第12話 誰にでも物語はある

 



 殺された娼婦の親友――そう名乗る女は、真意を告げぬままシルキィたちを自分の家に案内する。


 前を歩く彼女についていく二人は、ひそひそと小声で話し合っていた。




「本当にいいのか? どう考えても罠だぞ」


「でも衛兵に私たちのこと伝えなかったし、それに……」


「何か他にあるのか?」


「光が、彼女の先に続いてるの」




 シルキィにだけ見える、逃げ道を示す光――それが『あの女性についていけ』と告げているのだ。




「確かにあの女から敵意は感じないが……」




 それでもフウカは不安だった。


 もちろんシルキィも手放しで信用しているわけではない。


 だが巻き込まれた者として、事件のことを知りたいという好奇心もその背中を押していた。


 風俗街から少し外れ、石造りの狭い家が雑多に並ぶ通りに入る。


 中も見た目通りに――いや、それ以上に狭く、部屋はベッドとわずかな居住スペースで埋まってしまっているようだ。




「ここだよ、入んな」




 女が案内した部屋も例にもれず狭く、三人が中に入るとそれだけで窮屈と感じるほどだった。




「ベッドにでも適当に座ってよ。あ、パン食べる?」


「その前に名前を聞いてもいい?」


「ああ、自己紹介ね。あんたたちのこと一方的に知ってるから忘れてた。アタシはクラリッサ、さっきの店で働いてる」


「私がオーグリスということも知っているのか?」


「そうらしいね。あれマジなの」




 フウカがフードを外し角を見せると、クラリッサは「うわあ」と薄めの反応を見せた。


 そして彼女は壁際の鏡台に置かれたパイプを持ち、火をつける。




「実在するんだ。正直、結構怖いかも。あ、でもアタシは食べないほうがいいよ? 健康に悪いから」




 口から煙を吐き出すと、薬草めいた匂いが広がった。




「フウカは人間を食べたりしないよ」


「そうなんだぁ、まあどっちでもいいし」


「どっちでも、とは?」


「食われて死ぬならそれはそれで。つか腹減ってる? ならこのパン食べてよ。別にアタシを食ってもいいけど」




 彼女はシルキィに、乾いた楕円形のパンを放り投げた。


 フウカにも同じものが渡される。


 昨日から何も食べていなかったので、素直に受け取ることにした。




「腐る前に処理しないと、一人じゃ食べ切れないからさ」


「食べきれないって、一人暮らしじゃないの?」


「この部屋にあの子と二人で暮らしてたからね」




 女性の言葉を聞いて、口に運ぼうとしていたフウカが固まる。


 とてもではないが、気軽に食べられる代物ではなかった。




「別に気にしなくていいよ? アタシもあんたらがやったとは思ってないから」


「そ、そうなの……?」


「死んだ時間帯が仕事の休憩中。十中八九、そのタイミングがわかる客の仕業でしょ。あんたぐらいの女の子がこの辺に出入りしてたらすぐに顔を覚えられる。でもアタシ、どっちの顔も知らないからね。そこ無視しても、ペンダントが奪われた時点でお察しってヤツだし」


「ペンダントって、あの赤いやつだよね」


「それは知ってんだ」


「いつの間にか私のカバンに入ってたの。クリドーが入れたんだと思う……あ、クリドーっていうのは」




 説明をしようとシルキィは、女の表情を見て止まった。


 大きく変貌したわけではないが、明らかに怒りの籠った、冷たい眼差しをしている。




「クリドーかぁ……」


「どうやら名前に心当たりがあるようだな」


「まあね、さんざんサミーからのろけ話は聞かされてたから。ペンダントももらったって聞いたし、返してくれって頼まれてるとも聞いた。ま、アタシには遊ばれてるようにしか思えなかったけど」


「じゃあそのサミーって人とクリドーは……付き合ってたの?」




 クラリッサは「はっ」と呆れたように笑った。




「サミーはそう思ってた。クリドーはそう思ってなかった。よくある話だよ、特に男運が死ぬほど悪いサミーにとってはね。だから取り返すために殺されたってわけだ」


「取り返す……」




 シルキィがそう繰り返すと、クラリッサは鏡台の引き出しを開いて、その中に入っていたアクセサリを鷲掴みにした。


 そして二人に見せつけるように、床に投げ捨てる。




「あの子さ、男にもらった最初のプレゼントを大事にするっていう重苦しい趣味があったの。だからクリドーに『返してくれ』って頼まれても返そうとしなかったってわけ」


「クリドーという男は、そのペンダントを必要としていたわけか」


「でも捕まったとき、私のカバンに入ってたよ? てっきり濡れ衣を着せるためだと思ってたけど、必要なら自分で持っておくはずだよね」


「アタシも詳しい事情は知らない。つか、確かめたかっただけだから」


「何をだ?」


「サミーを殺したのが誰なのか。顔も知らない人間が、金にもならないやっすいペンダントを奪うために殺しました、なんて筋が通ってないじゃん? それがクリドーって言うんなら納得しかない」




