第31話 連綿

 



「寿命、2年って……」


「驚いた? 私たち人間じゃないんだよ。人間に似せて作られた偽物、ホムンクルスとかそういうやつ」


「じゃあ、私も、もう……」


「うん、時間なんて残されてない。個人差はあっても、あと一ヶ月もしないうちにどうせ死ぬんじゃないかな」




 明日香の右腕がシルキィの耳に触れた。


 同級生たちの数多の囁きが流れ込んでくる。


 そして明日香は、少し傷んだ黒髪を愛おしそうにつまんだ。




「繭ちゃんの髪は……綺麗なままだね」




 対して明日香の髪は、一本の例外もなく白くなっている。


 それは寿命が近づいている複製者の身に起きる、典型的な症状だった。




「このまま死のう、綺麗なうちに」




 今なら、明日香の全てが理解できる。


 見知らぬ世界で、孤独に朽ち果てて死ぬよりは、深く結ばれた人の手で死んだほうがいい。


 愛しているからこそ、使命感は強くなる。




「私を殺したあと明日香はどうするの?」




 だが、それには大きな問題があった。


 明日香はどうなってしまうのか。


 結局、彼女が危惧した孤独な死を迎えてしまうのではないか。


 いや、あるいは自分にその時が迫っているからこそ、せめてシルキィだけでも殺したいと思ったのかもしれない。


 なにせ、彼女は『繭ちゃんの幸せが私の幸せ』と言い切るほど献身的だ。


 自分の幸せは後回しにするだろう。


 しかしそれでシルキィが納得するかは別の問題である。




「朽ち果てるまで使われるんじゃないかな」




 あたかも問題は無いと言わんばかりに、あっさりそう答える明日香。


 対するシルキィが悲しげに表情を曇らせるのは、必然だった。




「それじゃあ結局、何も変わってないよ」


「繭ちゃん……」


「私だって、明日香にそんな死に方してほしくない」


「でもできないよ。繭ちゃんに私を殺すことなんて――」


「できるッ!」




 シルキィは己の中に強い殺意を抱いた。


 途端に、右腕の内側で何かがうぞうぞと蠢くのを感じる。


 それは皮膚の上から見てもわかるほどの変化だった。




「繭ちゃん、それって……未完成のオーグメント。制御できるの?」


「ううん、できない。だから使えばみんな死ぬ。明日香も――もちろん私もね」




 オーグメントはシルキィの腕を突き破り、外にあふれ出す。


 一気に膨張する肉塊を前に、先んじて明日香はシルキィを殺そうと口を開いた。


 そして食らい付くも、左手で触れられ、『逃亡者』のスキルによって避けられる。




「ぐうぅ……ッ、明日香だけを、この世界に残したりはしないッ!」


「きゃあああぁっ!」




 肥大化するシルキィの右腕に、明日香は少女のような叫び声をあげながら突き飛ばされる。




(先生から聞いてた話と違う!)




 空中で体勢を立て直し、再び迫る肉塊を腕で弾く明日香。


 彼女は落下しながら、施設で先生から聞いた話を思い出していた。




『彼女の体内に埋め込まれたオーグメントは、まだ未完成もいいところなんですよ。本来はオーグリスの感情をどれだけ抑制すれば、人間と適合できるのか、その数値を探るための実験でしたから。ですから、黒川繭とコユキが適合したのは奇跡というよりは、“大失敗”と呼ぶべきですね』




 そう言いながらも、白衣を着た彼女はどこか嬉しそうだった。


 “想定外”というものは、時に研究に大きな成果をもたらすものだ。


 実際、シルキィがオーグメントに適合したことで、研究は一気に進展したのだという。




『到底兵器として使えるものではありません。発露すればコユキは暴走し、最悪、ただ膨らむだけ膨らんで宿主を突き破って殺してしまう可能性もあります。ですから、その点において心配は必要ないでしょう。あなたは“成功作”ですから』




