第30話 生まれてきた意味

 



 突然の大爆発に、混乱が広がるイニティ。


 人々は慌てて家を飛び出し、街の出口に殺到していた。


 一方でシルキィとフウカは、ファムとルーシュと合流し、明日香が死んでいないことを伝える。


 そして次の作戦を練るために、安全な場所を探してさまよっていた。




「あれで死んでないとかありえないし!」


「街に被害が出ることは承知だったけれど、仕留められていないとなると申し訳ないわね」




 逃げ惑う住民とすれ違い、ルーシュは肩を落とす。




「かといってオーグメントのことを説明するわけにもいかないだろう。今は私たちで何とかするしかないんだ!」




 フウカは自分を奮いたてるように、語気を強めて言った。


 そうでもしないと、負けを認めてしまいそうになるから。


 それだけ明日香との力の差は歴然としていた。


 薬を使ったアングラズも、イニティに溜め込まれた火薬を全部使っても、まったく倒せる気配が無いのだ。


 今だって、時間を稼いで、作戦を練ればどうにかなることを前提に動いているが、本当のことを言えば『そんなことをしても無駄なのではないか』と思っている。


 戦いを捨てて逃げたとしても、切り札を使い切った今、あのスピードで迫る明日香を完全に撒くことは不可能だ。




「何か……何か方法は……!」




 苦悩するフウカ。


 ファムとルーシュも必死に考えるが、方法など見つからない。


 シルキィに至っては、険しい表情で黙り込んでいた。




「あれ、あんたたち――」




 そんな彼女たちに、横を通り過ぎようとした女性が声をかける。




「あ、クラリッサさん」


「シルキィにフウカじゃないか。そっちに門は無いけど、逃げなくていいの?」




 クリドーに殺された娼婦の同居人、クラリッサ――タムガルの屋敷で別れた彼女は、他のイニティ住民たちと同じく、街の外に逃げ出そうと門に向かっていた。


 しかし、他の群衆に比べると、慌てた様子はない。


 死んだなら死んだでそのとき――そんなやる気の無さが伺えた。




「私たちは用事があるから。でもクラリッサさんは早く逃げて、爆発より大変なことが起きるかもしれないから」


「何か大変なことになってるんだね。アタシに手伝えることある?」


「すまないが、そんな次元の話ではないんだ」




 フウカが断ると、クラリッサはなぜか「ふふっ」と肩を震わせ笑った。




「それってさ、もしかしてサミーが殺されたこととも関係ある?」


「無関係ではないが……」


「やっぱそうなんだ。はは、それは良かった」


「何で喜んでるの?」


「あの子、ゴミクズみたいに殺されて終わったと思ってたから。こんな大騒動にまで発展したんなら、死んだサミーも報われるってもんじゃない。ああ、変なこと言ってることは理解してるから、あんま深く考えないで」




