第33話 『逃亡者』はもういない
目を覚ましたシルキィだったが、体がうまく言うことを聞かず、数日間は身動きが取れなかった。
フウカの母親が、シルキィの体を再構成した――彼女はそう認識している。
意識を失う前、記憶に残る最後の自分の姿を鑑みると、元の肉体などもはや数%程度しか残っていないだろう。
その状態から元の人の形に戻し、さらには不自由なく動かせるようにしなければならないのだから、調整に手間取るのも無理はない。
シルキィが自分の体と格闘している間にも、イニティの混乱は続いていた。
ギュオールの死から2日後、近隣の領主が兵士を率いてイニティにやってきた。
この街は彼の領地になるらしい。
ただし侵略や占領ではなく、生前のギュオールに『もしものことがあったときは』と書状と共に託されていたそうだ。
相手が相手だけに、自分が死ぬ可能性もあらかじめ考えていたということだろう。
そして、新たな領主もまた、アザルド軍に反意を抱く者であった。
彼は自らシルキィたちの前に姿を現すと、「我々の戦いに協力してほしい」と頭を下げた。
シルキィの体が回復すると、彼女はフウカ、ルーシュ、ファムと共に新たな領主の本拠地へと向かうことになった。
シルキィとフウカはともかく、ルーシュとファムまで巻き込まれる必要はないはずなのだが――どうやら裏で、『協力したら多額の報酬をもらう』という約束を取り付けたようだ。
ファムは「相変わらず金に関しては抜け目のない奴」と呆れ顔であった。
◇◇◇
イニティでの一件以降、アザルド軍はもはやオーグメントの存在を隠そうとはしなかった。
王に反抗的な領主の元にオーグメントを送り込み、力を見せつけ、その権威を示そうとしたのである。
だが彼らにとっての“想定外”は、最初に送り込んだ明日香が敗北したことだった。
決して勝てない相手ではない――その認識を広めてしまった結果、貴族たちはシルキィとフウカという“反抗の象徴”を中心に団結し、アザルド軍に抵抗しはじめたのだ。
王国と貴族たちの戦いは激化し、内戦状態に突入。
オーグメントは本来の目的である“脅し”ではなく、実際に街を滅ぼすために使われはじめ、反抗勢力は拡大していった。
それでも、アザルド軍には圧倒的な武力という絶対的な強みがあるはずだ。
だが、オーグメントまで投入した各地の戦いで、敗戦が目立つようになる。
その戦場には決まって、四人の女性の姿があったという。
◇◇◇
イニティでの戦いから半年後。
反抗勢力は、ついにオーグメントを製造する施設に攻め込んでいた。
施設の奥にある施設長の部屋には、白衣姿の細い女性と、立派なひげを伸ばしたがっしりとした男性の姿がある。
二人は壁に映し出された施設内の様子を眺めていた。
『馬鹿な、何で当たらないんだよ。先生から聞いてた話と違うぞ!? 『逃亡者』のくせに、なんでこっちに向かってくるんだよッ!』
『オーグメントは……オーグリスより、優れているはずなのに……』
『人数差があろうとも、ただの人間に負けるなんておかしいでしょう。このオーグメントに、弱点などないはずなんです!』
オーグメント適合者が敗北していく様子を見て、女性は微笑む。
対する男性のほうは、眉間にしわを寄せ、険しい表情で彼女を睨みつけた。
「やってくれたな」
「何のことです、陛下」
「奴らが攻め込んでくることを知った上で、この私を呼びつけたのだな」
「仮にそうだったとしても、私が見せたかったのはそんな光景ではありません。オーグメントたちが勝利し、あの出来損ないたちを血祭りにあげる姿ですよ」
「ならば、なぜ貴様は笑っている。“先生”」
先生と呼ばれた女は、わざとらしく驚いた顔をして、ぺたぺたと顔を触った。
国王は、さらに不機嫌そうに目を細める。
「複製者の分際で――貴様を生かしてやったのは誰だと思っているんだ」
「頼んでなんていませんよ。そんなに困るなら、彼女たちのように寿命を設定しておけばよかったのに。それとも、不愉快ならここで殺しますか? 今死ぬか、後で殺されるかの違いでしか無いとは思いますが」
「私を脱出させろ」
「ここはただの研究施設です。王城と違って、国王だけが逃げられる隠し通路なんてありません。逃げ道はすでに彼女たちに塞がれています」
「この国から私が失われれば、世はさらなる混沌に包まれる」
「どうでしょう、今の方がよっぽどカオスだと思いますが」
