落ちた騎兵と死んだ竜

 太陽が、近い。


 高高度の飛行では空気が氷の刃になって吹きつけるようだったが不快ではなかった。

 ヴァイカーは高速で流れていく真下の光景を見下ろす。

 魔物に焼かれてから砂漠になった平野に新しい緑が芽生え始めていて、砂の黄色と新芽の緑がせめぎ合っていた。



 前方に横長の影が見える。

 目視では確実でないが、恐らくガーゴイルかハーピー。黒い翼が陽光を反射してギラつく。


 ヴァイカーは足元の柔らかい毛並みが逆立つのを感じて、火筒を左手に持ち替えた。

「どっちにしろ俺たちの敵じゃない。そうだろ」

 オオワシに似た頭部を撫でると金の瞳が細くなる。ヴァイカーが太腿でしっかりと締めつける、哺乳類の獣のような腹が波打った。

 人類と敵対する魔物と同等に扱われていたグリフォンはこんなにも従順だ。



「旋回だ、奴の進路を潰すぞ」

 ヴァイカーの声にグリフォンがいななき、翼を広げて全身を反転させる。のしかかる重力にヴァイカーは相棒の背に身をつけて耐える。


 一旦敵の動線から大きく逸れ、弧を描いて飛ぶ。

 相手の進路に先回りして真後ろを狙う旋回は、敵の前に飛び出して攻撃を受ける危険な戦法だ。

 敵の軌道を正確に呼んで迅速に背後を取る。

 ––––俺なら、それができる。


 弧の頂点で降下する。敵の尾が見える。

 捕らえた、と思った。

 敵が重力など存在しないかのように空中で一回転する。

 ––––何だ、その機動は。

 ガーゴイルにもハルピーにもそんな機動力はないはずだ。

 ヴァイカーの焦りを感じたグリフォンが身震いする。


 突如向かい合う形となった魔物の鋼のような鱗に覆われた頭部が光を放つ。爬虫類に似た頭に鋭角の角を持っている。

 ––––何だ、こいつは。


 魔物の喉が咀嚼するように動き、赤い口が開く。

 太陽が近い。ヴァイカーの目前まで迫っている。


 ––––違う。これは、炎だ。




 太陽が遠い。

 後頭部と背中に固い土の感触がある。


「ヴァイカー、生きてる?」

 地面に仰向けに寝転んだヴァイカーを、顔の右半分が火傷で覆われた青年が覗き込んでいた。


「ナット、今俺どうなってる……」

「倒れてる。僕たち竜墓に来たんだよ。で、魔物が出て、団長と一緒に迎撃しようとしたヴァイカーが吹っ飛ばされて頭打ったんだよ。大丈夫? 覚えてる?」


 目を動かすと、鼻に一筋の太刀傷のある男が呆れたような視線を返した。

「思い出した」

 ヴァイカーは泥の混じった唾を吐いて立ち上がる


「魔物は殺した。死体は積んだ。寝てるなら置いてくぞ」

 団長が強く縄を引き、四頭馬車の荷台に縄の先を括り付ける。荷台の上には縛られて腐臭を放つ、泥の山のようなドラゴンの死骸があった。



 死んだ竜を乗せた馬車を追従する二頭馬車の荷台の上でヴァイカーは痛む頭を抑えた。

「今回の、まだ全然腐ってないよ。鱗から竜騎兵の防具とか鞍が作れるんだろ? 一枚でいくらだろう。すごい金になる」

 隣でナットが楽しげに指を折る。

「数なんか数えられんのかお前」

「十まではね」


 ヴァイカーは陽光で霞む空を見上げた。

「死体まで金になるか。俺たち本当に竜に生かされてんだな」

「そうだよ、ドラゴンがいなきゃ今頃人間は滅んでるって」

 火傷痕を歪めるナットの笑顔にヴァイカーは舌打ちした。



 ––––全部思い出した。