 結果として、明日香は複製者としての寿命を迎える前に、オーグメントを埋め込まれることになった。


 それが幸せなのか不幸なのか、彼女にはわからない。


 ただ今は、この最悪の世界で、できる限り最上の末路を迎えるために――“黒川繭を殺した丸木明日香になりたい”。




「邪魔をしないで! 私は、繭ちゃんを殺すって決めたんだから!」




 明日香は肉塊に噛みつき、引きちぎる。


 するとシルキィのオーグメントは血を撒き散らしながら、「ギャアァアアアッ!」と苦しげな叫び声をあげた。


 同時に先端部に口が生成され、鋭い牙を見せつけるように大きく開かれる。


 そしてその口が、明日香に向かって突進してきた。




「はあぁぁああああッ!」




 あのアングラズさえ容易く殺したオーグメントの力。


 その限りを尽くして、明日香もまた、相手に向かって全力で突っ込み、己の右腕を叩き込んだ。


 ぶつかりあった瞬間、一瞬だけお互いの動きが止まる。


 だがすぐに明日香は押し返され、内側から突き出した爪――否、“角”が彼女の体を貫く。




「私が……けふっ、力負け、してる!?」




 血を吐き出しながら、両腕で角を引き抜いて一旦距離を取る。


 失敗作であるはずのシルキィが、暴走させているとはいえ、なぜここまで戦えるのか。


 再び脳裏に先生との会話が浮かぶ。




『なぜ共存できたのか、ですか? これは一つの可能性ですが――ひょっとすると黒川繭とコユキは遠い血縁者だったのかもしれません』




 あのときは、いつも楽しそうに話す先生が、妙に感傷的だったのを覚えている。




『ああ、ご存知ありませんでしたか? あなた方の故郷で数十年前に、集団失踪事件が起きているはずです。あれ、アザルド軍がやったんですよ』




 かつてこの世界に呼び出された人間たちは、複製者ではなく、本人だった。


 明日香たちが生まれるより前の話なので、彼女たちもあまり深くは知らないが、繭と“コユキ”と呼ばれたオーグリスの血縁は――想像しているよりも、ずっと近かったのかもしれない。




「う……ぐ、あぁぁぁああああッ!」




 シルキィは、内側から自分の体を引きちぎられるような痛みに、ひたすら苦悶する。


 すでに右腕は完全に肉塊に埋め尽くされており、さらには肩の辺りもはちきれんばかりに膨張し、皮が破れ始めていた。




(殺される――あいつに、繭ちゃんが!)