「私が死んでもいいと?」
「そのほうが……“歪み”は正されるんじゃないでしょうか」
その態度に耐えかね、国王はついに先生の胸ぐらを掴んだ。
その暴力的な態度に、彼女は挑発的にも見える薄ら笑いを浮かべる。
「最初から貴様の手のひらの上だったということか?」
「言ったでしょう、“歪み”と。結果なんて私にも観測できません。ジョブという概念が存在しない世界から連れてこられた黒川繭は、逃げているうちに『逃亡者』というジョブを得ました。後天性のジョブなんて、本来ありえないものです」
「そんなことはどうでもいい」
「どうでもよくありませんよ。丸木明日香との戦いで生き延びた彼女は、ジョブを『逃亡者』から『生存者』へと進化させたのです、こんなこと普通はありえませんよ」
「『生存者』……わかっていたのなら、なぜ報告しなかった」
「ふふ、生きようとする意思、そしてその身に宿したオーグメントという予測不可能な二つの要素が、我々ここまで追い詰めている……」
「あくまでしらを切るつもりだな」
「こんな状況で隠し事をするつもりなどありません。全部お話しますよ」
演技がかった喋り方だが、彼女にとってはそれが普通だ。
相手が不機嫌なとき、さらに怒らせてしまうという致命的な欠点はあるものの、だからといって別にごまかしたり、嘘をついているわけではない。
「こちらの世界とあちらの世界、二つの世界を繋ぐ道は案外狭い。黒川繭とフウカに血縁関係があるように、私も多くの転移者や複製者とは
「それがどうした?」
「私は、あちらの世界に存在する、ある人間を観察していました」
“あちらの世界”の様子を観察できる技術を開発したのは、“先生”自身だ。
つまり、彼女にはそれが必要な理由があったのだ。
「木村涼子という、とある高校の教師です」
まるで知らない他人のように先生は言う。
だがそれは――
「貴様自身か」
複製元となった、“先生”本人を指す名前だ。
だが彼女は、王の言葉を首を振って否定する。
「同じ
涼子は大学生だった当時、同じサークルの人間と一緒に、突如としてこの世界に呼び出された。
そして例のごとく、他の仲間たちはみな実験の道具として命を落とした。
最後に生き残った涼子は、必死で命乞いをしたのだ。
『あちらの世界の知識を、この研究に活かせるかもしれない』
その言葉が国王の興味を引いた結果、彼女は複製者でありながら、この施設で高い地位を得た。
「しかし担任教師と顔が似た人間がいたら、あちらも気付いてしまうでしょう。別に私としては気づかれても構いませんが、周囲の人々や陛下に不要な不信感は抱かせたくない。ですから、来年か再来年あたりに担任をしそうなクラスに目星をつけて、その子たちを複製することにしました」
だから、まだ繭や明日香は知らなかった。
当たり前だ、涼子が担任になるのは翌年のことなのだから。
つまり“先生”と呼んでいた当人たちも、なぜ涼子がそう呼ばせるのか、理由は知らなかったのだ。
「それで“先生”か。実験動物相手に教師ごっことは、やはり向こうの世界の人間は下等だな」
王は心の底から見下ながら言った。
彼の感想はもっともだ。
何十人、何百人という人間を解剖し、解体し、モラルの欠片もない実験を繰り返しておいて、その対象に“先生”と呼ばせるその行為は、あまりに下劣で悪趣味である。
その一方で――
「では、その下等な人間の劣化コピーに追い詰められている我々は、一体何なのでしょう」
涼子の言葉も、また事実であった。
そしてそれらの元凶は、国王自身である。
「死して化物に変えられてもなお仲間を想う、素晴らしい生徒たちでしたよ。彼らの担任になった私は、さぞ充実した時間を過ごしたのでしょうね」
涼子は想像する。
自分が教師として、生徒たちと同じ教室で過ごす光景を。
それは――彼女にとって、禁断の扉だったに違いない。
明日香の例を見てもわかるように、この世界に呼び出された人間の心を壊す最も簡単な方法は、あちらの世界の自分と比べることだ。
最初はただの興味だったとはいえ、繭たちを呼び出すというその行為は、間接的とはいえ教師になった自分と、今の醜い自分とを比べることになる。
もしも教師になっていたら――そんな想像も、具体性を帯びてしまう。
「人間の腹を開いて遊ぶ私なんかよりよっぽど立派な人間です」
そうなれば、もう怪物を演じることもできない。
残されたのは、マッドサイエンティストを気取ったただのちっぽけな一般人だ。