 人類を脅かす魔物との戦いが、魔物の長を打ち倒した勇者によって終わったと思われたのが百年前。

 突如現れた空を飛ぶ魔物により、世界の人口の半分が失われたのが二十年前。

 人類がそれに対抗すべく、人間に友好的な飛行系の魔物を手なづけたのが十年前。


「グリフォンもペガサスも勝てないってわかったときはもう駄目かと思ったよね。僕の村もドラゴンに焼かれてさ。これ、そのときの傷」

 ナットは引き連れた赤い皮膚を指さした。

「知ってるよ」



 拮抗したと思われた人類と魔物の戦況は、三年前のドラゴンの登場により覆された。人類側の飛行系の魔物はほぼ全滅し、それを操る空中騎兵隊は解散された。


 ヴァイカーは奥歯を噛み締める。

 未だに夢に見る光景だ。自由に飛び回れるはずの青空が赤で塗りつぶされる。炎に巻きつかれた相棒の羽が焦げつく匂い。


 竜は人類最大の敵だった。ひとりの軍人がそれを懐柔し、人間の最後にして最強の武器だと示すまでは。



「見て! ヴァイカー、ドラゴンだ!」

 ナットが身を乗り出して空を指す。

 見上げると、太陽にひとつの黒点がある。羽の先の首が三又に分かれている。

三首竜ヒドラ……」


「ってことは、シャハリヤが乗ってるのかな!?」

「それしかねえだろ」

 王都空軍シャハリヤ・トゥランドット。

 最も凶暴で騎乗不可能と言われた三首竜ヒドラに乗る竜騎兵ドラゴンライダーだ。勇者の再来と呼ばれる彼女を知らないものはいない。


「すごい! 手振ったら見えるかな?」

「やめろ、竜の死骸運んでるのを見せてどうする気だよ」

 ナットが大人しく座り直す。


「ヴァイカーも昔は王都の軍人だったんだろ? 彼女に会った?」

「馬鹿か、俺がいたのは竜騎兵隊ができる前だ」

 空中騎兵隊だったことまでは団長以外の仲間に伝えていない。詮索されたくはなかった。


 過去の栄光が何だろうと、今は盗賊まがいのギルドで、弱い魔物を倒すか、大昔に死んだ竜の墓を暴いて王都に素材を売りつける冒険者。それが全てだ。


 ヴァイカーは荷台の振動に合わせて跳ねる砂利道を見下ろした。

 空が遠い。俺がいた空を別の奴らが駆けている。

 空中を旋回するとき全身にかかる重みを思い出す。地上の重力は心もとなく、精神がどこかへ飛んでいきそうになる。



 蟻の巣穴と呼ばれる、倒壊した家屋を繋げたバラックが立ち並んでいる。

 スラムの最果てに建つギルドが近づいたとき、街並みに似合わない高級な黒塗りの馬車が停まっているのが見えた。


 ナットが焼き潰された目蓋を痙攣させた。

「依頼人かな」

「金持ちがこんなとこに来るかよ」

 団長が馬車を鋭く睨んで荷台から飛び降りた。

 天鵞絨の幌が上がり、中から黒髪の顔色の悪い男が現れて一礼する。

 ヴァイカーは目を細めて様子を伺った。


「初見の奴から依頼は受けない。誰かの紹介か?」

 頭ひとつ長身の団長を前に、男は臆した様子もなく微笑した。

「突然の訪問で失礼を。私は王都竜騎兵隊の参謀、竜種学者のコレスタフと申します」


「知ってる?」

 ナットの問いにヴァイカーが囁き返す。

「竜種学の若い権威だ。顔は見たことねえけどな」


「王都の人間がどうしてこんなスラムに」

「それが、重大な案件ですがどうしても王都の許可が降りず……火急ですので軍備で何度かお世話になった貴方方のお力をと……いくらでもお支払いします。精鋭をお借りしたい」

