の顔。




「起きロ、吉田。遅刻したら先せイに怒られるぞ!」


「ごメンね長谷川くン。寝坊しちゃって」




 聞こえてくるのも少女の声。


 その両方に――シルキィは聞き覚えがあった。




「あ……ああ、違う……違う……あああぁあああっ!」




 膝から崩れ落ち、両手で頭を抱える。


 その反応は、客観的に見ても何かを知っているものだった、




「シルキィ、あの化物に心当たりがあるのか?」


「知らない……知らない……知らない、知らない、知らないっ! 私は何もっ!」




 シルキィは目を見開き、うわ言のように何度も「知らない」と繰り返す。


 彼女が錯乱状態にあることは一目瞭然であった。


 フウカはすぐさま、自分の問いかけがうかつであったことに気づく。




(彼女が何か知っていたとしても、話を聞くのは今じゃない。大事なのは、犠牲者を最小限に抑えてこの場を切り抜けることだ)




 人喰い鬼と呼ばれ、人々に虐げられたオーグリス。


 しかしフウカは、無駄に人間の命が失われることを良しとしない。


 宿の廊下に響き渡る声は、扉越しに他の部屋にまで響いていた。


 ちょうど早朝だったこともあって、声に反応した宿泊客たちが起きようとしている。




「んだよ、こんな時間にうっせえなぁ……」


「何の騒ぎなの?」




 その声に反応して、化物が動く。


 変えられた男のほうもすっと機械的に立ち上がると、赤い顔で開こうとする扉を見つめた。


 フウカはとっさに部屋から飛び出し、フードを外して大声を上げる。




「私は牢獄から逃げ出したオーグリス、フウカだッ! この宿に泊まっている客を食うためにやってきた!」




 不本意ではあるが――こういうとき、『出るな』と叫んだところで止まらないものだ。


 ならば、より効果的な言葉を選ぶまでのこと。


 オーグリスが人喰いというのは周知の事実なのだから、今さら叫んだところで落ちる名誉も無い。




「食われたくなければ部屋から出るな、一瞬でも顔を出したら喉元を食いちぎって殺してやる!」




 わざとらしく、演技がかった言い回しだったが、効果は十分だ。


 出てこようとした宿泊客は、みな怯え、引きつった声をあげて部屋に引きこもる。


 そして化物もまた、その声につられてフウカを凝視する。




「おーぐりす? オーグリス。ああ、オーグリスだよ吉田」


「そうだね長谷川くん。宿題、終わらせないと」


「来るなら来い、化物!」




 長谷川と呼ばれた化物が、すっと姿勢を低くする。


 両手を床に当て、腰を上げる。


 陸上のクラウチングスタートを思わせる体勢だ。


 フウカが拳を構え、体重を移動させた拍子に床がギシ……と軋む。


 その瞬間、長谷川の思考領域内で号砲が鳴り響いた。


 彼は爆発的な加速で、フウカとの距離を詰める。




(アングラズには及ばないが――こいつも速いッ!)




 そこから速度を維持したまま、アスリートを思わせるフォームでフウカに迫った。


 体をひねると、腕を前へと突き出す。


 放たれた右拳に、フウカも右拳で応えた。


 ドォンッ! と砲撃めいた衝撃音が響き渡り、宿全体が揺れる。




「くっ……」




 歯を食いしばり、腕を震わす威力に耐えるフウカ。


 一方で長谷川は、それに耐えきれずに腕がぐにゃりと曲がる。




「……お?」


「肉体は人間のままらしいな」


「長せ川くん危なイ!」




 背後から少女の声が聞こえると、廊下に置かれていた壺が飛んでくる。


 フウカはそれをギリギリで体を逸らして避けた。


 あまりの剛速球に、壺は壁にぶつかった瞬間粉々に砕けた。


 その隙に長谷川はフウカから距離を取ろうと後ろに飛んだ。




「逃がすかぁ!」




 そこでフウカは自ら踏み込み、彼の服を掴む。


 そして力任せに、吉田を名乗る怪物に向かって投げつけた。




「うわああああ」


「きゃああああ」




 ぶつかり、もつれ、転がる二体の化物。


 悲鳴のような――しかしこれっぽっちも緊急性を感じさせない、平坦な叫び声が逆に不気味だった。




(この生物は何だ? 現れた状況からして、私たちを狙ったとは言い切れない。逃げたクリドー……その場所に現れた化物……狙われているのは彼か?)