 シルキィにはよくわからなかったが、クラリッサなりのサミーへの愛情表現だと理解することにした。




「だからアタシも絡みたいの。このあたりの地形には詳しいし、役に立てる思うよ?」




 顔を見合わせるシルキィとフウカ。


 巻き込むのは忍びないが、このイニティにいる時点で、すでに巻き込まれているようなものだ。


 クラリッサの好意に甘え、シルキィたちは隠れられる場所に案内してもらうことにした。




 ◇◇◇




 風俗街にある怪しげな店の中、その一番奥に案内された部屋はあった。


 中に入った途端、独特な薬草めいた匂いがして、シルキィは顔をしかめる。




「相変わらずやな匂い、ギリギリまで使ってたのかもね」


「うえ……これ国から禁止されてるやつっしょ」




 ファムは自分の顔の前を手で払いながら言った。


 彼女は薬草や毒の類に詳しいので、心当たりがあったようだ。




「お得意様しか入れない部屋ってことね、貴女も使ってたのかしら」




 ルーシュに軽く問い詰められると、クラリッサは笑いながら否定した。




「ここウチの店じゃないから。同業者から聞いて知ってたわけよ。領主にも気づかれないような場所だから、隠れるにはうってつけでしょう?」


「ありがとう、クラリッサさん」


「アタシも一緒に隠れるけど問題ないよね」


「……あまり勧めたくないがな」


「何で?」




 クラリッサはきょとんと首を傾げた。


 それに対して、シルキィは気まずそうに答える。




「追われてるのが私だから」


「あー……じゃあアタシ、自分から危険な場所に入り込んじゃったんだ。ははっ、ウケる」


「軽いわねえ」


「死んだら死んだでその時じゃない? まあ、ヤケになってるのもあるんだろうけど、別に外にいるからって安全じゃなさそうだし」




 そんなクラリッサの言葉を証明するように、地面が揺れ、天井から小石がパラパラと落ちた。


 彼女はなぜか「ほらね?」と得意げである。




「アスカが暴れてるっぽい」


「つまり今のところ、私たちを完全に見失っているということだ」


「だったら今なら逃げられそう――と思ったけど、見つかった途端に一瞬で追いつかれるわね」


「私が囮になれば逃げられるかもしれない」


「馬鹿なことを言うな!」




 フウカはシルキィの肩を強く掴む。


 彼女はそれが本気だということを、ここに来るまでの間に痛いほど理解していた。


 だからこそ、行かせまいと強く抱きしめる。




「もし、自分が犠牲になればいいと考えているのなら、それは大間違いだ。出会ったときのことを思い出せばわかるだろう? シルキィが死んだら――私も死ぬからな」


「でも……二人一緒に生き残ることなんて、もう……それに私には、大勢の人を犠牲にしてまで生き残る意味なんて……」


「私はシルキィに救われている、それじゃ駄目なのか?」




 弱々しくフウカの声が震えている。


 彼女はこつんと額を額を合わせて、懇願するようにシルキィに言った。




「なあ、シルキィ」




 瞳は涙に濡れて。


 その心はまるで親に捨てられた子犬のように、か細く、不安定だ。


 だが――天秤の一方に乗っているのは、命だ。


 彼女はシルキィがいなければ死ぬと言ったが、そうならない道だってあるだろう。


 無責任かもしれないが、ルーシュとファムなら、フウカが死ぬことを止めてくれるだろうから。




「……ごめんね」




 シルキィはフウカを軽く突き飛ばすように、体を離した。


 そして後ずさりながら、部屋の出口に近づく。




「私が明日香の相手をしてる間に、みんなで逃げて」


「待ってくれ、行くなぁッ!」




 手を伸ばし、叫ぶフウカ。


 しかし“逃げ”に入ったシルキィを捕まえるのは、オーグリスであろうと困難だ。




「さすがにそれは納得できないわ!」




 ルーシュは自己強化により加速し、シルキィの前に立ちはだかった。




「当たったら痛いけど仕方ないかっ」




 ファムは麻痺毒の付いた針を取り出し、投げつける。


 しかし――シルキィは体を傾け、最小限の動きで針を避けると、体を低く落としてルーシュを躱し、扉にたどり着いた。


 フウカがその脚をつかもうと飛び込む。


 指先が肌に触れる、だが彼女の足首は、するりと薄布のようにすり抜けてしまった。




(掴めない――これが『逃亡者』のスキルか!)




