竜騎兵、シャハリヤ・トゥランドット
宝石が貴重なものだと気づくまでだいぶ時間がかかった。
生まれたときから庭の砂利と同じくらいか、それ以上の宝石に囲まれていたからだ。
宝石だけじゃない。
私の家には夜を閉じ込めたようなガラス細工のランプや、光に透けて七色に輝く絹のドレス、金糸で細かな刺繍を施した絨毯がガラクタのように積み上げられていた。
砂漠を超えて遥か北にある王都では、調度品といえば勇者伝説を描いたものがほとんどだから、こういったものが返って珍しく喜ばれるのだと、天鵞絨の織物を手にとって父が言った。
そこに描かれていたのは、私が見慣れた雫型の屋根の宮殿や、頭に籠を載せた花売りの娘、剣のような細い葉の草花だった。
父は私が七歳の頃から宝飾品の鑑定を教えた。
一見完璧に見える宝珠も陽光にかざすと無数の傷が見えることもある。
輝きに騙されず真価を見分けるのだと父は言った。
私にとって宝石は美しさよりもそこに隠れた傷を見るものだった。
私は赤や青の宝石の輝きより、花火の方が好きだった。私の国では些細な祝い事のたびに商人が花火を打ち上げた。
雫型の宮殿より高く大輪の花が夜空に咲いて、無数の船が渡る運河や街の噴水に映り込んだ光は、水の中にもうひとつ都があるようだった。
空に浮かぶものが月と星と花火だけではないことを知った夜がある。
国境にほど近いアルトゥール砂漠に魔物が出たらしい。父と母は家の全ての窓と扉を固く閉ざし、私に部屋から出るなと言った。
私は言いつけを破って部屋の窓を少し開けて街を見た。
無数の明かりが昼間のように輝くいつもの街はなかった。光はなく、夜は夜のまま横たわっていた。
そこの空を何かが飛んでいた。
暗い都を飛ぶそれは私の家の堀を簡単に超え、噴水と庭園を悠々と横切った。
窓から身を乗り出した私の前で、それは空中で動きを止めた。
獅子の体に鳥の頭と羽根を持つ魔物がいた。その上に人間が乗っていた。
月と星と花火のように、空を飛ぶことを許された英雄。
夜闇に溶け込む黒髪の男は私を見て少し目を見開いた。微かに靄がかかった緑色の瞳だった。
彼は私の家に来る大人たちのように微笑まなかった。固く引き締めた唇は、王都の人間は普通にしていても不幸そうに見えると言った父の言葉を思い出させた。
彼は無表情に軽く敬礼をした。それだけだった。
自分を見上げる人間たちの視線に慣れきった英雄は颯爽と飛び立ち、すぐに見えなくなった。
間も無く砂漠の魔物は全て打ち倒されたと聞いた。
次の朝、父の部屋で彼の瞳と同じ色の宝石を探したが見つからなかった。暗く淀んだ色彩は庭の隅の砂利石が一番近かった。
二度目の魔物の襲撃のとき、彼は来なかった。
炎が砂漠を超え、雫型の屋根の宮殿や花売りの娘や剣のような葉の植物は、それを描いた父の部屋の絨毯と同じく全て焼き払われた。
王都へと逃げる馬車で英雄が墜とされたことを知った。
王都で父は笑わなくなり、母は流行り病で呆気なく死んだ。軍が竜騎兵を募集していると聞いて、私は父の反対を押し切って名乗りを上げた。
軍で教わって役立ったのは、煙草の味くらいのものだった。
熱砂の国を離れ、王都から発って、私が向かったのは人類には騎乗不可能と言われた三首の竜の元だった。役立ったのは父の教えだ。
完璧に見えるものでも傷はある。私は火筒三挺を犠牲に三首竜を調伏させた。
空に出てからあの英雄の気持ちがわかった。
私の名前と顔を知る地上の人間たちを、私は知らない。
彼らにどんな人生があろうと、庭石と見分けのつかない宝石のようなものだ。
勇者の再来と呼ばれて三年が経ち、私は再び英雄に会った。
彼はスラム街の崩れかけた病院で眠っていた。彼のものとは似ても似つかない緑の瞳の女が侍っていた。
煙草に火をつけてその目覚めを待った。
病室から声がした。
私は煙草を手にしたまま声の方向へ向かった。
寝台の上で彼が身を起こす。
「シャハリヤ・トゥランドット……」
彼が私の名を知っている。今度は私が彼を見下ろしている。
私は勇者の再来らしく表情を作ったつもりだったが、笑みは自然と溢れていた。
淀んだ安い庭石のような緑の瞳に宿る炎は傷ひとつない。
ドラゴンライダー、シャハリヤ・トゥランドット。
騎乗する竜の名は“三条紅”イフリート。
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