 明日香の中の焦燥感が強まる。


 ずっと、まるで自分を“いい子”だと言わんばかりに、彼女は『繭ちゃんの幸せが自分の幸せ』と言い続けてきた。


 嘘ではない、実際そうだったのだから。


 だが、それは繭が明日香を愛してくれるからこそ、成立していた関係なのかもしれない。


 考えたこともなかった。


 繭が他の誰かのものになるなんて。


 実際、あのまま日常が進んでいれば順当に結ばれていたのだから、間違いでも自惚れでもない。


 しかし――この世界では別だ。


 繭は明日香以外の好きな人を作って、繭は明日香以外の何者かに殺される。


 繭という命の記録に、明日香という名は残らない。


 それはまごうことなき独占欲。




「繭ちゃんは、私が殺すんだ!」




 食らいついてくる口を避けながら、少しずつシルキィの“本体”に近づこうとする明日香。


 だが肉塊はさらに枝分かれして、多方向から追尾しながら彼女に迫る。


 その一本一本の力は明日香を凌駕しており、完全に“捕食者”と“逃亡者”の関係性は逆転していた。




「繭ちゃんを殺すのは、私じゃなきゃ駄目なんだっ!」




 四つん這いの異形の体でシルキィを目指す明日香だが、その両手両足をつなぐ赤い筋を、触手が切断する。


 その筋は液体であり、同級生たちの成れの果てなので、ただ切られただけならすぐに繋がるはずだった。


 だがシルキィのオーグメントは、液体と接触する直前にそこに口を生成し、食らいついている。


 つまり、ただ切るでなく、明日香の一部を捕食しているのである。


 結果、彼女の中にいる同級生たちは一人、また一人と減っていき、今の肉体を維持するのも難しくなる。


 しかし問題はない、あの赤い液体はあくまで、明日香が同級生たちへの同情心から扱っているものに過ぎない。


 蜘蛛のような四つん這いの醜い姿になっていたのも、シルキィに“終わり”を強く意識させるためのもの。


 本命はオーグメントだ。


 その力を使えば、人間の手足など瞬時に再生できる。


 二足歩行の人の体に戻った明日香は、シルキィまであと少しのところまで近づいていた。


 肉を剥き出しにした右手に鋭い爪を伸ばし、愛する人を殺す準備を整える。




「私が繭ちゃんの最後になるんだあぁあああッ!」




 そしてシルキィに向かって飛び上がり、爪を前に突き出す。


 次の瞬間――彼女の体から大量の血が吹き出した。




「が、ああぁあああっ!」




 シルキィが叫んだかと思うと、胸部を突き破って無数の触手が現れた。


 それらは明日香の体を貫く。


 頭部から足まで余すことなく串刺しにされ、彼女の体は空中に留まっている。


 体内から、ぐちゅぐちゅという音が鳴っている。


 貫いた触手の一部が口となり、明日香を咀嚼していた。




「繭……ちゃん……」




 傷口が広がり、触手と穴の隙間から、血と、それに混ざったどろりとした何かが流れ出す。


 彼女はすでに、敗北と、死を確信していた。




「明日香……」




 全身を内側から貫かれ、傷だらけになったシルキィも、それは同様である。


 先に死ぬか、後に死ぬか、その違いでしかない。




「私……死んだら、どこに行くのかな……」




 複製体に魂は宿るのか。


 宿るとすれば、それは本人と何が違うのか。


 天国はどこにあるのか。


 世界によって違うのなら、元の世界の天国に戻ることができるのか。


 そもそも、死んだあと――何か、残るものはあるのだろうか。




「これが夢なら……元の世界に……」




 明日香は望む。


 夢が終わることを。


 目が覚めたらそこは元の世界で、隣には繭がいる。


 二人は愛し合っていて、幸せに同じ部屋で暮らしている。


 そんな現実が待っていることを――




「戻れる……よ」




 シルキィがそう言って微笑むと、明日香も笑った。




「なら……次に会ったときは……おは、よう……を……」




 明日香の瞳から光が消える。


 次第に体から力が抜け、温度が失われ、命から物へと不可逆的に変わっていく。


 シルキィの目から、血なのか涙なのかわからない熱い液体があふれ出す。


 同時に、視界も赤く染まった。




「明日香……う、うぅ……明日香あぁ……っ」




 嘆いてもなお、オーグメントの怒りは収まらない。


 敵がいなくなっても彼女は暴れ続けた。


 串刺しにされた明日香の死体も、食い荒らされていく。




「ああぁああああっ! がっ、がふっ……う、ぎ、うぅぅうううっ!」




 一人になったシルキィは、ただただこの苦痛が早く終わることだけを願っていた。




 ◇◇◇




 フウカたちは、シルキィを探してイニティを駆けずり回っていた。


 だが、街の外に巨大な化物が現れると、一旦中断して一箇所に集まる。




「何よあれ、どうなってんのよ!」




 ルーシュが声を張ったのは、そうしないと震えてしまいそうだったからだ。


 唯一落ち着いているのは、フウカぐらいのものだ。


 もっとも、それはシルキィを繋ぎ止められなかった悲しみを、恐怖や驚きが上回ることがなかっただけだが。




「……オーグメントだ」


「明日香ってやつが暴れてるってこと?」




 ファムの問いかけを、フウカは否定する。




「シルキィだろう」


「は? なんでそうなるのよ。っていうか、何でそう言い切れるのよ」


「明らかに明日香の使っていたオーグメントとは違う。明日香とシルキィは同じ施設にいたんだ。逃げる前に、処置を受けていてもおかしくはない」


「もしかして、クリドーが言ってたらしい『あいつは化物だ』って言ってたの、そういうことなの?」




 クリドーは決して嘘を言っていたわけではない。


 とはいえ、彼が許されるわけではないのだが。




「じゃああの子……他の人を巻き込まないために外に……」


「でもさ、だったらあーしらに言ってくれてもいいじゃん!」


「私にはあれが、際限なく膨張を続けているようにしか見えない」


「どゆこと?」


「制御ができてないってことね」


「ああ……お前たちはここで待っていてくれ。私がシルキィを迎えに行く」




 そう言って、門のほうへ歩きだすフウカ。


 ルーシュとファムには、彼女が死にに行くようにしか見えなかった。


 だが、いかなる言葉でも、フウカの心を変えることはできないだろう。




「止める手立てはあるの?」




 それが、ルーシュがかけられる精一杯の言葉だった。


 するとフウカは、強がりではない、ほんの少しだが自信を感じさせる笑みを浮かべ、答えた。




「方法ならある」




 ◇◇◇




 シルキィはオーグメントに体を食い荒らされながら、なおも生きていた。




(人間の体って……意外と、頑丈なんだ、な……)