 ついに部屋から出ていってしまうシルキィ。




「嘘だぁ……全部避けられたし」


「自信なくしてる場合じゃないわ、追うわよ!」




 すでにフウカも彼女を追って部屋を出ていた。


 クラリッサはすっかり置いてけぼりだが、今は説明している暇もない。


 ファムとルーシュも、フウカに続いて外に出る。




「シルキィ、シルキィ、シルキィィィィッッ!」




 何度も名前を呼んで叫ぶフウカ。


 明日香に見つかる可能性があったとしても、彼女にとってはシルキィを行かせないことが最優先事項だ。


 前方を走るシルキィは、その声に後ろ髪を引かれながらも、決して振り返らない。




「『逃亡者』……私にもっと、“速さ”を!」




 『逃亡者』の空きスキル枠を消費して、『逃走時速度上昇』のスキルが覚醒する。


 途端にシルキィは加速し、オーグリスの能力をフルに出し切って迫るフウカとの距離が遠ざかっていく。


 好きだから一緒に生きたい。


 好きだから生き延びてほしい。


 好きだから死んでほしい。


 愛情の形は人それぞれで、だからこそどれだけ愛し合っていても噛み合わないことがある。


 今のシルキィ、フウカ、そして明日香がまさにその状態だった。


 同じ施設で、似たような実験を受けたという境遇は同じで、本人たちに罪がないことも共通しているのというのに。




「何で追いつけないんだ……こんな呪われた体のくせにっ、どうして肝心なときに届かないんだよぉおお!」




 フウカは悲痛な叫びを響かせる。


 シルキィとの出会いは、彼女にとって紛れもなく運命だ。


 死なせたくない。


 死ぬ以外方法が無かったとしても、何がなんでも死なせたくない。


 仮に死ぬしかないというのなら、一緒に死にたい。


 一人でなんて。


 孤独な終わりなんて、そんなものは認められない。


 その一心で、筋力も魔力も出し切って走っているのに――“逃げる”シルキィは、遠ざかるばかり。


 そしてついには、その姿は見えなくなってしまった。




「見失った……」




 膝から崩れ落ちるフウカ。


 彼女は両手で顔を覆うと、ぼろぼろと涙を流しながら、憎らしいほど晴れた空に吼える。




「シルキィ。ああ、シルキィ! やっと見つけた、私の居場所なのに。どうして、どうしてなんだあぁぁあああ!」




 ◇◇◇




 明日香は、街の中心部で好き放題に暴れまわっていた。


 住民がいようがいまいがお構いなしに、手足と首を振り回し、破壊の限りを尽くす。


 言うまでもなく、どこかに隠れたシルキィをあぶり出すためだった。


 だが彼女は、瓦礫を登り、明日香の前に自ら姿を現す。




「明日香、もう関係な人を巻き込まないで!」


「繭ちゃん……自分から来てくれるなんて。いいよ、繭ちゃんが命を差し出してくれるならもう殺さない」




 明日香は素直に従い、破壊行為を止めた。


 執着などあるはずもない。


 最初から彼女の目には、シルキィしか写っていないのだから。




「でも、死ぬって感じの顔はしてないね」


「最後に明日香と遊びたいと思って」


「それは嬉しいな。何して遊ぶ? いつものファミレスで駄弁る?」


「鬼ごっこ。小学生の頃よくやったよね」


「覚えてるよ。繭ちゃんが鬼になるとすぐ捕まって負けちゃってたから。でも今はどうかな、私が鬼になったら、すぐ捕まえちゃうかも」


「なら試してみようよ。私、今から逃げるから」




 シルキィが背中を見せると、明日香は即座に動き、彼女の前に回り込む。




「つかまえ――」




 明日香が伸ばす手はあまりに速い。


 あのアングラズでさえ認識できなかったのだから、シルキィに見えるはずなどない。




(明日香を相手にしてるんだから、前に見たときよりレベルはあがってるはず――だから、私にもっと相手の動きを見定める力をちょうだい、『逃亡者』!)




 だが、無いなら手に入れればいい。


 次に目覚めるスキルは『逃走時動体視力増加』。


 そのおかげで辛うじて――本当にわずかにだが、明日香の腕の動きが見える。


 そして見えるのなら、シルキィはそれをいなすことができる。


 彼女をぐちゃぐちゃに叩き潰すはずだった腕は、わずかに指先で撫でられたことで、無関係の地面を叩き割る。




「今のにも対応できるんだ」


「2年も逃げてるからね」




 まるで友人のような軽口を叩き、シルキィは走りだした。


 すぐさま追う明日香だが、いざ動きだすと、先ほどまでのように簡単に前に出ることはできない。


 今のシルキィは、オーグリスの全力よりさらに早いのだ。


 もちろん明日香のほうがまだ早いが、うまく距離を詰められたところで、攻撃は避けられてしまう。


 加えて、イニティには障害物があまりに多い。


 この街で数ヶ月過ごしたシルキィのほうが地形を把握しており、壁や屋上、裏道、時には建物の中に入ってまで縦横無尽に動き回るため、なかなか捕まらないのだ。




「どうしよう繭ちゃん、私――私、繭ちゃんのこと殺したいのに、もっと遊びたいとも思ってる! このまま、あの頃に戻れたらって!」




 シルキィはぐっと歯を食いしばる。


 彼女を追いかけている人は、誰も彼も泣いてばかりだ。


 それは他でもない、シルキィが他者を傷つけていることの証明ではないだろうか。


 生きているだけで誰かを苦しめて、泣かせる自分なんて、ますます生きている価値がない。




(早く……死のう。オーグメントに食べてもらって、みんな終わりにしよう。それが、一番いいんだ……!)