「それが動機か。なんと下らん……貴様の感傷に王を巻き込むなどと!」
一連の話を聞いて、王は“身勝手だ”と憤り腰に提げた剣を抜いた。
その剣を前にしても、涼子はへらへらとした表情を変えない。
「巻き込む? おかしなことを言うんですね。私も陛下や、先代が産んだ歪みの一部ですよ。あなたがたがやったことの“結果”にすぎません。中心にはいつだって、陛下が――」
「口答えをするな!」
振り下ろされた刃は、彼女の首筋を裂いた。
開いた傷口から大量の血が吹き出し、部屋を汚す。
「ふふ……歪みは、いずれ……正され……」
「黙れと言っているのがわからんか!」
さらに鋭い斬撃が涼子を襲い、今度は完全に首が斬り落とされる。
地面に転がる彼女の頭部は、仮面でも貼り付けたように笑顔のままだった。
「歪みだと? 王とは国そのものだ。この私が、そのようなものに呑まれるわけが――」
過ちを認めない――否、最初から過ちと認識していない王は、血で汚れた剣を握ったまま部屋から出ようとした。
しかし、彼より先に、外側から何者かが扉を開く。
現れたシルキィとフウカを見て、彼は後ずさった。
フウカはすぐに部屋に充満する血の匂いに気づき、“先生”の死体を発見する。
「どうやら仲間割れしたらしいな」
「問題ないよ。国王さえ生きてるなら」
シルキィは少し悔しそうにそう言った。
できれば、自分の手で殺したかった――そう思う気持ちも多少はあったに違いない。
だが、殺せないなら殺せないで、何も問題はない。
最も重要なのは、二度と同級生たちのような被害者を出さずに済むよう、この施設の機能を完全に停止させることなのだから。
「自分たちがしていることの意味をわかっているのか?」
国王は、“それっぽい言葉”でシルキィに問いかける。
しかし相手にすらしなかった。
彼女は右手を前にかざすと、
「わからない人間が、ここまで来れると思う?」
その腕を変形させ、鋭い爪を生やす。
そして一歩、また一歩と王に近づいた。
「貴様たちは、他の貴族どもに利用されているに過ぎん!」
彼は剣を握り直し、逃げるのをやめ、シルキィに向きあった。
「私を殺したところで、また新たな戦いが始まるだけだ!」
振り下ろされた剣を、彼女は右腕で弾く。
すると刃は真ん中から真っ二つに割れた。
「別に私たちは世界の平和なんて望んでるわけじゃない」
「権力を欲しがる奴らと、この研究を潰したい私たち。利害は一致していたんだ。だからこちらも利用してやった」
その結果として、二人はここにいる。
ならば、王が何を言ったところで、その判断は正しかったのだ。
「あなたの首を落として、この建物を破壊する。それで、私たちの戦いはおしまい」
「貴様らの思い通りになると思うなよ……!」
絵に書いたような負け惜しみが、王の最後の言葉だった。
シルキィが軽く腕を振っただけで彼の首は切り取られ、血を吹き出しながら死体は倒れる。
「これが王の最期か、あっけないものだな」
「王だろうが何だろうがただの人間だよ。大勢の人生を弄んでおいて、自分だけが特別だなんて通るわけがない」
「そうだな。この首は持ち帰るとして、あとは――」
「この施設を壊そう」
施設は大きく、大量の爆弾でも仕掛けなければ、完全な破壊はできない。
だがシルキィは、爆弾よりよっぽど危険なものを抱えている。
「それじゃあお義母さん、暴れちゃってください!」
彼女の右腕が膨張し、皮膚を突き破って、内側からオーグメントが現れる。
解き放たれたコユキは、義理の娘の望み通りに破壊の限りを尽くした。
◇◇◇
国王の首は、オーグメントの被害を受けた多くの国民の前にさらされた。
人々は勝利に湧き、宴を開き騒いで踊る。
一方、王族は次の国王を誰にするかで揉めはじめ、貴族たちも“取り分”を巡って衝突しはじめる。
また、シルキィたちを恐れ、消そうとする勢力も生まれた一方で、国王に変わるシンボルとして持ち上げようとする者たちまで現れた。
もっとも、一時的な混沌は織り込み済みだ。
どれだけ勢力がぐちゃぐちゃにかき混ぜられようとも、もう異世界から複製される人間は生まれないし、オーグリスのような犠牲者も増えない。
少なくとも、シルキィとフウカにとってはそれで十分だった。
とはいえ、権力争いに巻き込まれるつもりはない。
シルキィたちは、個人的に慕ってくれる者たちと手を組み、あらかじめ用意しておいた逃げ道を使って国外へと逃亡した。
