カリガリ要塞奪還作戦.2
要塞はヴァイカーたちの侵入を簡単に許した。
ざらつく舌が舐めたようなノイズが耳朶を伝う。
「コレスタフ」
応答はない。
––––カリガリ要塞に入った者は音信不通となり、行方を眩ます、か。
「ナグルファリ、ピクシーの様子はどうだ」
「最悪よ。鱗に潜り込んで動かないの。素肌に触れるなんて無作法にも程があるわ」
不機嫌な竜の喉に貼りついた軟体生物は、鉱物のように硬直して見えた。
「ジャミングかも。っていうか、聞こえる?」
ティッキーが声を張り上げながら、竜をヴァイカーの横に並べた。
「ジャミング?」
「ピクシーは音波で通信してるでしょ。敵の魔物にも似たのがいて、妨害工作用の電波で通信を阻むんだよ」
「敵も進化してるって訳か」
「軍事ってのは日進月歩だからさ」
––––挑発しやがる。
ヴァイカーは意味深に片眼を瞑るティッキーから目を逸らした。
「で、最新の知識を持ってる竜騎兵の見解は? 煽るってことは呑ませたい算段があるんだよな」
「お見通しか。話が早くていいね」
ティッキーは指を鳴らす。
「降下して内部を偵察したい」
「阿呆か。竜騎兵が一番の武器を捨ててどうする。騎兵隊が敵わねえ相手に生身で太刀打ちできるかよ」
「そもそもこの地形が竜に向かないんだって。上をぐるぐる回ってたんじゃ哨戒と変わんないだろ。奪還なら奥まで切り込まないと」
眼下の長城は、鬱蒼とした木々に覆われ輪郭すら曖昧だ。
ヴァイカーは要塞の上部に設置された台形の塔を見下ろす。
––––竜の離着陸地点だ。今なら難なく着地できる。
ここで襲われたら遮蔽物のない上空か、不利な森の中に逃げるしかねえ。対空兵器が隠されていてもわからない。
煩悶を読み取ったようにナグルファリが首をもたげた。
「いいのよ。勇者には冒険が必要だわ」
ヴァイカーは舌打ちし、一息ついて顔を上げた。
「行くか、勇者的にな」
歓喜の咆哮が低く響く。
「トニ、ティッキー、降下するぞ! 準竜種は空中から哨戒を続行! 何かあれば閃光弾で知らせろ!」
「冗談でしょ? 哨戒ならあたしがするから! そんな訳のわかんないとこ降りないからね!」
トニの悲鳴じみた声を聞きながら、ヴァイカーは重力に任せて降下した。
風の膜がヴァイカーを包み、竜の爪が要塞の石畳を捕らえる。着地と同時に冷えた不穏な風が吹き抜けた。
次いで着地したティッキーとトニが翼竜の背から装備を下ろす。
ナグルファリが喪服の女に姿を変え、白髪を波のように靡かせる。薄く透ける髪と裾の向こうに、無機質な石段が広がっていた。
「入るか」
ヴァイカーは蒸気銃の残弾を確かめ、重厚なな鉄扉を睨んだ。
内部には黴の匂いが充満していた。
陰鬱な石壁は前時代の造りだが、所々蒸気機関用の配管が取り付けられ、繋ぎ目から黒い水が染み出していた。
「ほんとに幽霊屋敷だ……」
トニが鼻を覆って呻いた。
窓も照明もない廊下は闇一色だが、ヴァイカーには壁の扉や燭台が浮き上がって見えた。
「視力の向上も竜の恩恵か」
傍のナグルファリの瞳は煌々と輝いている。
「厭な場所だわ。下等な獣の匂いがする。それにこんな狭いところでは飛べないもの」
「そうか? 俺はお前がいてよかったと思ってるよ」
ヴァイカーの声に、緑の瞳がより一層光った。
「他の奴らは竜を捨てて行かなきゃ入れないが、俺は閉所でも常に側に置いておける。それに、お前の酸があれば壁も壊せるしな」
ナグルファリは屈託なく微笑んだ。
「素直なひとね。いつもこんな風にもっと頼っていいのよ」
ヴァイカーが曖昧に頷いたとき、壁の一点を指してティッキーが言った。
「この燭台、埃がなくて煤が溜まってる。最近使ったばっかりだ」
「……まだ人間がいるってことか」
「たぶん。でも、俺らが歩いてきた方には蝋燭が一本もなかった。何でだろうね」
「付け替えるのが面倒でまだあるところだけつけたんじゃないの」
トニが口を挟む。
「そんなかえって面倒な手の抜き方するかよ」
廊下に靴音が反響し続ける。
敵の気配はない。
隅には積み上げられた椅子に混じって、水道管や調理器具が打ち捨てられていた。
「居住区でもあったらしいな」
「カリガリ要塞は敵味方問わず難攻不落、ってね。機密とか構造とかが漏れないように、ここに派遣された兵士は家族ごと移住して何ヶ月も暮らすのがザラなんだ」
ティッキーが手持ち無沙汰で壁の蝋燭を手折った。
「そいつらが魔物に攻め落とされて敵に回ったってことないよね? 人間と戦う羽目になったら最悪。ステゴロが強い教官がくればよかったのに。色黒いから暗がりで奇襲できそうだし……」