 男は団長にだけ見えるよう馬車の幌をめくった。


「……要件は」

 男は微笑を浮かべた。

「勇者が騎乗した伝説の竜、“錆の爪”ナグルファリの竜墓を見つけました。発掘をお願いしたいのです」




 夜の色に変わり出した空に溶け込む暗い森を、馬車が進んでいく。


 狭い車内に男の隣に座る団長と向き合いながら、ヴァイカーは黒い木々と仲間が乗る後続の馬車を見つめた。


「僕も来てよかったのかな……」

 隣のナットが身を竦めた。

「俺の人選だ。背筋伸ばしてろ」

 団長の低い声にコレスタフと名乗った学者が苦笑する。

「白眼のナット、噂は聞き及んでいます。偵察に優れ、ギルドを助けているとか」

 ナットは照れ笑いをして俯いた。


「ギルドのメンバーには竜のように二つ名があるそうですね。団長殿は傷のワシ、そして墜とされしヴァイカー。その由来は?」

 ヴァイカーは顔を背けた。隠していてもどこからか経歴が漏れることもある。


「俺は昔……」

「こいつは三階建ての塔で魔物と戦って落っこちて半月寝込んだ。笑える由来だろ」

 ヴァイカーの言葉を遮って団長が答える。

「勇敢ですね」

 団長は無言で頷いた。気遣いに答える意味でヴァイカーは首肯を返した。



 馬車が動きを止める。

 男に促されて降りると、夜を切り取ったような黒い石造りの遺跡が木々の中に広がっていた。

「こちらです」

 男はひび割れた石の門にかかる鎖を持ち上げた。



 学者が提げるランプの明かりが揺れ、瓦礫が散らばる道筋を照らす。

 ギルドの男たちの足音と潜めた話し声が滲むように響いた。歪な空洞が延々と続く様は魔物の食道を歩いている気分になる。


「勇者は原初の竜騎兵だ。その竜が見つかったら王都が飛びつきそうなもんだがな」

 先頭を歩く団長の声と足音が反響した。

「その通り。魔物は日々進化していますから、対抗手段はいくらあっても足りない。しかし、その竜の種類が問題でして……腐竜アジ・ダカーハをご存知ですか?」


 ナットが声を張り上げた。

「知ってる! 身体が腐ってたり白骨化しててずっと死骸と勘違いされてた竜だよね。炎の代わりに毒ガスを吐くから嫌われてたけど、勇者が乗ってみんなが見直したんだ」

「竜種学の才能がおありですね。王都に招きたいくらいです」

「勇者は子どもの頃、誰だって憧れるから。ね、ヴァイカー?」

「さあな」

 素っ気ない答えにナットが露骨に落胆した。

「そうです。腐竜アジ・ダカーハ咆弾ブレスは危険ですから軍が難色を示していまして……」



 学者が解説を続ける中、ナットは横目でヴァイカーを見た。

「ヴァイカーは勇者に憧れないの?」

「ねえよ」

「何で?」

 窓などない遺跡の奥から黴の匂いが絡んだ風が吹いた。

「勇者の最期を知ってんだろ。英雄って祭り上げられて、政治戦争に巻き込まれ続けて、くたびれて姿を消した。竜はそれを嘆いて墓に潜った」

 ヴァイカーは乾いた唇を擦る。

「勇者ってのは自分が守った場所に自分の居場所がなくても喜べる奴のことだ。俺はごめんだ」



 ナットが何か言いかけたとき、最後尾の仲間のひとりが叫んだ。

「これじゃないか!」

 声の方を見ると、通路の一部に深く抉られた穴が開いていた。

 団長が踵を返し、ヴァイカーもそれに続いた。



 穴の向こうには冷気が立ち込めた小部屋があった。

 壁は歳月でひび割れ、黒ずんだ雨漏りの跡が尾を引いていた。

 部屋の中央にひとつの棺がある。

 腐敗防止の鉛を貼った側面には細かい銀の彫刻が埃をかぶっていた。


「小さくない?」

 ナットが声を潜めて聞く。棺は小柄な人間ひとりが入れる大きさしかない。

「ガセじゃねえのか」

 仲間たちが囁き出す。闇の中の男は無表情に棺を見下ろしていた。


「開けりゃわかるだろ」

 ヴァイカーは棺に取り付く仲間たちを押し退けて、蓋を蹴った。

「おい!」

 団長の怒声とヴァイカーが息を呑むのはほぼ同時だった。


 棺の中で女が眠っている。

 老人のような白く長い髪の中に埋もれるように、彫刻に似た美しいが生気を感じない女が目蓋を閉じて横たわっていた。

 その身には王族など高貴な人間が埋葬されるときに着せる純白のドレスのような装束を纏っている。


「人間の女の子……?」

 ナットが不安げにヴァイカーを見た。


「竜種の中で最上位のものは人間の姿を取ることができる。本当だったのか……」

 男が熱に浮かされたように呟き、ランプで棺を照らした。

 横たわる女の胸はかすかに上下している。


「勇者の竜がついに……」


 棺を覗き込むヴァイカーの首筋がひりつく。グリフォンに騎乗して大空を飛んでいた頃、敵が急に方向を切り返して迫って来る前の直感だ。


 男の声に潜む刃のような鋭さのせいだと気づいた瞬間、ヴァイカーは咄嗟に隣の団長とナットを突き飛ばしていた。


 捻った脇腹に焼ける鉄をねじ込まれたような熱が走る。熱が激痛に変わり、ヴァイカーは自分の腹に突き刺さる鉤爪と、返り血を浴びた学者の微笑を見た。



 魔物は日々進化している。

 竜以外にも人間に擬態する魔物がいてもおかしくはない。

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