カリガリ要塞奪還作戦.3
暗闇が滴り、黒い血の雨が降り注ぐ。
ヴァイカーは凝結する闇に照準を合わせ、引鉄を引いた。破裂音とともに火花が炸裂し、廊下の最奥が照らされる。
「デカすぎるって。八フィートはあるだろ」
ティッキーが低く呻いた。
黒い巨体が廊下を塞ぐ。折り畳まれた羽の奥から毛髪に似た触腕が蠢いていた。
「捕虜の血を吸ってやがったな……」
ヴァンパイア。
人類を脅かす空の脅威の中でも高い知能を持つ希少種。
この種が他の飛行系の魔物と異なり、軽量化のため脳の体積を減らさずに済んだのは、重量の増減を自在に行う機能による。
吸収した人間の血液を体表に巡らせ、外殻の硬度を強化する魔獣。故にその名は吸血鬼。
ヴァンパイアが身を屈めた。飛翔の予備動作だ。
「ナグルファリ!」
ヴァイカーは捕虜の男を蹴り飛ばし、部屋に押し込んで扉を閉める。
吸血鬼の鳴き声が後方からの咆哮に掻き消された。
「勇者、指示を」
骨の竜がヴァイカーを包むように羽根を広げる。
「壁を壊せ、空中戦に持ち込む!」
二度目の慟哭が鳴り渡った。
首を捻って放たれた
粉塵と酸を含んだ霧が舞い、抉り取られた壁から外気が流れ込んだ。
「俺に続け!」
ヴァイカーは予想外の攻撃に狼狽る吸血鬼に牽制代わりの瓦礫を蹴り、跳躍する。
巨躯の重みを感じさせない動きでナグルファリがそれを受け止め、飛翔した。
「トニ、恨まないでよ」
ティッキーは耳を塞いでいたトニの脚を払い、彼女の襟首を掴んで壁穴から真っ逆さまに身を投げた。
劈くような悲鳴が遅れて響く。
重力に倣って落下するふたりを頂上から飛来した二騎の
「恨むから! 絶対後で覚えてよ!」
フルフルにしがみついて金切り声を上げるトニを横目に、ヴァイカーは空を睨む。
黒煙と爆風が茜空の色を変えていた。
準竜種に乗る騎兵たちが子どもほどの黒い影に絡みつかれながら、爆薬と銃器で応戦している。
「合図がねえ訳だ。とっくに開戦してたってことか」
「ダンピールだね。ヴァンパイアの眷属もそりゃいるか」
ティッキーが竜の装具を硬く締めながらヴァイカーに肩を並べた。
「捕虜を見捨ててたら奴らにも血の養分が行ってたはずだ。見解は?」
「結果論でしょ」
ヴァイカーは鼻で笑う。
「奴らに任せるのも限度がある。まずは奴らから蹴散らすぞ。三角体形で行く」
「了解」
ナグルファリの左右から遅れて二騎の翼竜が続く。
前方で、準竜種兵がダンピールの爪に苛まれながら必死で銃を構えようとしていた。
「馬鹿か、堕ちるぞ」
ナグルファリの推進力は羽ばたきひとつでダンピールの背後を優に占領する。ヴァイカーが引鉄を引き、黒い小鬼が脳漿を散らして墜落した。
ダンピールが一斉にヴァイカーと竜へ注意を向けた。
「背後は気にするな」
加速したナグルファリが敵味方の境なく圧倒し、上空へ突き抜ける。
ダンピールは風圧に錐揉みされるが、竜の揚力は損なわれない。
すれ違いざまティッキーの放った弾丸が一体を撃ち落とし、背面飛行で準竜種が携帯する爆薬を受け取ったトニが空中で固まる魔物たちに投擲し、爆炎が黒い影を消し炭に変えた。
「意外としょぼい、いけるかも」
自信なさげに笑うトニを振り返って、ヴァイカーは首を振った。
「油断すんな、本命のお出ましだ」
爪痕のような黒い滴りが残る壁穴から、ぬるりと巨体が這い出した。酸の跡を流れる血が塗り替えていく。
鋭い爪で瓦礫を掴み、身を乗り出したヴァンパイアが吠える。赤い棘が空中に飛散した。
槍の如く四方に放たれた棘が数騎の準竜種を貫いた。
「危ない!」
ナグルファリが両翼を打ち合わせ、風圧で棘を砕く。純白の羽根に鮮血の赤が広がった。
「血の凝固! 外殻以外にも使えんのかよ」
血飛沫を頰に浴びたヴァイカーが呻く。
遥か下、騎兵と竜が縫い止められていた。空中の準竜種も統制を失い出した。
「背後を見せるな!」
ヴァイカーの声は届かず、離脱を試みた数騎が棘の餌食となる。
ヴァンパイアが嘲笑うように鳴き、血の雫を真下へ垂らした。棘は乾いた地表を砕き、風に乗せて煙幕を巻き上げる。