トニが身震いした。
ヴァイカーは肩を竦める。
「そういや、ジャンユーはリーミンと同郷だろ。南の生まれじゃない。あの肌は日焼けか?」
「契約してる竜のせいらしいよ。竜の力が強いと竜騎兵にも影響出るんだって。教官の竜は地元で災害扱いされるくらいヤバいやつらしいから」
「似た者コンビってとこか」
「勇者」
ナグルファリがヴァイカーの袖を強く引いた。
爪先に硬い感触がぶつかる。
横たわっていたのは鉄の車輪だ。ヴァイカーの膝下まで廃材がうず高く積まれていた。
「不敬ね、勇者の進路を妨げるなんて」
ナグルファリが息を吐き、車輪が酸をかけられたように泡立って融解する。錆の匂いと気泡にトニが呻いた。
「この廃材、隊商の馬車か?」
折れた材木は湾曲し、破れた雨避けの幌が残っている。溶けた車輪の軸に熊を模した紋章が見て取れた。
「これ、ガルホ地方の食品業者だな」
ティッキーが覗き込む。
「本格的におかしいね。魔物なら人間を食えばいいんだからわざわざ兵站を強奪するような真似しない」
ヴァイカーは眉を潜めた。
「上に報告したいとこだがジャミングを何とかしねえとな。ナグルファリ、妨害電波の出処はわかるか」
「ここに来てからずっと嫌な感覚よ。耳元で虫が飛んでいるよう。西の方角からだわ」
「後で確かめるか。人質取られてんなら救援部隊も呼べるだろ」
「救助って必要?」
ティッキーが薄い唇を歪めて笑う。
「今頃もう魔物の味方になってるって。それに、魔物が人間を生かしとくと有利になる要因があるなら死なせた方がいい」
「要因?」
「そこは何とも言えないな。それに、今ほど見捨てても大丈夫な状況って珍しいよ? 通信もできないし、魔物に殺されてたって言っとけばいいんだし」
眉間に皺を刻むヴァイカーにトニがおずおずと言った。
「あたしも賛成。人質守りながら戦うのって相当不利になるんだよ。死にたくないし……」
「お前ら……」
咆哮が要塞を揺らした。
ナグルファリの瞳が燃え上がっていた。
「お前たち、それでも勇者の仲間なの? まるで暴漢だわ。ひとを救うために私たちはいるのでしょう」
ナグルファリは怒りを宿した眼をヴァイカーに向けた。
「俺は、反対だ」
ヴァイカーは押し殺した息を吐く。
「善人ぶる気はねえ。だが、魔物が人間を生かしておくなら理由があるはずだ。考えなしに見殺しにするのは不確定要素がデカくなる。それに、人質を見捨てなきゃ勝てねえような雑魚かよ俺たちは」
「偽善だよ」
ティッキーが首を傾げた。
「悪人のが好みか? じゃあ、脅しで行く。俺の竜がキレてここを毒ガスで満たしたら生き残るのは俺だけだ。俺はお前らなしで勝つ自信がある。賭けてみるか?」
ナグルファリが誇らしげに微笑む。
ティッキーは降参を示すように手を挙げた。
「決まりだな」
そのとき、小さな金属音がした。
暗闇の中、悲鳴じみた音と共に扉が開く。
中からやつれた男女が覗いていた。
「人間……?」
ふたりはヴァイカーたちを見て、慌てて逃げようとする。半分開いた扉は錆びついて動かない。
トニが飛び出して男女を制した。
「怯えないで。あたしたちは王都竜騎兵、助けに来たんだよ!」
「どの口でほざいてんだ」
「竜騎兵……?」
男が呟いて動きを止める。
「ええ、勇者とその部下が救助に来ました。もう安全よ」
ナグルファリの言葉に混乱する彼らの肩越しに、無数の影があった。
「本当に王都の兵なの?」
扉の奥から次々と人間が現れる。性別も年齢も様々だが、皆痩せこけ、煤と垢で汚れていた。
「全員捕虜か?」
ヴァイカーが視線を巡らせる。男の胸に王都軍の紋章があった。
「僕はここの駐屯兵だ。でも、要塞が乗っ取られて、救助に来た騎士も……」
男が身を震わせた。捕虜たちも怯えた表情で竦みあがる。
「何だよ」
「見つかったんだ! 採血の時間に行かなかったから……」
「採血?」
石壁のひびから黒い水が染み出す。
水は意思を持ったようにうねり、逆流して這い上がる。
「来た!」
天井を伝う水が弾けた。無数の黒い雨が降り注ぐ。
「説明しろ、これは何だ!」
ヴァイカーが掴んだ男の肩が生温かく濡れている。鉄錆の匂いがした。
男は頭を抱えて叫ぶ。
「あれは、あれは魔物だ! 僕らの血を吸って生きてる!」
ヴァイカーは腰の銃に手を伸ばす。
「吸血、暗がり……ヴァンパイアか!」
天井の染みが蝙蝠の羽に似た模様を広げて蠢いた。
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