 あまりに不可解で、考えても何も答えが思い浮かばない。


 不可解と言えば、シルキィもそうだ。




「違う、違う、あんなのじゃない、違う、違う、違うっ」




 真っ青な顔をして、頭を抱えて必死に現実逃避をしている。


 だが『逃亡者』のスキルは現実逃避には効果が無いらしく、どれだけ『違う』と繰り返しても目の前の光景は変わらない。


 倒れていた二体の化物は、何事も無かったように再び立ち上がる。


 元の持ち主の肉体が破壊されても、彼らは一切の痛みを感じていない様子だった。




「ねえ長谷川クん、あれソウじゃない?」


「うん、そうダね。そうだ」




 すると、吉田と呼ばれたほうの化物が、ふいにシルキィを指差す。


 そして口元に手を当てると、彼女に向かって呼びかけた。




「おーい、黒川さーン!」


「おぉイ、黒川さぁぁぁあん!」




 シルキィが、「ひっ」と引きつった声をあげる。




「黒川さーん!」


「黒かわサーン!」


「クロかわさーん!」


「くろカワさーん!」




 何度も何度も、壊れた機械のように彼らは『黒川さん』と言い続けた。


 シルキィは明らかにしに単語に反応した様子で、両手で強く耳を塞ぐ。




「あ、あああぁあっ、違ううぅう! 違うのぉおおお!」


「シルキィ、大丈夫か? なあ、シルキィ!」


「違うぅうう! うわあぁぁああああああっ!」




 フウカはとっさに彼女に近づいて肩を揺らしたが、見開かれた瞳はここではないどこかを見ており、叫んだって声も届かない。




「黒川さーん」


「黒川さぁあん」




 そうしている間にも、化物は赤い顔面に満面の笑みを張り付け、シルキィに近づいてくる。


 フウカはすぐに彼女を両腕で抱えあげた。




(あちらもシルキィに反応しているのか? ならば引きつけながら、この建物から脱出するしかない! しかし――)


「ああぁぁああっ! 違うのぉ、私のせいじゃないのぉおお!」


(出口方面はあの化物に塞がれている。シルキィを抱えたまま突破できるのか!?)