 彼女の肉体は、いうなれば観葉植物の植木鉢のような状態だ。


 腕のみならず、耕された胴体から、血で汚れた太い触手が天に向かって伸びている。


 さらには枝分かれして、葉のない巨木のような姿になっていた。


 普通ならとっくに死んでいないとおかしい。


 オーグメントが体内にあることで、何らかの変化をもたらしているとしか思えない。




(ああ……明日香、もう、あんなになって……)




 赤くぼやけた視界の中で、明日香の死体がずたずたにされていく様子が見える。


 不運なことに、まだ顔は残っていた。


 いっそ、最初に誰の死体か認識できなくなれば、ただの肉の塊だと割り切れたのに。




(でも、すぐに私も……)




 少しずつ頭がぼーっとしてきている。


 痛みも、どこか他人のように遠ざかりつつある。


 このまま眠れば、全てが終わる。


 そう思っていたのに――




「シルキィィィィッ!」




 こちらに駆け寄るフウカの叫び声が、その目を覚まさせる。




(……嘘、なんでフウカが)




 追いかけてくるだろうと思っていた。


 だけど、こんな見るからに危険な場所にまで飛び込んでくるとは。




「待っていろ、すぐに助けるからな!」




 オーグメントたちは、すでにフウカに気付いている。


 枝分かれした触手が、一斉に彼女に殺到する。


 あの明日香ですら簡単に貫くような触手だ、フウカでは為す術もない。




「こない、で……」




 駆け抜け、転がり、飛び上がり、体をひねって――辛うじて、触手の第一波を避けきるフウカ。


 シルキィは祈る。


 せめてにフウカは生きていてほしい。


 だって好きだから。


 好きな人には幸せになってほしいから。


 きっとフウカぐらい優しくて、綺麗で、かわいい人なら、オーグリスだとしてもすぐに素敵な相手が見つかるだろう。


 その人の元で、私のことなんて忘れて生きてほしい――と、身勝手な願いだとは理解しながらも、願わずにはいられない。


 少なくとも、あと少しで枯れるこの木に殺されるなんて、そんな結末だけは認められない。




「ちッ、完全に理性を失っているか。だが――わかるだろう、私だ! 個を認識できなくとも、同じオーグリスだということぐらいわかるはずだ!」




 フウカは必死にオーグメントに向かって呼びかけた。


 オーグリスは一つの集落で暮らしていたのだから、シルキィに埋め込まれたオーグメントも、フウカの知人なのだろう。


 だが呼びかけたところで、シルキィの同級生たちのような状態だとすれば、まともなコミュニケーションは望めない。




「邪魔を……しないでくれッ!」




 触手の一部がフウカの足を貫く。


 血を流し、顔をしかめながらも、彼女は前に進むことをやめない。


 まるで、先ほどの明日香の再上映を見ている気分だった。


 殺そうとした明日香と、救おうとするフウカ。


 だがふたりとも、自分の中の愛情を動力源にしているという点では同じだ。




「シルキィは、この世でたった一人、オーグリスである私を受け入れてくれた人だ! 本気で、心の底から添い遂げたいと思っているんだよ!」




 ボロ布のような体でも、愛の言葉に胸はときめいて。


 けれど同時に、フウカとは何があっても結ばれないという現実に胸が苦しくなって。




(そんな必死にならないで。どうせ私は死ぬんだから。ここで助かっても、長く生きられない)




 殴られ、削がれ、斬られ、貫かれ、血を流してまで助ける価値なんて無い。


 でもわかってしまう。


 もしシルキィの声が届いたとしても、フウカは止まらないんだろう、と。


 共に過ごした時間は短くても、彼女の愛情は熱くて、深くて。


 体に感じる“痛み”という熱を感じずに突き進めるほど、滾っている。




「だから――だから頼む!」




 それでも、歩みは着実に遅くなっている。


 オーグメントもそれを察知してか、“仕上げ”に入ろうとしていた。


 ひときわ大きな触手が伸びて、その先端に、人間を丸呑みできるほど大きな口が開く。


 それは彼女の背後から、じりじりと迫っていて――




「フウカ……だ、め……」




 ついに真後ろに到達し、フウカを食い殺そうとした瞬間、




「これ以上、私の大切な人を傷つけないでほしい――お母さん!」




 ぴたりと動きを止めた。



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