 だが彼女は勘違いしている。


 泣いているのはシルキィを追う人間だけではない。


 彼女自身もだ。


 誰も彼もが泣いて、悲しんで、苦しんで、そういう悲劇の渦に呑みこまれてしまったのだ。


 たとえ『逃亡者』であろうと、逃れられない絶望の連鎖に。




「繭ちゃん、どこまで逃げるの? どこに行けるの? 私たちには、どこにも逃げ場所なんてないんだよ!」


「わかってる。だから、私が行きたいのは――」




 逃げ場所ではなく、死に場所へ。


 屋根の上を駆けるシルキィは、前方に立ちはだかる城壁を見上げる。


 彼女はあれを飛び越え、街の外に出ようとしていた。


 しかし屋根の端からの距離も去ることながら、最大の問題はあの高さだ。




(今までのジャンプ力じゃ届かない。けど、あと一枠使えば。もう枠が残ってるかわからないけど、一か八かで――ッ!)




 彼女は思い切り助走をつけて、跳躍した。




「はぁぁぁあああああッ!」




 最後の一枠を使い切って習得した、『逃走時跳躍力増加+』。


 シルキィの体は高く、遠くへ――『逃走時』という条件があるにしても、完全に人間の範疇を超えた跳躍力だ。


 そもそも、異世界の人間である黒川繭という人間には、ジョブが存在しなかった。


 『逃亡者』というジョブは、彼女が施設から逃げ出した際に得た、“後天性”のジョブなのである。


 その歪みが生み出す力が、飛翔するシルキィの背中を押していた。


 彼女は城壁を飛び越え、そのまま10メートル以上の高さを自由落下し、地面に着地する。


 跳躍力こそ強化されているものの、肉体の耐久力が上がったわけではないので、転がることで着地の衝撃を和らげはするものの、足の骨が折れてしまう。




「づうぅっ! く……ぅ……止まるな、止まるなぁああっ!」




 それでもすぐに立ち上がり、決死の覚悟でイニティから離れるシルキィ。




「繭ちゃん、もう無理だよ」




 その速度は明らかに先ほどまでよりも遅く、明日香がその気になれば、一瞬で捕食できてしまう。




「障害物も何もないこんな平野じゃ――私から逃げられるはずなんてない」




 そう、加えてここは見通しのいい平原だ。


 イニティ内部のように、地の利を生かした移動もできない。


 明日香はシルキィに飛びかかると、彼女を草むらの上に押し倒す。


 四つん這いの異形からぬるりと伸びる人の首が、シルキィの眼前まで近づいた。




「諦めてくれた?」




 手足は触手で抑え込まれ、びくりとも動かない。


 もはやシルキィに逃げるすべは無い。


 そして彼女は微笑んだ。




「ううん、ここまで来れば十分だから」




 シルキィの視線は、明日香の背後にある城壁に向けられていた。




「……そっか、他の人たちを逃がすために。やっぱり繭ちゃんは素敵だね、好きになってよかった」


「私も、ここまで想ってくれる明日香に出会えてよかったと思ってるよ」




 互いに心からの言葉を告げる。


 人々の悲鳴は遠く、風が吹けば草が擦れ合う音にかき消される程度の環境音でしかない。


 今の二人を邪魔する者は誰もいない。


 シルキィは右腕に力を込めて、オーグメントを呼び出すべく、明日香に殺意を向けようとした。


 しかし、ふいに明日香が言った。




「私、今から繭ちゃんのこと殺すけど、最後に大事な話をしてもいい?」




 さんざん大事な話は聞いてきたと思ったが、まだ何かがあるらしい。


 もしかしたら、それが最後まで噛み合わなかったシルキィと明日香の考えを一致させるピースになるのかもしれない。




「知らないほうが幸せだと思ったけど、知らないまま死んだら、きっと後悔するだろうから」


「わかった……聞かせて」




 シルキィが素直に受け入れると、明日香は嬉しそうにはにかんだ。




「繭ちゃんは、元の世界にいる家族や友達はどうしてると思う?」


「私のことを探してるんじゃないかな」


「そうだよね、繭ちゃんの家族は優しかったから」


「明日香もそうじゃない?」


「うん、消えたらきっと探してくれたと思う。でもね――」




 ふっと、明日香の瞳から感情が失せた。


 恐ろしく冷たい目つきは、なにもない地面に向けられている。




「みんな幸せそうだったよ」




 恨み節――とも違う。