最大の功労者が霞のように姿を消したことで、王国はさらなる大騒ぎになったが、シルキィたちの足取りを追える者は誰ひとりとして残っていなかった。
◇◇◇
国王の死から、さらに半年の月日が流れた。
とある山奥にある、小さな集落にフウカの姿があった。
彼女は斧を手に、次々と薪を割っていく。
ここは元々、オーグリスたちが密かに暮らしていた場所――つまりフウカの故郷である。
戦いを終えた二人は、この地で新たに生活を始めたのだ。
「お昼できたよー、温かいうちに食べよっ」
家からひょっこりと顔をだし、呼びかけるシルキィ。
「ああ、すぐに戻るよ」
フウカは頬をわずかに染めて微笑み返す。
それを見ても、シルキィの頬もぽっと紅くなる。
出会いから一年。
早い段階で恋人関係になった二人だが、その関係は落ち着くどころか、ますますお熱くなっていた。
◇◇◇
フウカが家に戻ると、テーブルの上にはすでに温かい料理が並んでいた。
ここは彼女の実家だった場所。
2年以上放置されていたので、最初は廃墟同然だったが、今では十分住めるレベルに綺麗になっている。
もっとも、まだ壊れている部分はあるので、地道に修理していくしかないのだが。
椅子に座ったフウカは、テーブルの隅っこに置かれた封筒に気付いた。
「それは?」
「ルーシュさんからの手紙だよ。鳥が運んできてくれたの」
「食事の前に少し読んでもいいかな」
「もちろん、私もちょっと読んじゃったし」
封筒には2枚の手紙が入っており、ルーシュとファムの近況が、それぞれの視点で書かれていた。
「この前は受け取った大金で家を建てる言っていた気がするんだが……まだ冒険者を続けているんだな」
「ルーシュさんの方の後半に書いてあるけど、土地を買おうとしたら女だからって吹っかけられたんだって」
「それはまた……馬鹿なやつもいたもんだな」
もはや読むまでもなく、土地を売ろうとした人間がぶっ飛ばされたことはわかる。
「それはそうと、冒険者も趣味みたいなものらしいから、二人で旅するのも楽しいのかも」
「お金があれば、無理なら依頼を受ける必要は無いからな」
「冒険者とは名ばかりの新婚旅行、みたいな?」
「しんこんりょこう?」
「そっか、こっちには無いんだっけ。私の世界にはあるの、結婚した二人が旅行に行く文化が」
「そうか……楽しそうだな。私たちもいつか行ってみたいな」
「もう結婚してるようなものだもんね……んへへ」
自分で言っておきながら、照れてはにかむシルキィ。
その可愛さにあてられて、フウカも照れくさそうに笑う。
甘ったるい空気が周囲に広まるが、ルーシュのように茶化して突っ込む人間もいないので、一日中こんな雰囲気である。
「お……近々こっちに来るのか」
手紙の続きを読んだフウカの頬がほころぶ。
同じパーティメンバーだったシルキィと違い、フウカとルーシュたちはほぼ他人だった。
だがイニティでの戦いから半年間行動をともにしたことにより、すっかり親しい友人になっていたのだ。
「今のうちから準備しとかないとね、ご飯とか」
「二人が泊まる場所も必要だな」
「あっちの小屋の修繕を早める? 時間かかるかなぁ」
「そうだな……物置を整理して使えるようにしてもいいと思うが」
「あ、いいねそれ。さっそく午後からやっちゃおうか」
楽しそうに今後のことを話し合うシルキィとフウカ。
だが、いつまでシルキィの肉体がもつかはわからない。
もはや複製者とは完全に別物になった彼女に、2年という寿命はおそらく無関係だ。
そして、オーグメントも元はオーグリス――案外、フウカと同じぐらいの年月は生きられるのかもしれない。
とはいえ、そのどれもが確証のない予測に過ぎないのだが。
しかし、仮に何か起きても、そのとき頑張ればどうにかなるだろう――と、シルキィは気楽に考えている。
なにせ今の彼女は、『逃亡者』ではなく『生存者』だ。
『生存確率100%』のスキルがあれば、この世界で幸せに生きていけるはずなのだから。
逃走成功率100%のジョブ『逃亡者』になったので、戦ったら負けかなと思ってる ~追放? 濡れ衣? 指名手配!? でも逃げるほど強くなれるので、この世界で幸せになります~ kiki @gunslily
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