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃ。みんな、みんなあぁああっ!」




 ◇◇◇




 シルキィの泣き声は、も宿泊客たちにも聞こえていた。


 大半はオーグリスに怯えて、鍵を部屋に閉じこもっていたが、中には扉をわずかに開いてこっそりとその様子を観察する者もいる。




「すごいことになってんじゃん。ルーシュも見たほうがいいって」




 シルキィのパーティメンバーの一人であるファムだ。


 緊急の依頼などが出たときにすぐ動けるよう、彼女たちはみな同じ宿に部屋を取っていたのである。


 ファムは興味津々で廊下の様子を覗き見ているが、ルーシュは興味なさげに部屋に一つしかないベッドの上でゴロゴロしていた。




「オーグリスなんでしょう? お金にもならない厄介事にはお近づきになりたくないわ」


「それだけじゃないっての。オーグリスの女の子が、他の女の子抱えてんだけどさ」


「まさか、一緒に逃げたっていうシルキィなの?」


「それっぽい」




 さすがのルーシュも無関心ではいられなくなったらしく、気だるげにベッドから這い出た。


 そしてしゃがむファムの頭に顎を乗せて、廊下での戦いを見つめる。




「本当だわ。しかもオーグリスの子が守ってるじゃない、どういう関係かしら」


「つかあっちの人なに? 顔が赤いっつうか、何か蠢いてるけど」


「知るわけないわ。けど城門が閉ざされたことといい、この街で何か起きてることは確かみたいね」


「クリドーも絡んでんのかな」


「可能性はあるわね」


「疫病神すぎんでしょあいつ……」




 げんなりするファム。


 そして彼女は扉の前から離れると、引き出しから導火線のついた球体を取り出した。




「何するのよ」


「手助けすんの」


「ちょっとぉ、私たちが狙われたらどうするの?」


「シルキィちゃんが死ぬほうがやだ」


「わがままお人好しぃー」




 唇を尖らせながら、不満げなルーシュ。


 しかし彼女もファムの行動を止めようとはせず、火の点いた球体はドアの隙間から、廊下に投げ込まれた。




 ◇◇◇




 突然廊下に現れた玉が、シュウゥゥと音を立てながら煙を吐き出す。


 さほど広い空間ではないため、瞬く間に白煙は視界を覆った。




「煙幕……誰かは知らんが助かった!」




 これが敵の仕業か味方仕業かかも定かではないが、とにかく逃げるチャンスだ。




「黒川さん、ドこ?」


「クロかわさーん!」




 煙の中で必死に『黒川』とやらを探し、腕を振り回す化物たち。


 フウカはその間を通り抜けて、何とか酒場に出ることが出来た。


 窓越しに表通りに目をやれば、多くはないが人通りがある。


 やはり裏から出るしか無いようだ。


 扉を蹴り開いて、たどってきた道を戻る。


 背後では煙から抜け出した化物たちがフウカを追いかけてきていた。


 腕の中のシルキィは、自分を包む体温で少し落ち着いたのか、もう声は発していたい。


 ただ瞳孔を開いたまま、胸に手を当てて荒い呼吸を繰り返している。


 その姿は孤独に震える子供のように痛々しく、顔を見るだけでフウカは『絶対に守らなければ』という使命感に戦意を高める。


 裏口まであと一息。


 フウカの足が床を蹴り、一気に距離を縮める。


 そのとき――彼女は視界の端に、赤い顔を捉えた。




(こいつ、隠れてッ!?)