 一番近い表現は“寂しさ”だろうか。


 そんな感情を乗せて、明日香は告げる。




「……見た、の?」


見せられた・・・・・の。世界が何一つ変わりなく、いつもどおり続いてることを」




 シルキィは目を見開き、思わず声を荒らげた。




「そ、そんな……私たち、消えたんだよ? いつもどおりなんて、そんなわけ!」


「消えてない」


「え……?」


「消えてないんだよ、私たち」




 明日香の告げる事実は、シルキィの頭のキャパシティをとうに超えている。


 ただただ困惑することしかできない。




「消えてないって、何? だって、私たちいるじゃん、ここに。だったら元の世界は消えてるはずじゃ!」


「最初から私たちがいなくなったことを嘆いて、探してくれる家族なんてどこにもいない」


「何なの? 明日香は何を言ってるの?」


「私はね、繭ちゃんの次の誕生日の少し前に、『今度の誕生日は欲しい物があるから、何も用意せずに待ち合わせ場所に来てほしい』って言われるの」




 シルキィの戸惑いをよそに、明日香は話を続ける。


 きっと、彼女も吐き出したくて仕方なかったのだ。


 何せ、シルキィに話すことを迷うほどの内容だから、一人で抱え込んでさぞ辛かったに違いない。




「そして誕生日当日、繭ちゃんは私にこう言ったんだって。『明日香がほしい。恋人になりたい』って」




 シルキィの頭は真っ白になって、まともに物事が考えられる状態ではなかった。


 ただ、その話を聞いて――恥ずかしいと思うと同時に、『私ならやりそう』と思う。


 少なくとも、高校生をしていた頃の自分は、明日香に対してならそういうことをやれただろう。




「ふふっ、笑っちゃうぐらいかっこつけてるよね。でも私、きっとすごく嬉しいと思う。実際、嬉しすぎて泣いちゃったんだ、私。そして抱きついて、夜景の綺麗な公園で、繭ちゃんと初めてキスをした」




 きっと、一生忘れられないファーストキスになっただろう。


 明日香にとっても、繭にとっても。


 仮にそれが現実に起きたことならば、夜景をバックに写真を撮って、死ぬまで大事にしたに違いない。




「それから私たちは恋人として幸せな高校生活を送って、同じ大学に進学して、親にも付き合ってることを報告して、ちょっと揉めたけど祝福されながら同棲することになって」




 ありそうだ。


 互いの両親は繭と明日香の仲の良さを知っている。


 いずれ交際してもおかしくないと、内心では思っていたに違いない。


 だけど親としては、それを簡単に認めていいものかという葛藤もあったのだろう。


 だから“ちょっと揉めた”。


 そう、それはあまりにありそうな話すぎて、だからこそ作り話だとわかる。


 なぜならシルキィはここにいるからだ。


 明日香はもう化物だからだ。


 ありえないのだ。


 ありえてはならない。




「私と繭ちゃん、笑っちゃうぐらい幸せそうに暮らしてた」




 ああ、きっとそうだろう。


 そんな世界なら、みんな幸せになれただろう。




「ここにいる私は、こんな姿なのに」




 そう、だけどそうはならなかった。




「繭ちゃんを殺そうとしてるのに」




 ならなかったのだ。




「あっちは、私たちのことなんて知らずに、誰よりも幸せそうに幸せそうに笑って、笑って、愛し合ってッ!」




 お願いだから――ならなかったと、言ってよ。




「そんなのってないよぉ! 何で!? 何でこんな場所に来なくちゃならないの!? 何で私たちは生まれてきたのッ!」


「それを、見たの? 明日香は、実際に」


「見たよ」




 明日香は泣きはらした顔で、やけっぱちに笑いながら言った。


 ぼろぼろと流れる涙は、こぼれ落ちて、シルキィの顔も濡らしている。




「どういう……ことなの? だったら、私たちは、一体――」




 聞きたくない。


 けど、聞くしかない。


 明日香とシルキィをすれ違わせていた、その真実を。




「寿命2年の劣化コピー、それが私たちの正体だよ」




 どうして明日香の髪は白いのか。


 きっと実験のせいだろうと、勝手に考えていた。


 その本当の理由を――シルキィは今、理解した。



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