第11話 同じ顔、同じ名前、違う命

 



 化物をアングラズに任せ、逃げ切ったシルキィとフウカ。


 気づけば闇市や風俗街のあるエリアまで来ていた。


 シルキィを落ち着いた場所で休ませるべく、フウカは路地裏に置かれた大きな樽の裏に身を隠す。


 壁を背もたれにして地面に腰掛ける二人。


 シルキィの顔色は悪く、襟元は冷や汗で濡れている。




「……ごめんね」


「謝るな、シルキィが悪いわけではないだろう」


「私も知らなかったの、あんなことになってるなんて」


「あの化物が何なのか、話せるか?」




 フウカは、汗を拭うようにシルキィの頬に手を当て、彼女の身を案じながら慎重に尋ねる。




「正直、何が起きているのか、詳しいことまではわからない。けど、長谷川くんも、吉田さんも、みんな……私と一緒にあの施設に連れてこられた友達のうちの一人だったの。顔の形もたぶん、同じだった」


「やはりそういうことか。しかし――あの状態は何だ? とても人間だとは……」


「黒川って言ってたから、記憶は残ってるんだと思う」


「なぜ彼らはシルキィのことをクロカワと?」


黒川くろかわまゆ。それが、私の本当の名前だから」




 蚕の繭から作られるシルク。


 だからシルキィ。


 そんな安直な発想で付けた名前だが、2年間、その偽名のおかげで一度もアザルド王国軍に見つかったことはなかった。




「つまり“クロカワ”がシルキィの名前なのか?」


「ううん、この国風に言うならマユ・クロカワになるかな」


「マユ……そっちもかわいい名前じゃないか」


「ありがと。ちなみにフウカは……本名なの?」


「ああ、一人で行動していたからな。名前を明かす機会すら滅多になかったから、それでも問題はなかった」




 シルキィは戦う力を持っていなかった。


 だからパーティに加わり、誰かを頼りにしなければ生きていけなかったのだ。


 それゆえに名前が必要だった。


 一方でフウカは、孤独なオーグリス。


 名前というのは個を識別するためのものなのだから、一人きりなら使うこともない。




「まさか、また黒川って呼ばれるとは思ってなかったな……それもあんな形で……」




 あの姿を思い出すだけで、シルキィの気持ちは沈んでいく。


 人間の顔を剥ぎ取り、中身をくり抜いて、その中に寄生する化物。


 人の形を取っていても、実態は血と肉を混ぜたようなスライム状の物体だ。


 もはや生命と呼べるのかも怪しい。




「私が逃げたから……私のせいで、あんな……」


「そんなわけないだろう」


「でもっ!」




 反論しようとするシルキィの頬を、フウカの両手がむにゅっと掴む。


 そして鼻がくっつくほどに顔を近づけて、子供に言い聞かせるように強い口調で言い放った。




「シルキィは悪くない!」


「あぅ……」


「悪いのは誘拐して、あんな風に変えてしまったアザルドの連中だ! そうだろう!?」


「ひょ……ひょうらへろ……」




 ここでフウカは、つい力を入れすぎて、シルキィの顔が軽く潰れてしまっていることに気づく。


 手を緩めると、今度は落ち着いた口調で話し始めた。




「施設の警備は厳重だったはずだ。そこからたった一人で逃げられるはずがない。シルキィが脱出するのを、友達が手伝ってくれたんじゃないか?」


「……うん」




 誰か一人でも逃げて、外から助けを呼んでこよう。


 そういう、計画とも呼べない杜撰な計画だった。


 全員が一斉に動き出し、最も脱走に近い人をフォローする――それが繭、もといシルキィだったわけだ。




『繭ちゃん、逃げて!』


『俺らのことは気にすんなっ!』


『誰か一人でも、生き延びさえすれば……!』




 おそらく全員が、助けを呼ぶのも無理だとは理解していた。


 なにせここにいるのは軍人だ。


 つまり、国家がサポートして、正当な手続きを踏んで少年少女を実験材料にしているのだから。


 その証拠に、シルキィたちが呼び出された直後、目の前に現れた研究員らしき女性はこう告げた。




『過去、我が国で人体実験を行った結果、厄介な問題がいくつか発生しました』


『血縁者や同じ民族の人間が我々を糾弾したり、あるいは生き延びた実験材料が復讐を企てたり』


『そのようなことを起こさないためには、どうしたらいいのか。そう、必要なのは味方が一切存在しない素材だったのです』


『ありがとう、みなさん。都合のいい存在として生まれてくれて』




 一切悪びれること無く、彼女はそう言い切ったのだ。


 そして現に、今のところこの世界に“日本”という国が存在することは確認できていない。


 自分たちが拉致されたのは、異世界なのか、誰も知らない大陸なのか、地下帝国なのか、はたまた違う星なのか。


 何もわからない。


 ただはっきりしていたのは、あの施設にいる限り、シルキィたちは人権のない実験材料として消費・・される未来しか無いということだ。




「それでも……みんな、心のどこかで思ってたんじゃないかな。逃げ延びた私が助けに来てくれるって」


「どこから見ても彼らは正気じゃなかった。人の手で歪められた姿から、元の形なんてわかりっこないんだ」


「オーグリスもそうだったの?」




 フウカにも似たような経験はある。


 あの化物と同じ、アザルド軍の実験から生まれた命として。




「私はオーグリスの両親から生まれた子供だ。だから実際に、オーグリスが生み出された頃のことは知らない。しかし――人食衝動に苦しめられる同族を見たことはある。シルキィだって見ただろう? 最初に出会った時、君の血を求めた私の姿を」