 棚の影から姿を現し、飛び出す化物。


 体は中年男性。


 顔だけが少女の形をしている。


 おそらく見当たらなかった、この宿の主だろう。




「黒川ぁ」




 化物の手はシルキィに向かって伸ばされており、避けようにもこの体勢、この距離では難しい。


 それなら魔術で――とフウカが対処しようとした時、




「うわぁああああああ!」




 シルキィはいつの間にか懐に忍ばせていた錆びたナイフを引き抜いており、それを全力で相手の首に突き刺した。


 劣化した刃の切れ味は鈍く、先端数センチが首に埋没するのみ。




「お、がっ……くろか」




 それでもダメージは入り、相手がよろけたところで、




「邪魔だ、退け!」




 フウカの足裏が敵を蹴飛ばす。


 背中から壁に叩きつけられる化物。


 すぐさまフウカはその横を通り過ぎ、またしても扉を蹴飛ばして外へ脱出した。




「黒川さん、待ってぇ」


「おレたちずっと探してたんだよお、二年。二年もずっと」




 すぐさま後ろから追ってくる。


 数は三体。


 足の早さはフウカと変わらないぐらいだ。


 人間離れした速度なので、元は普通の人間だった化物たちはその負荷に耐えきれいない。


 彼らは足が妙な向きに曲がったり、ぶちぶちという音とともに筋肉が断裂し、内出血を起こし、皮膚が青黒く変色していた。


 それでも速度は落ちず、全身をバネのように使って食いかかってくる。




「しつこいな、あの化物ども!」


「はっ、はっ、はっ」




 過呼吸状態のシルキィは、顔に汗を浮かびながらも、じっとフウカの顔を見つめている。




「無理はするな、シルキィ。今は私に任せてくれ」


「そ……そういうわけには、い、いかない、から……私も、たぶん、責任がある……」




 今にも消えそうなか細い声で喋るシルキィ。


 そして彼女は指をさす。




「あっちに……光が、続いてる」




 『逃亡者』のスキルが指し示す、逃げるべき方角。


 それは今のシルキィにも見えている。




「わかった、そちらに向かう」




 フウカはその力を信じ、進行方向を変えた。


 街中を駆ける都合上、すれ違う人は必ず現れる。


 そういった人々が巻き込まれないかが気がかりだったが、今のところ化物たちは二人を追うことに集中しているようだ。


 もちろん、逃げるオーグリスと、追うその異形を見た一般人は、その悪夢のような光景に悲鳴をあげて怯えていたが。




「シルキィ、本当にこっちで合ってるのか?」


「スキルが正しいなら」


「しかしこちらは――」




 フウカが向かう先にあるのは、今朝まで潜んでいたあの廃屋だ。


 つまり、近くにはアングラズがいる可能性がある。


 さすがに化物とアングラズの相手を同時にやるのは無理だ、文字通りの自殺行為になる。




「この建物を……飛び越えて」


「しっかり捕まっててくれ!」


「っ……く、そして、降りた先をまっすぐ……向こうに走って」




 助走をつけて、建物の上から飛び降りるフウカ。


 そして着地した場所には――




「あ」


「ん? お前らッ!」




 ちょうど、アングラズが立っていた。


 目が合って驚く両者だったが、彼はすぐさま背中のハルバードを構えて襲いかかる。




「やっぱいるんじゃねえか、探した甲斐があったなあ!」


「待て、今はっ!」




 振り上げられる刃。


 だが間に割り込むように、フウカを追って化物たちが屋根から降りてくる。




「何だ、てめえら。気持ち悪ィ顔しやがって、俺の邪魔をするな!」




 苛立たしげにアングラズは叫ぶ。


 彼から向けられる明確な敵意、あるいは殺意に、化物たちは――




「私たチはクラスメイトと仲良くしたいだけです」




 反応した。


 彼らもまた敵意を込めた眼差しを、アングラズに向ける。




(この状況は……)




 なぜシルキィのスキルが、アングラズのいる場所に導いたのか。


 その理由が見えてきた気がした。


 シルキィはフウカに耳打ちをする。




「光は奥に続いてる。今のうちに逃げよう」




 どうやら彼女も、フウカと同じことを考えていたらしい。


 化物とアングラズは一触即発の空気。


 ここでフウカたちが背中を見せて逃げれば、




「あっ、てめえ逃げんな! 待ちやがれ!」




 アングラズは二人のほうを向き、その隙を狙って、




「勝手に学校に入って来るナああぁあああ!」




 化物が彼に襲いかかる。


 もちろんアングラズは反撃するだろう。




「だから邪魔すんなっての、死んでも責任取れねえぞ!」




 伸ばした手を柄で打ち払い、さらに寝かせた斧槍の穂による殴打が彼らに襲いかかる。


 この時点で、アングラズは化物たちの技量を理解し、相手が只者ではないと判断する。


 同時に化物たちは明確にアングラズを敵だと認識し、両者はフウカたちの追跡を諦めて戦闘せざるをえない。




「ただの人間じゃねえなこいつら。ちくしょう、あの人殺し姉妹、厄介事を俺に押し付けやがった」




 ここまで来れば、さすがに彼も自分が陥れられたことに気づく。




「覚えてやがれ、次に会ったときは必ず裁いてやる!」


「先生、体罰はいけないと思いまス」


「気持ち悪ィ顔でわけわかんないこと言ってんじゃねえぇぇええ!」




 アングラズは八つ当たりするように、荒々しく己の獲物を振り回した。



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