 内心では、クリドーがやったんだろうと疑いの目は向けていた。


 それを確定させる材料がクラリッサの中になかったわけだ。


 だがシルキィたちは、クラリッサがクリドーの名前を出す前に、その名を口にした。


 その時点で嘘や誤魔化しではなく――『ああ、やっぱり』と納得してしまったわけである。




「そんで墓の前で笑い飛ばしてやりたかった。『このバカ、だからあの男はやめとけって言ったのに』って」




 クリドーは以前から、イニティの風俗街に入り浸っていたのだろう。


 ひょっとすると、クラリッサが相手をしたこともあったのかもしれない。


 その上で『やめておけ』と忠告するということは――よほど彼には問題があったに違いない。




「サミーはさ、男に貢ぐために店に入ってきたバカな娘だったんだよ。その後も付き合う相手が、見事に全員クズ男っていう神がかったバカ。そんな人間、どうあっても近いうちに破滅するしかない。そしたら案の定この有様ってわけ。ははっ、笑えるでしょ?」




 実際に肩を震わせ笑ってみせるクラリッサ。


 だがその表情には覇気がなく、やけっぱちになっているようにも見えた。




「だが一緒に暮らしていたんだろう」




 フウカはあえて空気を読まずに、そう指摘した。


 するとクラリッサの虚勢がわずかに崩れ、彼女は思わず黙り込む。


 パイプを加え、煙を吸い込み、虚空に向かって吐き出す。


 そして、まるであの世にいる誰かに伝えるように口を開いた。




「だって、ほっとけないじゃない。そんなバカ」




 その言葉に万感の想いを込めて。


 きっと、本人がいるときには表に出せなかった感情がそこにはあった。




「ほんとバカだわ、野良猫に入れ込むアタシ含めて。なんであんなくだらない男のために死ぬんだか……」




 らしいと言えばらしい。


 想像通りといえばそれまで。


 だがいくら前もって“笑い飛ばしてやる”と心に決めていても、現実はそうもいかないものである。




「はぁ……あんたたちはこれからどうするつもり?」




 ため息を挟んで、彼女は話題を変えた。


 シルキィたちも、これ以上掘り下げても傷を広げるだけだと悟る。




「クリドーがやった証拠を手に入れるために、闇市に向かおうと思ってる」


「こんな朝っぱらから? まだ店は出てないし、出てたとしても金が無いんじゃ話も聞いてくれないと思うよ」


「詳しいんだな」


「世話になることも多いからね」




 そう言ってクラリッサは手に持ったパイプを揺らす。


 火皿に詰められた、独特の匂いを放つその薬草は、闇市でしか手に入らない脱法的なものなのだろう。




「しかし、金か……」


「私、ある程度は持ってたけど……捕まった時、衛兵に没収されたままなんだよね」


「私も同じだ。いざとなれば、私がオーグリスということを明かして脅すこともできるが」


「フウカには悪者になってほしくないよ」


「ふふっ、これ以上落ちる名誉など無い身だよ。だけどシルキィの心遣いはありがたく受け取っておこう」


「仲いいのね、あんたら」




 茶化すようにクラリッサに言われ、照れる二人。


 目の前でのろけられても、彼女は呆れるどころか、むしろ微笑ましい気分になったようで、上機嫌にこう提案した。




「だったらアタシが話つけたげる」


「いいの?」


「人助けなんて柄じゃないけど。そうしないと、チクチクしたものが心の隅っこで引っかかってる気がするんだよね」




 犯人さえわかればいいと思っていた。


 だがいざわかってみると、恨みの一つでも晴らしたくなる。


 クラリッサは、思っていた以上に自分の中のサミーへの想いが大きかったことに戸惑っているのだろう。


 シルキィとフウカはしばらく部屋で休憩した後、彼女と共に闇市へと向かうことにした。



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