 そう言われて、シルキィは牢獄での出来事を思い出す。


 今のように知性があって、人を思いやれる優しさもあり、甘えたがりな子供っぽさもある――そんなフウカの姿を、あのときは一片たりとも想像できなかった。




「そしてオーグリスだって元は人間だ。つまり人食衝動の標的の範疇なんだよ。あの状態になると、愛する人の顔すら忘れて、ただ人肉を求める化物になる。そうなるともう、手足を縛って、閉じ込めて、魔力の自然回復を待つしか無いんだよ。牙をむき出しにして、涎をだらだらと垂らして、別人みたいなケダモノの顔になった知り合いの姿を見るのは……本当に、本当に胸が苦しかった……」




 シルキィの目の前で、フウカは悔しそうに唇を噛んだ。


 彼女はオーグリスが化物扱いされることを、“理不尽”だとは思っていない。


 理性を失ったあの姿を見たことがあるからこそ、己も化物のうちの一人だと自覚している。




「だからこそ、シルキィは特別なんだ」


「……私が?」


「だってそうだろう、襲われて血を吸われたんだぞ? 私のあの姿を見た上で、自分から血を飲んでいいと言ってくれる。そんな人間、今まで一度も会ったことがない」


「私とフウカは、似たような境遇だと思ったから」


「同情だったとしても、私を受け入れてくれたのはシルキィだけという事実は変わらない」




 フウカは、頬から離した手でシルキィの手を包み込む。




「こんなにも優しい人間に、友達だって生き延びてほしいと願ったに違いない。彼らの名誉のためにも、今の言動が本音だと思わないでほしい。アザルド軍の手により化物に変えられ、歪められた姿に真実なんてないんだ」


「みんなのために……」




 本当に優しいのは自分じゃない、フウカのほうだ――シルキィは心からそう思う。


 宿屋で動けなくなったシルキィを守っただけでなく、今だって、こうして一生懸命に励まそうとしてくれているのだから。


 手を握り返すと、フウカは優しく笑った。




「それにだな、誰がなんと言おうと、シルキィは素敵な人間だ。頼むから、自分の命の価値を疑ったりしないでくれ。私が悲しむ。まあ、死を選ぼうとしていた私が言えた義理ではないが」


「そうだね、私だってフウカに生きててほしいと思う。それと同じなんだね」


「ああ、お互いに堂々と生きよう。この状況を切り抜けて」




 暖かな励ましを受けて、シルキィの心は少しだけ立ち直る。


 しかし、不安はまだ残っていた。




(もし長谷川くんや吉田さんと同じように、あの子が出てきたら、私は――)




 薄情かもしれないが、その二人は黒川繭と親しかったわけではない。


 それでも、立ち上がれなくなるだけのショックを受けたのだ。


 今はただ、最悪の未来が実現しないことを祈るのみ。


 だが一方で、それは――親友がすでに死んでいることを意味するのだが。




「こっちに逃げたって本当か?」




 表に通りから、衛兵の声が聞こえてくる。


 シルキィとフウカは再び隠れた。




「隊長がそう言ってたんだよ」


「その隊長は?」


「暴漢と戦ってる、手こずってるらしい」


「あの化物を手こずらせる暴漢って何だよ……オーグリスは逃げるし、何が起きてんだこの街」


「愚痴言ってないで早く探すぞ。家に帰れねえだろうが」


「うぃーっす」




 通り過ぎていく衛兵たち。


 だがフウカが耳を澄ませてみると、他にも無数の足音が聞こえる。


 アングラズはあの化物と戦いながらも、部下に指示を出したらしい。




「そろそろ移動しないと見つかるな」


「そのまま闇市に向かう?」


「近くまで来てしまったからな、そうするか」




 物陰から立ち上がろうとするシルキィとフウカ。


 すると近くにあった風俗店の裏口が開き、中から派手な格好をした女が出てきた。




「……ど、どうも」




 目が合い、反射的に頭を下げるシルキィ。


 ローブを纏い、フードを被っているので、顔ははっきりとは見えていないはずだ。


 しかしその出で立ちは立派な不審者。


 女は睨むように目を細めながら、二人の前を通り過ぎていく。


 そして表の通りに出た。


 彼女はそこで、偶然通りがかった衛兵に声をかけられる。




「おい、そこの女! ちょっといいか」


「何、客? そういうのは店を通してくれない?」


「そんな話はしていない! このあたりで手配書の二人を見なかったか?」




 彼はそう言って、城門付近にも張り出してあったシルキィとフウカの似顔絵を取り出す。


 女は首を振って即答した。




「知らないわ。第一、オーグリスと遭遇したら私なんてとっくに食べられてるもの」


「そうか、ならいい。協力に感謝する」


「今度は客として来てねー」




 気だるげに手を振って、衛兵を見送る女。


 その後姿が見えなくなると、彼女は急に踵を返し、シルキィたちの前まで戻ってきた。


 そしてしゃがみこみ、顔を覗き込む。




「さっきの手配書、あんたたちでしょ」


「わかっていたのなら、なぜ見逃した」




 女はフウカの問いに答えず、再び立ち上がると薄ら笑いを浮かべた。




「アタシの家近いんだ。かくまってあげようか?」


「へ? な、何のために……」


「無関係な人間を巻き込むつもりはない」


「無関係じゃないよ」




 彼女は店の裏口に視線を向け、どこか寂しげに告げる。




「あんたが殺した子、アタシの親友だったから」




 クリドーから濡れ衣を着せられたシルキィは、まだ誰が殺されたのかもすら知らない。


 それを知る女性の存在に、彼女は強く興味を引かれた。



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