視界が曇る。
「くそったれ……」
ヴァイカーは焦りを押し隠して、汗を拭った。
「せめて地上部隊がいりゃあな。通信はまだ死んでんのか?」
ざらついたノイズが答えだった。
「私なら……でも、駄目だわ。だって、勇者の竜だもの……」
ナグルファリが惑うように首を振る。
––––わかってる。こいつの
「人質がいくら増えようが問題ない。俺たちならできる」
ヴァイカーはもう一度額の汗を拭った。
「トニ!」
青ざめた顔で旋回していたトニがぴくりと震える。
「戦わなくていい。西の方角で妨害音波の出所を探って潰せ!」
「戦わなくていいんだね? ……わかった」
少女と同様に小柄な竜が煙幕の中を飛び去った。
「通信を繋いで応援を送らせる。それまでヴァンパイアは俺たちが相手だ」
ティッキーは答える代わりに竜の横腹を蹴って加速した。
ヴァイカーの後方を追従するようにティッキーが飛ぶ。
ずるりとヴァンパイアが壁穴から飛び立った。
––––
「ティッキー、“機織り”だ」
精鋭の竜騎兵はその一言でヴァイカーに倣い、内側への旋回を始めた。
影が頭上を掠め、ヴァンパイアの巨体が過ぎる。
赤い棘が降る前にヴァイカーが旋回し、正面から牽制の一発を放つ。
銃声より早く、旋回方向を切り返したティッキーが次いで射撃を行い、離脱する。
砕けた棘が血液となって暗く陰り始めた空を濡らした。
ヴァンパイアがナグルファリの背後へ回り込む。
「勇者、来たわよ」
黒い体表に溶岩流じみた赤い脈を走らせ、ヴァンパイアが棘を放つため構える。
「ああ、あいつもな」
獲物を狙う魔獣の後方を一陣の風が吹き抜けた。
「やっちまえ、ポルクス」
ティッキーが手綱を引き、翼竜が顎門を開く。
“星盗み”ポルクスの
血よりも赤い炎を纏った魔物が悲鳴を上げ、もがきながら落下する。
機を織る縦糸と横糸の如く、二騎の役割を交互に入れ替えることで常に敵の背後を取る。
––––“
ヴァイカーは燃える魔物を見下ろした。
「やったの?」
歓喜と落胆の混じったナグルファリの声がした。
「まさか、流石にそこまで楽じゃねえよ」
体表の焦げを払いながら上昇するヴァンパイアの目が赤く燃えている。
「逆に怒らせちゃったか」
ティッキーが苦笑を漏らした。
暴れる準竜種と宥める竜騎兵の混沌を、トニの竜が駆け抜ける。
「散々あたしたちのこと性格悪いとか言っといて、あたしたちより雑魚だ……」
土煙の幕を突破したトニを夜風が包んだ。
「別にいいけどね。名誉とかどうでもいいし」
霧の晴れた視界に、そびえる要塞が冴え冴えと映った。
竜の恩恵を受けた瞳には雨垂れに汚れた石壁と錆びた鉄格子まで鮮明に見える。
檻の間に人間たちの顔があった。
囚われた捕虜の視線がトニを負う。金髪のまだ幼い青年が鉄格子に顔を押しつけ、何かを叫ぶ。
声が聞こえる前にトニは高度を上げた。
「やめてよ、救助なんてヴァイカーが勝手に言ったんだから……」
竜騎兵になってから、地上から受ける視線はいつも同じだ。
––––あたしだって死にたくないんだよ。あんたたちと変わらないのに。
逃げるように上昇を続けるトニの前に尖塔が現れた。
物見台を兼ねる塔には有事を知らせる鐘が取り付けられている。
古びて鈍色になった鐘に、ピクシーに似た軟体生物が無数に貼りついている。
「気持ち悪っ」
バンシーの柔らかな身体は脈動するように震えている。
このまま逃げれば自分だけは安全だ。鐘を壊せば、魔物たちに気づかれて、単騎のところを真っ先に狙われる。
手綱を握る手に力を込めたトニの脳裏に、捕虜の青年の痩せた面差しが浮かび、古い記憶と重なる。
「あぁ、もう!」
フルフルに取り付けた爆薬はあとひとつ。
トニは更に高度を上げ、尖塔の真上を占領した。
「あんたのせいだ、ヴァイカー・アトキンス!」
竜の横腹を蹴る。戦線離脱ではない、投下の合図。
自由落下に任せて落ちた爆薬が、鐘ごと尖塔を爆砕した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます